三人はムーンペタから一旦南下して山脈を迂回し、その後進路を東に変えてひたすら歩き続けた。 夏風渡る草原の先には巨大な砂漠が待ち受けており、灼熱の太陽と砂の照り返しが彼らを苦しめた。酷暑と乾きとモンスターの襲撃を掻い潜りながらやっとの思いで砂漠を抜けた三人は、その後潮の匂いのする草原へと出る。 中央大陸とルプガナ大陸を隔てる海峡の岬には、ドラゴンの角と呼ばれる双子の塔が聳えている。そっくり同じ形と色をした二本の塔は、遠くから見ると竜の額を飾る角のように見えるのだ。 ドラゴンの角はルプガナ地方に住んでいた先住民族が作ったもので、今の文明では理解しえない不思議な建築方が用いられているらしい。竜を神と崇めた人々の手による塔は、世界的な文化遺産として有名だ。 「ああ、何と美しい光景だろう」 ドラゴンの角が視界に飛び込むや否や、コナンが感嘆の溜息を漏らした。 「塔の銀色と空の青さのコントラストが見事だ。神々に愛でられる人々が作り上げた、奇跡の風景と言っても過言ではない。さて、今回の記念ポエムを考えなくては」 青みがかったしろがねの双子の塔は、傾き始めた夕日に照らされると暖かいバラ色に輝き出した。その様相たるや、なるほど神秘の存在である竜の名を冠するに相応しい美しさである。コナンならずとも思わず足を止めて見入ってしまうほどだ。 「北の塔は水の竜の、南の塔は風の竜の塔だそうよ。二つの塔は竜を呼び込むために作られたんですって」 「竜を呼び込むってあん中に? どうやって?」 「そこまで知らないけど」 ナナは肩の上でとんとんとひのきの棒を弾ませた。 「今でも嵐になると塔から竜の咆哮が聞こえるらしいわ。嘘かホントかは知らないけど」 「時空の流れに押しやられた人々が残した浪漫だ。竜を呼ぶ塔とは実にエキセントリックで好奇心がそそられる」 美しい双子の塔は吊り橋で結ばれており、それが中央大陸とルプガナ大陸を結ぶ唯一の交通路となっている。三人はその吊り橋を利用するつもりでここまでやってきたのだ。 「橋なんて何処にあんだよ」 塔の下に立ってアレンは頭上を見上げた。どんなに目を凝らしても視界に入ってくるのは白い雲と青い空。吊り橋など影も形も見当たらない。 「……落ちたようだ」 「落ちたって、橋が?」 「あちらの塔の壁から突き出している出っ張り、恐らく吊り橋の残骸だ」 見れば向こうの塔の壁からは、吊り橋の一部であったのだろう木材が突き出している。改めてこちらの塔を見上げれば、やはり橋を形成していたのだろう太いロープがゆらゆらと揺れている。 「朽ちたというより破壊された風だな……魔物の仕業だろうか」 困ったものだと頭を振るコナンの傍らで、ナナが眦をきりりと吊り上げた。 「これじゃルプガナに行けないじゃない!」 「泳げばいいじゃん」 アレンがさらりと言ってのけるのに、ナナの眉の傾斜は益々険しくなるのだ。 「泳ぐぅ? バッカじゃないの、こんなところどうやって泳ぐのよ!」 ナナが指差した先には、白い泡波を蹴立てて勢い良く流れる海がある。大量の海水が流れ込む狭い海峡の流れは激しく、泳ぐのは勿論船で渡ることも不可能だ。だからこそ人々は、苦労して塔の上に吊り橋をかけたのである。 だが目の前に立ちはだかる壁が大きければ大きいほど、無意味に闘志が燃やすのがローレシア人という生き物である。 「泳ぎには自信があるから任せとけ! 俺はローレシアの河童と呼ばれた男なんだぜ!」 「河童が川を流れることもあると聞くが」 「水中眼鏡代わりのゴーグルもあるしちょうどいいよな」 「ゴーグルの有無以前の問題だろう」 「あ、そうだ。剣預かっててくれよ。俺さ、剣背負ったまま泳ごうとして溺れかけたことあんだよな。あーそんな顔しなくても大丈夫だって。