「……猛き英雄の末裔がラダトームにご帰還なさいました」 押し殺したハロルドの声が床板を這う。狭いが清潔に掃き清められたそこは、ラダトーム城下町の民家であるようだ。 「どうかここからお出ましになりご相談を」 「しかしロトの末裔とやらは、真実頼るに値する存在なのか」 からからに乾いたしわがれ声にはまるで覇気が感じられない。 「聞けばロト三王国の嫡子は今年成人を迎えたばかりだという。そのような幼い勇者にハーゴンを退けることは可能なのか」 「陛下」 ハロルドの口調に抑え切れない怒気が滲んだ。 「恐れながら陛下には民を守る責務がおありです。陛下が王座に戻られることで、不安に戦く民がどれほど慰められることでしょう。そのためにも末なる方々のお力をお借りしようというのです」 「しかし下手に動いてハーゴンを刺激するようなことになっては……」 「あああイライラする!」 コナンとナナが止める暇もあらばこそ、アレンがどかんと扉を蹴り上げた。蝶番が軋んだ悲鳴を上げ、重たい戸板が壁に激突する。 扉の向こうに広がったのは、民家とは思えないほど豪奢で広い部屋だった。 驚いたハロルドが反射的に抜刀しながら振り返る。その大きな背中に守られるようにして、恰幅のいい初老の男が目をまんまるに見開いていた。 紹介されるまでもなく分かる。やたらと血色のいいその男こそが国王ラルス十九世だ。 「さっきから聞いてりゃぐちぐち……」 かっかと息巻くアレンの後頭部を、満身の力を込めてコナンが殴りつける。 「百年ぶりのロトの末裔の帰還だというのに、何と言う美しくない振る舞いをするんだ! 僕が考えていた完璧な演出が全て台無しだ!」 「……完璧な演出ってどんなのだよ」 「三十二パターンほど考えたが、やはり様式美に則った方法がベストだと考えた」 後頭部を擦りながら尋ねるアレンに、コナンは重々しく頷いた。 「話は全て聞かせて頂きましたといいながら静かに扉を開け、救世主に相応しい余裕の微笑みをもって……」 「ラダトーム国王陛下に於かれましてはご機嫌麗しゅう。ご尊顔を拝し賜り、幸甚の極みに存じます」 アレンとコナンを押しのけてナナがずいと歩み出た。ベルラインのローブの裾を摘んで、宮廷風の優雅な一礼を披露する。 怯えきっていた王が、ふと好色そうな表情を浮かべてナナを見た。ローラの面差しをそのまま受け継いだナナは、大人しくしてりゃ文句なしの美少女なのだ。 「ローラ姫……? ああ、いや、ムーンブルクの王女殿下か……」 「ムーンブルクは滅亡致しました。」 ナナは何の感情も込めずに淡々と言った。 「世界中の国がわたくしの国と同じ轍を踏まぬよう、如何なる手段を用いてもハーゴンを食い止めねばなりません。光の玉を彼の者に渡さぬためには陛下のご協力が……」 王ががくがくと首を振った。胡桃のような目を剥き、憎悪にも似た感情に声を震わせる。 「わしには関係ない。わしは違う。わしは勇者の血筋とは無関係だ」 「陛下」 「来るなっ。光の玉など知らぬっ!」 血を吐くような叫びと共に王は立ち上がった。追い詰められた王の双眸には狂人めいた光が宿っていて、その危うさに居合わせた面々ははっと息を飲む。 その一瞬の隙をついて王は窓から飛び出した。ガラスの破片が食い込むのにも気付かぬ素振りで庭に降り立ち、城へ通じる隠し通路を開いて飛び込んでいく。 「あの野郎っ!」 真っ先に飛び出したアレンが庭を走る。王の消えた穴に入ろうとした瞬間、傍らに聳えていた精霊ルビス像がどかんと拳を突き出してきた。 「危険です、アレン様!」 吹っ飛ばされてぴくぴくしているアレンにハロルドが駆け寄ってくる。 「この通路は追撃者を阻むような細工が施されています。一度道を閉じて罠を解除しないと通ることは出来ないのです」 「早く言えー!」 がばりと起き上がったアレンの頑強さにハロルドは感心したように唸った。 ロトの末裔達とハロルドは、王を追ってラダトームの中庭へとやってきた。 