金色の大地に蜃気楼が揺らぐ。 かんかんぎらぎら照りつける日差しは、防砂マントを通しても血液を沸騰させるかのごとく熱い。吹き出す汗は光と風を受けて瞬く間に蒸発し、肌に塩辛い結晶を残した。 「モモちゃん大丈夫?」 「も」 鞄からくぐもった返事があがる。体高の低いモモは地熱をまともに受けてしまう上、砂が焼けているので歩かせることが出来ない。鞄の中は直射日光が当たらないだけ涼しいはずだが、それでもこの暑さには相当辟易しているようだった。 「もう少しだからがんばって」 自分に言い聞かせるように言って滴る汗を拭う。酷暑と日射に少しずつ、だが確実に体力が削り取られていく。 「もーも。ももも」 「うん、町のことはほとんど覚えていないんだ。思い出すことで傷つかないように、心が思い出を封印したんだろうって父さんが言っていた」 「ももも」 「それでも思い出さなくちゃならないんだよ。ドムドーラは僕の故郷なんだから」 太陽が沈むと、砂漠は一転して凍えるような寒さに包まれた。防砂から防寒に役目を変じたマントをしっかりと掻き合わせ、グレンは休むことなく歩き続ける。東の空に瞬く竪琴座、その真下にあるのがドムドーラだ。 「ももーもももも?」 「え? 何?」 「もも」 「……姫のことは」 最後のやりとりを思い出すたび、胸に苦いものが満ちた。 走り去ったローラを追いかけようとして、結局その勇気が出なかった。そんな行動の一つ一つが彼女を傷つけている自覚はある。 「……どうしようもなかったんだよ」 ずっと右足が砂に減り込む。グレンは無言で足を引き抜き、そしてぽつんと呟いた。 「モモちゃんだけに言うけど」 「も」 「あんなこと言ったけど、本当に姫が他の人と一緒になられたら、僕は多分凄く落ち込むと思うんだ」 「ももーっ」 鞄から呆れ返ったような声が返ってきた。 「ももももも」 「……卑怯者か……」 グレンはその謗りを甘んじて受けた。 結局、グレンは逃げただけなのだ。世界の違いだとか力不足だとか、尤もらしい言い訳を並べて現状から目を背けているだけに過ぎない。 「僕は自分のことしか考えてないんだね。幸せになってもらいたいなんて言ってるくせに、心の何処かで姫を諦めきれないでいる。だからはっきりした態度が取れなくて、姫を怒らせたり悲しませたりするんだ」 ざくざくと砂を踏む音が夜空に吸い込まれていく。満天の星は今にも降り注いできそうだ。 「僕の初恋は十四歳の時なんだ。姫は……初めて会った時のローラはかわいくて、ふわふわしてて、砂糖菓子みたいだった。女の子をかわいいなと思ったことは何度かあったけど、あんな風に胸がどきどきしたのは初めてだった」 夜空に白い吐息の帯を描きながら、グレンは語りだした。 「十六歳で兵士になって、あの日会った女の子がお姫様だったって知ったんだ。とても手の届く人じゃないって何度も自分に言い聞かせたけど、感情って思うようにならないんだね。どうしても想いが捨てられなかった」 「も」 ごそごそと鞄が動き、モモが隙間から顔を覗かせた。円らな二つの瞳が星明りを浴びてぴかぴかと光る。 「だからせめて兵士としてお守りしようと決めたんだ。姫の幸せに全力で尽くそうって。……でも僕はそんな自分に酔っていただけなのかもしれない。それが正しいことだと頭から決めつけて、姫のお気持ちなんて少しも考えてなかった」 砂に足を取られて何度か転びながら、グレンはやがて緩やかに起伏した砂丘に到着する。丘の最も高い位置に達したその時、眼下に巨大な廃墟が広がった。 「……ドムドーラだ」 それは砂に埋もれた死の町だ。半壊した建物が墓標めいた影となって聳え、その合間を乾いた風が吹き抜けていく。恰も町そのものが、巨大な墓場であるかのようだ。 「……行くよ」 「もも」 グレンは倒壊した門を乗り越えて町に入った。 町のメインストリートを東に進むと、嘗ては広場だったのだろう開けた場所に出た。民家がぐるりと周囲を取り巻き、楕円形の空間を作っている。砂埃の舞う広場の中央には、左半分が欠け落ちた精霊神ルビスの像が佇んでいた。 グレンはゆるゆると足を止めた。たっぷり十秒その場に立ち尽くし、やがてルビス像に向かって歩き出す。 「……僕はこの石像のこと、覚えてる」 「もも?」 グレンはごくりと喉を鳴らす。失われた日の光景が、不意に鮮やかな色と音を伴って蘇ったのだ。 「ここは給水場だったんだ。ルビス様の石像からはきれいな水がたくさん出てきて、みんなこの周りで洗濯をしていた。友達とよくここで水遊びをして、水を粗末にするなっておばさん達に怒られた」 ルビス像をきっかけに蘇った記憶は、湧き水の如く後から後から溢れ始めた。 グレンは東へ伸びた路地に飛び込んだ。狭い裏地を走ることしばし、両脇を建物に挟まれた大通りへ出る。嘗て旅人や商人でごった返していたドムドーラの商店街だ。 「あそこの赤い建物にはおばあさんが住んでいて、猫をたくさん飼っていた。はす向かいの道具屋さんにはきれいなお姉さんがいて、会うと何時でもお菓子をくれた」 グレンの視線がすいと廃墟を泳ぎ、脇道を捉えた。 「この通りを曲がったところにある武器屋、そこが僕の家だった。僕はユキノフ祖父ちゃんと父さんと母さんと一緒に暮らしてたんだ」 溢れ出す怒涛の記憶にくらくら眩暈がする。グレンはぱちんと頬を叩いて気合を入れ、生家への道を辿り始めた。 「家の庭には樹が生えていた。凄く大きくて立派な樹で、祖父ちゃんはそれを見上げるたびに言ってた。これは勇者の樹なんだよって……」 崩れた石壁を曲がった瞬間、グレンはその場に立ち竦んだ。 恐らくそこを中心として何らかの魔術が炸裂したのだろう、家があったはずの場所には深々と穴が穿たれていた。建物はほぼ完全に吹き飛び、柱と思しき石の塊が堆積した砂の合間から覗いている。 だがグレンを驚かせたのは、そんな生家の無残な有様ではない。 クレーターの向こうに巨大な樹が聳えているのだ。全てが死に覆われたこの町で、その樹だけは勢い良く枝を張り、青々とした葉を茂らせている。 大樹の根元がほんのりと輝き、そこから放たれる光が命の源になっているようだ。光は幹を上って枝を渡り、葉の一枚一枚に伝わった後、雫となって地面に滴り落ちている。 「どうしてこの樹だけ生きてるんだろう」 「ももも」 「え? 根っこを調べろって?」 モモに促されるまま、グレンはクレーターを迂回して樹の下に立った。巨大な五本の根が半ば地中から突き出し、それがちょうど人間の拳のように何かを握っている。光の源はそこにあるようだ。 「あれ何だろう……。何か青いものがある」 身を屈めて中を覗こうとした時、冷たい殺気が項を焼いた。 |