グレンが要塞都市メルキドに到着したのは、薄雲を通しても陽光が感じられる夏の日のことだ。 要塞都市の名に相応しく、分厚い石壁がぐるりと町を囲んでいる。頑強な壁の四方には多角形の塔が聳え立ち、はためく旗が濃い影を落としていた。 「大きいなぁ」 緑色の絨毯を敷き詰めたような平原に突っ立って、グレンは思わず声を上げる。尤も彼の感嘆は、生まれて初めて目にした要塞都市に向けられたものではない。 「これがゴーレムだよ、モモちゃん」 「も」 町の傍らにどっしりと腰を下ろす岩人形は、見るものに自然敬意を抱かせる堂々たる威厳に満ちていた。 「ゾーマがいた時代にはこれが動いて、町に攻めて来る魔物を片っ端から追い払ったんだって」 メルキドは古くから魔術師や学者が集う町だった。彼らが日々研鑽する学問は多岐に渡り、魔術学、医学、天文学など挙げればきりがない。時代を越えて綿々と受け継がれていく研究の中、魔術師協会が特別力を入れて奨励するのが魔術具の開発だ。 「ゴーレムは魔術師協会が生んだ最高の魔術具なんだって。このゴーレムに命を吹き込むのに、十二人の魔術師が力を合わせたって本に書いてあった」 「もももー」 「そうだよ。十二人分の魔力が込められた戦闘人形なんだ」 封じられた魔力はとうの昔に消え、今のゴーレムはただの石人形だ。だが心持ち頤を上げて竜王の城を睨みつける様には、動く術を失ってなお町を守ろうとする気概が感じられた。 「ドムドーラにもゴーレムがいたらなぁ……」 呟いてから、グレンはゆるゆると首を振った。 過去にもしもは存在しないのだ。ドムドーラは滅び、そこに住んでいた人々は死んだ。グレンの故郷は最早、歴史書に文字として刻まれるだけの存在に過ぎない。 グレンは頬を叩いて気を取り戻す。今考えねばならぬのは、現実とそれに続く未来だ。 「行こうか」 グレンが鞄を開けると、モモはぴょんと跳んでその中に入った。人里に寄るたびにそうしているのでお互い慣れたものだ。 グレンはゴーレムに背を向けて歩き出した。乾いた砂道を一歩、二歩、三歩踏み出したその時、ふっと辺りが暗くなる。 「……?」 振り返ったグレンは、信じがたい光景を目にして顔を強張らせた。 ぎしぎしと体を軋ませながらゴーレムが立ち上がりつつあった。間接部分が擦れ合い、黄土色の破片が舞って風に筋を描く。細かな砂がぱらぱらとグレンの頬を打った。 「な、何で動くんだ……?」 ぐぐぐっと固められた拳が、隕石の如く大地を抉った。十分余裕を持って避けたはずなのに、拳が弾き出した衝撃波を食らってひっくり返る。 岩の体は見るからに頑強で、剣で切りつけてもさしたるダメージにならないだろう。グレンは片膝をついたままゴーレムに向かって掌を突き出した。吹き出した魔力が精霊の力を得て炎の渦を巻く。 「ベギラマ!」 蛇の如くゴーレムに絡むものの、表面に黒い跡を残しただけで炎は呆気なく霧散する。 「……魔術もだめか」 軽く舌打ちし、グレンは改めてゴーレムを睨み上げた。 魔術具のエネルギー源は精霊石だ。脳であり心臓であるそれを破壊すればゴーレムは一切の活動を停止する。 だが唯一の弱点を剥き出しにしておくほど、ゴーレムの製作者も抜けてはいまい。精霊石はその体の奥深く、最も守りの固い場所に埋め込まれているに違いないのだ。そしてこの状況で精霊石のありかを突き止めるのはほぼ不可能に思われた。 ぶんっ、ぶんっ、と空を凪ぐ腕は次第に力と速度を増しているようだ。このままでは遠からず巨大な拳に押し潰されてしまう。 「くそっ」 二度大きく跳んで距離を置くと、グレンは脱兎のごとく逃げ出した。メルキドまではあとわずか、町に逃げ込めばどうにかなる。頑強な外壁に穿たれた入口は小さく、ゴーレムがそこを潜ることはまず不可能だ。 「ももー!」 「分かっているよ!」 モモに言われるまでもなく、背後からゴーレムが凄まじい勢いで迫ってくるのが分かった。ゴーレムの巻き上げる砂塵を追い風が煽り、グレンの周囲が瞬く間に黄土色に染まる。 空に殺気が閃いた。ゴーレムの掌が真上にあると悟った瞬間、グレンは町の入口目がけて思い切り体を投げ出す。一瞬遅れて掌が地面を打ち、生じた風に吹っ飛ばされてグレンは町中まで転がった。 「うぶっ」 顔面から勢いよく石畳に突っ込む。ロトの兜がなければ、さほど高いともいえない鼻が潰れてもっと低くなっていたに違いない。 「いたたた……」 呻きながら振り返ると、ゴーレムがその巨体を捻るようにしてこちらを覗き込んでいた。頑丈な壁に歯が立たないことは分かっているようで、むやみに暴れ出す気配はない。 「助かったぁ……」 安堵の溜息をつきながらグレンは体を起こした。 「モモちゃん、怪我ない?」 「もも」 カバンの隙間からちょこんとくちばしが覗く。下敷きにしなくて良かったと微笑んだ時、かつかつと石畳を踏む足音が響いた。 不思議な形の杖を携えた老人が、数人の兵士を従えてこちらに歩み寄ってくる。 老人の杖や男達の盾に刻まれた印から、彼らが魔術師協会の人間であることが分かった。十字を頂く杖は高位魔術師の証だと聞いたことがあるから、老人はこの町でかなりの地位にあると推測出来る。 老人はグレンから一歩置いた距離でぴたりと足を止めた。 「何か僕に御用ですか?」 熱っぽい眼差しを感じた次の瞬間、皴だらけの手が顔に触れた。瞼を捲られ、鼻を摘まれ、口を抉じ開けられ、顔中をぐりぐりといじられる。 「ら、らにをするんれすか」 「怪我はなし。健康状態は良好」 老人は澄ました顔でそう言って、背後に控える男達にぱちんと指を鳴らした。 「お連れしろ」 「え? え? え?」 戸惑っている間に、グレンは二人の兵士に左右の腕を取られる。そしてそのままずるずるとメルキドの大通りを引き摺られていった。 |