王女ローラが慈しんだと言われる薔薇園に巨大な噴水がある。ラダトーム運河から直接水を引き、決して枯れることのないはずのそれは、今水を失って濡れた大理石の底を星空の下に晒していた。 噴水の底には穴が開き、そこから階段が覗いている。王がここを下っていったのはほぼ間違いないだろう。 「まーた潜ったのかよ、モグラみたいな奴だな」 アレンが顔を顰めて穴を覗き込む。その途端、アレンでさえ感じる濃厚な魔力がぶわっと顔面に吹きつけてきた。 「うあっ、何だこりゃ」 「これは凄いな。……今まで感じたことのない種の力だ」 「きっとこれが光の玉の波動なんだわ」 階段を下るアレンにコナンが続き、二人の背をナナが追う。殿を務めようとしたハロルドは、一歩踏み込むことも叶わず見えない壁に阻まれた。 「その昔ロトの勇者が旅立った後、メルキドの魔術師によってある隠し部屋に強力な結果が張られたと聞いたことがあります。……どうやらその部屋は、ラダトーム王家縁の方以外には許されぬ場所のようです」 ハロルドは無念そうに氷色の瞳を伏せた。 「……我が国の王をお助けください」 「陛下は必ず無事にお連れしますよ」 三人は頷き、ラルス十九世を追って階段を下った。狭い通路の先には鉄の扉が聳えていたが、既に開錠され大きく開け放たれている。三人は躊躇いなく扉の向こうに飛び込んだ。 がらんと天井の高い空間は寺院の聖堂を思わせた。冷たい石壁に覆われた部屋の虚空に魔術の玉が浮かび、弱々しく辺りの風景を照らしている。天井と床一面に描かれた巨大な魔方陣からは守護の波動が感じられた。 部屋の中央には円錐形の祭壇があり、燦々と輝く宝珠が安置されている。太陽よりも月よりも眩い光を放つそれこそが、伝説に唄われる光の玉なのだ。 ラルス十九世がそれをむんずと鷲づかみにし、高々と頭上に掲げたところだった。 「こんなものがあるから……!」 血走った目で叫び、ラルス十九世は拳を思い切り振り下ろす。 「アレン!」 「おうっ!」 けしかけられると考えるより先に体が動く。アレンは全速力で駆け出し、間に合わないと踏むや床を蹴って王の足元に滑り込んだ。うつ伏せになったアレンの後頭部に、光の玉ががつんとぶつかり跳ね上がる。 光の玉は緩やかな放物線を描いた後、美しく構えていたコナンの手にしっかと治まった。 「いってぇ〜」 「なかなか美しいスライディングだった」 彼にして最大級の賛辞を贈ると、コナンは呆然と佇むラルス十九世を見た。 「恐れながら的確な処理方法とは申し上げ兼ねます。これは人間の理解が及ばぬ領域の魔術具、下手なことをすればラダトームごと吹き飛びかねません」 「……ではどうすればいいのだ」 王は途方に暮れたように呻いた。アレンを踏み越えて後じさり、やがて行く手を壁に阻まれてずるずると座り込む。 「私は勇者の血を引いていない。魔物を相手にする勇気などない。お前達のように戦えない。一体私はどうすればいいのだ」 「……」 過ぎた立場に生まれた人間の哀れさというものを、アレンはこの時正確に理解したような気がした。 アレンが学者にはなれないように、彼は戦士になれない人間なのだ。生まれ持った気質や肉体能力等々、努力だけではどうにもならないことはいくらでもある。王の子として生まれてくるものが、必ずしも王に値するとは限らない。 ぶるぶる震えるラルス十九世はあまりにも惨めで攻め立てる気にもなれない。アレンは起き上がり、王の眼前にしゃがんだ。 「そんなに怖がらなくても大丈夫だって。俺らが何とかしてやっから」 「お前達がラダトームを救ってくれるというのか。ロトやロトの勇者がそうしたように、お前達が……」 「俺はロトとも曾祖父ちゃんとも違う」 それだけは揺るがない信念を、アレンは己に言い聞かせるかの如く呟いた。 「俺は俺のやり方でハーゴンをぶっ倒してやる」 「ではお前のやり方というものを見せてもらおうか、ローレシアの王子」 そんな声が地下室の空気を震わせるのには、何の予兆も前触れもなかった。 |