滅びの都<4>


 さくさくと乾いた砂を踏みしめて、見知らぬ少年が歩み寄ってくる。
 歳の頃は十六、十七……よもや二十歳にはなっておるまい。黒い髪をとさかのように逆立て、青玉が美しい銀の頭環を被っている。生き生きとした瞳は空の色、そこに宿るは太陽の輝きだ。
 少年は足を止め、人懐こそうな微笑みを浮かべた。
「不死鳥と竜の加護を受けた神の防具だ。君はこれを纏ってアレフガルドを救うんだ」
「あなたが……」
 興奮と感動にグレンの体が震えた。
「あなたがお調子者で女の子に弱くてチビでドジでおっちょこちょいな勇者ロトですね!」
「ひ、ひどいなぁ、いきなり何?」
「森の魔女さんがあなたのことをそう言っていました!」
「森の魔女? ……ああ、そう……」
 ロトががくりとへこむ様に構うことなく、グレンは拳を暑苦しく上下させた。
「太陽の石の持ち主から、ここに来るようにと指示を受けてまいりました!」
「え? あ、ああ、そうだった。君にその防具を渡したかったんだ」
 どうにか気を取り直したようにロトが顔を上げた。
「その根っこを切断して鎧を取り出すんだ」
「切断って、こんな太い根をですか? 刃毀れしないかな」
 グレンは刃と根を見比べて唸った。根は人の胴より太く、触れた感触は岩石のそれだ。悪魔の騎士のバトルアックスさえ弾き返したそれを鋼の剣で切断することは可能だろうか。
「大丈夫。その樹はロトの血筋の人間……つまり君の意思に反応するようになってるから」
「僕の意思……ですか?」
「この樹は鎧の力で出来てるんだ。ロトの防具がロトの血筋の人間にしか扱えないように、樹も俺の子孫にしか反応しない。君ならこの樹を切断できるはずだよ」
「……分かりました」
 グレンは樹に向き合い、剣を構えた。
 ゆっくりと息を吐き、その倍の時間かけて肺を膨らませる。いっぱいに溜めた空気を鋭く迸らせながら、グレンは渾身の力で剣を振り下ろした。
 刃は容易く樹皮を割り、楽々と根を切断した。衝撃どころか感触もなく、まるで影に切りつけたかのようだ。
「ほらね。出来ただろ」
「は、はい。簡単に切れました」
 地面に転がった根の輪郭が揺らぎ、空気に溶けるように消えていく。
「その調子でどんどんやってみるんだ」
「はいっ!」
 憧れの勇者に促されて、グレンは鼻息を荒くした。ぶんぶん剣を振り回し、がんがん根っこを砕いていく。三本目の根を幹から切り離した時、遂に隠されていた防具の全容が顕になった。
「きれいだなぁ……」
 大いなる力を秘めた神の防具が、ささやかな星明りを浴びて燦然と輝く。空と海を混ぜ合わせた青と、暁を秘めた金色の対比が目が覚めるように鮮やかだ。不死鳥ラーミアを表す紋章に象嵌された紅玉は、あたかも炎の如くゆらめき輝いている。
 ロトが纏ってから四百年経過しているはずなのに、腐食した形跡も錆が浮いた様子もない。たった今工房から納められた新品のように、何処もかしこもぴかぴかに輝いているのだ。
 グレンは根の間から丁寧に鎧と兜と盾を取り出した。
 すると樹は役目を終えたとでもいうように、さらさら崩れて白い灰になった。灰は砂と混じり合い、風に乗って空に吸い込まれていく。
「……今から十三年前、悪魔の騎士の軍隊が町を襲ったのは、ロトの防具が狙いだった。あいつらは神の防具を始末しようとしたんだ」
 ロトの横顔に消えることのない悔恨が滲み出る。
「俺のせいだ。俺がこんなところにロトの防具を封印しなければ、この町は死なずに済んだんだ」
「……」
 ロトを見つめるグレンの脳髄に、ちかっと光が瞬いた。
 ロトの瞳に覚えがある気がして、グレンは一心に記憶を巡らせる。どろりと乳白色に濁った過去に手を差し入れると、指先が一片の光景を探り当てた。


