双子の塔と空飛ぶマント<4>


 翌朝腹を空かせて戻ったアレンは、コナンとナナと仲良く朝食を取った後、オアシスを出発してドラゴンの角に向かった。
 三人が双子の塔に到着したのは五日後の昼を少し回った頃だった。厚い雲が垂れ込めているため太陽の位置を確認することは出来ないが、腹時計から言って昼時であることは間違いない。腹が減っては戦は出来ぬとばかり、彼らは塔に入る前に軽い食事を取ることにした。
「一雨来そうね。風も強くなってきたし、きっと嵐になるわね」
 カップの縁に唇を寄せつつ、ナナは曇り空を見上げた。その横顔を彩る不安に気付いて、アレンが小さく首を傾げる。
「雨が降ると何かまずいのか?」
「強風の中での飛行は危険と言えば危険だが……嵐が治まるまで待機すればいいだけの話だ」
「うーん、それはそうなんだけど」
 精彩を欠いた表情でナナは小さく唸った。
「嵐の日には竜の咆哮が聞こえるって話したわよね。その時は竜が塔に帰って来てるから入っちゃだめって言われてるらしいのよ。中にいると竜に食べられちゃうんですって」
「んなの迷信に決まってんじゃん」
「あたしもそう思うんだけど……実際嵐の日は塔の立ち入りを禁止されていたらしいのよね」
「それは嵐の時は吊り橋を使用しないようにという警告じゃないだろうか」
「だったら、俺らは吊り橋使わねぇから関係ねぇな」
 納得した風ではなかったが、ナナはそれ以上食い下がらなかった。
 食事を終えた三人は、いよいよドラゴンの角の内部へ足を踏み入れた。先頭を切って入り口を潜ったアレンが、頭上を見上げてぼそりと呟く。
「外も変わってるけど中も変な塔だな」
 塔内部は中心部分が吹き抜けになっており、一階の床に立って上を見上げれば、五階の天井が直接視界に飛び込んでくるのだ。一体何の意図があってこのような構造になっているのか、皆目見当もつかない。
「神の住処だからね。僕達の想像を越えた形であっても不思議じゃないさ」
 同じように天井を見上げていたコナンがナナを振り返った。
「そのマントで海峡を越えるにはどれくらいの高さが必要なのかな」
「高さがあればあるほど遠くへ飛ぶわ。低すぎたら海に落っこちちゃうけど、高すぎて困ることはないと思う」
「じゃあ天辺まで行くか」
 三人は頷き合い、塔の右隅にあった階段を登った。
 壁に添って広がる足場は幅一尋に満たず、柵などの落下防止設備は一切ない。足を踏み外せば最後、一階の石床に思い切り体を叩きつけられることになる。
 三階まで登ったところで、アレンが改めて吹き抜けから階下を覗き込んだ。
「おっかねぇとこだな〜」
「ホントね。安全設計がなってないわ」
「歩くだけなら特に問題ないが、厄介なのは……」
 ふっと、コナンの右手にギラの炎が宿った。
「こういう時だな」
 虚空を引き裂く紅の光が、頭上から急下降してきた影に当たって爆発した。白煙と悪臭を振り撒きながら、一瞬で炭と化した死神が落下していく。
「やっぱ出てきやがったか」
 舌打ちしつつ抜刀するアレンにコナンが小さく肩を竦めた。
「アレン、狭いんだから僕やナナまで切らないように気をつけてくれたまえよ」
「んなへましねぇよ!」
「バギ!」
 ナナの放つ真空の渦が、天井を這ってきたメドーサボールを包み込んだ。毛髪めいた蛇が悉く切断され、ぶら下がる術を失ったメドーサボールが二匹、ごろごろと床に転がり落ちる。
 アレンは丸刈りになったメドーサボールへ剣を垂直に突き立てた。たった一つの目玉を貫かれて苦しげに悶絶するところへ、更に深く剣を差し込む。脳髄を貫かれた魔物が最期の痙攣を始めたのを確認すると、アレンは剣を引き抜いてもう一匹のメドーサボールに飛びかかろうとした。
 剣先が魔物の眼球に触れる直前、縦に長い瞳孔が怪しい光を帯びる。ぐらり、とアレンの視界が揺らいだ。
 しまったと思った時には遅かった。ラリホーは甘い囁きとなってアレンの内部に入り込み、圧倒的な睡魔を呼び起こす。脳そのものが麻痺してしまうような凄まじい眠気に、アレンは堪らず膝をついた。
 がら空きの背中に殺気が迫るのを感じたが、剣を持ち上げることはおろか振り返ることもままならない。手足が鉛のように重くてまるで言うことをきかないのだ。
