世界最大の貿易港であるルプガナでは連日、各国の船が絶え間なく出入港を繰り返す。 小山の如き船体、空を貫くマスト、風を孕む純白の帆……大海原を突き進む船は、ここではない場所に憧れた人々の夢の結晶だ。海を征服した船が厳かに行き交う様は圧巻の一言、何時まで眺めていても飽きることがない。 居並ぶ船籍の中、一際巨大で一際目立つ大型船から、百人を超えるだろう船乗り達が忙しく出入りしている。淀みなく働き続ける蟻の如く、せっせと積荷を運び込んでいるのだ。 「……あの巨大な船は捜索船だそうだ」 ぽかんと船を見上げるアレンに一歩置いた位置で、コナンが振り注ぐ日差しに眩しげに目を細めた。 「この町一番の貿易商が、行方不明になった持ち船を捜すために、これまでになく大きく頑丈な船を作ったそうだ。今の造船技術の最先端を行く船らしい」 「何でお前がそんなこと知ってんの?」 「さっきの食堂で給仕のレディから聞いた」 「ふーん」 アレンは小さく鼻を鳴らし、それから首を傾げた。 「んで、これから俺らどーすんの?」 「どうするもこうするも、定期便が止まっていちゃお手上げよ」 積荷に腰掛けたナナが、仏頂面で頬杖をつく。 ここ数年ルプガナとアレフガルド間の海が荒れ、何席もの船が行方不明になっていると聞かされたのは、さきほど昼食を取った食堂でのことだった。 時折立ち込める濃い霧は船乗りを惑わし、何処とも知れぬ世界へ船をいざなう。そのまま行方不明になった船は数知れず、積荷や乗務員の遺体も流れ着かない状況だという。 「この海域ではルビス様の加護が通用しないのかしら?」 「ルビス様ばかりでなく、シドーの加護も。最初に行方不明になったのは、邪教の宣教師を乗せた大型船だったそうだ」 船が立て続けに三隻行方不明になったのをきっかけに、アレフガルドへの定期船が止められた。命の危険を冒してまでアレフガルドに渡る物好きもいないのだろう、その少し前から、定期船はほとんど客のいない状態で海を渡っていたようだ。 定期便が出ないと知った今、三人は早急に自分達の船を用意する必要があった。誰も船を出してくれないのなら自ら行動するしかないではないか。 「お金、どうにかならないかしら」 尤もその発想に財布の中身がまるで伴っていない。ロトの血を引く由緒正しき王族である前に、今の三人はただの貧乏人だった。 「ここら一帯の魔物を全て狩って毛皮や牙を売っても、一番安い船の金額にも届かないだろう」 「一番安い船ってさっき見たアレ? アレフガルドまでもちそうにないわよね」 「ロトの末裔、ボロ船と共に海に沈む。白き波頭に消え行く美しき僕とその他二名。青き海底に眠る僕の横顔は、金と銀との雲に遊ぶ天使のそれにも似て……だめだな、いまいちだ」 詩心を刺激される題材でなかったらしく、コナンは陰鬱な面持ちで首を振る。 「思い切ってアレフガルドまで泳ぐか? ちょっとあるけど、陸も見えるし泳ぎきれねぇ距離じゃ……」 「自称ローレシアの河童さんはお一人でどうぞ」 「だったら他に方法あんのかよ」 アレンがむっと下顎を突き出すのと同時に、コナンが小さく嘆息する。 「アレフガルドを目の前にしながら、貧乏であるが故に渡る術もないなんて美しくない」 「アレフガルドかぁ……。あそこでロトがゾーマと、曽祖父様が竜王と戦ったのよね」 「……」 手庇を翳すナナに並び、アレンは改めてアレフガルドを眺めた。水平線に茫漠と霞むあの大陸で、遠い先祖達が運命の戦いに勝利したのだ。 「始まりの地、とアレフガルドを称した詩人がいる」 やや勿体ぶった風にコナンが囁いた。 「闇が生まれ、光が抗い、二つの力が拮抗することで伝説が始まる地だと」 「ゾーマとロト、竜王と曽お祖父さまのこと?」 