竜の王<2>


 ラダトームから毎日のように眺めていた竜王の城は、一見自然に隆起した岩のようでありながら、実際のところ明らかに人為的な力で作られた巨大な建造物であった。
 たいまつの炎がしゃれこうべに似た影を床に描く。首をもがれた石像が行く宛てのない亡霊のように佇む。あまりに醜悪な光景にグレンは顔を顰めたが、案外これらの装飾も、魔物にしてみれば洗練された意匠なのかもしれなかった。
 レミーラを片手に、グレンは仄暗い城内を探索する。広い廊下を四度曲がると、身を切るような冷気に満ちた広い王宮へと出た。
 部屋の奥に一段高くなった雛壇があり、大理石の素っ気ない王座がぽつねんと残されている。
「……竜王は何処だろう?」
 神経を研ぎ澄ますものの、生き物の気配は感じられない。
 グレンは注意深く王座に歩み寄った。厚く埃の積もったそれはもう何年、もしかすると何十年も使われていないのかもしれない。
「ももも」
「え? 後ろ?」
 王座の後ろには、六角の星を基礎とした魔法陣が描かれていた。あまりに複雑な方式で、どのような魔術が仕組まれているのか見当もつかない。作動させた途端、恐ろしい力が弾ける可能性も否定出来なかった。
 だが他に手がかりらしきものも見当たらない。グレンは覚悟を決めて、後ろに控えるモモに頷いた。
「発動させてみる。モモちゃんは柱の影に隠れていて」
 グレンは手を翳し、星の中心に向かって魔力を注ぐ。力を得た基礎図形がたちまち息を吹き返し、熱を帯びた力を作り出した。
「あ」
 床石が溶け、丸く穿たれた穴から地下へ続く階段が現れた。石段を下った先には巨大な地下迷宮が広がっているようだ。
 グレンは表情を引き締め、一歩一歩地下道への階段を下り始めた。


 竜王の王宮は、海底に鎮座する巨大なドームだった。
 とてつもなく巨大な椀を海底に伏せた形状だ。透明の壁は荒れ海の色に染まっているが、海が正常な状態であるならば、さぞかし素晴らしい海底の風景が楽しめることだろう。
「……凄い魔力だ」
 不可思議な王宮に一歩踏み入った途端、グレンは息苦しさに小さく喘いだ。
 ねっとりと四肢に絡みつく大気は、それまで感じたことのないような不穏な力に満ちていた。闇に基づく魔力は王宮から滲み出し、アレフガルドの内海までをも侵している。どんな好天の日にも海が荒れ続けているのは、恐らくここに宿る悪意が原因なのだろう。
「もも?」
「少し体が重たいけど、大丈夫だよ」
 グレンは真っ直ぐに顔を上げて歩き出す。
 長い回廊をしばし進むと、やがて星の砂が撒き散らされた砂地へ出た。小さな橋を二つ渡った先には王座があり、一人の男が腰かけていた。
「我が城へようこそ、ロトの勇者」
 城の主は、よく通る低い声でそう言った。
「先祖の因縁から四百年、再びロトの血と竜の神が見えたことになるな」
「お前が竜王か……」
 竜王の姿は、予想に反して恐ろしくも醜くもなかった。側頭部から突き出した二本の角と鋭い犬歯以外ほとんど人間と変らない。仮面のように硬質な目鼻立ちには王者の風格さえ漂っている。
 もしかしたら説得出来るかもしれないと、グレンは淡い期待を抱いた。
「……お前に聞いて欲しいことがある」
 グレンは慎重に言葉を選びながら話を切り出した。
「勇者ロトが竜の女王から光の玉を奪ったなんてでたらめだ。竜の女王は大魔王ゾーマを討つために、自ら光の玉を……」
「ロトの勇者よ、何が偽りで何が真実かなど今更どうでも良いのだ」
 グレンの思惑を読み取ったのか、竜王は小さく右手を翳した。
「私はもう後戻り出来ない。よしんばお前達の伝説が正しかったとしたら、私の過ごしてきた時間は何だったのだ? 時を止められ、闇に閉じ込められ、勇者ロトへの憎しみだけを胸に生きてきたあの日々は?」
 竜王はゆらりと立ち上がった。握り締める杖にゆっくりと火の精霊が集っていくのを、グレンは肌で感じた。
「私は大地の神となるのだ。その為になら全てのものを利用する……邪神も、魔物も、そして竜の姫も」
「姫は渡さない」
 グレンの声が重たい怒気を孕んだ。
「姫は人間だ。竜じゃない。お前の道具なんかじゃない」
 グレンの怒りがおかしいとでも言うように竜王は喉仏を上下させた。蛇に似た瞳がぬめるような眼光を放つ。
「それでは不死鳥の勇者よ。姫と共に私に協力する気はないか」
 予想外の展開にグレンは一瞬呆気に取られた。ぱちぱちと二度瞬きをしてから、猜疑心も顕わに表情を硬くする。
「不死鳥と竜、太陽と雨。奇跡を生み出す二つの力があるのなら、破壊神の力を借りずとも神になることが出来よう。私が神となった暁には、お前には世界の半分をくれてやろう」
「……」
「お前は王になりたくはないか? 全てをその手に握ってみたくはないか?」
「……王だって?」
 グレンは小さく首を振った。
「僕には王になるよりもやりたいことがある。そのためにも必ず生きて帰ると……そう約束してきたんだ」
 竜王は薄い唇に酷薄な微笑みを刻んだ。魔力を得た火の精霊達が、杖の先端でかっと眩い光を放つ。
「我らは戦わねばならぬようだ。私の邪魔をしようとするものを、私は決して許さない」
「モモちゃんは下がって!」
 轟音を上げて、ベギラマが黄金色の渦を巻いた。


