勇者の血と三つの王国<3>


 父王からの呼び出しを食らったのは、今日が昨日に移り変わろうという頃だ。アレンは疲労困憊の様相で、一人ローレシア城の長い廊下を歩いていく。
 ガラス張りの回廊からは空がよく見渡せる。曇り一点ない白大理石の床が、闇を滲ませて幻想的に青い。
「……随分暗いな」
 周囲に蟠る闇の濃さに、アレンはふと眉を潜めた。金剛石を撒き散らしたような夜空をしばらく見上げ、ようやくその原因に気がつく。
 空には、月がなかった。
「今日って新月だったっけ……?」
 独り言ちただけで、アレンはそれ以上頓着することなく再び歩き出した。角度や周期で見えない夜もあるから、月の不在などさして気にならない。大体これから父の説教が待ち受けているというのに、悠長に空を眺めている気にはなれなかった。
 あれから一時間ほどもがき続けた結果は悲惨だった。城壁に蠢く怪しい影を魔物と勘違いした兵士が警鐘を打ち鳴らし、城中が大混乱に陥ったのだ。
 ムーンブルク壊滅の緊張下にアレンが起こした騒動は重鎮達の逆鱗に触れた。アレンは近衛兵隊長に怒られ、将軍に怒られ、大臣に怒られた。最後の一滴まで油を搾り取られてへろへろになったところへ、止めとばかりに父からの呼び出しである。向かう足取りが鉛のように重いのも無理はない。
 不寝番の兵士が最敬礼するのに頷いて、アレンは王の間の扉に手をかけた。双頭竜の彫刻が施された観音開きの扉が、滑るように左右に開いていく。
 父は安楽椅子に腰かけてアレンの到着を待っていた。拳でこめかみの辺りを支えながら、じろじろと半眼でアレンを見やる。
 背後で扉が閉まるより早く、アレンは胃の中まで覗けそうな欠伸を遠慮なく放った。
「説教だったら明日にしてくんねぇかな。俺、今日はもうくったくたなんだけど」
「天窓を割ったり城壁でもがいたり、今日は大変な一日だったろう。だが大切な話があるのだ、少しばかり父に付き合ってくれまいか」
 王は皮肉たっぷりに微笑んだ。
「それに今夜という機会を逃すわけにはいくまい。お前は今日明日にも城を抜け出そうと目論んでいるのだから」
 思いもよらぬ言葉に、アレンはあんぐりと口を開けたまま硬直した。王はそんな息子に向かって得意気に鼻を鳴らす。
「お前の考えていることなど私にはお見通しだ。お前の半分は私から出来ていることを忘れるな」
「嫌な言い方すんなよなぁ……」
 げっそりと唸ったものの、そこまで見抜かれているなら話は早い。腹の探り合いなんて面倒なことをするくらいなら、取っ組み合いの喧嘩になる方が性に合っている。アレンは腕を組むと、意味もなく偉そうに胸を張った。
「俺、明日からちょっと出かけるからな」
 近所の温泉にでも行くような口調である。ローレシア王はあからさまに顔を顰めた。
「城を出て何処へ行く気だ」
「ムーンブルクに行くに決まってんだろ」
「ムーンブルクへ行って何をする気だ」
「魔物の親玉の手がかりを探すに決まってんだろ」
「手がかりを探してどうする気だ」
「そいつんところに行ってぶっ倒すに決まってんだろ」
「手がかりが見つからなかったらどうする気だ」
「そん時になって考えるに決まってんだろ」
 いけしゃあしゃあと言い切った後、アレンはにっと歯を見せて笑う。
「見てな親父。俺がロトなんかよりもかっこいい伝説を作ってやるから」
 王は聞こえよがしの溜息をつき、額に手を当ててぐったりと椅子に沈み込んだ。
「全くお前はバカというか能天気というかおめでたいというか処置なしというか……」
「何だよ、何時もロトロトロトロトうるせぇくせに。俺にはロトの血が流れてるんだから、それらしくしろって説教するのは親父だろ。そのロトよりすげぇ奴になってやるって言ってんのに、何でそんな顔すんだよ」
