破壊神と最後の戦い<1>


 青みがかった氷柱が林立する聖堂に、幾千もの蝋燭の炎が揺らめく。
 美しい蝋燭台の素材は一見珊瑚のようでありながら、良く見ると見事に装飾された大小様々な人骨だった。悪趣味極まりない燭台を飾る炎は漆黒で、右に左にふらふらと揺らめきながら、不吉な輝きを振り撒いている。
 炎が縁取る先をロトの末裔達が進んでいく。彼らの向かう先には祭壇があり、背の高い男が祈りを捧げている最中だった。
 白銀細工の祭壇には邪神の像が捧げられていた。命あるもののようにつやつやと鱗を輝かせ、光を帯びた眼差しでじっと虚空を見つめている。太陽と月の血の味を堪能し、残る星を食らう瞬間を夢見ているのかもしれない。
 三人が足を止めると、風もないのに炎が一斉に揺れた。炎は天井近くまで伸び上がり、末裔達の横顔を漆黒に染め上げる。
「ハーゴン」
 アレンの呼びかけにハーゴンが振り返った。末裔達の侵入などとうに把握していた様子で、特に驚いた素振りは見せない。
「ラダトームでの借りを返しにきたぜ」
「……律儀なことだ」
 儀式用の化粧なのだろう、目を縁取る赤い顔料が滴り落ちる血の涙に見える。彼がこれまで封印してきた感情が、押し殺してきた想いが、偽りの涙に封じられているような気がした。
「ご機嫌麗しゅう、叔父上」
 コナンはアレンに並ぶと、胸に丁寧を当てて馬鹿馬鹿しい程丁重に頭を下げた。ゆっくり持ち上げた瞳がひたとハーゴンを見据える。
「叔父上のお導きで今日と言う日を迎えました。至らぬ私に施してくれた教えの数々、決して忘れることはないでしょう……永遠に消えぬ悪夢となりそうだ」
 二人の仲間から一歩引いた位置で、ナナがしわがれた声で囁く。
「久し振り……になるのよね、ハーゴン。あんたのことを考えない日なんてなかったから、ラダトームで会ったのが昨日のことみたい」
 ナナの表は何の感情も映していなかった。怒りと悲しみと憎しみが激しく鬩ぎ合った結果、最終的に彼女の愛らしい顔を覆ったのは、無表情という名の白い仮面だ。
「ムーンブルクがあんたに滅茶苦茶にされてから、あたしはこの日のために生きてきたの。絶対ムーンブルクの人たちの仇を取ろうって、それだけ考えて……」
 言いかけてナナはふと口を紡ぐ。一瞬の沈黙を置いて、つやつやした唇が自虐めいた微笑みを刻んだ。
「……きれいごと言うの止めた。勿論それも理由だけど、あたしはあんたが憎いの。憎くて憎くて堪らないの。あんたがぬけぬけ生きてると思うだけで気が狂いそうになるの。だからあんたを殺しに来たのよ」
 ハーゴンは少年達の顔をゆっくりと見回した。薄い唇を持ち上げ、目を細めて皮肉な笑みを作る。
「三柱神を倒したか。お前達の成長は喜ばしい限りだが、その勝利が不吉を齎さねばよいがな」
 ナナは眉根を寄せた。ベリアルも消失する寸前、似た台詞を口にしながら笑っていた。あの時は単なる負け惜しみと思っていたが、ハーゴンの愉悦に満ちた様子から察するに、それ以上の意味があるようだ。
「僕達の勝利が不吉を齎す?」
「三柱神が消え、降臨のための魔法陣だけが残された。魔力の供給を断たれた魔法陣は酷く不安定な状態にある。そこに破壊神シドー程の巨大な力が降臨すればどうなると思う?」
 末裔達には答えようもない。少年たちの戸惑う様に、ハーゴンはさもありなんと頷いた。
「私にも予想がつかぬ……予想もつかぬ事態が起きるということだ。その時この世界がどうなるか、見ものではあるな」
「それで脅してるつもりかよ? んなもん、シドーが降りてくる前にお前を倒せば済む話じゃん。俺らはそのためにこんな雪山まで来たんだからな」
 アレンはあくまで強気に言い放つ。主の宣言に同意するかの如く、稲妻の剣が白光を明滅させた。


 邪神に傾倒するハーゴンにとって、ギガデインを秘めた剣は対極に位置する武器だ。忌々しそうに剣を睨む様には憎悪と敵意、そして微かな羨望が感じられる。
「哀れな勇者の末裔達よ」
 ハーゴンの声は地鳴りのように低く、それでいて明瞭に響いた。
「血の戒めを振り解けぬ人形達よ。先祖の偉業に縛られ、自らも命を賭けた戦いに身を投じるか」
「俺がここに来たことと、ロトの血を引いてることは別もんだよ。お前をほっといたら、ローレシアがあの幻みたいにされちまうからな」
 ローレシアはアレンにとって帰るべき故郷であり、生きていく大地であり、背負うべき国だ。ハーゴンの好きにはさせない。
