聖なる国と勇者の泉<5>


 何だかんだで無事に禊は終了した。
 次に二人が目指すのはサマルトリア領の関所である。通称ローラの門と呼ばれるそこは海底洞窟に繋がっており、それが唯一ムーンブルクへと通じる道なのだ。ムーンブルクを目的地とする以上、関所を避けて通ることは出来ない。
「そーいえば俺って家出中なんだけどさ」
 厚手のブーツを履きながら、アレンがコナンを振り返る。
「関所どうやって抜けようか。親父が手ぇ回してると思うんだ」
「知らせは届いているだろうが、妨害される心配はないと思う」
 あっさりと流そうとするコナンに、納得のいかないアレンが食い下がる。
「何で? とっ捕まって連れ戻されるかもしれねぇじゃん」
「アレン、僕達はロトの末裔なんだよ」
 髪を整えながらコナンは薄く微笑んだ。
「勇者の子孫ともあろうものが、ムーンブルク壊滅というこの非常時に安全な城に留まることなど出来ない。勇者の伝説を信じる人々がそれを許すはずがないんだ」
 コナンの声は淡々としていて何の感情も孕んでいない。用意された台詞を読み上げるような平坦な口調だった。
「僕達に残された道は二つ。悪と戦って華々しい勝利を収めるか、激闘の末に勇ましく散るか。それは君の父上だって分かっていらっしゃるはずだ」
「けど親父は俺の旅に反対したんだぞ」
「国王陛下は一人の父親として反対されたんだ。子が死地に赴くのを喜ぶ親などいないだろう」
「……」
「だがローレシアの国王としてロトの末裔……それも太陽の血筋の君を止めることは出来ない。王が国や民を裏切るなど、あってはならないことだからだ」
 アレンの心中は複雑だ。大手を振って旅を続けられる喜びと、常にロトの名が纏わりつく不快感がとぐろを巻く。先祖の存在に抗えば抗うほど、ロトという楔が四肢に食い込むような気がした。
「お前の親父も旅に反対したのか?」
「いいや。啓示が下されるより早く旅立ちを命じられた」
 そう言ったコナンの顔からすとんと表情が抜け落ちた。大理石の仮面のような顔の中、青い瞳だけが時折思い出したように瞬く。
 やや沈黙を置いて、コナンはおもむろに唇を開いた。
「ムーンブルクを滅ぼしたのはハーゴンという名の男だ」
「……は?」
「彼は古の禁術……ザラキを復活させて国を一つ潰した。ムーンブルクの滅亡は恐らく世界の崩壊の始まりだ」
「ちょ、ちょっと待てよ」
 アレンは右手を掲げてコナンを遮った。
「なんでお前がそんなこと知ってんだ?」
「ハーゴンは元サマルトリアの司教。魔術変換能力の素晴らしさといい、詠唱の構成の無駄のなさといい、当代一の魔術師と称えられた人だった」
 眦の切り上がったコナンの双眸が、すっと糸の如く細くなった。
「加えて彼はサマルトリア王弟にして僕の叔父。つまり君や僕と同じロトの末裔ということになる」


 アレンはぽかんと口を開けて、コナンの言葉をゆっくりと反芻した。あまり働きのよろしくない脳が内容を咀嚼して理解する。
「ハーゴンがサマルトリア王家の人間? ロトの末裔?」
「だから僕は身内の恥を雪ぎに行かなくてはならないんだ。現王弟がこのような不祥事を起こした以上、時期王位後継者が出向くくらいのことをしなくては示しがつかないからね」
 王の実弟が同盟国を滅ぼしたのだから、サマルトリア王家にとって存続の危機と言っても過言ではない。コナンは一族の命運を一身に背負って出奔してきたのである。
「お前、何か王子って感じでかっこいいなっ」
「コメントのしにくい褒め言葉だが……一応礼を述べておく。ありがとう」
 コナンは複雑な表情でぺこりと隣国の王子に会釈した。
「叔父上の名前を聞いたことは?」
「ハーゴン? んにゃ、初めて聞いた」
「そうか。それじゃあ十年前のことも知らないんだな」
「え?」
