そこは全てが始まった国だ。 空から舞い降りた勇者はその地で魔王を倒し、勇者の血を引く若者はその地で竜王を屠った。今日に至るまで連綿と語り継がれる勇者伝説は、全てこのアレフガルドを舞台に繰り広げられた物語なのである。 だからロトの末裔達にとってアレフガルドは特別な国だ。実際に訪れたことがなくとも彼らは風景を思い描き、空気の匂いを感じることが出来る。体に流れる勇者の血が故郷たるアレフガルドを覚えているのかもしれない。 「これがラダトームの城かぁ」 奇妙な懐かしさを覚えつつ、ロトの末裔達は往来のど真ん中に立って、眼前に佇む王城を見上げた。 古色蒼然たる巨大な建造物である。二度に渡る夜と闇の侵食に耐えて聳える城は、勇者達が何時か帰ってくる場所だった。 「すっげぇ地味だなっ」 感慨もへったくれもない感想を述べるアレンに並んで、コナンが小さく肩を竦めた。 「五百年前の城だからね」 ローレシア城は建設から九十年、サマルトリア城に至っては八十年しか経過していない。城としてはまだまだ新しい彼らの住まいに比べて、ラダトーム城の意匠が地味で古風なのは否めなかった。 「ここからロトの勇者とローラ姫が手に手を取り合って旅立ったのね」 一方千年の歴史を持っていたムーンブルクの姫君は、古い城の様相などにはとんと興味がないようだった。赤い瞳をうっとりと潤ませ、両手を胸の前に組んで古の恋人達に想いを馳せている。 「いいなぁ、あたしのところにも頭の切れるマッチョなイケメンな剣士様が来てくれないかなぁ。姫様、お迎えに上がりました。これからは僕があなたをお守りしますとか言ってぇ、あたしのことひょいってお姫様抱っこしてくれるの。いやだもーっ、何言わせるのよ恥ずかしい!」 夢を見るのも妄想をするのもナナの勝手だが、その度にびしばしとどつかれるアレンとコナンは堪ったものではない。 「……そうなるにはまず君が囚われの姫君にならないとね」 「ナナが囚われの姫君ってガラかよ」 腕を擦ったコナンが頷き、鼻に皴を寄せたアレンが毒づく。ナナはむっとしてアレンを睨んだ。 「ふんだ、あんたなんて十歳の時まで許婚の子のローラ姫ごっこに付き合わされてたくせに」 「君が彼女をお姫様抱っこしてあげないから、業を煮やした彼女が君をお姫様抱っこしたとは実に微笑ましいエピソードだ」 決して触れられたくない恥ずかしい過去の一つだ。アレンは一気に体温の上昇した体から、冷汗が吹き出すのを感じた。 「ななな何でお前らがそんなこと知って……」 「今宵の一番星が囁いたのさ」 亜麻色の前髪を指で払い除け、コナンは改めてラダトーム城に向き直った。 「さて、竜王の城に行く前に情報収集に取りかかろう。未知の場所に準備もなく乗り込むのは短絡的で美しくない」 「ラダトーム王にご挨拶に行きましょ。もしかしたら何か便宜を図ってくれるかもしれないし」 「そうだね。せっかく王族に生まれたのだから生得の権利をフル活用させてもらうことにしよう」 あわあわするアレンを残して、コナンとナナはさっさと歩き出した。 三人の肩に輝く王家の紋章は、時に何より確実な身分証明書になる。王族の威光を振り翳したい時の究極の切り札と言えよう。 だが紋章見せるまでもなく、ロトに縁深いラダトーム城の兵士達は末裔達の顔を知っていたようだ。三人が跳ね橋を渡り終えるより早く門兵の表情が緊張し、二人のうちの一人が風のように城内へ駆けていく。然程時置かずして彼らを迎えに出てきたのはこの国の将軍を名乗る男だった。 三人は謁見の間でなく王族のプライベートエリアに通された。