魔術の鏡と呪われし姫<5>


 明けて翌日。
 ティーカップを優雅に口元に運ぶコナンに向かい合い、アレンはがつがつと魚料理を頬張る。ごくんと口の中のものを飲み下した後、アレンはコナンの皿を見て眉を寄せた。
「いっつも思うんだけどお前さぁ、朝飯それっぽっちで昼までもつのか?」
「何時も思うが君こそ朝っぱらからよくそんなに食べられるな。見ているだけで胸いっぱいになる」
「そっか? 俺んち朝は何時もこうだけどみんなきれいに平らげるぞ」
「……底なしは遺伝か」
 テーブルの胡椒に手を伸ばしたアレンは、宿に通じる階段を下りてくる少女に気付いた。
 袖と裾に桃色の縁取りをした白いローブを纏い、それに色を合わせた頭巾を被っている。昨日コナンが見立ててきた衣装だが、サイズも雰囲気も彼女にぴったりでとても良く似合っていた。
「あの頭巾ってさ、お前のお手製?」
「え?」
 アレンの視線を追って振り返り、コナンもナナがやってきたことに気付いたようだ。
「ああ、味気のない既製品にちょっと刺繍してみたのさ。白いロトの紋章が桃色の布地に鮮やかに映えているだろう?」
「……まあな」
「良かったら君にも何か刺繍してあげよう」
「いらね」
 そんな会話を交わす二人のところへ、同じく勇者の血を引く少女がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう、ナナ」
「よお」
 コナンはさっと立ち上がってナナのために椅子を引いた。こういう時のコナンの動きは実に滑らかで素早い。
「ありがとう」
 ナナはにっこり微笑んで椅子に腰かけた。
「顔色が良くないな。眠れなかったかい?」
「大丈夫、ベッドでゆっくり出来たのは本当に久しぶりです。助けてくれて本当にありがとう」
 ナナは貝殻のような目蓋を閉じ、そして開けた。竜の瞳に宿るのは揺るぎない決意だ。
「一晩色々考えて決めました。あなた達の旅にあたしも連れて行ってください」
「……自分の立場は分かっているね、ナナ?」
「あたしはムーンブルク王家の最後の生き残り。一刻も早く国を復興させて民を守る義務があります」
 柔らかな朝日に照らされているにもかかわらず、ナナは死人のように青ざめていた。触れれば弾けてしまいそうに神経を張り詰めていることが、空気を通して伝わってくる。
「でもあたしは雨の血筋です。ロトの伝承にあるように、太陽の血筋と一緒に虹をかけなくては。ロトの末裔としてやるべきことをやらなくては……」
 ふとぜんまいが切れたようにナナの言葉が途切れた。力なく俯いてしまったナナの横顔をコナンが覗き込む。
「君の同行はむしろ僕の方からお願いしたいくらいだ。勿論アレンもそう思っているだろう?」
「……え? あ。うん」
 ナナの様子はあまりに痛々しくて、首を縦に振る以外出来なかった。
 彼女は目標を立て、がむしゃらに突き進むことで痛みと苦しみを紛らわせようとしている。そうすることで生きていこうとしているのだ。
「だがその前に一つ確認しておきたいことがある」
「……ええ。何でしょう?」
「君はサマルトリア王族の僕を疎ましく思わないのか?」
 コナンが尋ねた瞬間、ナナの表情が名状しがたい感情に歪んだ。


 コナンは亡国の王女を正面から見据え、一言一言噛んで含めるように言った。
「ムーンブルクを滅ぼしたハーゴンは僕の叔父、僕は君にとって仇の一族。そんな僕と本当に旅が出来るのか、君にはよく考えて欲しい」
「おい……」
 言いかけるアレンを、コナンは片手で遮った。
「詫びて済むような問題ではないが、それでも僕はサマルトリアの王族として君に頭を下げようと思う。殴りたいなら殴ってくれても構わない」
 ナナは石像のように固まったままじっとコナンを見ている。生きていることを示すように、時折その長い睫毛がゆっくりと上下した。
「……ムーンブルクが滅んだ日のこと、少しずつ思い出してきています。あの日ハーゴンは、あたしを見て笑っていました」
 ナナはほとんど唇を動かさずに囁いた。
「笑っているのに感情が読めなくて凄く怖かった。目の少し吊り上ったところが、あなたと似ているかもしれません」
「……」
「でも大丈夫、あたしはハーゴンと間違えてあなたを殴ったりしません。あたしの仇はあの男、あなたやサマルトリアとは関係ない。あたしはあなた達と一緒に旅をする……もうそう決めたんです」
 ナナの声は小さいがしっかりとしていて、コナンは少し救われた気がした。虐殺と破壊の限りを尽くしたハーゴンは、たった一つの命を取り逃がした。死の指の合間から零れた種はやがて瑞々しい果実を結び、世界に新たな光の種子を撒くだろう。
「決まりだ」
 コナンはふっと髪を払って、ティーカップを高々と掲げた。
「この美しい朝日に乾杯。ロトの血で結ばれた僕達の、麗しき旅立ちの日だ。……記念ポエム詠んでいいだろうか?」
「勝手にしろ」
 ぶすっと頬杖をつくアレンの前で、コナンは朗々と意味不明な詩を吟じ始めた。