 母親の血と脳漿に塗れて転がるグレンに、ゆっくりと悪魔の騎士が歩み寄る。
 グレンは目をいっぱいに見開くだけで、立ち上がることはおろか指一本動かせない。股間がじわっと温かくなって、乾いた地面に染みが広がった。
 巨大なバトルアックスがゆるゆると天を仰いだ。父を刻み、母を粉砕した刃が、新たな獲物を前に舌なめずりするようにぬめ光る。鋭いエッジがグレンに食らいつこうとしたまさに瞬間、一陣の風が戦場に吹き込んだ。
 ふわりと、グレンの体が疾風に攫われる。
 獲物を捕らえ損ねた斧が大地を打ち、砂塵が噴水のように吹き上げた。黄土色の壁に魔物が覆われる風景を呆然と眺めた後、グレンはのろのろと視線を上向けた。
 グレンを抱えて疾走するのは、旅装束に身を包んだ少年だ。
 全てが紅に染まる町の中、少年の瞳の青さが一際印象的だった。彼と自分の瞳が良く似ていると思った瞬間、グレンは緊張が解けて意識を失ったのだ。


 命の恩人である剣士の瞳が、目の前に立つ勇者のそれに重なった。グレンはおもむろに立ち上がってロトに向かい合った。
「あの時僕を助けてくれたのは、あなただったんですね」
「本当なら町ごと救いたかったけど君を逃がすだけで精いっぱいだった。……やっぱり実体がないとだめだな、人間だった時の方がずっと強くて自由だったよ」
「は?」
 意味を掴みかねてきょとんとするグレンに、ロトはぺろりと舌を出した。
「今の俺は精霊なんだ。色々と制約があって、本当は生きた人間と接触するのも禁忌なんだけど……非常事態なんだからしょうがないよな」
「精霊?」
 グレンはあんぐりと口を開けてロトを見た。
「あなたが……精霊?」
「俺は四百年前の人間だし。体はとっくに死んで今は魂だけの存在だよ」
「でも、人は死んだら精霊界を経て安息の園へ行くと聞いています」
「俺は特例。精霊としての命を授かる代わりにこの世界の守護をルビスから請け負ったんだ」
 そう言ってぱちんと片目を瞑ったロトに、ふと魔女の姿が重なった。
「止めを刺した時ゾーマは言ったんだ。我は何時しか血を礎に蘇らんってね」
「魔女さんから聞いています。……ではあなたはゾーマ復活を阻止するために精霊に?」
「大体そんなとこかな」
 ロトは顎をしゃくるように頷く。その表情を覆うのは自嘲とも苦笑とも取れるあいまいな微笑みだ。
「けど竜王の出現は俺にとってもルビスにとっても予想外だった。破壊神や魔族には注意してたけど、まさか竜神を仕掛けてくるとは思わなかったよ」
 竜王は正しき神の末裔であり、本来ルビスと属性を同じくする存在だ。ルビスによって精霊の命を与えられた今のロトには、竜王に対抗出来る種の力がないのだろう。
「グレン。俺が君を助けたのは、君がロトの血を引く人間……アレフガルドを守る剣となりうる人間だったからだよ」
 囁くロトの声が今宵の夜風のように冷たく響いた。ひどく平坦で抑揚に乏しく、敢えて感情を押し殺したような声音だ。
「今の俺は、何を犠牲にしてでもアレフガルドを守らなきゃいけない立場にある。例え自分の子孫を武器として扱うことになっても、だ。俺は君に感謝されるような人間でも、尊敬されるような人間でもないんだ」
 グレンは唇を引き結び、沈黙して、それから尋ねた。
「……あなたはアレフガルドを愛していますか?」
 一瞬瞠目した後、ロトは力強く頷いた。力いっぱい駆け抜けた日々を追うように、その視線が闇に滲んだ地平線をさまよう。
「この世界に光が差し込んだ日のことは今でもはっきりと覚えてる。それまで受け止めてきたたくさんの心が、この地に息吹いた瞬間だった。俺を支えてくれた人たちが祝福したこの世界は、俺にとって特別な存在なんだ」
「良かった。だったら僕とあなたの想いは一緒です」
 グレンはほっとして微笑んだ。
「僕も僕の大切な人達が住むこの世界が好きです。嘗てあなたがアレフガルドのために戦ったように、今度は僕がこの世界を守ります。誰の道具としてでもない、それが僕の選択です」
 グレンの言葉に、ロトはわずかに救われたような表情を見せた。