大灯台と星の瞬き<2>


 突き出された穂先をかわした後、アレンは水平に伸びた槍を勢いよく弾いた。甲高い音と共に穂先が真上に跳ね上がり、柄を離すまいとしたゴールドオークの両腕までもが持ち上がる。無防備になった魔物の左腕に刃を突き立てると、アレンは力任せに右脇腹まで抉った。
 臓物をぶちまけつつ魔物が倒れるのを眺めながら、アレンはやるせない思いに唇を噛んだ。
 まだまだだ。もっと強くならなければだめだ。こんな雑魚に時間を取られるようでは、到底ハーゴンにはかなわない。大神官の勝ち誇った微笑みを思い浮かべる度、焦燥がじりじりと神経を焼く。
「アレン!」
 ナナの声にはっと我に返る。現実に引き戻された途端凄まじい羽音が耳朶を打ち、アレンは反射的に音の方向を振り仰いだ。風を切って突っ込んでくるドラゴンフライとの間合いは、既に回避不可能な距離に縮められていた。
 ひらりと鮮やかな色のマントが翻り、迸った銀光がドラゴンフライの翅を落とした。片翅を失った魔物がぶぶぶと音を立ててのたうつところへ、強烈な風の刃が吹きつける。ドラゴンフライは瞬く間に砕かれて床一面に散った。
「ローレシアの剣士とあろうものが戦闘中に考えごととは美しくないな」
「あ……ごめん」
 アレンはドラゴンフライの遺骸にのろのろと視線を落とした。戦闘中に集中を欠くなんて、ローレシアでは十の子供でもやらない失態だ。落ち込むのを通り越して泣きたくなってきた。
「酷く焦っているようだが、自分を見失うと碌なことにならないと忠告しておく」
「……別に焦ってなんか」
「そうか。それならいい」
 それ以上追求することなく、コナンは剣を収めるとすたすたと歩き出した。コナンに続こうとしたナナが、佇んだままのアレンを振り返る。
「アレン、行こう」
 アレンは無言で頷き、ロトの剣を鞘に収めて歩き出す。
 巨大な外観から推測出来た通り、塔の内部は広く、その通路は複雑だ。意地悪く聳える壁が複雑な迷路を形勢し、幾つにも分かれた通路の先に幾つもの階段が出現する。上っては下り、下りては上りを繰り返しながら、三人は紋章を求めてひたすら彷徨い続けた。
「ドラゴンの塔ん時も思ったけどさ」
 アレンの数少ない長所の一つが切り替えの早さだ。へこんだ気持ちは一旦胸の奥に沈め、古の建造物に対して感想を述べる。
「昔の人間が建てたもんって凄ぇよな。こんなでっかい建物、ローレシアじゃ見られねぇよ」
「昔の方が優れてるってことはたくさんあるわよね。戦いの多かった時代は魔法の研究も盛んだったから、ロトの時代に流布していた魔法は種類も威力も今と比べものにならないんですって」
 汗を拭き吹き応じるナナにアレンが尋ねる。
「何でなくなっちまったんだ?」
「需用がなかったんでしょ。魔物を吹っ飛ばしたり他人に化けたりする術なんて平和な時代に必要ないもん」
「ふーん」
 先頭を歩いていたアレンは、ふと前方に人影を認めて足を止めた。


 身を隠すものもないような広い通路のど真ん中に一人の老人が立っていた。青灰色のローブを纏い、床に届く顎鬚を蓄え、生きてきた歳月を皴として顔に刻んでいる。老人は三人に気付くと、袖口から枯れ枝のような手を覗かせて手招きした。
 さりげなく杖を構えたナナが、押し殺した声で鋭く囁く。
「あの人が紋章の守護者かしら?」
「この状況からして、ただのご老人とは思えないね」
 コナンもまた油断なく腰の剣に手をかける。
「今の時点では敵とも味方とも判別出来ない。こちらの情報を晒して後々不利になるのも面白くないし、ここは慎重に相手の出方を見よう」
「そうね、星の紋章のことは内緒で……」
「なあなあ、爺さん!」
 二人の話なんか聞いちゃいないアレンが、手をぶんぶん振りながら老人に駆け寄った。
「俺ら、ルビス様に会いたくて星の紋章を探してるんだ。爺さんが紋章の守護者か? だったら俺らに紋章くれねぇかな?」
 内情の全てをぶちまけて老人に尋ねる。コナンとナナが腰から砕けて座り込むのにも気付かない。
「ほう、星の紋章をお探しか」
 老人はしわがれた声で呟いて、真っ白い髭を撫で擦った。
 コナンは素早く立ち直り、アレンをぐいと押しのけて老人と向かい合った。良く言えば裏表のない、悪く言えば馬鹿で単純でサルなアレンに重要な交渉を任せるわけにはいかない。
「……ここに星の紋章があると聞き、尋ねて参りました。紋章とその守護者を求めて、もう随分と長い時間この塔をさまよい歩いております。ご存知のことがあればお聞かせ願えないでしょうか」
 穏やかな口調で尋ねる間にも、コナンの脳は計算高く働いている。鋭い瞳の光を柔和な微笑みで覆い隠し、誠実そのものの澄まし顔を作るのは彼の得意とするところだ。
 老人は品定めするようにアレン、コナン、そして歩み寄ってきたナナを眺めた。
「紋章は守護者の元でルビス復活の夢を見る。守護者は紋章を力ある者に託す。それは知っておるな?」
「ええ、そう聞いています。お爺さんが星の紋章の守護者ですか?」
 ナナの問いに老人はあいまいに微笑んだだけだ。
「よかろう。それならばわしについてくるがよい!」
 言うなり老人は床を蹴った。ローブの裾を彗星の尾のように靡かせながら、骨と皮と筋しかない両足をしゃかしゃかと動かす。その小さな体は滑るように床の上を移動し、あっと言う間に末裔達から遠ざかっていった。
 あまりに唐突な展開に、三人は一瞬ハニワ顔になってその場に佇んだ。
「爺さん足早っ!」
「な、何ということだ……。肉体の限界に挑戦する姿がこんなにも感動的だなんて……。おお、遠く異国の地で老人と見えん。老いてなおしゃかりきに動くその体から、残り少ない命の光がきらきら迸り……」
「記念ポエムは後にして! 早くお爺さんを追いかけなくちゃ!」
 三人は老人を追って駆け出した。
 老人の動きは風のように滑らかで水のように淀みなく、急な曲がり角だろうが階段だろうが速度が落ちることはない。十六歳の少年少女が懸命に追いかけても、一向にその距離が縮まらないのである。
「凄ぇ爺さんだなぁ、かっこいいなぁ。ローレシアのメタルスライムと呼ばれたこの俺が追いつけないなんて信じらんねぇよ」
「君の許婚はローレシアのはぐれメタルと呼ばれているらしいね」
「毎日毎日まーいにち追い駆けられてるうちにあんたの足腰も鍛えられたんですってね」
「だから何でお前らがそんなこと知ってんだよっ」
 動揺するアレンの頭上でばさばさと耳障りな音が響く。抜け落ちた天井の隙間から数匹のグレムリンが急降下してきた。