柔らかいパステル調に統一された貴賓室に案内され、豪奢な革張りのソファを薦められる。まだ四十に満たないだろう若い将軍は、アイスブルーの瞳に尊敬と憧憬を込めて三人を見つめた。 「ラルス十九世がご病気?」 ハロルドと名乗った将軍の言葉を、ナナが今一度繰り返した。 「……表向きはそう発表されました。しかし実際のところ、陛下は二日前から姿を隠されております」 「は?」 眉を寄せるコナンの脇から、アレンがわくわくと身を乗り出した。 「家出したってことか? だったら俺と一緒だな」 「妙な親近感を持つんじゃないっ」 ムーンブルク壊滅というこの非常時に、一国の主が姿を消すとは穏やかでない。王の失踪は無駄に人民達の不安を煽り立て、不測の事態への火種ともなりかねなかった。 「本当に王自ら失踪されたのだろうか。魔物にかどわかされたという可能性は?」 この古い城には、今は知る者もない通路や隠し部屋が多くあると言われている。そこには貴重な書物や文献、ロトに纏わる品物が今も眠っていると言い伝えられているのだ。 外界に繋がる通路の一つを辿って、魔物が侵入したという可能性はないと言い切れなかった。 「……失踪なさる前日、陛下は私をこの部屋に呼ばれました」 ハロルドの氷色の瞳が俄かに細くなった。肉食獣を思わせる眼光が一人一人を鋭く射竦める。 「夜な夜なハーゴンという邪教の大神官が夢に出てくると……陛下はひどく怯えられた様子でそう仰いました。ハーゴンは夢の中で、一晩中陛下に問いかけてくるそうです」 「問う? 何を?」 思わぬタイミングで聞かされた大神官の名に、三人は思わず視線を交し合った。 「……光の玉は何処にあるのかと」 「光の玉って、ロト伝説に出てくるアレ?」 光の玉は勇者ロトが竜の神から授かったというわれる至宝だ。ロトはそれを用いて、ゾーマを守る闇の衣を剥ぎ取ったと言われている。 ハーゴンが光の玉を求めているという不吉な知らせを、三人は冷たい緊張を覚えつつゆっくりと噛み締めた。その目的は定かでないが、神の力を秘めた秘宝がハーゴンの手に渡れば、再びどのような災厄が起こるか知れない。 「それで現在、光の玉は何処に納められているのか?」 「以前は宝物庫に奉納されていましたが、百年前竜王に奪われる事件があって以来、王しかご存知ない場所に隠されているようです。この城の何処かにあるとは思うのですが、生憎私は何も」 「……」 コナンは腕を組んで、ナナは眉を寄せてじっと考え込む。 アレンは将軍から視線を外し、その背の壁を見上げた。そこには豪奢な額縁に収められた一枚の絵が飾られている。 穏やかな眼差しの少年と輝くばかりの美少女がぎこちなく寄り添う様を描いたそれは、ロトの勇者とローラ姫の肖像画だ。ローレシアにある肖像画よりも随分と若いから、恐らく旅に出る前の姿なのだろう。 一人娘がローレシアの王妃となったため、ラルス十六世は実妹の子を養子にして王位を継がせた。行方不明のラルス十九世と三人は遠い親戚に当たるのだ。 「ラルス十九世は夢に悩まれた挙句失踪なさったってことね」 「何処行ったって夢から逃げるなんて無理じゃねーの?」 「姿を隠された先でも夢に悩まされているとしたらお気の毒だね」 コナンは尖った顎に人差し指と親指を押し当てつつ、ハロルドを真正面から見た。 「王のいらっしゃる場所に心当たりは?」 「……私は何も知らされておりません」 ハロルドは一瞬視線をさまよわせた後首を振った。 「せめて直接お会いできれば、何らかのお力添えを出来ると思うのだが」 そういって何時にも増した大仰にかぶりを振る。