「ラリホー」 コナンがぺたんとうつ伏せに倒れた。一瞬の沈黙を置いて、すうすうと健やかな寝息が生じる。 「か、かっこ悪ぃ〜」 「コナン!」 ナナが悲痛な叫び声を上げてコナンに駆け寄った。倒れ伏したコナンの傍らにがくんと膝をつき、その背中に縋る。 「こんな時に寝るなんてやる気なさすぎよ! この状況でアレンと二人なんて不安じゃないの! 起きて起きて起きて起きて起きて!」 ぽかぽか力の限り叩いてもコナンは一向に目を覚まさなかった。コナンは日頃からいぎたなく、朝起こすのも一苦労なのだ。魔術によって眠りの核まで落ちた彼を覚醒させるのは至難の業と言えよう。 「俺とじゃ不安ってどーいう意味だよっ」 「だって魔族なんてどうやって倒していいのか分かんないじゃない! アレンだって知らないでしょ?」 「まぁな!」 「何威張ってんのよ!」 二人のやり取りを眺めていた老人が、ぬたりと粘ついた微笑みを浮かべて杖を振り翳した。 老人の杖が唸ると同時に床石から金色の光が滲んだ。光は瞬く間にその強さを増し、部屋の隅々にまで伝播していく。存在するもの全てを己が色に染め変える、暴力的なまでに鮮烈な輝きだ。 やがて光に押し上げられるように床石が歪み、乾いた音を立ててぱきぱきと割れ始めた。破片と化した石片が光に吹き上げられ、末裔達の肌や髪に容赦なく叩きつける。 「う、うわあああ!」 悲痛な絶叫と共に何の前触れもなくコナンが跳ね起きた。何事かといぶかしむアレンとナナには目もくれず、コナンはあたふたと懐を探って愛用の手鏡を取り出す。じっと鏡を覗き込むこと数秒、その頬がさあっと死人のように青褪めた。 「か、顔に傷が……」 「傷?」 なるほどよくよく目を凝らせば、頬骨の辺りにほんのちょっぴり血が滲んでいた。飛来した石片による擦傷だろう。 「んなもん唾でもつけときゃ治るって」 「治ればいいというものではない!」 さっさとホイミで傷を治すと、殺気を太陽のコロナの如く放出させつつコナンはゆらりと立ち上がった。 「顔に傷をつけられたという耐え難い屈辱! あってはならない現実! これは僕だけでなく、僕を慕う全世界のレディに対する挑戦でもある!」 「まあそれはともかくコナンが起きてくれて良かったぁ。ねねね、魔族ってどうやって倒せばいいの?」 「……まず、外殻である肉体を破壊して魔族本体を引き摺り出す」 憤激するあまり、平生よりも数段低くなった声でコナンが囁いた。 「ロトの時代に存在した上級魔族ならともかく、こんな塔に引きこもっている下級魔族など、器から追い出してしまえば倒すのはそう難しくないはずだ」 そうこうしている間に床石は砂のように細かく粉砕され、その下から光を帯びた文字や図形が現れた。狭い部屋の床一面に、魔力を帯びた塗料で複雑な図形が描かれていたのだ。 「魔法陣……」 老人が指を翳すと魔方陣が低い唸りを上げた。黒味を帯びた紫の光がぽこぽこと生じ、次々と浮かび上がって天井に張りつく。そうしてから目に見えない手に捏ねられるかのように、様々に形を変え始めた。 ややあってそれらは、見覚えのある魔物に変貌を遂げた。 「うげっ」 「何と言う醜い光景だ……構図、色合い、全てが最悪で頭痛がする」 「いやーん、グレムリンが天井にみっちり!」 ふらりふらりと天井を離れたグレムリンが静かに三人を取り囲んだ。生まれたばかりの魔物達は、口から火花を散らしながら獲物の品定めを始めたようだ。一瞬でも隙を見せれば忽ち喰らいついてくるだろう。 三人は背中合わせになってそれぞれの武器を構える。老人とグレムリンに忙しく気配を巡らせつつ、アレンは音高く舌打ちした。 「ひょっとして、こいつらをやっつけてもまた新しいのが出てくるのか?」 ここに来るまでの道程で三人は随分と体力を消耗している。現存の魔物に勝利することすら危ういのに、敵が増殖するとなれば戦況は絶望的だ。よしんば逃走を選択したとしても、追撃してくるだろう魔物を振り切れる自信はなかった。 「恐らく。魔法陣を止めるか魔族を倒すかしない限り、グレムリンは増殖し続けるだろうね」 コナンはグレムリンの合間に見え隠れする老人を睨みつけ、軽く舌打ちした。 「このグレムリンは彼の盾代わりも務めていると見える」 コナンの説明にあったように、魔族を倒すにはまず宿り場となっている肉体を徹底的に破壊し、本体を引き摺り出さねばならない。本来魔族は人間の魂が剥き出しになった状態に近く、直接攻撃を加えれば案外脆い。だからこそ魔族は鎧を纏う意味も込めて、人間の肉体に取りつくのだ。 「じゃあ先に魔法陣を止めんのか?」 「この状況で付加魔法陣を張るなんて無理よ」 「だったらどうすんだよっ」 アレンがいらいらと吐き捨てた。静かに間合いを狭めるグレムリンの牙は、手を伸ばせば触れることの出来る距離にある。 アレンは打開策を求めて四方を見渡した。