空を覆う乱層雲からひっきりなしに雨が降る。銀色の雫は季節外れの冷たさを孕んで、地上にあるもの全てから温もりを奪っていくかのようだ。 振り下ろされた一撃を、グレンは上段に構えた剣で受け止めた。ずしん、凄まじい衝撃が全身に伝わり、支えきれない重量に膝が沈む。 ラダトーム近衛兵隊長の強さは伊達でない。これまでに何度か手合わせをし、その度にこてんぱんにのされてきたグレンだが、その圧倒的な力と技を今日改めて思い知らされた。 ダグラスの繰り出す突きは彗星のよう、振り下ろす一撃は隕石のよう。その動きに淀みはなく、その太刀筋に無駄はない。受け損なえば致命傷になりかねない攻撃を、グレンは全神経を集中してかわしていく。 「大分腕を上げたようだ」 剣を激しく打ち合わせた後、双方後ろへ跳ぶ。間合いを取って体勢を立て直す際、ダグラスが楽しげに微笑んだ。 「……」 余裕綽々のダグラスに対し、グレンの顔は緊張で真っ白だ。ダグラスはこれまで戦ってきたどんな魔物よりも強い。 「お前の剣技は元々我流だったな」 「はい、隊長に悪い癖を直していただきましたっ」 ほとんど条件反射で背筋を伸ばすグレンにダグラスは笑った。 「お前の剣技は我流でありながら、何処かしら我が一族の流派に似たところがあると思っていた。私の祖先はロトの指南役だったというから、お前の血がそれを記憶していたのかもしれんな」 「血が……ですか?」 「そうだ。遠き過去より伝えられ、遙かなる未来へ受け継がれていく血の記憶だ」 さあっと吹き抜けた風に、二人の剣士のマントが翻る。 「お前とこうして手合わせしていると、時々ひどく懐かしい気分になる。私の中の祖先の記憶が、四百年前の日々を懐かしんでいるのかもしれんな」 ダグラスは昔からよくグレンの面倒を見てくれた。危なっかしい、見ていられないと眉を顰めては、剣士としての基礎を叩き込んでくれた。 古の日、先祖達が培った絆が彼をそうさせたのだろうか。事実は分からないし分かりようもないが、少なくともダグラスはそう信じているようだ。 「我々が今日こうして剣を合わせるのは、恐らく四百年前から定められたことだったのだろう。……本気で来い、グレン。私も今日は容赦しない」 グレンは前髪から滴る雫を拭い、片手半剣を両手に構えた。剣先の向こうに揺れる氷色の瞳をひたと見据える。 「お願いします!」 グレンは叫ぶと同時に跳躍した。大振りは容易く見切られ、勢いよく刃を真横に弾かれる。剣ごとに吹っ飛ばされたグレンは着地と同時に膝を折り、姿勢を低くしたままダグラスに猛進した。 攻撃範囲に飛び込む直前、ひゅんとダグラスの剣が唸る。 ナックルガードに一撃を食らい、その衝撃が骨まで響いた。堪らず剣を取り落としそうになるグレンの頬へダグラスの肘がまともに入る。頬の肉が切れて、口中に鉄の味が満ちた。 ダグラスがチャージの構えを取るのを見て、グレンは慌てて距離を取った。あの剣技で連続攻撃を繰り出されては防ぎようがない。 「何故魔術を使わない」 息一つ乱さず、ダグラスが押し殺した声で尋ねてきた。 「お前の魔術はなかなかのものだと聞いている。先の騒動も魔術を使ってローラ様をお守りしたのだろう」 「隊長は剣士ですから、僕も剣で」 「本気で来いと言ったはずだ」 ダグラスの顔に紛れもない怒気が滲んだ。 「お前は私を貶める気か。私など全力を出すのに値しない人物だとそう言いたいのか」 「違います、僕はそんなつもりじゃ……」 「真剣に挑んで来る者に遠慮を見せるのは、相手を見下すことと同じだ」 ダグラスの剣が一閃し、迸った銀光が雨粒を砕いた。 