「二十七匹目ぇ!」
 ぼとぼと床に落ちるグレムリンをベギラマの炎が一掃する。十を超えるグレムリンは断末魔を上げる間もなく絶命し、一塊の炭になって煙を立ち上らせた。
「さっきからやったらグレムリンが出てくんな」
 消し炭を遠くに蹴り飛ばしながらアレンが口を尖らせる。
 階段を下る度、角を曲がる度、恰も三人がやってくることを知っていたかのように、グレムリンが群れを成して襲いかかってくるのだ。
「こっちじゃこっちじゃ」
「あ。待てよ!」
 そして戦闘が終わるや否や、老人の姿が一定の距離を置いて現れる。再び遠ざかっていく老人を追い駆けながら、ナナはコナンに囁いた。
「ねぇ……あたし達、騙されてると思わない?」
 グレムリンに奇襲されるようになったのは、老人との追い駆けっこが始まってからのことだ。連携の取れたグレムリンの行動は、それまででたらめに襲ってきた魔物達とは何かが違った。
「違う。騙されているのはアレンだけだ。僕と君は敢えてあの老人に釣られているというべきだ」
「罠かしら?」
「多分ね。……とにかく油断は禁物だ」
 二人に先立って老人を追っていたアレンが階段を見つけて駆け上がる。その先はやや急な上り坂になっており、そこを上るとだだっ広い部屋へと到着した。
 恐らく工夫達の聖堂だったのだろう。扉に向かいあう位置に古びた祭壇があり、鈍い銀光を放つ十字印が刻まれている。遥か頭上の天井からは斜めに傾いだ巨大な燭台がぶら下がり、一本の太い鎖を命綱にきいきいと揺れていた。
 がらんと広い部屋の中、老人がにこにこと微笑みながら手招きをしている。あれ程の距離を走破したにも関らず、息一つ乱していないようだ。
「ここが長距離走のゴールか」
 コナンは青い瞳を眇めて周囲を窺い、軽く肩を竦めた。これといって怪しいものはないが、日に透ける老人の柔和な微笑みがそこはかとなく不気味だ。
「胡散臭いな」
「でもここで立っていてもどうしようもないわよ」
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。行くぞ」
 アレンがずかずかと入り込むのに、ふうと溜息をついてコナンとナナが続く。
「爺さん、追いついたぞ。これで俺らに紋章をくれんのか?」
 不意に老人の瞳が銀色に輝いた。その瞬間辺りの気温がすっと下がり、窓から差し込んでいた日の光が濁る。開け放したままだった扉が独りでにばたんと閉じたのを知って、三人は反射的に各々の得物に手をかけた。
 にやにや笑う老人が、三人の目の前でふわりと空中に浮かぶ。
「すげぇ〜、あの爺さん足速いだけでなく空も飛べんだ」
 感嘆の声を上げるアレンの傍らで、コナンが小さく舌打ちをする。
「あれは人間じゃない、魔族だ」
「……魔族? なーんだ、ただの凄ぇ爺さんじゃないのかよ」
 アレンはやや気落ちして老人を眺めた。将来的にはあのような元気な老人になりたいと思っただけに、老後の夢を崩されて落胆もひとしおである。
「けどホントにいるんだなぁ、魔族って」
「魔族が取りついているってことは、あのお爺さんは……」
「もう死んでいるということだ。だがそれならば遠慮はいらない」
 コナンがすらりと腰の剣を抜いた。
「死者に取りつき肉体を辱めるとは実に卑しく、実に醜く、実に不遜な行為だ。この僕の美しき炎と輝ける白刃で、今こそお前に運命の鉄槌を下そう。今日という日、今という瞬間、雲間から差し込む光の如き僕に出会ったことで、お前の命運は尽きたのだと思うがいい!」
 長ったらしい口上を述べてコナンが先陣を切った。アレンの力強い突進とは違い、コナンのそれは風のように重さを感じさせない。虚空の魔族を討ち果たす為、コナンが大きく美しく跳躍せんとした時である。
 老人の唇が、音にならない声で詠唱を紡いだ。