金属と金属のぶつかり合う音が夜の甲板に響き渡る。 ナナの突き出す短刀が、アレンの握るそれにぶつかって淡い火花を散らす。額に汗滲ませる少女の眼差しは真剣そのものだ。 矢継ぎ早に繰り出される短刀を、アレンは苦もなく弾き返していく。 「手元ばっか神経集中させるな。こうなるぞ」 アレンが軽く足払いをかけると、ナナは呆気なくバランスを崩して甲板に尻餅をついた。起き上がろうともがくナナの首筋にぴたりと白刃を添える。 「……」 ナナは悔しげに歯噛みし、炎のような目でアレンを見上げた後、ふっと肩の力を抜いた。長い三つ編みを背に払ってふうと溜息をつく。 「また負けちゃった。これが真剣勝負だったら、あたしアレンに百回くらい首を跳ねられてるわね」 アレンは無造作にナナの手を掴み、人形でも扱うような素振りで軽々と立たせた。 「けどお前、最初の頃よりは大分マシになってんぞ」 「ホント? 嬉しい」 ナナに本格的に訓練をつけ始めて早三ヶ月、予想していたより筋がいいとアレンは思う。彼女は母親がローレシア人だから、ささやかながらも剣士としての素質を受け継いでいるのだろう。 「今日はこれで終わり?」 「やりすぎて筋痛めたらバカバカしいだろ。また明日な」 「うん、ありがとう」 ナナは頷いて短刀を鞘に収めた。 船室に戻ろうとするナナに背を向けて、アレンは腰の剣を抜いた。墨を滲ませたような夜空に剣先を突きつけ、ゆっくりと息を吐き出す。 「アレンは戻らないの?」 「俺はもうちょっとやってく」 短く答えて瞑目する。神経の全てをロトの剣に集中させようとしたが、何時までも立ち去らないナナの気配がそれを邪魔した。アレンは目を開け、ナナを振り返って眉を顰めた。 「何だよ」 「まだ焦ってるの?」 「焦ってなんかねぇよっ」 怒気を帯びた声の勢いとは裏腹に、剣先はゆるゆる落ちて床を打つ。かたん、という音がやけに大きく響いた。 淡いランプの明かりを孕んで、ナナの巻き毛がぼんやりと夜闇に滲む。光芒に包まれて佇むナナは、空から失われて久しい月を髣髴とさせた。 彼女の瞳は月光の如く、どんな隙間にも入り込んで万物を照らす神秘に満ちている。じっと見つめられていると、心の奥底に押し込めたものまでもが青白く浮かび上がってくるような気がした。 「……俺はこれしかねぇし。これしかねぇから誰にも負けたくねぇんだ」 ゆるゆると開いた唇から、ぽろりと本音が零れ出た。 「ハーゴンにこてんぱんにされてアトラスにも負けたも同然でさ。腕試しのつもりで旅してたけど、自分が負けることなんて全然考えてなかったんだ。……俺、思ってたほど強くなかったんだって思い知らされた」 「ショックだった?」 「頭カチ割られた気分だな」 アレンは何の気負いもなく頷いた。一度心情を吐露すると、心が驚くほど素直になった。 「へこむっつーか落ち込むっつーか、胸に穴が開いた感じかな。ここにあったもん、全部あいつらに持って行かれちまったみたいだ」 「自分を知るのって苦しいことね」 ナナは長い睫毛を蝶の羽のように瞬かせた。 「でも自分が今何処にいて、どのくらいの大きさなのか分からないと強くなることも出来ないでしょ。だからその気持ち、きっとアレンを強くしてくれるわ」 「そっかな」 アレンはにっと歯を見せて笑った。以前の彼には見られなかった自嘲めいた微笑みだ。 「あたしもムーンブルクにいた頃は、並ぶ者のない天才美少女魔術師って言われてたのよ。お父様もお母様も魔術の先生もみんな褒めてくれた。でもあたしのバギなんて、ハーゴンには全然通用しなかった」 「お前も焦ってんのか?」 「多分コナンもね。だってあたし達、国では王子だ王女だ末裔だってちやほやされてたけど、一歩外に出たら豆粒みたいな存在だったんだもん。焦って当然だわ」 「じゃあお前はこれからどうする?」 「そうね、どうしようかな」 ナナは柵に寄りかかり、幼子のような仕草で首を傾げた。 「……今までこんな風に行き詰った時、どうしてた?」 「どうって……」 その時アレンの脳裏に、何の前触れもなくローレシアの光景が思い浮かんだ。剣術の師匠、エドマンド、父王……これまでのアレンを作り上げてきた人々の顔が浮かんでは消えていく。あまりに突拍子のない追憶に対するアレンの動揺など知る由もなく、ナナは小さく肩を竦めた。 