破壊神と最後の戦い<2>


 ハーゴンのイオナズンが虚空で弾け、爆風と火炎を撒き散らした。恐るべき魔力が生み出す爆裂の威力は凄まじく、聖堂全体が凄まじい熱風に炙られる。一気に奪われた体力をコナンとナナの魔術が辛うじて回復させた。
「この野郎っ!」
 全力で振り落とした稲妻の剣は、ハーゴンの杖に易々と捕らえられた。アレンの剛力を右手一本で受け止めながら、ハーゴンは喉仏を上下させて笑う。
「少しは成長したようだ」
「……っ」
 全力で押してもびくともしない。死人のように青白く、枯れ木のように細い腕の何処にこれ程の膂力が隠されているのか。
「お前も内なるゾーマの声に耳を傾けてはどうだ? 視点を変えれば新しい力を得られるものだ。それでローレシアを護ることも出来るのだぞ」
「うるせぇ!」
 吠えるアレンの眼前でかっと白光が弾ける。
 反射的に跳んで直撃は免れたものの、アレンはイオナズンの爆風を全身に食らった。一瞬にして視界が塞がれ、聴覚が奪われ、意識が飛ばされる。アレンは減り込む程の勢いで壁に叩きつけられ、その後どさりと床に落ちた。
 爆風は聖堂の天井までをも打ち砕いた。世界は既に夜の帳を落とし、無数の星々がちかちかと頼りなげに瞬いている。
「アレンの治療を!」
 もがくアレンをナナに託してコナンが駆け出した。右手に光の剣を携え、左手に炎を宿らせてハーゴンに対峙する。
「……後継者として期待をかけたお前に刃を向けられるのは残念だ。お前程私に近い人間は、三王家の何処を探してもいないというのに」
「僕はゾーマの力など望んではいない。このザラキも正直迷惑だ」
 コナンは乾く唇を舌で湿らせた。
「人として生まれた以上、僕は人として死ぬ。魔物めいた加護や力など不要だ」
「人として?」
 ハーゴンは声高に笑った。乾いた笑い声は凍てつく虚しさを孕んでいる。
「古の血と伝説を継承するお前達が、見事私の首を取って凱旋したとしよう。大き過ぎる勝利を手にしたお前達は、果たして人の世界に受け入れられるかな?」
 ハーゴンが無造作に一歩踏み出した。質感を伴う威圧と迫力に、コナンは思わず半歩後じさる。復活したアレンがその横に並び、数歩置いた地点でナナが杖を構えた。
「最初こそ熱烈な歓迎を受けるだろう。だがその内、お前達の勇者としての力を恐れる者が出てくるかもしれぬ。人のために戦ったにもかかわらず、魔物として世界を追われることになるかもしれぬ。……虚しいとは思わぬか」
 ハーゴンの声は甘く優しく、催眠術に似た誘惑を秘めていた。蝶が花に惹かれるように、思わずふらりと引き寄せられるカリスマがこの男にはある。心を歪ませることなく生きたなら、全く別の人生が待ち受けていたはずだった。
 まだ若い末裔達が唇を噛むのを見て、ハーゴンはほくそ笑んだ。骨ばった手を三人に差し出し、優しい甘言を綴る。
「こちらに来るのだ、ロトとゾーマを秘めし子らよ。私は私と同じ力を持つお前達を歓迎する」
 アレンの、コナンの、ナナの眼差しが白い掌に注がれた。それと握った先には、三人の知らない世界が広がっている。
「さあ」
 アレンは改めてハーゴンの顔を見つめた。死人のように蒼ざめた顔、扱けた頬、突き出した頬骨、薄い唇。精巧なデスマスクのような顔に、紅の瞳だけが不気味に生き生きと輝いている。
「ばーか」
