全身の筋肉を振り絞って後ろに跳ぶ。一瞬遅ければ首と胴が泣き別れになっていただろうタイミングだった。 巨大なバトルアックスががあんと木の根を叩いた。衝撃に弾かれた刃が地を打ち、石畳を粉々に粉砕する。無数の破片が放射状に飛び散った。 「何だ?」 グレンは着地と同時に荷物を置いた。鞄から這い出たモモが物陰に逃げるのを尻目に剣を抜き放つ。 一体何処から現れたのか、仰ぎ見るように巨大な魔物が聳え立っていた。背丈はグレンの二倍、厚みはグレンの四倍ある。その巨体に相応しい丸太のような腕にはぎらつく斧が握られていた。 「……あ……」 黒い鎧を纏ったその姿に、滅びの日の風景が鮮やかに蘇る。 燃えるドムドーラの町。逃げ惑う人々の悲鳴。吹き上がる血飛沫。影絵の如く浮かぶ魔物達の姿。 鈍く光る黒金の鎧が、巨大な斧を振り回して町を破壊していく。木々を薙ぎ倒し、ルビスの像を砕き、目につくもの全てを刃の餌食にしながら、それは赤く燃える空に向かって心地良さそうに吼える。炎の轟音と魔物の咆哮が重なり、グレンの中でわんわんと響いた。 「……」 グレンの瞳が、激しい瞋恚を帯びて炯然と輝いた。 「あの日、父さんを切り刻んで、母さんの頭を吹き飛ばしたのは……お前だ」 悪魔の騎士はきりきりと鎧を鳴らして笑う。皮膚の裏側を鑢で擦られるような不快音だった。 グレンにとって戦闘とは、障害を取り除くための手段に過ぎない。相手が大人しく降伏すればそれで終了、追撃してまで止めを刺したことはなかった。 だが今は違う。目の前の魔物が憎くて憎くてたまらない。鎧を打ち砕き、中身を引き摺り出して千々に引き裂くまでこの衝動が治まることはないだろう。 「お前だけは絶対に許さない」 ざんっ、と音を立ててグレンの体が浮いた。 突き上げられた斧を皮一枚で避けつつ、グレンは鎧の繋ぎ目に剣を落とした。肩と腕の連結を切り離し、力任せに左腕を弾き飛ばす。 腕を切断したにもかかわらず、悪魔の騎士からは一滴の血も流れてこない。鎧の中はがらんどうで何も入っていなかった。 「魔物じゃない、お前は……」 着地して、グレンは緊張に乾く唇を舐めた。 「魔族か……」 打ち捨てられていた鎧に魔族が宿ったのだろう。この鎧はヤドカリの貝に過ぎず、本体は内部に宿るエネルギーの結晶体だ。 抑揚のない詠唱が大気にうねった。悪魔の騎士の魔術が発動すると、切り捨てた腕がふわりと浮かんで鎧に接合する。悪魔の騎士は力ばかりの魔族ではないということだ。 (だったらこれだ) グレンと悪魔の騎士が同時に詠唱を紡ぎ出す。術を完成させたのはグレンがわずかに早かった。 「マホトーン!」 マホトーンは、対象者の魔力還元能力を一時不能にする術だ。マホトーンに遅れて悪魔の騎士が完成させたラリホーは、魔力を得ることが出来ず不発に終わる。悪魔の騎士は不機嫌に唸り、バトルアックスを横一文字に滑らせた。 身を屈めてそれを避け、限界まで折り曲げた膝をバネに高く跳躍する。頭と胴の連結部分に刃を差し入れると、グレンは剣に全体重を乗せて思い切り引き下ろした。腕力と体重が梃子の原理で増幅され、魔族の頭が衝撃音と共に弾け飛ぶ。 頭部を失いよろめく魔族に、グレンは力いっぱい回し蹴りを食らわせた。重厚な鎧が仇となり、悪魔の騎士は平衡を取り戻すことも叶わずクレーターを転がり落ちていく。 「お前は父さん、母さん、祖父ちゃん、そしてこの町の仇だ」 グレンは頭部を拾い上げて穴に放った。這い上がろうともがく悪魔の騎士目がけてすっと掌を翳す。 「ベギラマ」 復讐を乗せた火の玉は、悪魔の騎士に触れた瞬間爆発して巨大な火柱となった。 穴の底で逆巻く炎が、黒金の鎧とそれに取りついた魔族を覆う。この町を焼き尽くした炎と同じように、ベギラマの火炎は容赦なく悪魔の騎士を焼いた。 原型を留めぬほど鎧が溶けたのを見届けて、グレンは怒らせていた肩の力を抜いた。 途端、疲労感がずっしりと圧しかかってきた。水を吸った砂袋を背負わされたかのように体が重い。 「モモちゃん」 呼びかけに応じて、モモが瓦礫の陰から姿を見せた。のこのこと歩み寄ってくると、グレンの脹脛をぺちんと叩く。 「もーもー。も」 「良くやったって?」 グレンはモモの前にしゃがんだ。 「僕はずっと夢に見ていたような強い剣士になれたのかな」 「ももも、ももも、ももももも」 「うん……ありがとう」 グレンは頷いて立ち上がった。モモに微笑みかけた瞳がふいと宙を泳ぎ、聳える樹へと向かう。 「根っこの部分に何があるか調べてみなくちゃ」 「樹の下に眠ってるのはロトの鎧と盾と兜」 聞き覚えのない少年の声が、何の前触れもなく廃墟に響いた。 「その昔ロトが纏ったもの。そして今日から君が身につける防具だ」 |