「傲慢な考え方は捨てることだな。私は全力でぶつかっているのだから、お前もグレンという人間の全てを晒け出せ」 「……分かりました」 グレンが頷くと同時にダグラスが動いた。岩をも砕く一撃を皮一枚でかわし、素早く魔力を構築する。 「ギラ!」 放った火玉はあえなくかわされた。熟練の魔術師ならギラの軌道を細かく指示することも出来るが、生憎グレンはその域に達していない。真っ直ぐに飛んでくる火弾など、ダグラスにとって脅威でも何でもないだろう。 「魔法も当たらねば意味がないぞ」 かといってベギラマではコントロールに自信がない。扇状に広がる炎の帯は、ダグラスのみならず屋敷までをも飲み込みかねない。 ダグラスの剣を右に左にかわしながら、グレンは必死に策を練った。 (ホイミ、ギラ、ラリホー) 使える呪文を次々に列挙する。 (マホトーン、トヘロス、……レミーラ) グレンは次の詠唱を唇に紡いだ。魔術を止めた掌を突き出し、最後の発動詞を解き放つ。 「レミーラ!」 かあっと庭一帯が白い輝きに包まれた。 なまじグレンに全意識を集中していただけに、ダグラスはまともにその強烈な光を食らった。網膜を焼かれて仰け反るダグラスに、身を沈めたグレンが足払いをかける。 仰向けに倒れたダグラスの首筋に、グレンはぴたりと刃の腹を添えた。 「私の負けだな」 ゆるゆると頭を振り、目元を押さえつつダグラスは嘆息した。眩しげに顔を顰めてはいるものの、何処かしら満足げな微笑が口元を漂っている。 「あの日の少年がいい剣士になった……いや、お前の場合は魔術剣士か」 ダグラスは危うげのない動きで立ち上がった。鮮やかな手つきで剣を鞘に収め、ついとグレンを見下ろす。 「お前の力は見せてもらった。祖先の言葉に従いお前に太陽の石を渡そう」 グレンは深々と頭を垂れ、その後誇らしさに紅潮した顔を上げる。 グレンの勝利を寿ぐかのように、厚く垂れ込めていた雲の一部が裂けたのはその時だ。斜めに差し込む光に雨粒が反射して、きらきらと七色の光が弾ける。 「あ、虹です、隊長!」 先ほどまでの戦士の表情は何処へやら、グレンが空を指差してはしゃいだ声を上げた。薄く雲がかかった空の下、太陽と雨の力を得て七色のアーチが出現する。青、紺、紫、赤、橙、黄、緑の光が、美しい層を成して空を彩った。 「……雨と太陽が合わさる時、虹の橋が出来るという」 「え?」 「ラダトームに古くから伝わる言葉だ。虹は夢と未来に通じる架け橋……太陽の石と雨雲の杖によって、人間は新しい希望を見出すことが出来るのかもしれん」 虹の橋は勇者をさだめの戦いへと導く。アレフガルドの未来を勝ち得るのは人間か魔物か、審判が下される日はそう遠くない。 「グレン、二種の神器を手に入れたお前が次に向かうべきはドムドーラだ」 「ドムドーラ?」 思わぬ状況で故郷の名を挙げられて、グレンは目をぱちくりさせた。 「ドムドーラに何があるのですか?」 「私も詳しいことは知らないが……」 ダグラスは虹を見上げたまま、言葉の意味を考えるように腕を組んだ。 「我は待つ、とロトが言ったそうだ」 「待つって……ロトが待っているってことですか?」 「私もそこまでは分からない。四百年前の人間が生きているとは到底思えぬがな」 「はい……」 だが森の魔女の例もある。もしかすると彼女のように、勇者ロトも何らかの理由で今の時代を生きているのかもしれない。 「行ってみます」 グレンは迷いなく頷いた。 「一度は行かなくてはと思っていたんです」 そこは生まれ故郷。始まりの町。ロトの待つ地。そして、炎の記憶が眠る場所。 |