風のマントを入手した三人は再びルプガナに向けて歩き出し、三度テパ地方の大部分を占める巨大な砂漠へと突入した。 休みらしい休みもなく歩き続けてようやくオアシスに到着した彼等は、早めに野営の準備に取りかかった。ここからドラゴンの角まで約五日、たっぷり休養を取って灼熱地獄に備えなくてはならない。 三人は石を拾ってかまどを作り、枯れ枝を集めて火を起こした。暖を取るのは勿論、灯りと魔物避けの意味も込めて炎は必要だ。 それに火を起こせば調理が出来る。そのままでは硬くて味気ない干し肉も、スープとして煮込めば風味が増して美味さが増す。どっしりと腰を落ち着けられる時にはやはり温かい料理が食べたいものだ。 久しぶりにゆっくり食事を取った後、三人はそれぞれ思い思いの行動を始めた。武器を磨いたり本を読んだり、就寝前の一時は明日を生きるための下準備の時間だ。 愛剣の手入れを終えたアレンは、コナンが木の枝で地面に何やら書きつけているのに気がついた。アレンには読めない文字や奇妙な記号を組み合わせた図形で、異国めいた意匠がなかなか美しい。 「なあなあ、これ、魔除けの魔方陣か?」 「いや、魔除けは大きく張ってあるあっちの方だ。これはまた別の目的で描いた魔方陣だよ」 魔法陣とは、魔術学の法則に基づいて文字や図形を組み合わせた絵図のことを指す。 多くの場合、基本図形と幾つかの付加図形を組み合わせて一つの魔法陣を形成する。基本図形が魔力を貯蔵し、付加図形が魔術を方向づけるのだ。付加図形の組み合わせを計算することによって、様々な現象を引き起こすことが可能となる。 コナンは魔法陣の中央に鈴を置き、少し離れた星模様に小さな宝石を乗せた。鈴はこれといって特徴のないものだが宝石は一風変わっていた。ビー玉のように透明な球体で、中央部分で光がちかちか点滅している。 「変った石だな、何だこれ」 「精霊石よ。死んだ精霊が結晶化したもの」 水浴びに行っていたナナが戻ってきた。水滴を鏤めた巻き毛が、焚き火の照り返しを浴びて黄金色に染まる。 「この石には魔力を閉じ込めることが出来るの。魔力を含めた精霊石と他のアイテムを結合させるとあら不思議」 「……何が不思議なんだよ?」 「百聞は一見にしかずだ。まあ見ていたまえ」 コナンが魔法陣に形良い手を翳した。軽く目を閉じ、口の中で静かに詠唱を紡ぎ始める。詠唱によって命が魔力と化し、白い花びらのような光となってはらはらと掌から舞い落ちた。 魔力を浴びた瞬間、精霊石が弾けた。散った破片は光の粒子に変じると、凄まじい速度で魔法陣の上を走り出す。一通り魔法陣をなぞった後、光は中央に置かれた鈴に向かって収束を始めた。 やがて鈴の持ち手に赤い宝石が、胴に文様が浮かび上がった。見えない刃で彫られたかのような文様は、地面に描かれた魔法陣と同じ意匠であるようだ。 「これで魔除けの鈴の完成だ」 コナンが鈴を手にして振った。ちりん、と可憐な音が夜の空気を震わせる。 「基盤になるアイテムと、魔力を持たせた精霊石と、魔力に指示を出す魔法陣。魔術具は基本的にこの三つを組み合わせて作るのよ」 「へぇ〜、面白ぇな〜」 アレンは出来上がったばかりの鈴を手にためつ眇めつした。先ほどまでただの鈴だったものが、一瞬にして神秘の力を秘めた魔術具となるのだから大したものだ。 「なあ、風の塔で取ってきたマントも魔術具なんだよな?」 「そうよ。マントの襟の宝石に風の力が封じられてるの」 荷物から取り出した風のマントを膝に広げて、ナナが改めて解説を始める。淡い空の色をしたマントは羽毛のように軽く柔らかで、纏ってみても全く重みを感じない。鳥の羽を模した美しいマントではあるが、偉大な風の力が封じられているというにはいささか説得力の欠ける品物だ。 「空を飛ぶって行っても自由に何処までも飛べるわけじゃないけどね。高いところから飛び降りた時に、風に乗って遠くへ行くことが出来る魔術具なのよ」 「ふ〜ん……」 幼い頃から魔術の偉大さを学んできたコナンやナナとは違い、アレンは目に見えるものだけを信じるように教育されている。お陰でマントを眺める目つきも、ついつい一人胡乱げなものになるのだった。 「ホントにこんなもんで、空、飛べんのかよ」 「だいじょーぶ。ムーンブルクの魔法具を信じなさいって」 自信たっぷりに請け負った後、ナナはふうと溜息をついた。 「空飛ぶマントなんてロマンチックでしょ? このマントの話を聞いた時から、星空を空中遊泳できたらどんなに素敵かしらと思ってたのよね〜」 普段手に負えないじゃじゃ馬娘のくせに、根っこの部分で夢見る乙女のナナである。うっとりと星空を見上げる大きな瞳がうるうると潤んだ。 「なぁーにが星空の空中遊泳だよ、似合わねーの」 「ふーんだ、アレンみたいにデリカシーのない男ってホント嫌よね。