「そーれ、がんばれ、がんばれ」 「ももも、ももも」 「あんた達少し静かにしなさいよ! こううるさくちゃ負け続けのグレンがまたこてんぱんにやられちゃうじゃない!」 喧しい見物人にはもう慣れっこだ。グレンは兜の影で小さく苦笑すると、腰を落として身構えた。 眩い光が弾けた一瞬後、魔法陣から巨大なドラゴンが出現する。 生まれたばかりのドラゴンは、首を伸ばして産声を森いっぱいに響かせた。それからゆっくりと首を巡らせ、獲物を認めて嬉しげに舌なめずりをする。きりきりと摺り合わせた牙の間から白い煙が立ち上った。 「行くぞ!」 真っ向から突っ込むグレンに炎の息吹が吹きつけた。 「ギラ!」 空中で激突した炎は双方一歩も譲らず弾けた。逆巻く爆炎を掻い潜り、グレンは仰向けの体勢でドラゴンの腹の下に滑り込む。白い蛇腹に刃を突き立てると、生臭い体液が飛び散ってグレンの顔を汚した。 振り下ろされる鉤爪を転がって避け、両腕をばねに跳ね起きて追撃に出る。 ドラゴンの横っ面に、グレンは力任せに盾を叩きつけた。一度大きくしなった首筋が、唸りを上げて跳ね返りグレンの脇腹を打つ。堪らず尻餅をついた少年の鼻先に鋭い牙が迫った。 グレンは迷いなく口蓋へ左腕を突っ込んだ。 「ギラ!」 内臓を焼かれたドラゴンが大きく仰け反った。無防備に曝け出された喉元目がけて、グレンは体ごと剣先を叩き込んだ。 「……っ」 渾身の力でじりじりと押し込めた剣が遂に太い首を貫通した。 次の瞬間、竜の巨体は光に変じてぱっと散じた。ふわふわと空中を漂った光の粒子は、その後一塊になって魔法陣へ吸い寄せられていく。光を全て飲み込んでしまうと、魔法陣は淡雪が溶けるが如く跡形もなく消失した。 「……」 グレンは肩で息をしながら魔法陣のあった場所を凝視する。たっぷり三呼吸沈黙した後、その喉がごくんと上下した。 「や……」 緊張に強張っていた面を押さえきれぬ喜びが覆っていく。 「やりましたっ。ドラゴンを倒しましたっ!」 「きゃー! やったぁ!」 駆け寄ってきた魔女のしなやかな腕に抱き寄せられ、あまつさえ柔らかな胸に顔を押しつけられて、グレンは盛大に鼻血を吹き出した。その香りも温もりも彼には刺激が強過ぎる。 「あら、大丈夫? 何処かにぶつけたの?」 「ももー」 鼻を押さえて後じさるグレンに魔女が首を傾げる。その足元でモモが心配そうな声を上げる。 「へ、平気です、何ともありません」 「鼻血って案外怖いのよ。ほらちゃんと見せて」 「そんな爛れた関係はいけません!」 「はぁ? 何言ってんのよ?」 激しく拒絶しながらも、魔女の大きく開いた胸元についつい目が言ってしまう。グレン十六歳の夏の夕暮れ、オトナの刺激を知ってしまった出来事だった。 マイラ大陸の南には鳥も通わぬ岩山が連なり、それに縁取られる形で巨大な湖が横たわっている。 嘗て鏡面の如く空を映していた美しい湖は今、魔物に汚されて悪臭ふんぷんたる毒の沼地に変貌している。肉を腐らせ血を濁らせる毒液に満たされたそこには、熟練した冒険者でも近寄るのをためらうという。 「その沼を渡った先、東の山の麓にリムルダール大陸へ抜ける地下通路があるわ」 魔女はテーブルにごとんと巨大な石版を置いた。その表面には鮮やかな色の塗料で何本もの線が刻まれている。 「地下通路を真っ直ぐに抜ければリムルダール。ただその途中……魔術の闇に覆われた場所に分かれ道がある。その道の先にお姫様がいるわ」 「姫は竜王の城にいらっしゃるんじゃないんですか?」 「お姫様が閉じ込められてるのはここの牢屋よ」 魔女は石版に手を翳して複雑な詠唱を唱えた。 するとどうだろう、石版に刻まれた塗料が動き、重なり、混じり、分裂して、精巧な地図を描き出したではないか。 単調な一本道から途中枝分かれした通路が鉄格子の嵌った牢獄へと繋がっている。薔薇色に点滅する牢を守るように、一匹の巨大なドラゴンがうろうろと徘徊していた。 「……こんな地図見たことないです。すごい魔術具ですね」 「あたしが作ったのよ」 魔女は得意げに片目を瞑った。 何らかのアイテムに魔術を封じ込めたものを総称して魔術具と呼ぶ。火を放つ炎の剣や体力を回復させる魔法の鎧などが代表的な魔術具として挙げられるだろう。 精霊石と呼ばれる石に魔力を注入し、魔法陣を介してそれを品物に埋め込むのが一般的な作成方法で、技術とアイディアさえあればオリジナルの魔術具を作ることも出来る。魔術師には魔術具作成で小遣い稼ぎをする者も多い。 「良かったらそのうち君にも何かプレゼントするわよ」 魔女はそういって地図に視線を戻した。白く長い指がドラゴンの上に落ちる。 「この竜が牢番よ。恐らく君がこれまで相手にしたどんな魔物よりも強くて厄介な相手だわ」 「どんなに強くたって、ここに姫が捕らえられているなら僕は戦わなくてはなりません」 地図を睨むグレンの眼差しは流星のように鋭い。 毒の沼地に浸された岩山の奥、光一筋差し込まぬ牢檻とは一体どのような環境なのだろう。闇に閉じ込められたローラを想った瞬間、グレンの胸はやるせない感情に溢れた。ローラへの憐憫と竜王への憎悪が混じり合い、吐き気に似た衝動を引き起こす。 「……それにしても、どうして魔女さんが姫の居場所をご存知なんですか?」 「力を感じるの」 魔女は視線を上げ、低いが良く通る声で囁いた。 「多分この牢屋には魔法陣が敷かれていて、それがお姫様の力を吸い取ってる。力はアレフガルドの大地に染み込んで、こうしてる間にも地脈を伝わってあたしのところまで届いてくるわ」 「力? 力って……」 「彼女の竜の力よ」 「竜?」 何もかもが分からないことだらけで、グレンはただ魔女の言葉を繰り返すしかない。 「お姫様を助けたらここに連れてらっしゃい。竜王が何故お姫様を攫ったのか、その目的は何なのか、彼女自身知る権利がある。あたしは直接それを教えてあげたいの。……約束してくれる?」 「……分かりました」 グレンはこくりと頷く。尋ねたいことは山のようにあるのに、ローラの安否が気がかりで上手く言葉にならない。全てはローラを救出してから尋ねればいいことだと、グレンの気持ちは結局そこに治まった。 「ま、死なない程度に頑張って」 魔女はぱちんと片目を瞑った。 |