丸太のような尾がグレンの腹を力強く打った。 弾き飛ばされたグレンは空中でくるりと一回転して足から降り立つ。着地と同時に深く膝を折り、猛然と目の前のドラゴンに跳びかかった。 血の色をした口蓋がぐわっと開いてグレンを迎えうつ。喉奥が仄かな光を帯びた一瞬後、そこから轟音と共に大量の炎が吐き出された。人体などたやすく焼き尽くすだろう圧倒的な熱量だ。 大きく跳躍して炎をやり過ごし、グレンは両手に剣を握った。全体重を乗せた一撃をドラゴンの口吻に落とすと、刃は上顎と下顎を貫通して地面にまで突き刺さった。 ドラゴンはあらん限りの力で暴れ出した。四肢を踏ん張り尾を打ち鳴らし、大地に縫いつけられた頭を持ち上げようと低い唸り声を上げる。 「……くっ」 必死に押さえ込もうとするものの、グレンの力はドラゴンのそれに一歩及ばない。グレンは剣ごと持ち上げられ、ぶんっと勢い良く振り払われた。木の幹に嫌というほど背中を打ちつけた次の瞬間、炎の渦が視界いっぱいに広がる。 「はい、君の負け」 反射的に閉じた瞼の向こうで魔女の声がした。 グレンはのろのろと力なく兜を脱ぐ。前髪から滴る汗の雫が、土塗れのアンダーウェアに幾つもの染みを作った。 「これで十回目の負けね」 顔を上げると、腕組みをした魔女がグレンを見下ろしている。銀髪を微風に靡かせる彼女の後ろには、赤い光を湯気のように立ち上らせる巨大な魔法陣があった。 魔女が地面に描いた魔法陣からは、実に様々な魔物の幻が飛び出してきた。 最初はまるで歯が立たなかったがいこつに勝つとリカントが現れた。やっとの思いでリカントに勝利を収めるとゴールドマンが出現した。擬似戦闘で力と魔力を鍛え始めて二週間、グレンは魔女の最終課題であるドラゴンに挑む日々を送っている。 「剣だけで戦おうとするなって言ってるでしょ? その時々で攻撃方法を変えていかないと、 君、本番でも今みたいに丸焼きよ」 「はい」 節くれだった杖をずいと鼻先に突きつけられる。グレンは神妙に頷いた。 特訓場は魔女の庭。巨木を刳り貫いた家を中心に拓けた原っぱである。森に密集する木々は魔女に敬意を払うが如く、彼女の住まいからは一定の距離を置いて佇んでいるのだ。 「それにしても真正面から突っ込む戦法まで遺伝してるとは驚きね」 「……ロトのことですか?」 「そ。あの子もとにかく力押しで、何時もいらない怪我ばっかりしてたわ」 魔女は手近な木に歩み寄り、枝に向かって腕を差し伸べた。するとさわさわ梢が揺れ、たわわに果実を実らせた枝がひとりでにしなる。よく熟れた果実を一つもぎ取ると、魔女はそれを手にグレンの傍らに腰を下ろした。 「一休みよ」 魔女のくれた果実の歯応えは梨に近く、味は葡萄に似ていた。この森に実る果実や咲く花はどれも一風変わっていて、外の世界では見られぬ不思議なものばかりだった。 「……あの、そういえば聞きそびれていましたけど」 「何?」 「魔女さんの本名って何ていうんですか?」 この森で暮らし始めて半月、今更な質問である。 「へえ〜、あたしの名前に興味あるんだ?」 魔女はにやにや笑いながらグレンの顔を覗き込んできた。匂い立つような大人の色香を感じて、その手の事柄にまるで免疫のないグレンはしゅうと赤くなる。 「あたしの生まれた国じゃ名前って重要なのよ。女は愛する男に名前を捧げることで誓いを立てて、それからの人生を一緒に過ごすの。四百歳年上の姉さん女房になるけど覚悟はいいわね。あたしの名前は……」 「えっ、いやっ、ちょっと待って下さい、僕はそんなつもりじゃっ!」 