竜の王<4>


 明滅する光の玉に、仄暗い闇が纏わりついている。
 グレンが光の玉を拾い上げると、闇はつるりと滑り落ちて床に弾けた。竜王が丹念に注いだ最後の闇から解放され、宝玉が歓喜の光芒を放つ。
「ももも」
「太陽が助けてくれたって? ああ……そうか」
 仰ぎ見たドーム型の天井は、直視出来ぬほど眩い。
 陽光に力を得た光の玉が、内部から竜王を蝕んだのだ。王宮の闇はロトの剣だけでなく、光の玉の力をも弱めていたのかもしれない。
「……でももしかしたら、竜の女王の想いが僕を助けてくれたのかもしれない。竜王がこんな風になって、一番悲しんだのは竜の女王だと思うんだ」
 グレンは改めて竜の亡骸に目をやる。神としての生を受けながら闇に落ち、一人海底で生きてきた王の想いとは、一体どのようなものであったのか。
「世界から切り離されてしまうのって、どんな気分なんだろうね」
 その時竜王の肉体が、人型から巨竜に変化した時のように歪んだ。見えない手で捏ねられるかのように、その形と体積が著しく変化していく。
「あ……」
 竜の巨体が消失した後、床には一抱え出来るほどの白い玉が転がっていた。内側から仄かに輝くほぼ完璧な球体だ。
「もももも。もも。もも」
「え? 竜の卵?」
 グレンは青い目をぱちくりさせて、モモと卵を見比べた。
「そうか。竜神はこうやって命を繋いでいくことも出来るんだ」
 グレンは卵の前に膝をついた。生まれ変わったばかりの命は、触れるとほんのりと温かい。
「この卵は竜王本人? それとも子供に当たるのかな? 今度こそ、この子には正しい神になって欲しいな。きっとアレフガルドの心強い守護神になってくれるよ」
「ももー」
「うん、誰かいい人に育てて貰わなくちゃ」
 自ら育ての親になることも考えたが、すぐにそれは無理だとグレンは思い直した。
 人々の竜王に対する憎しみの深さを思えば、人里に竜の子を連れて行くのは躊躇われた。人にとっても竜にとっても良い結果にはならないだろう。
「魔女さんにお願いしてみようか」
 するとモモがぶんぶんと首を横に振り、両手でしっかりと卵を抱いた。ももももももとくぐもった声で、この王宮に精霊神の加護が復活しつつあることを訴える。神の末裔を育てるのに、ここほど安全で適した場所はないということだ。
「でも魔女さんにここまで引っ越してもらうわけにはいかないよ」
「もももーもも」
「……魔女さん以外の適任者って誰のこと?」
「もももん」
 モモに促されるまま周囲を見渡し、グレンは小さく眉を寄せた。
「すぐ側にいるって……まさかそこを泳いでいるマンボウ?」
「うもー!」
 グレンの鈍さに激怒して、モモが得意の顔面頭突きを発動した。引っ繰り返ったグレンの腹に飛び乗り、我こそが育ての親に相応しいと手をばたつかせて主張する。
「で、でも一人で赤ちゃんの面倒を見るのって、きっと大変だよ」
「ももも。ももも」
「僕の面倒を見てきたから子育てには自信がある、か。……そ、そう、それは良かった……のかな……」
 不死鳥と竜は、創造神から生まれた一対の神だったと言われている。不死鳥の生まれ変わりであるモモにとって、竜の卵は半身に等しい存在だ。他人任せになど出来ないというのも正直な感情なのだろう。
「うん……そうだね。君ならきっと、この子を立派な竜神にしてくれる」
 モモに尻を叩かれながら歩んできた日々を思って、グレンは苦笑混じりに頷いた。
 不死鳥と竜が新しい虹の橋を架けるのだ。その橋を通して、人と竜が行き交う日がやってくるだろう。それはほぼ確信に近い予感だった。
「次に人と竜が会う時は、仲良く出来るといいな」
「ももも」
「もしかしたら、僕の子孫が竜と会う日がくるかもしれない。その時は友達になれるかもしれないね」
 新しい竜の子は、海の王宮ですくすくと成長するだろう。愛と慈しみをいっぱいに受けて、伸びやかに命を謳歌するだろう。
 そしてアレフガルドの優しい守護者となった時、竜は再び、あれほど焦がれた神として蘇るのだ。


 青い光の雫が、雨の如く音もなく降り注ぐ。
 何時の間にかあちこちに草花が芽吹き、柱に絡みついた蔓草が不思議な香りのする果実を結び始めている。そこは恐らく、この世界の何処よりも神秘的な宮殿だ。
「魔女さんには伝えておく。きっと時々様子を見に来てくれると思うよ」
「もも」
 階段まで見送りに来たモモがこくんと頷く。グレンは膝に手をついて、モモの瞳を覗き込んだ。
 この奇妙な生き物と培った思い出は限りない。長い旅を共にしたモモは、不死鳥の力が惹きつけた存在である前に、二度と得難い生涯の友人だ。
「君と旅をしたこと、僕は一生忘れない。だから君も僕のこと忘れないで」
 モモはグレンの手を取り、ぶんぶんと上下させた。
「ももももも?」
「大丈夫。ちゃんと一人で帰れるよ」
「もー!」
 そうじゃないとモモが怒鳴ると、グレンは頬の頂を赤くした。
「それも大丈夫だよ」
「もー?」
「絶対にもう逃げない。ヘマしないように祈っていてくれる?」
「も」
 グレンは鞘ごと剣を抜いた。かちりと留め金を止め、伝説の剣をモモに向かって差し出す。
「ロトと竜の女王のこと、僕と竜王のこと、あの子にしっかりと聞かせてあげて欲しい。人は敵じゃないって証にこのロトの剣を置いていくから」
 モモは頷いて両手でロトの剣を抱えた。一瞬ぐらりと重みによろめいたものの、小さな足はしっかりと床を踏みしめた。
「それじゃ、行くね」
「ももも」
「うん、モモちゃんも元気で」
 グレンはモモの飾り毛に触れ、その感触を最後の思い出として掌に握り込む。
「……さようなら」
 ゆらゆらと尻尾を振るモモに別れを告げて、グレンは一人地上に向かって歩き始めた。