 勇者ロトは、この世で知らぬ者はいないだろう伝説の人物だ。
 五百年ほど昔、世界はいずこからか現れた大魔王ゾーマによって闇に覆われていた。終わりのない夜に人々が苦しむ中、一筋の光明の如く空から舞い降りたのが勇者ロトである。ロトは激闘の末闇を討ち、不死鳥と竜の加護の下、ゾーマが穿った異世界への通路を封印したと言われている。
 そのロトの血を引く若者が現れ、人々を脅かしていた竜王を退治したのは今から百年前のことだ。若者はラダトームの王女ローラを伴って旅をし、北の大地に二つの王国を作った。
 ロトの勇者はローラとの間に三人の子を儲け、長男にローレシアを、次男にサマルトリアを継がせ、長女をムーンブルクに嫁がせた。以来三つの王国は、勇者の血族として同盟を結ぶに至ったのである。
「私にもお前にもロトの血が流れている。それは過去二度に渡って闇を払い、光を取り戻した勇者の血だ。しかし先祖がそのような偉業を成し遂げたからと言って、我々が同じことを出来るとは限らん」
「何怖気づいてんだよ?」
「怖気づいているのではない、現実を見ているのだ」
 王は唇を引き結び、表情を改めた。
「ローレシアはロトの勇者から剣の技を受け継いだ。勇者の技を会得し更に発展させるべく、日々鍛錬を怠らない。多くの国民が剣術だけでなく、槍、弓、棒……様々な戦術を身に付けている。我が国の兵士団は接近戦において地上最強と謳われる」
「……」
「国の頂点に立つ王族には更なる強さが求められる。お前も王子として修行を積み重ね、今や一流の剣士となった。それは認めよう」
「親父が俺を褒めるなんてめっずらしいなー」
 槍でも降るのかなと、アレンは窓の外を見る。
「けどそんだけ認めてくれてんなら、俺の旅に反対する理由なんてねぇだろ」
「理由? 掃いて捨てる程ある」
 ぶんむくれるアレンの鼻先に、ローレシア王はびしりと指を突きつけた。
「怖いものなど何一つないような顔をしているが、お前は所詮ただの世間知らず、甘やかされて育った温室のサルに過ぎん。お前は世界の何を知っている? 旅の何を知っている? その頭に、必要な知識がどれほど入っているというのだ」
 アレンは口を開きかけ、閉じた。生まれて落ちて十六年、城下町の外に出たことはほとんどない。彼が勝手気ままに過ごしてきたのは安全な国内であり、命にかかわるような危険に晒されたことなどただの一度もないのだ。
「旅してる間にどうにかなるって」
「どうにかなる前に魔物の餌だ」
 父はにべもなく首を振った。
「それにお前はこの国でたった一人の王位継承者。あと二年すれば私の跡を継いで王になるのだ。自分の立場というものをよく考えろ」
 アレンはむっと下唇を突き出した。
「王位継承なんて親父らが勝手に決めただけだろ。俺には関係ねぇ」
「関係ないとは何事だ。王族として生まれた以上、お前には民と国に果たすべき義務がある。このローレシアを何と心得ているのだ」
「うるせぇなっ」
 アレンはいよいよ眉間の皺を深くした。苛立ちも顕に眦を吊り上げて父に噛みつく。
「俺は好きでロトの子孫や王子に生まれてきたわけじゃねぇもん。そんなに義務義務言うなら親父が一人で果たしてりゃいいだろ、俺にまで押しつけんな」
 甘ったれのぼんぼんに相応しい甘ったれた発言である。自分の立場に対して責任もない、自覚もない、覚悟もない。ないない尽くしのバカ王子だ。
「お前という奴は……」
 王は情けないとも嘆かわしいともつかぬ溜息をついた。ぷんとむくれたままの息子をしばし見つめた後、犬でも追い払うようにひらひらと手を振る。
「とにかく、私はお前の旅を認める気などない。分かったら部屋に戻って、亡き母に祈りを捧げてさっさと休め」