短刀はあるし、いざとなりゃ素手でも戦えるから」 「少しは僕の話を聞いたらどうだ」 だが既に泳ぐ気満々のアレンはコナンの言葉など聞いちゃいない。さっさと服を脱いで下着一枚になると、最低限の荷物を頭の上に括りつけ、ゴーグルを目元に落とした。世にもマヌケなその姿に、残る二人は止める気力も失って項垂れる。 「じゃあ俺がどうにか船持ってくるからさ、お前らここで待ってな!」 そうして元気いっぱい激流の中に飛び込んだアレンは。 「たしけて〜」 コナンとナナの予想通り、あっという間に遠くへ流されていった。 「白い花畑にある橋を渡ろうとしたら、死んだおふくろにこっち来んなって言われた……」 「やあ、思っていたより早かったな」 「もうすぐご飯だから手を洗ってきてね。今日のご飯はナナ特製、そこらの鳥とそこらの野菜のコンソメスープパルプンテ風でぇーす」 全身から水を滴らせながらふらふらと帰ったアレンを、コナンとナナが生温い微笑みで出迎えた。 「泳いで渡るなんて無理だったろう?」 「見ただけで分かりそうなもんだけど」 コナンとナナがしみじみと頷く。放られたタオルで頭をごしごしやりながら、アレンはそんな二人に向かってかちかちと牙を鳴らした。 「だったらどうすんだよ。泳いで渡れねぇんだったら空でも飛ぶか?」 「鳥じゃあるまいし、空なんて飛べるわけ……空を飛ぶ?」 鍋を掻き混ぜていたナナがふとその動きを止めた。 「そういえば昔、ばあやから聞いたことがあるわ。空を飛ぶことの出来るマントの話。確か……風のマントだったかな?」 それは古くからムーンブルクに伝わる魔術具の一つだ。 風を封じた宝石が縫い留められたそのマントは、使用者をほんの一時、大地の戒めから解き放つ。空中に広がるマントは風の力をいっぱいに孕み、緩やかに空を渡って、纏った者を遠くの地へと運ぶのだ。 そのマントがあれば、この海峡を越えることが出来るかもしれない。 「もっと早く言えよそういうことは!」 「今思い出したんだから仕方ないでしょ!」 「みっともない喧嘩は止めたまえ。僕は昔から偏頭痛の持ち主でね、醜いものを見ると頭痛と耳鳴りが始まるんだ。君達といると何時激痛に襲われるか不安で仕方ない」 「どういう意味だよ」 アレンの剣呑な眼差しを典雅な微笑みで受け流し、コナンは改めてナナに尋ねた。 「それでナナ。その風のマントは何処にあるんだ?」 「ええと、確か五年前の大嵐があった秋に、風の神様をお慰めする為に塔に奉納したはずよ。ムーンブルクから西の海岸沿いをぐるりと回ったところにある風の塔」 「ラーの鏡もそうだったけどさ、お前んちってあちこち奉納すんの好きだな」 「うちには魔術具がいっぱいあったから」 「そういう問題か?」 「とにかく次にすべきことは決まった」 脱線しかけた話をコナンがよいしょと引き戻す。 「この海峡を越えるのはそのマントが必要だ。一度ムーンブルクへ戻ろう」 「戻るぅ? またあの砂漠を越えんのか?」 ムーンブルク大陸の南に広がる巨大な砂漠は、ほんの十年ほど前までは、緑豊かな牧草地帯であったという。 ある日何の前触れもなく、草が枯れ、動物がいなくなり、人が住めなくなった。人の生活が消えた不毛の大地には今や、環境に適応した魔物が闊歩するばかり。そこを渡ろうとして命尽きたキャラバンの残骸を、末裔達はここに来るまで四度見かけた。 ムーンブルク壊滅をきっかけとして広がり始めた不穏な影は、実際のところ、既にその頃から世界を覆い始めていたのかもしれない。 「越えないとムーンブルクに戻れないだろう」 「げー」 あの灼熱地獄を再び味わうということだ。アレンはげんなりと舌を出したが、風のマントを入手する以外に海峡を越える方法がないのだから仕方がない。 三人は塔の下で一夜を明かし、風の塔を目指して再びムーンブルクへの旅路を辿った。 |