 燃え盛る火の壁を突き破り、グレンは竜王に突進した。通常の何倍にも重たく感じる剣を、歯を食い縛って真一文字に滑らせる。
 剣先は竜王の衣をわずかに掠めただけだ。舌打ちするより早く上方に殺気を感じ、グレンは反射的に盾を掲げた。があんっと音を立てて圧しかかる強力に、骨がぎしぎしと悲鳴を上げた。ロトの盾でなければ真っ二つに割られただろう凄まじい衝撃だ。
「くっ」
 体勢を崩した瞬間、胸を突かれて吹っ飛ばされる。肺の空気が押し出されて、一瞬視界が真っ白になった。
「ここは光が封じられた場所。邪神の力が生きる場所。正統なる神の加護を受けた人の身では、息をするのもままなるまい。お前に勝ち目などない」
 にやりと歪んだ唇の端で、血の色の舌が蠢くのが見えた。
「今一度問おう。私と手を組む気はないか」
 潰れかけた胸にベホイミを施し、グレンはようようのことで立ち上がった。癒えたばかりの肺がひゅうと耳障りな音を立てる。
「……お前は何故、そんなにも神になりたいんだ」
「何故?」
 竜王は瞠目し、そして声を立てて笑った。
「それが私の権利だからだ、ロトの勇者よ。失ったもの、奪われたもの、それらを取り戻そうとして何が悪い。神として生まれた命が、神として生きるのは当然だろう。お前とて人としてのあり方を捻じ曲げられれば、人に戻ろうとあがくのではないか?」
 生き様を歪められた魂の苦痛が、ほんの一瞬、竜王の頬を過ぎった。
 敵意に満ちていたグレンの胸に、隙間風のように憐憫が吹き込んでくる。アレフガルドを脅かす魔物の、隠された一面を見た気がした。
「……僕も一歩間違えれば、お前と同じ生き方をしたかもしれない」
「何?」
「僕も故郷を失って、知らない場所で知らない人達に育てられた。僕がこうやって人として生きていられるのは、たくさんの人が僕を愛してくれたからだ。でももし、ロトの血を利用しようとする人に育てられていたら、僕は今のお前のようになっていたかもしれない」
 愛されることもなく抱きしめられることもなく、たった一人で生きる苦痛は如何ばかりだろう。幼い竜の子が、闇の中で途方に暮れる姿が見えたような気がした。
「哀れみなど要らぬ」
 竜王の声が余裕を失って震えた。皮肉めいた微笑を宿していた顔が、みるみる憤怒に吊り上っていく。グレンの言葉は文字通り竜の逆鱗に触れたのだ。
「私が欲しいのはお前の不死鳥の力だ!」
 グレンは杖の一打を寸でのところでかわし、竜王に向かって剣を振り上げる。
 大きく空振りした拍子に、ガードの緩んだ脇腹を杖で打たれた。激痛を覚える間もなく更なる打撃が加えられ、足元を掬われたグレンは仰向けに転倒する。
 どん、と竜王の足がグレンの胸板を踏む。尖った杖の先端が少年の喉に押しつけられた。
「お前の亡骸に魔族を宿らせ、その力を利用してくれる」
 グレンは無我夢中で剣先を竜王に突きつけた。精霊石が主に呼応し、真っ赤な光を八方に放つ。炎の波動は刃を伝い、息吹となって剣先から迸り出た。
「がっ」
 顔面を焼かれた竜王が、絶叫と異臭を放って仰け反る。
 グレンはばね仕掛けの人形のように跳ね起き、無防備に晒された竜王の胸に、渾身の力を込めて剣を叩き込んだ。