 二、三日経つとナナの体は呪いの余波から抜け出し、完全に元のように動くようになった。更につけ加えると元気になったのは肉体だけではなかった。
「お前らまた詠唱作ってんの? よく飽きねーな」
 稽古を終えたアレンが、コナンとナナが顔を突き合わせているテーブルへやってきた。さほど広くもない卓上に書物やらノートやらが散乱している。
「飽きる飽きないの問題じゃない」
 コナンは手にしていた冊子をテーブルの上に放り、分厚い書物をぱらぱらと捲った。
「魔術師は詠唱によって魔力を変換したり威力を調整したりする。詠唱の作成は僕達にとって最も重要な仕事だ」
 魔術師は、三十四文字からなる精霊語から詠唱を作り出す。命を変換させる変換節と魔力を整える指示節を基本として、補強節を加えていくのが一般的な作成方法だ。精霊を召還する召還節や発動範囲を広げる拡散節等々、組み合わせ法によって様々な魔術を作り出すことが可能である。
「あたしもギラが使えたら便利かなと思っているんだけど、火の精霊が応えてくれなくて」
「ギラ? コナンが使えるんだから、そのまま貰えばいいじゃん」
「命の質は人それぞれ違う」
 ザラキの説明の際に使った台詞を、コナンは今一度繰り返した。
「これは魔術の基礎となる事柄で、僕の命に合わせて作った詠唱は僕にしか扱うことは出来ない。僕の詠唱をナナが使ってもギラは発動しないんだ」
「ふーん、面倒臭ぇもんだな」
「何事にも制約はつきものさ」
 コナンははす向かいに座るナナに視線を移した。
「だがナナ、君は確か精霊の愛し子のはずだろう? 何故火の精霊が応えないんだ?」
 火、水、地、風、光、闇……六元素に基づく魔術を行使する際必要なのが、六精霊の協力だ。
 精霊と人には相性があり、どれだけ卓越した魔術変換能力を持っていても、彼らに気に入られなければ元素魔術を使うことは出来ない。尤もこれは生まれつきの素質、努力でどうなるものでもないので、精霊に嫌われた魔術師は打つ手がないというのが現状である。
 ナナは六種の精霊に祝福された、精霊の愛し子と呼ばれる天性の魔術師だ。あらゆる元素をうべなわせる素質があるはずなのに、火の精霊が呼びかけに応えぬとは奇怪な話だった。
 ナナはほとほと困り果てた風に小さく首を振った。
「前は使えたんだけどどうしてかしらって考えてって、あー!」
 唐突に悲鳴に似たものを上げて、ナナががたんと椅子から立ち上がる。
「アレン! それはあたしのモンブランよ、勝手に食べないで!」
「そうだったっけ? じゃあ返す」
「栗取って返さないでよ! モンブランは栗が重要なのよ!」
「悔しかったら取り返してみろよ、ほら」
 アレンはにやにや笑いながら栗を刺したフォークを頭上に掲げる。アレンの肩までもないナナがどんなに背伸びしても届かない。
「もーっ、返してったらっ!」
 ぴょんぴょんはねながら顔を真っ赤にするナナは、今にも怒りで爆発しそうだ。そのうちバギの詠唱が始まるに違いない。
「人の食べ物を取るなんて最悪! 前に飼ってたおサルのウッキーみたいだわ!」
「サルと一緒にすんな! お前だって昨日俺の肉団子食ったろ! あいこだあいこ!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる二人を横目で眺めつつ、コナンは深々と溜息をついた。
「毎日毎日飽きもせず……」
 助けた当初は繊細そうに見えたムーンブルクの王女は、実際のところお目にかかったこともないような跳ねっ返りだった。呪いが解けてすっかり元気になった今、そのお転婆ぶりは目も当られない。アレンとは根本的なところで反発するように出来ているらしく、寄ると触ると喧嘩している。
「僕以外のロトの末裔がこんな野生児達だったとは……嘆かわしいことだ」
 苦悩するコナンを終わらぬ騒音が包み込む。コナンはばんっとテーブルを叩いて二人を怒鳴りつけた。
「隣の部屋に迷惑だから静かにしたまえ!」
 怒られた二人は口論を止め、むうと不服そうに口を尖らせた。容姿にこれといった共通点はないが、近い従兄妹だけあって時々よく似た仕草をする。
「アレンがあたしの栗を取るからいけないのよっ」
「だってケーキ二つじゃ食った気しねぇんだもん」
「二個も食べれば十分だろう、何処まで甘党なんだ君達は」
「何時もはケーキなら五つくらい食べちゃうわ」
「アップルパイならワンホール食えるぞ」
「……貧乏なんだから今日のおやつはケーキ二個。これ以上は譲れない」
 コナンは溜息をついて、さきほどまでつけていた家計簿に目を落とした。大食らい二名のお陰で財政状況は厳しい。喧騒の中で帳簿をつけていると、知らずこめかみに青筋が浮き立ってくる。
 そんなコナンの苦労を知ることなく、アレンがてんから能天気な笑顔で尋ねてきた。
「腹減ったなぁ。コナン、お前何か持ってない?」
「何も持ってなんか……ああ! 人の荷物を勝手に漁るんじゃない!」
「お、これサマルトリア産の燻製か? 美味いなー、お前も食ってみろよ」
「わあ、ありがとう。本当、美味しいねー」
 こんな時ばかり仲良く意気投合して、二人はがつがつと食料を平らげていく。コナンが隠していたこだわりの非常食はあっという間に二人の胃袋に治まっていった。
「……美しくない……」
 呟くコナンの腹の虫が、きゅうと侘しい音を立てた。