双子の塔と空飛ぶマント<1>


 今を遡ること三十三年前の夏、サマルトリアの離宮で王の第二子が産声を上げた。
 古き勇者の血を引き、竜の加護を秘めた瞳を持ち、六種の精霊の祝福を身に宿した王子だった。絶対的なカリスマを宿しながら、彼に王位継承者が与えられなかった理由は、母親の身分があまりに低かったからだ。赤子の母は貧しい神父の娘で、サマルトリアに巡礼に訪れた際、たまたまお忍びでサマルトリア聖堂に訪れていた王子に見初められた。若者の強引さと無責任な情熱によって、娘は半ば攫われるように王宮へ上げられたのだ。
 赤子は当時の最高司祭によってハーゴンと命名された。精霊語で従者を意味するその名は、彼が生涯、日陰の立場で生きることを意味していた。
 ハーゴンが生まれた時、王は正妃との間に既に男子を一人儲けていた。ラダトームから輿入れしてきた正妃の勢力は凄まじく、同じく王子を産んだとはいえ市井の妾が太刀打ち出来るような相手ではない。ハーゴンの母は日に日に心労を重ね、赤子が三つの誕生日を迎える前に、花が萎れるように死んだ。
 数奇な生い立ちであったものの、赤い瞳の少年は決して不幸ではなかった。聡明で控えめ、明るく素直な性格の王子は、周囲の人々から偽りない愛情を与えられて育ったのだ。
 次期国王である異母兄との関係も良好だった。兄は弟を不憫に思ってかわいがり、弟もそんな兄を心から慕った。二人が力を合わせればサマルトリアは安泰だと、誰もが目を細めて仲の良い兄弟を見守ったものだ。
 だがハーゴンが十七を迎えた頃から、状況が変化を始める。
 快活だったハーゴンは日増しに口数が少なくなり、宮殿奥の自室に篭ることが多くなった。好きだった狩りや乗馬にも姿を見せず、出席が義務づけられている公の行事にも参加しない。あれほど睦まじかった兄弟仲がぎくしゃくし始めたのもちょうどその頃だ。
「……叔父上とまともに話をするのは僕くらいだった」
 そう語るコナンの頬に蝋燭の灯りがゆらゆらと揺れる。
 今日が昨日に、明日が今日に移り変わる頃、ロトの末裔達は丸テーブルを囲んで顔をつき合わせていた。アレンは頬杖をつき、ナナは祈りの形に指を組んでコナンの話に耳を傾ける。
「魔術のこと、神学のこと、狩りのこと……叔父上は本当に色々なことを教えてくれた。幼い頃の僕は、陛下とより叔父上と過ごした時間の方が長かった。はっきり言ってしまえば、僕は陛下より叔父上の方が好きだったよ」
 大好きな叔父であるからこそ、コナンは常々ハーゴンを取り巻く環境をどうにかしたいと思っていた。コナンが一人でいる時は優しく話しかけてくる叔父は、両親が同席している場では近寄っても来ないのだ。両親と叔父の不仲を悟ったコナンは、解決法を求めて祖父に直訴したこともある。
「でも僕の行動も全て空回りでね。叔父上と両親の仲は冷え切ったままだった。そして僕が六歳の時決定的なことが起きた」
「決定的?」
 光を滲ませるコナンの睫が、一度ゆっくりと上下する。
「その一年ほど前から、叔父上はラダトームに留学をしていたんだ。そしてラダトームから帰ってきた叔父上は……前にも増して人を避け、部屋にこもりきりになった」
 ハーゴンが、国王ですら容易に近づけぬ神殿の書庫に忍び入り、数多の書物を持ち出して禁術を復活させたことが発覚したのはそれからすぐだった。
「サマルトリアでは、ゾーマの魔術と呼ばれる禁断の魔術だ」
 ルビス聖典は陽、シドー聖典は陰、二つの教えは表裏一体だ。ルビスの教えを正しく理解することは、シドーの教えを完全な形で把握することにも通じる。ハーゴンはルビスの経典を貪り読むことでシドーを理解し、引いてはその加護による魔術の構成に成功したのだ。
「禁術に手を出した以上王族と雖も死罪は免れない。叔父は逮捕の命令が出るや否や、僕を人質にとって逃げた」
 コナンの皮肉な微笑みは、一体誰に向けられたものだろうとアレンはふと思った。叔父か、禁術か、運命か、或いはコナン自身に対してなのかもしれない。
「それが火に油を注いだ形となった。禁術に手を出した輩が王位継承者を拉致したんだ、取り逃せば王家の沽券と面子に関わってくる。陛下は自ら部隊を率いて叔父上を追ったんだ」
 サマルトリア王家の複雑な人間関係は、アレンにとって想像の範囲を超えたものだった。父親を家族としてでなく、国王として位置づけているらしいコナンの話振りは実に淡々としていて、肉親の情愛がまるで感じられない。
「追いつめられた叔父上は海に落ちて行方不明になった。叔父上は戸籍から抹消され、存在そのものがなかったことにされた。勿論誰一人生きているなんて思ってなかった……ムーンブルクから伝令兵が来るまでは」