 生暖かい息が頬を掠めた次の瞬間、右肩に灼熱の痛みが走った。重たい瞼を抉じ開けて見てみれば、マンドリルの黄色い牙が深々と肩に突き刺さっている。睡魔と激痛が交互に襲って来て胃がでんぐり返りそうだ。
「バギ!」
 背中を抉られたマンドリルが大きく仰け反った。その拍子に抜けた牙が血の筋を描くのを眺めながら、アレンは歯を食い縛って体を反転させる。強張る指で腰の短刀を抜くと、体当たりする形でマンドリルの胸を突いた。
 心臓を抉られたマンドリルが急激に弛緩する。ぐらりと傾いだ巨体がアレンの方に倒れ込んできた。
「うわっ」
 マンドリルに押し倒された瞬間、霧がかかったようだった頭の中が急にすっきりした。メドーサボールにかけられたラリホーが解けたらしい。
「実に無様なことになっているが大丈夫か、アレン」
 緊張感のない声と共にコナンが顔を覗き込んで来た。
「これが大丈夫に見えるか! さっさと助けろ!」
「勿論これがレディのピンチとあれば、命を投げ出しても助けるところなんだが……」
 翳したコナンの掌から、白い光がふわふわと雪の如く零れ落ちる。光はアレンの肩を包み込むと、ほんのりとした温もりを帯びながら優しく傷口を塞いだ。
「その魔物は強烈に獣臭く、且つ脂ぎった毛皮が不衛生なので触りたくない。傷は治したから自力で脱出してくれ」
「お前ってホンットに嫌な野郎だなっ」
 肩の痛みはすっかり消えた。アレンはまだ温かいマンドリルの死骸に両掌を押し当て、渾身の力を込めて持ち上げる。肩の傷のお返しとばかり、体中のばねを利用してその巨体を吹き抜けに放り込んでやった。
「何時見てもお見事なバカ力だな」
 アレンはぴょんと跳ね起き、ばふばふと拍手するコナンの頭をどついた。
「何をするんだ失敬な! 君と違って僕はデリケートに出来ているんだから、もっと扱いに気をつけてくれたまえ!」
「お前こそ俺の扱いをどうにかしろよ!」
「ちょっと、喧嘩してる場合じゃないわよ」
 珍しく仲裁役を買って出たナナの声が硬い。アレンとコナンははっと辺りを見回した。
 そちらの柱の影から、向こうの天井の隙間から、下へ通じる階段から、魔物がうじゃうじゃと沸いてきている。この塔に潜んでいる魔物の全てが、人間の血肉を求めて集結しつつあるようだった。
「沢山出てきちゃった……」
「ここは魔物の巣窟というわけか。外観はあのように美しいのに……嘆かわしいことだ」
「こんなの全部相手にしてられるかよ。さっさと上に行くぞ!」
 立ち塞がるマンドリルを一刀両断したアレンが叫ぶ。
 アレンが切り込んで血路を開き、コナンが剣と魔術でそれをフォローし、ナナがバギで背を守る。三人は一塊になって、ひたすら最上階を目指して走り出した。


 外では雨が降り出したようだ。
 ざらついた雨音が耳に障る。降り注ぐ大量の雨粒が塔の外壁を打ち、それが塔の中の空気を揺らしているのだ。
「外は雨のようだ。こんな中海峡を渡ったらずぶ濡れになってしまう」
「んな心配してる場合かっての」
 アレンがげんなりと舌を出すより早く、辺りがかあっと明るく浮かび上がった。少し間を置いて、ごろごろと空が唸るのが聞こえる。
 アレンに触手を伸ばしていたマンイーターが、草の根めいた足を動かして退却を始めた。マンイーターだけではない。空中で鎌を振り回していた死神も、うねうねと蛇を蠢かせていたメドーサボールも、野太い咆哮で威嚇していたマンドリルも、みな蜘蛛の子を散らすように逃げていくのだ。
「……いきなり何だよ?」
 体力も魔力も限界を迎えつつある今、逃げてくれてありがたいというのが本音だが、その原因が分からないのが不気味だ。雲霞の如く押し寄せていた魔物達は潮が引くように一斉に姿を消し……いや、姿を消したわけではない。魔物達は壁のくぼみや柱の陰に身を寄せ、小さく縮まって息を潜めているのだ。
「まるで何かに備えているみたいだ」
「何かって、何?」
 コナンはしっと唇に指を当て、険しい視線を辺りに這わせた。
「……聞こえないか?」
「え?」
 周囲の音に耳を澄ませたナナが、短い沈黙を経てぴくんと眉を動かす。
「ごおおっていうこの音、何かしら。海鳴り?」
「海じゃねぇな、風だ。風が唸ってる」
 ふうっと、潮の香りを乗せた風が足元から吹き上げた。