光の玉と闇の衣<4>


 大気からゆっくりと男が滲み出てくる。
 痩せてはいるが貧相な印象はなく、向かい合うだけでじわりと汗が滲み出てくるような威圧感に満ちていた。骨張った肢体を包む法衣は踝を覆う程長く、魔力が込められているのだろう不思議な輝きを帯びた糸で、失墜する神の鳥が縫いつけられている。羽を広げたこうもりを思わせる頭巾には鶏卵に似たサファイアが輝き、時折冷たく鋭い光を放っては見る者の網膜を焼いた。
 氷の彫像のような顔の中で、赤い瞳が炯々と光る。男の雰囲気はコナンに似ており、男の目はナナと同じ色をしていた。
「叔父上」
「ハーゴン」
 コナンとナナの唇からほぼ同時に呻き声が零れた。
 ハーゴンは三人から距離を置いた地点に立ち、悠然とロトの末裔達を見回した。蛇のような視線がねっとりと三人の手足に絡みつく。
「久しぶりだなコナン、元気そうで何よりだ。……ますます母親に似てきたようだな」
 コナンは絶句したまま眉一筋動かすことをしなかった。こんなに動揺したコナンを見るのはアレンもナナも初めてだ。
「ムーンブルクの姫君に於かれてはご健勝であられるようで喜ばしい。あの状況下如何なる手段を用いて生き延びられたのか、後々ゆっくりとお聞かせ願いたい」
「ハーゴン……」
 ナナの瞳が憎しみと怒りを帯びて冴え冴えと閃く。その視線が心地良いという風に目を細めて、ハーゴンは最後にアレンへと向き直った。
「ローレシアの王子には初めてお目にかかる」
 その声が耳朶を打つだけで、アレンは背筋に怖気が走るのを感じた。だがそれが恐怖だと素直に認める性分ではないから、より眉を吊り上げて強気にハーゴンを睨みつける。子供じみたアレンの威嚇に、ハーゴンは微かな憐憫を込めて微笑んだ。
「私の名はハーゴン。お前達ルビス教徒の言う邪教の神官であり、破壊神の忠実なる僕。ルビス教徒に迫害され続けた同胞は、我が庇護の下でようやく日の当たる道を歩き始めた。次代ローレシア国王として、王子にも我らが教典をじっくりと学んで頂きたいものだ」
「ふざけんなっ」
 アレンはずんばらりんと背中の剣を抜き放った。良く手に馴染んだそれを両手で構え、剣先を真っ直ぐにハーゴンへ突きつける。
「流石ローレシア王族、血気盛んなことだ」
 ハーゴンは愉快そうに笑うと、突きつけられた剣先などまるで意に介さぬ素振りで、いまだ呆然と立ち尽くすコナンに振り返った。
「ところでコナン、お前の手にしている光の玉は私がずっと探していたものなのだ。渡してもらえないだろうか?」
「ラルス十九世をずっと見張っていたのね」
 ナナが怒りで肩を震わせながら吐き捨てた。
「追い込んで怯えさせて、王がここに来るのを待ってたのね」
「この土地は他神の加護が強く、私の力が思うように振えないのでね。王に止めを刺してくれた姫には感謝せねばならんな」
「……」
 死人の如く青ざめたナナに慇懃に会釈した後、ハーゴンは骨張った掌を光の玉に差し出す。数秒間それをじっと凝視したコナンが、唇を歪めるようにして微笑んだ。
「今度はどんなろくでもないことをお考えなのですか、叔父上」
 コナンは一時の衝撃からようやく立ち直りつつあるようだった。尤もその声は細く顔色も青白いままだから、まだまだ本調子とはいかなさそうだ。
「殺戮を繰り広げ、国を滅ぼし、死の匂いを撒き散らしながらアレフガルドに現れ……今のあなたはまるで大魔王ゾーマのようですよ」
「そうとも」
 ハーゴンは得たりとばかりに頷き、胸に手を押し当てた。
「私は内なるゾーマの声に導かれて破壊神シドーを崇める神官となった。ゾーマは何時でも私に私らしくいられる道を示してくれる」
「内なるゾーマ?」
「我は何時しか血を礎に蘇らん」
 古の不吉な言辞が、緊迫した地下室の空気を震わせる。
「お前達も知っているだろうが、ロトに斃されたゾーマは、そういい残して弾け飛んだそうだ。ゾーマの言う血がロトの血筋を指し示すとしたら、お前達はどうする?」
 コナンが眉を顰め、ナナが唇を引き結んだ。アレンは心持ち剣先を下げてハーゴンを睨みつける。ハーゴンは若い勇者達をぐるりと見回し、喉仏をくつくつと上下させた。
 たっぷり二呼吸の沈黙を置いて、アレンが音高く舌打ちした。
「んなことあるわけねーだろ。何で俺らの血がゾーマと関係あんだよ」