「我は何時しか血を礎によみがえらん……ロトに止めを刺された時、ゾーマはそう言って弾け飛んだそうだ。三度闇が世界を覆うなら、それはアレフガルドから始まるのかもしれないな」 淡々と述懐していたコナンが、不意にはっと弾かれたように顔を上げた。 コナンは何時になく鋭い視線で辺りを見回して耳をそばだてている。戦闘中でも見せぬようなコナンの鬼気迫る表情に気付いて、アレンは小さく首を傾げた。 「どうした?」 「……聞こえないか?」 アレンは耳を澄ませたが、波の砕ける音とかもめの声が繰り返し聞こえるだけだ。 「何も聞こえねぇぞ」 「いや。……レディが助けを求めている。行かなくては!」 気合を込めてそう叫ぶと、コナンは鮮やかなオレンジ色のマントを翻して駆け出していく。 「あ。おい、何だってんだよ」 「あたし達も行ってみましょ」 コナンを追いかけるナナに数歩遅れて、アレンも駆け出した。 巨大な港は活気ある商店街に続いている。 十分な幅を取った大路には波模様を刻んだ石畳が敷き詰められ、それを挟む形で沢山の商店が軒を連ねていた。取れたての魚、薫り高い香辛料、不思議な形の果物、見たこともない植物などが、内陸の国と比べると驚く程安価で振舞われ、それを求める人々が賑やかに闊歩する。全ての店を回ろうとすれば三日三晩かかると言われる、世界に名高いルプガナの大商店街だ。 商店街の先には公園があり、そこから更に三つの道が伸びていた。一つは街の出入り口へ、一つは教会へ、一つは開発途中の空き地へと続く道だ。 コナンは迷いなく空き地への道を選んだ。整備のなっていない小道を疾風の如く駆けていく。 「コナンっ! 待てってば!」 振り向きもしないコナンの後ろ姿に向かって、アレンは舌打ちした。 「あいつこんなに足速かったっけ?」 「さあ。良く分かんない人だから」 九十九折の坂道を登りきると、広く開けた空き地へと出た。 草は全て刈り込まれ、石や切り株は取り除かれ、きれいに均した更地になっている。何かの建設予定地なのだろう、広い敷地のあちこちに、真新しい材木や明るい色をしたレンガが山積みになっていた。 「あ、見て!」 ナナの指差した先には、薄紫色をした魔物が二匹飛んでいた。愛嬌ある見てくれとは裏腹に凶暴なグレムリンだ。 魔物達は空き地の隅に一人の少女を追い詰めていた。低く飛んでは肌を裂き、炎を吐いては髪を炙り、散々いたぶったのちに柔らかい肉を食らう算段のようだ。 「女の子に関するコナンの嗅覚ってば犬並みね」 元犬娘が息を整えつつ感嘆する。 「レディのピンチに駆けつけるナイトの鏡と言ってくれたまえ」 「こんな町ん中まで入り込みやがって」 早速飛び出そうとしたアレンの足元に、コナンがすいと右足を出した。アレンはものの見事にそれに蹴躓き、びったぁんと顔面から地面に激突する。 「何しやがる!」 さすがの頑強さでがばりと顔を上げるアレンの鼻先で、コナンの指がちっちっと揺れた。 「レディを助けるのは、生まれながらのナイトたる僕の役目。君達はあの見るに耐えない魔物の始末をよろしく」 そう言って片目を瞑ると、剣をすらりと抜いて駆け出していく。 「普段は俺から切り込ませるくせに……」 「ぶつぶつ言わない! 行くわよ!」 「いて! わざわざ踏んでくな!」 アレンは舌打ちしつつ立ち上がり、仲間達の後を追った。 コナンは少女とグレムリンの合間に割って入り、ギラと剣で魔物達を退けていた。少女を庇いながら戦っている所為で今一歩踏み込めず、決定的なダメージがなかなか与えられないようだ。 突如として現れたコナンへの応戦に夢中で、グレムリン達はアレンとナナの存在に気付いていない。隙だらけの背後を狙って、ナナはこの町で購入したばかりの杖を高々と振り上げた。 