囚われの姫<6>


「全くもう、少しは待ってる方の身にもなりなさいよ。グレンがいない間何かと不便で困った……じゃなくて、ずっと心配してたのよ」
「すみません」
 慣れた手つきで茶の用意をしながら、グレンはぺこんと頭を下げた。
 魔女ご自慢のティーセットを円卓に並べ、ポットからカップに紅茶を注ぐ。湯気と芳香が昇り立ち、紅茶の名に相応しい鮮やかな色がカップに満ちた。砂糖とミルク、それにさくさくしたこがね色の焼き菓子を添えれば準備完了だ。
「それにしてもこんなに長い間、マイラの村で何やってたわけ?」
「グレンはわたしを心配してくれて……」
 ローラが説明しようとしたところで、テーブルの上の竪琴が口を挟んだ。
「姫さんといちゃいちゃするのに忙しくて、森のことなんざ忘れてたんだろ? あれだ、夕べはお楽しみでしたねってやつだ」
「そ、そんなんじゃありません!」
「もももー」
「モモちゃんまで僕をそんな目で!」
 置いていかれたことを根に持っているモモの対応もすこぶる冷たい。
 あらぬ誤解におろおろするグレンを尻目に、魔女がローラの正面に座った。重ねた手の甲に頤を乗せて一つ瞬きをする。
「さてとお姫様。グレンから聞いてると思うけど、ここに来てもらったのはあなたに大切な話があるからよ。あなたもどうして自分が攫われて、あんな辛気臭い場所に半年以上も閉じ込められたか知りたいでしょ?」
「はい」
 ローラの表情がすっと引き締まる様に、よろしいとばかりに魔女は微笑んだ。
「まずはあなたのお母様のお話よ」
「……母……のことですか?」
 神秘的な赤い瞳と艶やかな黒髪を持ち、周囲を照らすような美しさから暁の妃と呼ばれたローラの母は、元々メルキドの地方領主の娘だった。身分の低い恋人を正妃にするため、当時のラルス十六世は随分無茶をやらかしたと言う。
「あなた、お母様から何か聞いてない?」
「……」
「……姫?」
 俯くローラの横顔をグレンが覗き込んだ。ローラはグレンを見つめ返して、大丈夫だと微笑む。
「……母は捨て子だったそうです。幸せに満ちた人生の中、実の両親に愛されなかったことだけが寂しかったと、母は間際にそう言い残しました」
「あなたのお母様は捨てられたんじゃないわ。こことは違う世界から……アレフガルドの人達が天つ国と呼んでいる、勇者ロトの故郷から落っこちてきたの」
「天つ国……? でもアレフガルドと天つ国に繋がるトンネルはロトが塞いだんじゃないんですか?」
 大魔王がこじ開けた異世界への通路は、ロトが白き雷を以て封印したと言われている。天空の大穴が閉じると同時に太陽と星と月が輝き、凍りついていたアレフガルドの空が動き出したのだ。
「たまに時空が乱れて、世界と世界が一瞬繋がってしまうこともあるのよ。神隠しといって人が消えてしまうことがあるでしょ? あれはそういう次元の綻びに嵌って、こことは違う世界に行ってしまうことなの」
「……ではわたしの母は、異世界の人間だったということですか?」
「あなたのお母様は、大地の竜神から加護を受けた一族の末裔。太陽の血筋と対をなす雨の血筋の娘よ」
 魔女はゆっくりと、静かに、今に伝わらなかった歴史のかけらを口にした。
「雨の血筋は天つ国に残り、太陽の血筋はアレフガルドに下ってロトとなった。二つの血筋は四百年を経て再会する……あなた達のことよ」
 古の加護が時と空間を越えて二人の中に息づいている。不死鳥の青い輝きと竜の赤い煌きは、生涯鮮やかに彼らの瞳を彩り続けるのだ。