「いや……何でもない」
 コナンはあいまいに頷き、やや間を置いてから両の眉を持ち上げた。
「アレン、君は? どうしてこの旅に出ようとしたんだ?」
「腕試ししたいからだよ」
 単純なアレンに相応しい単純な動機だ。アレンはにやりと屈託のない笑顔を浮かべて立ち上がった。
「ところでお前の叔父さん、何でそんな風になっちまったんだ?」
「君に話す義務があるのは重々承知しているが」
 コナンは岩壁に立てかけてあった剣を取った。彼の剣は細身のロングソードで、波状の切刃を持つ美しいデザインだ。巧みの技による工芸品としても十分に通用する。
「今は勘弁してくれ。……このことに関しては僕も未だに混乱しているんだ。気持ちの整理がついたら説明するからそれまで待って欲しい」
「そっか。分かった」
 アレンはそれ以上問い詰める必要性を感じなかった。そのうち話すと約束してくれたのだから、何時か全てを知る日がくるだろう。何しろ彼とはこれから長い付き合いになるのだ。
「んじゃ禊も済んだしそろそろ行くか」
 二人は各々の荷物を手に歩き出す。二人の足音が狭い洞窟の岩壁に反響して幾重にもこだました。
「目指すは我等が同盟国ムーンブルクか。……姫の消息が掴めればいいんだが」
「消息も何も、そいつホントに生きてんのかよ」
「彼が言っていただろう? 姫が助けを待っていると」
「俺、あんな胡散臭ぇ奴のことなんか、信じてねーもん。大体さ、ムーンブルクの伝令兵はみんなやられちまったって言ってたじゃん」
 コナンが顔を上げて前方を見据える。仄暗い洞窟の中でも、空色の瞳は冴え冴えと明るい。
「太陽と雨の血筋の人間が同じ日に生を受けたんだ。このえにしが意味を成さずに終わるとは思えない」
 アレンは胡乱気な瞳でコナンをじろじろと眺めた。こんな時、神職者が決まって口にする言葉は一つだ。
「奇跡が起きた、ってか?」
「奇跡か。そう、奇跡が起きたのかもしれないね。だが一体、それは誰のための奇跡なのだろう?」
 風刺めいた微笑みに、コナンの唇がきゅっと歪んだ。
「僕達は戦うべくして生まれてきたのだと思う……世界のため、神のため、勇者の血のために。そうだとすると役割を果たす前に死んでしまっては、生まれてきた意味そのものがなくなってしまうだろう?」
「そんな操り人形みたいなの、俺絶対にヤだぞ」
「仕方ないさ、僕達が勇者の末裔であることは揺るがしようのない事実なのだから。避けられない戦いならば、その中で僕達が生きていく意味を探すとしようじゃないか。もしかすると、僕達は僕達のための奇跡を作り出せるかもしれない」
「……」
 アレンは膨れっ面のまま、諦観と皮肉に彩られたコナンの横顔を眺めた。
 一体どれほどの整髪技術の持ち主であるのか、綺麗に逆立った亜麻色の髪がふさふさと風に揺れている。あの髪がこの髪になるのだから、人の手による奇跡も満更じゃないかもしれないと、妙な形で納得するアレンだった。
 明後日の方向に視線を逸らして、アレンはぼそりと呟いた。
「ややこしいことは分からねぇけどさ。ナナって奴が生きてんなら、助けてやんねぇとな」
「そういうこと。この際神のご意思などどうでも……おっと失敬。隣国の姫君が危機に陥っているとあれば、お救いするのがナイトの役目。それだけのことだ」
 アレンがげんなりと舌を出すと、コナンはようやく表情に柔らかさを取り戻して微笑んだ。
「何はともあれ、当面の目標が君と合致して良かった」
「だってお前、何か説得力あるんだもん」
「そうか。僕の言葉に感銘していただけたとはありがたい」
「説教臭ぇとこがさすが司祭だよな。髪は変だけど」
「髪のことには触れないでくれたまえ!」
 やがて洞窟に夕焼けの光が差し込んでくる。燃えるような薔薇色の輝きが、二人の少年の顔を明るく照らし出した。