慌てふためくグレンを見て、魔女がおかしそうに声を上げて笑う。ころりころりと掌で転がされ続ける現状を打破すべく、グレンは不器用に話題転換を試みた。 「そ、それじゃ魔女さんはどうしてこんな森奥深くで暮らしているんですか?」 「……ロトが止めを刺した時」 魔女は不意に真顔になり、それから低い声で囁いた。 「大魔王ゾーマは言ったの。我は何時しか血を礎に蘇らんってね」 「大魔王ゾーマが蘇る?」 グレンは無意識に体を緊張させる。嘗てアレフガルドを夜闇で覆った大魔王が蘇るとしたら、それは竜王に並ぶ……或いはそれ以上の脅威となるだろう。 「あたしは昔、神に仕える身でありながら罪を犯してね、穢れを祓うまで死ねない体になったの。どうせ長生きするなら、せいぜいそれを利用して何時か現れるかもしれないゾーマの邪魔をしてやろうと思ったわ。旅の思い出が眠るこの森で、ずっとアレフガルドを眺めてきた」 異世界から降臨した美しき女神は海底を隆起させて大地を作り、そこに樹と花と命を与えた。緑滴る美しいアレフガルドは、戦いに疲弊した神々が夢見た理想郷だと言われている。 「君の青い目はロトと一緒。それは太陽の血筋の目の色よ」 「太陽の……血筋?」 聞き慣れぬ言葉の意味を、グレンは鸚鵡返しに問うた。 「ロトは空の神から力を授かったの。その力を……不死鳥ラーミアの力を宿したロトの子孫を太陽の血筋って呼ぶのよ」 魔女が小さく首を傾げると、耳朶を飾る柘榴石が淡紅色の光を散らした。 「太陽の血筋には時々青い瞳の子が生まれる。ロトが授かった不死鳥の力が具現化した奇跡の証。青い瞳の持ち主こそが正統なるロトの末裔ってところかしらね」 魔女はそう言って懐かしそうに微笑んだ。グレンの瞳に通り過ぎた日の思い出を重ねているのだろう。 「……だったら僕はやっぱり」 「お姫様を助けたいというのは君の意思だからあたしは君の手助けをするわ」 口を開きかけたところで、魔女にぴしゃりと続きを遮られた。 「でももし今の君が竜王を倒しに行くといっても、あたしは一切協力出来ない。君は義務感からそう言ってるだけだからね。その程度の覚悟じゃ竜王に勝つのは無理よ」 「はい……」 グレンは唇を引き結んで目の前の女を見つめた。彫刻のように整ったその顔にロトと潜り抜けた戦いの傷跡を見ることは出来ない。四百年に渡る長き時の流れが、それらを巧妙に隠してしまったのかもしれなかった。 「あたしが血筋について教えるのは、君に全てを知る権利があるから。それを知った上で生き方を選択して欲しいから。ロトの子孫である前に君はグレン。それを忘れないでね」 「あなたの生き方もあなたが選んだものですか?」 「え?」 「一人ぼっちで森に住んでいて、寂しくないんですか?」 魔女はぱちぱちと瞬きをし、それから弾かれたように笑った。 「君はあたしが不幸だとでも思ってるの? 幸せか不幸せかなんて、外から見ても分からないものよ。あたしは寂しくなんかないし、なーんにも後悔してないわ」 魔女は立ち上がって服についた草を払った。真上に昇った太陽をついと見上げて手庇を翳す。 「そろそろお昼にしましょ。お昼ご飯を食べたらお皿洗いとお洗濯とお掃除をお願い。マイラの村への買出しと薪割りもお願いしたいんだけどいいかしら。あとあたし、今日の晩ご飯は鶏肉とキノコのクリーム煮が食べたいわ」 「はいっ、頑張って美味しいのを作ります!」 炊事洗濯も修行の一環だと言われている。張り切って立ち上がるグレンに、ちゃっかりこき使われているという認識はない。 |