明けて翌日。 準備を整えたグレンはエマの屋敷に挨拶に赴き、そこで待ち受けていた彼女の出で立ちを見て唖然とした。 「え? エマ様も行かれるんですか?」 「当たり前じゃ。わしが行かずして誰が爆裂の魔術を使うのじゃ」 昨日の華美なドレスとは一変、魔法使いの装いに身を包んだエマが顎をしゃくった。膝丈のチュニック、ひらひらしたマント、太腿まで覆う靴下、光沢ある赤い靴。小さな手に誇らしげに握るのは、聖印を頂く黄金の杖だ。 「お主がメルキドのために体を張るのじゃ。責任者であるわしがのほほんと茶を啜っているわけにもいくまい」 「いけません、危険過ぎます。まず僕がゴーレムを眠らせますから、それから……」 杖がぐいと伸びて、グレンの頭をこつこつと叩く。 「案ずるな。こう見えても魔法使いとしての腕は確かじゃ。決してお前の足手纏いにはならぬ」 「ですが……」 「ええい、くどい、くどいぞ! わしは行くと言ったら行くのじゃ!」 エマは癇癪を起こして床に引っ繰り返った。身を捩り、手足をじたばたさせ、おもちゃをせがむ子供のような暴れっぷりである。おろおろとそれを取り囲む人々が、縋るような視線をグレンに向けてきた。 「ももも」 「うん……」 暴れるエマと困惑する人々を見比べて、グレンは小さく溜息をついた。首を縦に振らない限り収まりそうにない。 「分かりましたエマ様。お連れしますから駄々を捏ねるのはお止めください」 「お主は話の分かる男じゃ!」 エマは忽ち機嫌を直して破顔した。何事もなかったように立ち上がり、背後に控えていた男に鷹揚に頷く。 男は手にしていた長細い包みを、恭しくグレンへ差し出した。 「これは炎の剣といって、魔術具生成技術の粋を極めた品物じゃ。鍛錬した刃の素晴らしさに加え、持ち主の意思に応じて炎を放つことが出来る。我らから勇者へ捧げようぞ」 「……ありがとうございます」 グレンは恐縮して思わぬ贈り物を受け取った。握り心地のよい柄には精霊石が輝き、真っ直ぐに伸びた刃には魔力の赤い光が宿る。これまで使っていた鋼の剣とは比べようもない逸品だ。 「では行くぞ、グレン!」 「は、はい」 張り切る幼い魔術師に、伝説の鎧を纏った勇者と白い生き物が続く。その奇妙な三人組に向かって、魔術師協会の面々が深々と頭を下げた。 町から一歩踏み出した途端、遠くに佇んでいたゴーレムがぎりぎりと音を立てた。雲を突くような岩人形がひとりでに動き出す様は何度見ても不気味だ。 「準備は良いな!」 「任せてください!」 グレンは意気揚々と妖精の笛を取り出した。一見何の変哲もないその笛こそが、戦闘の勝敗を握る重要なアイテムだ。 「おおっ、それが森の魔女より授かりし妖精の笛か!」 エマは翡翠色の瞳を輝かせた。 「精霊を眠らせし子守唄、この耳で聞くことが出来るとは感激じゃ! グレン、早ぅ吹いてみよ!」 「はい!」 グレンは妖精の笛に唇を当てた。すうっと肺を膨らませて、神秘の笛に息を吹き込む。 ひょろひょろぽぱ〜と、絶望的にへんてこな旋律が笛から流れた。腰から砕けて座り込みたくなるような、思わず暴れ出したくなるような、とことん神経を逆撫でする不快な音色である。魔女が奏でていた美しい音とは似ても似つかない。 「あれ? ゴーレムが寝ない……」 首を傾げるグレンの横で、怪音波をまともに食らったエマとモモがふらふらとよろめいた。 「眠るわけなかろう! どう音を組み合わせたらそんな奇妙な曲になるのじゃ!」 「もももー」 「そ、そうですか? そんなに酷いかなぁ?」 突進してくるゴーレムに向けてもう一度笛を吹いたが結果は同じだった。巨大な岩人形に変化は見られず、その距離がどんどんと縮まりつつある。 「ぬう、どうやらこの作戦には致命的な問題があるようじゃ!」 エマは歯噛みをして、びしりとグレンを指差した。 「グレン、お主は壊滅的に音痴じゃ! 神秘の力を秘めた妖精の笛といえども、持ち主の音感まで左右することは出来ん! お主に妖精の笛を使いこなすのは無理じゃ!」 「え? 僕って音痴ですか?」 「自覚がないのが何よりの証拠じゃ!」 「も」 そういえば以前マイラの村に逗留していた時、闇に怯えるローラを慰めようと子守唄を唄ったことがある。翌日から引き攣った微笑みと共にやんわりと断られたものだが、あれはグレンに対する遠慮というより、あまりの歌声に耐えられなかったローラの苦渋の選択であったのか。 「うわっ」 頭上に拳が迫って、グレンは大慌てでエマを抱えた。体を斜めに倒すようにしてその場から跳ぶ。 「ええい、この石人形が!」 グレンに抱きかかえられたまま、エマがずいと杖を掲げた。 「ベギラゴン!」 グレンのベギラマより遥かに巨大な炎の帯がゴーレムを包み込む。ゴーレムが火炎を振り払う隙をついて、グレンは性懲りもなく笛を吹いた。 ゴーレムは眠るどころか、手足をしっちゃかめっちゃかに振り回して暴れ出す。下手な笛を聞かせるなと怒り心頭のようだ。 「ばかばかばか! 逆効果じゃ!」 「す、すみません」 兜をがんがん杖で叩かれてグレンは項垂れた。生れ落ちて十七年、自分がそれほどまでに音痴だとは知らなかった。 「ももっ」 モモがグレンの左手から妖精の笛をふんだくる。くちばしを器用に押し当てると、全身を風船のごとく膨らませて息を吹き込んだ。 グレンが吹いた時とは比べ物にならない美しい音が大気に満ちた。 甘い旋律を聞いた瞬間、ぎぎぎっとゴーレムが動きを止めた。うっとりと笛の音に耳を傾ける体が、次第にぎりぎりと傾き始める。やがて左膝が折れ、右膝が轟音を立てて地に沈んだ。 「でかしたぞ、モモ!」 「あ、エマ様!」 エマがグレンの腕を払って駆け出した。ぴょんとゴーレムの膝頭に飛び乗り、掌を胸板に当てる。走りながら溜めた魔力が、六種の元素を得て光を放った。 「イオナズン!」 古の爆裂呪文がゴーレムに炸裂した。一点に集中させた力が、ゴーレムの頑強な体に深い穴を穿つ。そこから転がりでた赤子の頭程もある精霊石は、地面に落ちて真っ二つに割れた。 「やったぞ!」 エマが満面の笑みを浮かべて振り返る。その無邪気な笑顔目がけて、ゴーレムの最期の一撃が迫りつつあった。 「エマ様!」 グレンがエマと掌の合間に体を滑り込ませる。少女の体をしっかりと両腕に抱えた瞬間、凄まじい一撃を背中からまともに食らった。 |