 アレンは鼻を鳴らした。煤と血に汚れた顔に、にやりとふてぶてしい笑みが浮かぶ。子供じみた、けれど何の屈託もないこの笑顔こそアレンのアレンたる所以だ。
「夕飯食わしてくれるっつったって嫌だね。誰がお前なんかと手ぇ組むかよ」
 べぇと舌を出すアレンを横目に捉えて、コナンが小さく微笑んだ。
「残念ながら叔父上、僕はあなたと共に歩むことは出来ない。叔父上の描かれる世界は、僕の美的感覚にはそぐわぬようだ」
 アレンとコナンの背後で、ナナがすみれ色の柳眉を聳やかせる。
「あんたと一緒に行動なんて考えただけで吐きそう。あたしはあんたを倒してムーンブルクに帰るのよ、お生憎様!」
 ハーゴンは差し出した掌をゆるゆると引いた。
「魔物として迫害される未来を辿りたいか」
 アレンは腰に手を当て、ついと頤を持ち上げた。
「俺の周りにそんな奴いないもんね。ローレシアがどんなんか知りもしねぇくせに、適当なこと抜かしてんじゃねぇよ」
「叔父上は先程ご自分で仰ったことをお忘れか。僕達はそれぞれの国の正統王位後継者。遠くない未来に国の王となり、人々を導く役目を負うのです」
「あたしが治める国は、そんなくだらないことできりきりするような国じゃない。悪いことさえしなければ魔物だって住める国にして見せるわ」
「……愚かな。この世界の何処に希望を託す価値がある?」
「あんたは世界を信じられなくなった。あたし達は世界を信じて生きてく。それだけの違いでしょ」
 ハーゴンは嘆息した。憐憫の吐息がひやりとした大気に溶けていく。
「行き過ぎた力を持つ人間は魔物だ。魔物は魔物の世界で生きるものだ」
「しつけぇな」
 アレンの瞳が……空の力を内包する瞳が一際鮮烈に輝いた。
「だったら俺らは人間世界で生きてける魔物になってやるっ!」


 炎が閃き、風が弾け、闇に満たされた空間に稲妻が走る。
 邪教の大神官は恐ろしく強かった。アレンの剣を受け止め、コナンの炎を跳ね返し、ナナの風を振り払いながら、ハーゴンは楽しそうに声を上げて笑う。狂気めいた哄笑は壁に反響し、遙か星空の彼方まで届いた。
 ハーゴンは身を守ることを一切せず、ただがむしゃらに攻撃を繰り出してきた。重たい杖を稲妻の剣で受け止める都度、間近に迫るハーゴンの面相にアレンはぞっと総毛立つ。微笑に彩られた面には、研ぎ澄まされた刃物よりも鋭い殺気が満ちていた。
 アレンは跳躍してハーゴンとの距離を取った。じりじりと間合いを計る間に、顎から滴り落ちた汗が床を濡らす。
「随分とお疲れのようだ」
 ハーゴンを見据えたままコナンが囁いた。軽口めいた口調とは裏腹に、頬の辺りは緊張に強張っている。
「こんくらいどうってことねぇよ」
 流れる汗を拭って、アレンは鼻に皴を寄せた。
「お前らこそへたばってきてんじゃねーの?」
「この僕に限ってそんなことはありえない」
「右に同じくよ」
 ぱちんと片目を瞑るナナの顔は煤で真っ黒だ。
「悔しいけど、やっぱりあいつ強い。剣術も魔術も超一流ね」
「不本意ながら、現世代最強のロトの末裔は叔父上かもしれないな」
 アレンは肉食獣に似た仕草で、血の滲んだ唇を舐めた。
「だったらあいつらを倒せば俺らが最強だな」
 言いながら駆け出していくアレンにコナンがスクルトをかけ、ナナはめくらましのイオナズンを放つ。爆炎を隠れみのとしたアレンは杖を体で受け止め、右手に握った剣を斜めに振り上げた。