 さて、父に叱責されたからと言って、しょんぼりと旅立ちを諦めるようなアレンではない。
 押さえつけられれば押さえつけられるほど、その反抗心は熱く激しく燃え上がる。アレンはやり場のない苛立ちを抱えて自室に戻り、どすんとベッドに腰を降ろした。
 壁の鏡が忠実に膨れっ面を映し出す。アレンの青い瞳は暗がりでも神秘的な光を帯びて鮮やかに明るい。猫の如く閃く瞳の色に、アレンは忌々しい思いで顔を顰めた。
「何でもかんでも勝手に決めやがって」
 自由になりたい。遠くへ行きたい。全てのしがらみから解放されて、見果てぬ世界を旅してみたい。ロトの末裔だのローレシアの正統王位継承者だの、仰々しいだけで面白味のない立場はもうたくさんだ。
「許してくんないなら家出してやる」
 血気盛んな反抗期の少年は、最終的にありがちな結論に達した。
「けど当たり前の方法じゃ出られねぇしなぁ。だとすると……」
 再び立ち上がって歩き出す。檻の中の熊のようにうろうろすることしばし、ふと一つの案が浮かんだ。
「……地下の水路」
 ローレシアには、水道を整えるために作られた巨大な地下設備が存在する。アルマディス山脈から流れ出る川を一旦引き込み、魔術で清めた後、水路を通じて国の隅々にまで不足なく水を廻らせるシステムだ。今も上下水道として利用されているものもあれば、記録から消えて久しいものもあるため、どれほどの数の水路がどのように入り組んでいるのか、完全に把握しきれていないのが現状だった。
 水路には外部に通じるものも幾つか存在している。それを辿れば城から出られるかもしれない。
 脱出方法は決まった。そうとなれば善は急げだ。アレンは身の回りのものを袋に詰めると、旅装束を纏って灯心草が燃え尽きるのを待つ。
 やがてランプの灯りが落ち、周囲が闇に包まれたのを合図として、アレンは行動を開始した。
 音を立てぬように扉を開け、首を突き出して辺りの様子を伺う。薄暗い回廊に人影はなく、気配もしない。あと半刻もすれば不寝番の兵士が見回りを始めるから、今こそ絶好の機会である。
 アレンは時折柱の影に身を潜めながら、長い廊下を渡った。
 ものは試しと正門の様子も伺ってみたが、やはりそこにはしっかりと見張りがついていた。何時もより多くの兵士が任務に就いているのは、ムーンブルク壊滅による緊急事態というだけではないだろう。彼らは城を守ると同時に王子の脱出を防いでいるのだ。
(親父の奴)
 アレンは舌打ちし、忍び足でその場を離れる。
 次にアレンが目指したのは、城の一角に位置する台所だ。身分の低い者達が働くその場所は、本来ならばアレンのような王族が近寄る場所ではない。
 だがアレンにとって、台所を中心とした一帯は思い出深い遊び場だ。
 使用人や兵士の子供達は元気で奔放で、大人しい貴族の子息達よりよっぽど気の合う遊び相手だった。アレンはエドマンドの目を盗んでは台所に出かけ、駆けっこ、鬼ごっこ、かくれんぼと、毎日日が沈むまで遊び回ったものである。あまりに違和感なく周囲に溶け込んでいたため、アレンが王子であることに大人達が気付いて卒倒したのは随分後になってからのことだった。
「ここらに来んのも久しぶりだな」
 台所を横切って庭に出ると、緊急用の貯水池に出る。池といっても汚染を防ぐため地中深くまで掘り下げ、周囲を石で固めた手の込んだ代物で、形状としては井戸に近い。底から伸びた横穴は、水路を通じて地下設備へと続いているはずだった。
 アレンは池の縁に立ち、水面を見下ろし、そして城を振り返ってにやりと笑った。
「んじゃ行ってきます、と」
 ひょいと飛び降りた一瞬後、靴裏が星影を映した水面を割った。