「侵略者のような言われようだ」
 ハーゴンが被害者めいた溜息をつくと、それまで唇を噛んでいたナナが遂に怒号した。溜めに溜めていた感情が腹の底から一気に爆発する。
「ムーンブルクを滅ぼしといて何言ってんのよ! 関係ない人達の人生踏み躙っといて、よくもそんな涼しい顔してられるわね!」
「彼の地は邪神の像を生み出す力を秘めており、そこに住まう命は生贄として必要だった。破壊神シドー降臨の準備を行った結果として、国が一つ滅んだだけのこと。私の行動にはそれなりの理屈も理由もある」
 ナナの頬は激憤に赤くなり、次に血の気を失って白くなった。彼女の愛するもの達が、それだけの理由で抹殺された事実を改めて思い知らされる。
「勝手なことばっかり言わないで! そんな理屈が通るわけないじゃない!」
 ハーゴンは血管の透ける薄い目蓋を閉じた。冬の湖面のように、その佇まいは静謐だ。
「では姫、ムーンブルクの滅亡は天命だったと考えればよい。不条理に満ちたこの世界で、彼らもまた世の理に殉じただけであると」
 何の落ち度もない人間が不幸に泣く傍らで、許しがたい悪漢が大路を闊歩する光景など珍しくもない世の中だ。だがそれが世界の全てではないし、そうではない人間だってたくさんいる。
「詭弁だ。それで叔父上の行為が正当化されるはずがない」
 わなわなと震えるナナに代わり、一歩進み出たのはコナンだ。挑発されればされた分だけ、きっちりとお返しするのが彼の主義である。普段むかつくばかりのその気質も、この時ばかりは頼もしいとアレンは思う。
「僕達の行動原理を血筋によるものだと仰るのなら、それは叔父上も同じだ。叔父上の一連の行為がゾーマの導きによるものである以上、あなたもまた人形に過ぎない」
「いかにもその通り。私は今も人形だ」
 ハーゴンは愉快げにくつくつと喉を鳴らした。
「そもそもロトの末裔は、生まれながらに伝説に操られる人形なのだ。我らは勇者の子孫として清く正しくあるように教育される。思考も行動規範も刷り込まれた人間など、人形以外の何だというのだね?」
「……」
 三人はそれぞれの幼少時代を思い浮かべた。物心つく頃から先祖の偉業を繰り返し聞かされ、それに倣う生き方を懇々と説かれた。その教育によって培われた価値観は、確かに彼等の思考を司る大きな要素になっている。ロトに反発し続けたアレンもそれは同じことだ。
「私もお前達の年の頃は必死だった。ロトを敬いロトに憧れ、末裔として正しく生きようと努力した。だがそうした生き方をした末に得られたものなど何一つなかった」
 コナンが射るような眼差しでハーゴンを睨んだ。
「……母上のことか」
「エメリナが」
 初めてハーゴンの青白い顔に人らしい感情が滲んだ。邪神を魂に売り渡した男にも、まだ一握りの心が残っているようだ。
「お前の母が愛していたのは私だ。兄ではない」
「……だったら何故」
 コナンが苦しげに言葉を搾り出す。傲岸不遜を体言する彼らしくもない、縋るような声音だった。
「お二人は遠く離れてしまわれたのですか? 共に人生を歩んでいれば……」
「かもしれん。あの手を離さねば、今とは違った人生があったかもしれぬな。私にも……お前にも」
 ハーゴンは歌うように呟いた後、ゆるゆると首を振った。幸せな夢は所詮夢に過ぎぬのだと、その口元に苦い笑みが浮かぶ。一瞬和らいだハーゴンの佇まいは、瞬く間に闇の神官の威圧感を取り戻した。
「お前達には分かるまいよ。正統な王位後継者と生まれ、王として崇められることを約束された者達には。奪い取られる惨めさ、努力が実を結ばぬ悲しみ、全てが傍らを通り過ぎていく虚しさは永遠に分かるまい」
 ハーゴンの双眸は瞬きの度に雨の血筋の輝きを放ち、それが三人に強く血を意識させる。
「ゾーマは私に新しい生き方を示してくれた。屈辱に塗れた世界を脱することで、私はようやく安息の地を見出したのだ」
「ばっかみてぇ。お前結局、何も変わってねぇじゃん。ロトの人形からゾーマの人形になって何が嬉しいんだよ」
 アレンが吐き捨てると、ゾーマは満面に凄みのある笑みを浮かべた。
「その通りだ、ローレシアの王子。所詮私はロトの人形として生きるよりゾーマの人形として生きることを選択したに過ぎん。その理由がお前達には分かるか?」
 問いかけながら、ハーゴンは三人に向かってすいと杖を翳した。
「それが人形なりに、より私らしい生き方であると感じたからだよ」