芝居がかったコナンの仕草に、アレンは小さく舌を出した。 歓迎の宴を催したいとの申し出を、お忍びという建前で三人は丁重に辞退した。 重鎮達の表情に隠しきれない安堵が滲み出たことから察するに、国王失踪で内情は随分混乱しているようだ。勇者の故郷としての対面を取り繕ろうとはしたものの、実際のところ呑気に酒盃を酌み交わしている余裕などないのだ。 用意された客間に通された後、アレンはぽいぽいとブーツを脱いでソファにどっかと胡坐を掻いた。窓枠に寄りかかったコナンが、眉間の辺りを揉み解しながら気だるい溜息をつく。 「どしたのお前、疲れてんのか?」 「……気候が合わないのか、どうもアレフガルドに来てから体調が優れない。頭痛はするし耳鳴りはするしで、正直早く立ち去りたい心境ではあるが」 コナンが瞬きするたび、頬に落ちた睫の影が生き物の如く伸び縮みした。 「叔父上が光の玉を狙っていると知った以上、おいそれと立ち去るわけにはいかないだろうな」 「それはそうだけど、光の玉の場所が分からなくちゃ守ることも出来ないじゃない」 状況は八方塞というわけだ。三人は冴えない顔を見合わせた。 「にしたってなっさけねぇ話だなぁ、ハーゴンに喧嘩売られて逃げちまうなんてさ」 「毎夜毎夜夢に邪教の大神官が出てくれば嫌気も刺すさ」 コナンの言葉にアレンは一瞬きょとんとし、それから挑発めいた仕草で眉を持ち上げる。 「じゃあさ、お前もハーゴンが夢に出てきたら逃げるのかよ?」 「まさか。レディ達が幻滅するような振る舞いは出来ないからね」 飄々とした口調で答えて、コナンは小さく肩を竦めた。 「僕は逃げようとは思わないが、王は逃げようと思った。それだけのことだ」 「でもラルス十九世は国王なのよ? 民と国を放り出して一人逃げるなんて卑怯だわ」 ナナの声は冷たくて固い。全てを失った彼女にとって、王族の務めを果たさぬラルス十九世の行動は許しがたいものなのだろう。 「王に生まれたことがラルス十九世の不幸の始まりだった。過ぎた立場に生まれた人間ほど哀れな者もいない」 王を庇っているのかと思いきや、コナンの本音は二人よりも遥かに辛辣なものだった。 尤もその言葉はラルス十九世のみに向けられるものではないらしい。続いてコナンの唇が紡いだ言葉に、アレン早速かちんときた。 「僕達はどうだろうね。猛々しき勇者の末裔に値していると思うかい?」 またロトだ。遠くローレシアを離れたにもかかわらず、先祖の名はことある毎に絡みついてくる。 「末裔末裔ってそればっか。俺はなぁ……」 「僕達がロトの末裔であることはどうしようもない事実だよ、アレン。それは生まれた瞬間に刻み込まれた刀傷のようなもので、死ぬまで消えることはないんだ」 コナンの面を、丁寧に彫刻された仮面のように美しく、それでいて体温のない笑みが覆った。 「だからと言ってそれに縛られる必要はないと思うけどね。ロトの血を引いていようがいまいが、君は君。そうだろう?」 「……」 「実際この旅の目的だって個人的感情が多分に含まれているじゃないか。家庭の事情、仇討ち……そして」 そこでコナンがちらりと意味ありげな視線を向けてくる。 「腕試しの何が悪いんだよ!」 「悪くなんかないさ」 アレンが唸ると、コナンは得たりとばかりに微笑んだ。 「ただ勇敢なる末裔としての旅に個人的事情を絡めている以上、僕達に王を貶める資格はないってことだ」 「……」 全ての責任を放り出して飛び出したのはアレンもラルス十九世も変わらないということだ。アレンは憮然と唇を尖らせて黙りこんだ。 |