あんたと付き合う女の子がかわいそう」 「大きなお世話だっての」 「だがアレンには彼女どころか許婚がいるだろう。彼女の成人を待って婚礼を行う予定だったと聞くが、肝心の君がここにいては何もかもが先送りだな。レディに待ちぼうけを食らわせるとは実に美しくない」 アレンはぎょっとコナンを振り返った。爽やかに微笑むコナンの鼻先に指を突きつけ、ぱくぱくと口に屈伸運動をさせること数秒、驚きと困惑に塞がれていた喉奥からようやく声が出る。 「な、な、な、ななな何でお前がそんなこと知ってんだよ!」 「夏風が僕の耳に囁いたのさ」 怪しげな手帳をさりげなく背中に隠しつつ、コナンは吹き抜ける風にそっと目を細める。 「えー、初耳―!」 一際はしゃいだ声を上げて、ナナがわくわくと身を乗り出した。紅の瞳が好奇心に爛々と輝く。 「その子の名前は? 年は? どういういきさつで婚約したの?」 「お前に関係ねぇだろ!」 「えー、いいじゃない、あたしこういう話だーい好き。ねぇねぇ、きりきり白状しなさいよ。その子どんな子? その子と何処まで行ってるの? もしかしてもう最後まで行っちゃった? キャーッ、アレンってば、純情硬派剣一筋、みたいな顔して実はむっつりスケベだったのね、やらしい!」 「いや、アレンは剣馬鹿で奥手な子供だからキスもしたことないだろう。それどころかまともに手を握ったこともあるかどうか怪しいな。僕には分かる、分かるとも。何故なら夏風が……」 「ううう」 顔を真っ赤にしてだらだらと汗を流していたアレンがすっくと立ち上がった。くるり踵を返すと雄牛の如く大地を蹴る。 「うわあああん、お前らなんか大っ嫌いだあああっ」 泣きながら走り去るアレンの後ろ姿が、やがて地平線の向こうに消えた。 「あーあ、行っちゃった。あんなにでたらめに走って、ちゃんと帰ってこれんのかしら」 ナナが眉の上に手を翳して、暗闇に包まれた砂漠に目を凝らす。 「空腹を覚えたら帰ってくるさ。野生動物に帰巣本能は必須だ」 「それもそうね」 あっさり頷いて、ナナは浮かしかけた腰を再び落ち着けた。膝に広げたままだったマントを丁寧に畳んで荷物へしまいながら、コナンに向かってにやりと口の端を上げる。 「それにしてもアレンに許婚がいたなんてちょっとびっくりしちゃった。どうしてコナンは知ってたの? アレンから聞いたって感じじゃないわね」 「レディが苦手と聞いた頃から不思議だったんだ。男として生まれたくせに、レディの愛らしさ美しさが分からないなんて信じられない。彼は否定していたが万が一そっちの気があると僕の身が危険だから、国に手配して調べさせたんだよ」 「そんなこと調べさせられた人かわいそう……」 ふっと前髪を掻き上げるコナンを、ナナはげっそりとした顔で見やる。 「その結果アレンに許婚がいるという報告を受けた。彼女の方がアレンにぞっこんで、四六時中追い回されるうちにすっかりレディが苦手になったらしい。要するに彼はまだまだ子供なのさ」 「そうなんだ。いいこと聞いちゃった」 ナナはうきうきと手を擦り合わせた。 「明日からたっぷりからかってやろうっと。楽しみ〜」 「別に意外な話でもないけどね。アレンは王位継承者だから早めに身を固めるように言われているだろうし」 「それはあたしもコナンもそうだけど。ねねね、コナンはどうなの?」 「何度かそんな話があったけど全て断ったよ。僕の小鳥は僕がこの手で捕まえたいからね。ハーゴン討伐の旅が終わったら、僕は僕だけの青い小鳥を探す旅に出るのさ」 「旅に出るって、そんなお気楽な立場でもないでしょ」 「……このままサマルトリアに戻らないという方法だってある」 「え。だって」 予想もしなかった台詞に、ナナは目をぱちくりさせた。 「コナンが戻らないと次の国王が……」 ナナはその時、コナンの中で何かが閉じた音を聞いた気がした。表情は穏やかなままだが、二つの瞳に全てを拒絶する余所余所しさが浮かぶ。 「そう言う君はどうなんだ?」 尤もそれも束の間の出来事で、瞬きほどの時間でコナンは何時ものコナンに戻った。そこはかとない戸惑いと寂寞を抱えたまま、ナナは促されるまま話の続きに戻る。 「あたし? ……昔はあちこちの貴族の次男坊が城に来て一緒に遊ばされたんだけど、今思えば花婿候補を選んでたのかもしれないわ。あたしの場合、絶対お婿にきて貰わないと困るから長男はだめなのよね」 「その中に君の心を射止める白馬のナイトはいなかったわけだ」 「いないわよ。だいたい貴族のぼんぼんなんて弱っちくて甘ったれでイライラするような奴ばっかりなんだもん。ちょっと叩いただけで泣いちゃうし」 新しい鈴と精霊石を魔法陣に乗せながら、コナンが大きく肩を竦める。 「手厳しいな。そんなナナ姫様のお好みのタイプはどんな男性なんだい?」 「頭の切れるマッチョなイケメン」 ナナは眉一筋動かさずに即答した。 |