「あたし達、泳げもしないのに海に放り込まれたみたいなものなんだと思う。だからもがくしかないの。水面目指して一生懸命足掻くの。そしたら何時か何かの拍子に、頭がぽっかりと水面に出る時が来るかもしれない」 「その前に溺れ死ぬかもしんねーぞ」 「大丈夫よ、ローレシアの河童なら」 ナナがぺろりと舌を出したのにアレンは笑った。 「んじゃ俺はもうちょいもがいてくわ」 再び稽古に入ろうとするアレンにナナが近寄る。アレンの右手に視線を落とすと、桜色の唇に笑みを刻んだ。 「手袋脱いで、手を見せて」 「何だよ」 「いいからいいから」 「?」 首を傾げながらも、アレンは言われた通り手袋を外して手を差し出した。ナナは口中で詠唱を紡ぎながら、指でアレンの掌に十字を描く。指先から迸った魔力が軌跡を描き、アレンの皮膚の上で輝き始めた。 「……何だこれ?」 「ルビス様の聖印よ。邪を退けて聖を放つ……お守りになるわ」 「ふーん……ありがと」 ぎゅっと握り締めた指の合間からほんのりと光が漏れる。 「お礼ならコナンにも言っといて」 「コナン?」 「アレンに魔法陣を描いてやれって言ったのはコナンだから。お守りは気持ちの安定剤だって言ってたわ」 アレンは眉を顰めた。だったらコナンが直接描いてくれても良さそうなものなのに、何だってそんな回りくどいことをするのだろう。 「男にくれてやる魔力はないんだって」 アレンの表情を読み取ったナナは、そう答えてくすくすと笑った。 ロトの末裔達を乗せた船は、今や訪う人も船も減ったムーンブルク港へと辿り着いた。何時ものように船の手入れと管理を船員達に託すと、三人は一路東を目指す。 ほぼ半年振りに訪れたムーンブルクは、雪解け水に湿った土の匂いが濃く鼻についた。ムーンブルクは本来あまり雪の降らない地方だが、今年は大量の積雪があったようだ。 「一人で行かせて良かったのかよ?」 瓦礫に座ったアレンが、傍らに立つコナンを見下ろす。 少し一人になる時間が欲しいと言って、ナナは黒々と聳える廃墟……生まれ育ったムーンブルク城内へ単身向かった。アレンとコナンは城の入り口で彼女が戻ってくるのを待っている。 「ナナが一人になりたいならそうさせてやった方がいい。片時も傍にいて慰めてやればいいというものでもない」 コナンは壁に寄りかかって腕を組んだ。 「結局のところ、心なんて自分自身で決着をつけるしかないんだよ」 「……」 アレンは足をぶらぶらとさせ、コナンは哀れな末路を辿った王城を眺めて時を潰す。そうして二人で待つことしばし、ふらりとナナが現れた。 「お待たせ。中は思ってたよりきれいだったわ。みんな死んじゃったのに、建物だけ残っているなんて変なの」 ほとんど抑揚のない声でナナが言う。感情の全てを失ったような口調だった。 「それでね、歩きながら水の紋章のことを考えたんだけど、まずは何か手がかりを探さないとだめよね。でもムーンペタって一言で言っても広いし、人もたくさんいるから闇雲に情報を集めるのは大変だと思うの」 アレンとコナンは顔を見合わせた。滅んだ故郷を目の当たりにしたにしてはあまりに淡白な反応である。 「あたし、ムーンペタ大聖堂に心当たりがあるんだ。まずはそこに行ってみない?」 ムーンブルク王族の洗礼、結婚式、葬式などの神事は、古くからのしきたりによって例外なくムーンペタ大聖堂で行われる。テパ建築方法による風変わりな白亜の建造物は、千年に渡る王族の生死が繰り返されてきた場所であった。 「少し休まなくて大丈夫かい?」 「あたしは平気よ? 今日はそんなに歩いてないし」 ナナはけろりとした顔で的外れな返答をする。そのまますたすたと歩き出したナナを見て、アレンは小さく首を傾げた。 「あいつ変じゃね?」 「現状を目の当たりにして放心状態なんだろう。楽しかった過去と辛い現実を結びつけるというのはひどく心の疲れる作業だよ。全く、思い出というやつは、現状がどうであれ幽霊のように付きまとうから始末が悪い」 ナナを目で追いながら、コナンが壁から体を起こす。 「過去を切り離すことが出来れば、もっと楽に生きていけるんだろうけどね」 囁くようにそう言って、コナンが罅割れた石畳を歩き出す。アレンは瓦礫から飛び降り、一度城を振り返ってから二人の後を追った。 |