「グレムリンちゃん! あんた達の相手はあたしよ!」 魔術師の杖と呼ばれるそれは広く流通している魔術具だ。先端の精霊石に魔力が封じ込められ、それを握りこむような意匠の掌にギラの魔法陣が敷かれている。何度挑戦してもギラの詠唱が組めなかったナナにとって、それは願ってもいない魔術具であった。 魔術師の杖が生み出した火弾はグレムリンの背に当たって爆発した。肉と皮が一瞬にして弾き飛ばされ、グレムリンは軋んだ悲鳴を上げながらどさりと地面に落ちる。土埃を上げてのたうつグレムリンをアレンの剣が貫き、魔物は断末魔を上げることもなく絶命した。 「アレン、上!」 仰ぎ見るより早く炎が閃き、アレンは体を倒しながら咄嗟に右へ跳んだ。地面についた右手を支点にくるりと一回転したところで、焦げた臭いが鼻先を掠める。 火がブーツを掠めたらしく、足元から細い煙が立ち上っていた。アレンは爪先を地面に擦りつけて素早く熱を殺す。幸い炎はブーツを焦がしただけで、体までには至らなかったようだ。 剣では到底届かないような上空を、ひらりひらりとグレムリンが飛び回る。ぼっ、ぼっ、と一定のリズムで放たれる炎が周囲を赤く染めた。 「二人ともさっさと早く魔物に止めを刺してくれ! こちらのレディが怯えているじゃないか」 呆けたような少女の肩を抱き寄せたコナンが激を飛ばしてくる。 「ご安心下さい。すぐに血気盛んな連れがあの魔物を始末しますから」 「お前も何かしろよ!」 剣をぶんぶん振り回すアレンに、コナンはふっと笑って肩を竦めた。 「僕は彼女を守るという重大な役割がある。僕が離れた瞬間に魔物が襲いかかったら困るだろう!」 コナンの言うことにも一理ある。むうと唇を尖らせたアレンの後頭部へ、不意にがつんと重たい衝撃が走った。 「いってーな!」 頭を押さえて振り仰げば、グレムリンが頭上を旋回していた。おどけたように舌を出し、手を顔の横に当ててひらひら振る様は、誰がどうみてもアレンを馬鹿にしているのだ。アレンの顔がかあっと怒りの赤みを帯びていく。 「バ、バカにしやがって……」 「バギ!」 ナナの放った風の刃はきれいにグレムリンの尻尾を切断した。 グレムリンはきいきいと哀れっぽい鳴き声を上げながら遁走を始める。魔物の向かう先は人の行き交う商店街だ。 「あっ、町の方に……!」 「絶っっっ対に逃がさねぇ!」 馬鹿にされた怒りも覚めやらぬまま、アレンは猛然と駆け出した。 だが地べたを走るばかりでは到底獲物に届かない。跳躍して叩き切るにも高さがありすぎる。アレンはイライラと四方の視線を走らせた。 堆く積まれたレンガの山が視界の隅に引っかかった。 アレンはかくんと方向転換してレンガに駆け寄った。レンガは縦横並び交互に積み上げられ、合間にスノコのような板が挟まれている。多少のことでは崩れないようにロープで固定されているが、当然ながら人が登ることは想定されていない。 だが崩れたらどうしようとか、巻き込まれたら怪我をするかもとか、そういう懸念が彼の脳裏を過ぎることはない。崩壊の危険性があるなら、崩壊する前に用事を足せばいいというのがローレシア人の思考法だ。 アレンはレンガとレンガの合間に足を突っ込んで一息に山を登った。ぐらつく足場をものともせずに端まで疾走すると、グレムリンに向かって高々と跳躍する。 人間が空を飛ぶとは思わなかったのだろう、驚愕の表情を浮かべたままのグレムリンが左右真っ二つに切断される。濁った色の体液を振り撒きながら、魔物の遺骸がどさりと地面に落ちて転がった。 「ざまあみろ!」 アレンは得意満面で材木の山に着地する。一瞬後、彼の重みを支えきれなかった足場ががらがらと音を立てて崩れた。 |