がっしりと分厚い部屋の壁、精霊ルビスの聖印、傾いた燭台、古びた祭壇、足元に輝く魔法陣。 「……なあ、前に邪教徒の船で魔法陣見っけた時、俺が叩き壊そうとしたらお前ら止めたよな」 「図式が崩れると、封じられた魔力のバランスが乱れて暴発する。あの船で魔法陣が爆発したら僕達まで海の底へ沈んでしまっていた」 「だったらこの魔法陣も爆発するんだよな?」 「……」 アレンの腹を読み取ったらしく、コナンが驚きとも呆れともつかぬ声を上げた。 「そういう魔法陣の使用法は、僕達魔術師ではなかなか思いつかないな」 「でもどんな元素がどんな勢いで弾けるか分からないわ。もしかしたら塔ごと崩壊しちゃうかも」 「このままグレムリンの餌になるよりいいじゃん」 アレンが振り返ってにやりと笑うと、ナナは大仰に眉を持ち上げた。短い沈黙を置いてからこくんと頷く。 「それもそうね。どうせ死ぬなら一匹でも多く道連れにしてやったほうがいいわよね」 「んじゃ決まりだ」 「了解」 「うん」 コナンとナナが口中で詠唱を紡ぎ始めた。 コナンの掌に魔力が蟠り、時同じくして召還された火の精霊が集う。紅の光が稲妻のように弾け、網膜を焼かれたグレムリンが数匹、軋むような悲鳴を上げて後退した。 「ベギラマ!」 炎の帯が空を走り、軌道にいたグレムリンを一瞬にして焼き尽くす。炭と化したグレムリンが床に落ちて砕け散った結果、扉に向かって一本の黒い道が敷かれた。 「バギ!」 巨大な風の塊が空を貫き、ぴったりと閉じていた戸板を吹き飛ばした。 三人は一斉に出口に向かって走り出した。一心不乱に駆ける彼らの背を、魔物の羽音と軋んだ唸り声が追う。 アレンは入口のところで足を止めた。くるりと振り返って足を踏ん張ると、眼前に迫るグレムリンを纏めて四匹薙ぎ払う。仲間の血臭に後続のグレムリンが怯んだ隙に、アレンは短刀を抜いて力いっぱい投擲した。流星の如く閃いた刃が、燭台を繋いでいた鎖を切断する。 坂を滑り降りるアレンの背後で、燭台の直撃を受けた魔法陣がかっと光を放った。 「……所詮君の考えた作戦だ。埃塗れで実に美しくない」 「うるせぇな、助かったんだから文句言うな!」 「もーいや。早く帰ってオフロに入りたい」 聖堂を囲む壁に大きな亀裂が生じている。頑強な石壁はぎりぎりのところで魔法陣爆発の衝撃に耐えたようだった。 入口から吹き出した爆風は傾斜に伏せた彼らの頭上を通り抜け、壁にぶつかって天井まで吹き上げた。その際あちこちに溜まっていた埃がどさりと降り注ぎ、三人は頭の天辺から足の先まで真っ白だ。 「さてと、聖堂はどうなったかな」 ぱたぱた埃を払い、コナンは剣を抜いて用心深く室内の様子を伺う。一瞬の間を於いて、ほうと感嘆に似た溜息が唇から漏れた。 「これは絶景だ」 魔力は運よく外に向かって弾けたらしい。外壁はきれいに吹き飛ばされ、青い海と空が一望出来る。海から吹き上げる暖かな潮風が立ちこめる埃を吹き飛ばし、視界が瞬く間に明瞭になった。 「あ……」 ナナが瓦礫の一角を指差した。 抜け落ちた天井の下から枯れ木のような手が覗いていた。とうの昔に死んでいた肉体だと頭では理解しても感情はそうはいかない。ムーンブルク崩壊の様を思い出したのか、ナナは俯くようにしてそれから目を逸らした。 老人の死体が仄白く輝き、光の玉が飛び出したのは次の瞬間の出来事だ。眩く輝く球体こそが魔族の本体、神の火の光と呼ばれる生命体だ。 「この僕の顔に傷をつけておいて、逃げられるとでも思っているのか」 コナンは詠唱を素早く唇の内に紡いだ。 「ベギラマ!」 コナンの放った炎が光の玉に巻きつく。じりじりと音を立てて締めつける炎の中で、神の火の光がぶるぶると震えた。 「喰らえ!」 もがく魔族に向かって、アレンはロトの剣を投げつける。 輝く刃は一撃で魔族を粉砕し、勢い余ってそのまま壁に突き刺さった。魔族の破片が光の粉のように降り注ぐ中、アレンはつかつか壁に歩み寄り、力任せに剣を引き抜く。 流石伝説の剣とでも言うべきか、これだけ無茶な使い方をしているというのに刃毀れどころか傷一つついていなかった。ざっと目で点検をして、慣れた手つきで剣を鞘に収めた時である。 ぞくっとアレンの全身が震えた。 ハーゴンと見えた際にも並みならぬ戦慄を覚えたが、それを遥かに上回る衝撃だった。アレンの真後ろ、崩れた壁の上に何かがいる。 これほど強い邪気を放つ存在をアレンは知らなかった。闇に生まれついた魔物さえ命の息吹が感じられるというのに、背後のそれからは生き物らしい気配がまるでしないのだ。 「……」 息をするのも忘れたままアレンはゆっくりと振り返った。コナンもナナも同じように凍りついているが、二人に気を回す余裕は今のアレンにはない。 斜めに削げ落ちた外壁に幼い少年が腰かけていた。彼の内部から滲み出る闇の波動が、黒く滲んで大気を染めるのが見えるようだ。 「よぉ」 少年が、にかっと健康的な歯を見せて笑った。 |