 刃はハーゴンの肘に食い込み、そのまま筋肉と骨を切断した。脂粉を叩いたかのような腕が宙を飛び、鈍い音を立てて床に落ちる。
「借りは返したからな!」
 アレンは二歩引いて剣を構え、ハーゴンの出方を待った。
 腕を切り落とされたにも関わらず、ハーゴンは眉一筋動かさなかった。床に転がる腕を一瞥し、ハンカチでも落としたかのように平然とそれを手に取る。しとどと流れる血液は赤というより黒に近い。
「ちょっとは痛そうにしろよなぁ」
 肩で息を弾ませながら、アレンは音高く舌打ちする。
 ハーゴンは傷口に腕を押し当ててベホマを唱えた。切断面からぶつぶつと血の泡が生じ、それが糊の役目を果たして腕を繋ぐ。指を動かして機能の回復を確認した次の瞬間、ハーゴンは猛然とアレンに飛び掛った。
 ためらいのない攻撃は凄まじく、アレンは次第に壁際へと追い詰められていく。コナンのベギラマやナナのイオナズンを背中から食らわせても、ハーゴンはアレンに猛攻をしかける傍ら忽ち傷を癒してしまうのだ。
「魔術だけでも封じれたら……」
 肉弾戦に手出しできない苛立ちに歯噛みしながら、ナナがコナンを振り返る。
「マホトーンはだめ?」
「さっき試したら弾かれた。悔しいが叔父上の魔力防御膜は僕の魔力より強力だ」
「そっか……」
 ナナは一瞬目を瞑ったが、すぐに決然と顔を上げた。中指に嵌めていた指輪を抜きいてコナンに差し出す。
「祈りの指輪を砕いて」
「……ナナ」
「復活の玉と同じよ。一気に魔力を注げば、内圧に耐え切れなくなって石は砕ける。でもその瞬間を狙って術を放てば、空気中に散った魔力のお陰で何倍もの効果が望めるはず。ムーンブルク王族の魔力の結晶が、ハーゴンなんかに負けるはずない」
「いいのか、これは君にとって……」
「大事な大事な形見よ。でもそれだけだわ」
 ナナはきっぱりと頷いた。
「大丈夫、あたしにはたくさんの思い出があるもの。お父様やお母様を思い出すよすがは指輪だけじゃない。それに生きてこの戦いを終わらなくちゃ、みんなを思い出すことも出来なくなる」
 ナナに迷いはない。彼女が目指すのは勝利、そしてそれから先に続く未来だ。
「使って。勝たなくちゃ。三人で生きて帰ろう」
「……分かった」
 コナンは受け取った指輪を一度掌に握り込み、人差し指と中指の合間に挟んだ。青白い輝きを帯びる石に真剣を集中させ、ゆっくりと魔力を注ぎ込む。マホトーンの詠唱によって命は魔力と変じ、掌に蟠って大いなる力となった。
 ゆっくりと掌を向けた先には変わり果てた叔父の姿がある。
 破壊神の降臨を目論むハーゴンは許しがたい悪漢だ。どんなに悲しい過去があったとしても、彼の所業を肯定する理由にはなり得ない。彼は断罪されるべきであり、犯した罪、奪った命の分だけ償う義務がある。それは死を以ってしても購い切れぬ程の大罪だ。
 冷酷な侵略者であり、無慈悲な殺戮者。悪辣な反逆者であり、卑劣な犯罪人。彼を許す者はこの世に一人もいないだろう。
「……母上」
 だからコナンは、初めて安息の地のいる母に呼びかけた。ハーゴンを愛した彼女なら、きっとコナンの気持ちを分かってくれる。世界を敵に回した男を憎み切れない愚かさをきっと理解してくれる。
「どうか叔父上を迎えて差し上げてください」
 コナンはじっとハーゴンを見据えた。最後の姿を焼きつけるように目標を定めながら、発動詞を口にする。
「マホトーン!」
 ぱんっ、と音を立てて祈りの指輪が砕けた。