「竜王があなたを攫った理由は恐らく二つ。まず一つはその力を大地に浸透させて竜の支配力を強めようとしたんだと思う。あなたの力は竜王と同質……竜王の母親の加護によるものだから」
 グレンは顔を顰め、ローラは眉を寄せた。二人同時に同じ疑問を抱いたが、尋ねたのはローラの方が早かった。
「神様の末裔がどうしてアレフガルドを脅かそうとするのでしょう」
「竜王は勇者ロトが母親を殺して、一族が護っていた光の玉を奪ったと信じてる。竜王はロトを憎み、ロトが救った世界をも憎んでいるの」
「ロトが本当にそんな酷いことを?」
 ローラの軋むような声に、魔女はきっぱりと首を横に振った。
「竜の女王は大魔王ゾーマの闇の加護を払うために光の玉を自ずから授けたの。それはあたしがこの目で見てるから間違いないわ」
「……」
 紅茶で唇を湿らせてから、魔女は再び淡々と言葉を続けた。
「もう一つは一族の繁栄のため。あなたはこの世界で一番竜神に近くて、唯一竜王の子を産める女だものね」
「そんなこと!」
 たちまち激昂したグレンががたんと椅子から立ち上がった。
「絶対に許しません!」
 怒りに任せて勢いよく拳を叩きつける。グレンの馬鹿力に耐え切れず、華奢な円卓は真っ二つになって左右に倒れた。花模様のティーセットは床に叩きつけられ、粉々になって飛び散る。
 辺りがしんと静まり返った。
「君ねぇ……」
 ゆらりと上げられた魔女の顔ときたら、絵にも描けない恐ろしさである。グレンは顔面蒼白で震え上がった。
「す、すみません!」
「だめ。謝られたくらいじゃあたしの気が済まない」
 気が済まない宣言の下、魔女はいいように杖でグレンをこねくり回した。さすが伝説を綴った戦士の一人、その強さは圧倒的でグレンなど足元にも及ばない。
「……グレン……」
 虐げられるグレンをなす術なく見守るうち、ローラの胸はきゅんきゅんと痛み始めた。明るい笑顔や凛々しい雄姿に心惹かれるのも確かだが、こんな風に放っておけない危うさを見るたびに何だか胸が疼くのだ。
(やっぱりこの人はわたしの勇者様)
母性本能に似た保護欲もまた恋心なのだった。


 青白い掌で光の玉が輝く。
 粘つく闇を払おうと必死に点滅を繰り返すものの、その弱々しい輝きではまるで目的を果たし得ない。蜘蛛の巣に捕らえられた蝶がもがくのにも似た、絶望に満ちた抵抗だった。
(竜王、何時までそうしてる気だ。どうして光の玉を破壊しない)
 不意に抑揚のない声が竜王の王宮に滑り込んだ。
(早く俺達を召還しろ。そうすればお前は……)
 竜王は顔を顰めて手を振り払う。すると冷たい風が周囲に吹き荒れ、容赦なく声を飲み込んだ。
「……アトラス。母上の形見を砕くのはやはり忍びないのだよ」
 竜王は光の玉を両手で包み込み、恭しく唇を寄せた。光の玉は粒子と変じ、彗星の如く尾を引きながら竜王の体内に吸い込まれていく。
 光の玉を飲み込んでしまうと、竜王は深く息を吐きながら背もたれに体を預けた。
 先刻配下から受けた報告は決して愉快なものではなかった。苦労して拉致した竜の姫が、ラダトーム兵士に奪い返されたらしい。強悍な番兵が破られたことに驚愕したものの、兵士の残した力の余波を感じた途端、さもありなんと唇が複雑な笑みを刻んだ。
「ロトの末裔が生きていた……いいや、生きていてくれたのか」
 十三年前、悪魔の騎士の勝手な行動でこの世から滅んだ血筋のはずだった。それが如何なる奇跡を以ってか生き永らえ、竜を倒すほどの剣士となって現れたという。
「不死鳥と竜は一対。嘗て力を合わせて天つ国を治めたという。二つの力の奇跡があれば、光の玉を破壊せずとも我が悲願を果たすことは可能だろう」
 竜王は黄金のゴブレットに炎を注いだ。ゆっくりと口に含んだ炎はかすかに甘く、知るはずのない故郷の味がした。
「まずは今一度竜を我が手に」