「ゾーマは弾ける寸前、意識の一部をこの世で最も強い男に浴びせた。意識は勇者の肉を通して血に滲み、以来長きに渡って復活の時を待つ。己の意識を宿らせるのに相応しい肉体が現れるのを血の中で待ち続けていたのだ」
 気の遠くなるような時の流れを追うように、ハーゴンの視線が虚空を彷徨う。
「だが相応しい肉体はなかなか現れなかった。如何な大魔王と雖も一つの命、決して不滅ではない。次第に存在が薄らぎ、消滅の危機を覚えるようになったある日、遂にゾーマは器を見つけた……私のことだ。私はこの始まりの地で、大魔王ゾーマの声を聞いた」
 ハーゴンはうっとりと目を閉じた。選ばれし者の至福の微笑が、落ち窪んだ頬の辺りを覆う。
「ゾーマも破壊神を崇めていた神官だったのだよ。そう、ちょうど今の私のように」
 第二のゾーマになろうと目論む男は、そこで甘い誘惑を込めて、まだ年若いロトの末裔達に囁いた。
「お前達も内なるゾーマの声に耳を傾けてはどうだ? この世界を違った角度から眺めてはみないか?」
「馬鹿言わないで!」
 ナナが怒号した。行き場のない怒りが爆発して彼女の頬を朱に染める。
「あたしたちの中のゾーマ? そんなものいるわけないわ! あんたは頭がおかしいだけよ、この殺戮魔!」
 ハーゴンは肩を揺らして笑った。信じるも信じないも勝手という余裕の佇まいを眺めながら、アレンはぐっと顎を引く。この男の言っていることは事実だと、胸の内に囁く声がした。


「……仮にどのような声が聞こえたところで、叔父上へのご協力は致しかねます。僕の理想と叔父上の目指されるところは、趣を異にするようですので」
「それは残念だ」
 さして落胆した素振りもなく、ハーゴンは肩を竦めた。
「それではその光の玉を渡してはもらえないのかな?」
「お断りします」
「困ったものだ、それがなくては私の計画が頓挫する」
 ハーゴンは酷く芝居めいた風に首を捻った。緊張で汗塗れの末裔達とは裏腹に、彼はこの状況を楽しんでいるようだ。
「それに封じ込められた闇の衣を礎に、破壊神シドーの三柱神を呼ぶのだよ」
「何ですって?」
「その後破壊神シドーを降臨させ、この世界の守護神とする。我が内なるゾーマは破壊神の加護を受け永遠を得るのだ」
「馬鹿なことを……叔父上っ」
 コナンが叫ぶと同時に、アレンがハーゴンの背に切りかかった。
 斜めに振り下ろした刃は、虚しく空を薙いで石の床に食い込んだ。舌打ちするアレンの視界の隅で、ひらりと法衣の裳裾が泳ぐ。力任せに引き抜いた剣で獲物を叩き落とそうとするより早く、頬に錫杖の一撃を食らった。
 じわりと口内に血が溢れたところで額にもう一打。ぐらぐらと視界が歪み、アレンはその場に尻餅をついた。
「どうした、剣術の国の王子がその様か」
「……うるせぇ!」
 隙を突いたはずの足払いもあっさりとかわされる。ハーゴンとの距離が開いたその合間に、アレンは立ち上がって体勢を整えた。
「空振ってばかりだが調子が悪いのか?」
 光の玉をナナに託したコナンが横に並んだ。軽口めいた口調とは裏腹にその横顔には余裕がない。
「あいつ、強ぇな」
「叔父上はサマルトリアのジュースティングで負け知らずだった」
「そんじゃ俺と一緒じゃん」
 にやりと笑って、アレンは再び猛然とハーゴンに突進した。
 アレンの稲妻のような剣戟を、ハーゴンは右へ左へとかわしていく。最も無駄のない紙一重の回避で、ハーゴンは二人の実力の差をこれ以上ない形で示したことになる。邪教の大神官はにたりと微笑んだ。
 かっと頭に血が上り、どっと冷たい汗が滲む。十六年の人生で初めて、敗北の予感が戦慄の如くアレンの内を巡った。
「くそっ」
 焦燥に駆られるまま振り下ろした剣が、途中でぴたりと止められた。
「!」
 アレンは信じられぬ思いで、目の前に広がる光景を凝視した。岩をも粉砕するアレンの一撃を、目の前の男はたった二本の指で食い止めたのだ。形の良い人差し指と中指の合間で、白金の刃がぎしりと嫌な音を立てる。
「なかなかいい筋をしている」
 ガラスが割れるような甲高い音がして、ローレシア王子の証が粉々に砕かれた。
「だがいかんせん、まだ若いな」
 ハーゴンが手に残った欠片を閃かせた一瞬後、アレンの右腕がごろんと床に転がった。