「でもさ、何でお前はムーンブルクを滅ぼしたのがハーゴンだって分かったんだ? ローレシアに来た伝令兵はんなこと言ってなかったみたいだぞ」
「アレン、君にしてはなかなか鋭い質問だ」
 褒められたのか貶されたのか分からぬ言い振りに、アレンはむっと唇を尖らせる。
「答えは簡単だ。ムーンブルクの近衛兵を死滅させた魔術こそ、叔父上が復活させたザラキだからさ」
「……あの日、城の中庭にハーゴンが突然現れたの。ハーゴンが手を翳したら黒い光が走って、それを浴びた人達が次々と砕けて……」
 俯くナナの横顔に月光に似た髪がふわふわと落ちかかる。それは恰も、運命に潰されそうな彼女を守る堅牢な障壁のようだ。苦しげに睫を伏せたナナはまるで別人のようで、アレンはきまずい思いをしながらぎくしゃくと話題を変えた。
「ええと、んじゃさ、ハーゴンは何のためにムーンブルクを襲ったんだ?」
 コナンが首を振ったのに数秒遅れて、テーブルに視線を落としたままのナナが小さく呟いた。
「……像が」
「え?」
「ハーゴンの掌に、緑色に光る像が浮かんだの。月の血を捧げるって言って、ハーゴンはそれでお父様を貫いた。そしてその後、メラゾーマでお父様を……」
 じじじっと音を立てて、何処からか吹き込んできた風に蝋燭の炎が揺れた。
「ハーゴンはあたしに言ったわ。同じ雨の血筋で同じ精霊の愛し子で、そして王女として甘やかされてるあたしが妬ましいって。だからあたしを殺すんだって」
 ナナがゆらりと顔を上げる。ささやかな光を孕んで、二つの赤い瞳がぎらぎらと燃え上がった。
「……あたし、あいつを絶対にこの手で殺してやるわ」


 狭い部屋に沈黙が満ちた。
 聞こえてくるのは風の音と灯心草の燃える音。夜の懐に抱かれて、ムーンペタの街全体が耳の痛くなるような静寂に包まれている。
「んで、これからどーすんだよ?」
「それが決まればこんなところで燻っていない」
「だよなぁ」
「……ねぇ、アレフガルドに行ってみない?」
 ナナがテーブルの上に心持ち身を乗り出した。二人の少年に向けられた顔からは、先ほどの射るような殺気はもう消えている。
「アレフガルド? アレフガルドに行って何すんだよ」
 アレフガルドはローレシアから遥か西に存在する巨大な大陸だ。
 歴史あるラルス王家に統治されるそこは、嘗て勇者ロトが大魔王を屠った国であり、ロトの勇者が竜王を討った国でもある。今も囁かれる勇者達の伝説は、全てアレフガルドを舞台に繰り広げられた物語であるのだ。
「竜王に会うのよ」
 思いもよらなかったナナの台詞に、アレンとコナンは顔を見合わせた。
「竜王は竜神の末裔だもん。もしかしたらハーゴンの居場所について何か知ってるかもしれないわ」
 ナナのマシュマロのような頬が健康的な薔薇色に息づく。本来の快活な表情を取り戻しつつあるようだ。
「けど竜王は俺らの曾祖父ちゃんにぶっ倒されたんだろ?」
「今でも生きているって噂を何回か聞いたことがあるのよ。行ってみる価値、あると思うけどな」
「竜の死の定義が僕達人間と同じだとは限らない。肉体の機能が停止したとしても、彼等にとっては眠っているだけなのかもしれないな」
 未だ三人はハーゴンの居場所すら知りえない。邪教を用いて人心を惑わし、魔物を率いて無辜の民を殺害する神官は、血煙と粉塵のベールに包まれて確かな姿を見せないのだ。どんな些細な情報でも喉から手が出るほど欲しいのが現状だった。
「アレフガルドは中央大陸から完全に分離した大陸だから、そうなると船が必要だな」
「けど船って幾らするんだ? 鎧三個分くらいで足りるのか?」
「もうちょっとするんじゃない? 多分鎧八個分くらい」
 何しろ彼らは王子様と王女様なのだ。ずれまくった金銭感覚は旅で少しずつ修正されつつあるものの、まだまだ一般人のそれとはほど遠い。船の値段など皆目見当もつかないのである。
「自慢じゃないが僕達の財力で船を買うのは無理だ。今の財布の中身だとイカダを組むのがせいぜいだね」
「イカダかぁ」
 三人は大海原にぽつねんと浮かぶイカダと、それに乗る自分達の姿を思い描いた。
「美しい光景とは言いがたい……」
「そっか? 結構楽しそうじゃん」
「イカダなんかじゃアレフガルドまでもたないわよ」
 ナナが人差し指を顎に押し当て、ゆるりと首を傾げる。
「アレフガルドにならルプガナから行けるはずよ。定期便が出てるって聞いたことがあるわ」
「本来ならば僕がデザインした船で美しく旅をしたいところだが、時間も金もないから仕方ない。そこらの船で我慢することにしよう」
「んじゃとりあえずルプガナに行ってみるか」
 こうして次にやるべきことが見えた。末裔達はルプガナを経由して、勇者の故郷アレフガルドを目指すこととなったのだ。