生命の樹と血の呪縛<4>


「そのような恐ろしい目で睨まないでくれ。我らはロトの血に結ばれた……叔父と甥ではないか」
 コナンが動揺のあまり瞳を揺らめかせるのを、ハーゴンは眉一筋動かさずに悠然と眺めている。余裕めいたその態度はコナンを益々苛立たせた。
「これから先、何が起ころうと僕が叔父上と共に歩むことはない。こんな呪いをかけられたところで僕は……」
「それは呪いなどではない」
 手負いの獣のように息を弾ませるコナンを見て、ハーゴンはゆるゆると首を振った。
「お前の意識がもう一つの意識に食われかけようとしているのだ、当然肉体にも影響が出る」
「……何?」
「内なるゾーマがお前を認めているのだよ。お前は私と同じく、ゾーマとなるに相応しい人間なのだ」
 どくんと心臓が跳ね上がる。じわりと冷たい汗が滲み出る。勇者の血とゾーマの力がコナンの中で勢い良く激突して弾けた。
「ゾーマの意識を宿していたところで、誰もがゾーマになれるわけではない。魔力の質、命の在り方、魂の形……全ての要素が揃って初めて認められる。お前は私と同様に、現存するロトの末裔の中から選ばれた存在だ」
 ハーゴンが一歩進み出る。コナンは一歩退いた。
「お前の意識とゾーマの意識は随分と長い間戦い続けていたのだよ。二つの意識が織り成す戦いの余波は、痛みとなってお前にも感じられていたはず」
「……」
 ぎりっ、と頭が締めつけられるように痛む。鋭い耳鳴りに何者かの哄笑が重なって聞こえた気がした。
「お前と私は、ゾーマになるためにこの世に生まれてきたのだよ」
 コナンはゆっくりと息を吐いた。鼓動に耳を済ませた。指先をぎゅっと握った。膨れて縮む肺、耳障りな音を刻む心臓、冷たい汗を握る掌、それら全ての存在が酷く遠く感じられる。恰も自分を形成する全てがばらばらになったような気分だった。
「やがて人はお前を恐れ迫害するだろう。だが破壊神シドーが司る世界では、私達は最も尊きものとして崇められることになる」
 ハーゴンは数多の指輪を嵌めた手をコナンに向けて差し出した。
「……来るな」
 コナンはこの時、嘗てない程の恐怖に震えた。ゾーマよりもハーゴンよりも、現実に押し潰されてしまいそうな自分の弱さが怖かった。
(こんな時……)
 ふとアレンとナナの顔が脳裏を過ぎる。二人が側にいてくれればと思い、そんな風に思う自分にびっくりした。
 子馬のように元気で風のように無分別な二人から、コナンは常に一歩引いた位置にいた。コナンは彼らのように無邪気に笑えないし、素直に気持ちを吐露することが出来ない。二人の仲間は常に傍にいながら、何処か遠い存在だと思っていた。
(それなのに僕は今、誰よりもアレンとナナを頼りにしている)
 コナンの唇が不敵に歪む。目が光を取り戻す。ふてぶてしいその表情こそコナンが自分を取り戻した証だ。
(僕は多分、自分で思っているよりも、ずっとあの二人が好きなんだろう)
 ひくりと喉を上下させてコナンは笑った。


 アレンとナナを乗せた盾は、世界樹に巻きついた木の上を凄まじい速度で滑走していく。勢い余って幹からはみ出せば最後、宙に放り出されて遥か下方の地面に激突、熟したトマトの如く潰れてあの世行きとなるのは確実だ。実際二人を追いかけて同じように滑り落ちてくるスライム達は、ぼろぼろと零れ落ちて惨めな最期を遂げている。
「そ……そり遊びみたいでちょっと楽しいかも。ねぇねぇ、今度雪のあるところに行ったら三人で滑ってみたいね」
「前!」
「え……う、わ、きゃあ!」
 力の盾が大きく盛り上がった樹のこぶに乗り上げた。上手い具合横倒しにはならなかったが、盾は勢い良くこぶを乗り越え、すぽんと空中に踊り出る。
「うぁあああ!」
「きゃあああ!」
 そのまま地面までまっ逆様かと思いきや、運良く真下に別の宿木があった。がつん、と鈍い音を立てて幹に落ちた盾は、再び猛烈な勢いで滑り出す。
「と、とりあえず助かったけど、この木だって先はどうなってるか分かんないわ。このままだったら何時か落っこちちゃう!」
「お前も魔法使いだったらどうにかしろ! 空くらい飛べねぇのかよ!」
「バッカじゃないの、魔法使いって言ったってお伽噺とは違う……」
 そこまで言いかけて、ナナははたと思いついた。
「そうだ、風のマント!」
「ああ?」
「ドラゴンの塔で使ったでしょ、風のマントよ! あれだったらここから落っこちてもどうにかなるわ!」
 空の色をした風のマントは、それを纏ったものに一時の飛行能力を与える魔術品だ。鳥のように何時までも飛べるわけではないが、宙に広がったマントはいっぱいに風の力を孕み、長い距離を滑空することが出来る。嘗て彼らはそのマントを使い、荒れ狂う海峡を渡ることに成功していた。
「あれなら俺の袋ん中に入ってる!」
 アレンの言葉が終わるよりも早く、ナナは両手でアレンの荷物を探り始めた。袋の中は得体の知れない包みやら、しわくちゃになった福引券やら、何時のものだか分からない魚の干物やらでいっぱいだ。
「少しは荷物の整理しなさいよ! こんなに訳分かんないもの後生大事に溜め込んで、冬眠でもする気なの!」
「あっ、人の荷物勝手に捨てんな!」
「だってこのままじゃぐちゃぐちゃでマントが探せな……あった!」
 滑らかな布の感触を覚えると、ナナはそれを一気に袋の底から引き摺り出した。くしゃくしゃになっていた風のマントが、一瞬で風の力を得て大きく膨れ上がる。
「くくく苦しいって! そんなに締めんな!」
「だって飛んでる途中でマントが取れたらあたし達地面でぺしゃんこよ!」
 肩に担ぎ上げられたナナは、大急ぎで風のマントをアレンの首に括りつける。
「準備出来た!」
「よおおぉぉおおし! 行くぞ!」
「うん!」
 アレンは転げ落ちないように慎重に膝を折り曲げる。盾が大きなカーブに掛かる寸前に体を斜めに傾け、足を一気に伸ばしながら力いっぱい盾を蹴った。
 二人の体がぽっかりと虚空に踊り出る。
一瞬の浮遊感の後、遥か眼下の地表目指して落下が始まった。瞳に風が突き刺さる痛みは相当なものだったが、目蓋を閉じた瞬間地表に叩きつけられるような気がして、瞬きするのも憚れるのだ。
「助けてお父様―!」
「俺が悪かったー!」
 永遠に続くかと思われた恐怖の時は、実際のところ刹那の出来事だったようだ。
 風のマントが大きく広がった瞬間、落下速度が急激に変化した。マントはゆらゆらと風に棚引きながら、落下傘の要領で二人を静かに地表に降ろし始めたのだ。
「こ、怖かった……」
 ほおっと深い安堵の溜息をついて、ナナは今一度世界樹を振り返った。しつこく二人の後を追うスライムがひっきりなしに世界樹から零れ落ちていく。哀れなスライムの末路を何気なく目で追ったその時、ようやく赤みを取り戻し始めていたナナの頬が再び白くなった。
「アレン、下!」
「?」
 地表に目をやったアレンがげぇと舌を出す。
 そこら中、スライムの屍骸でいっぱいだ。潰れたスライムの残骸が混じり合い、紫色の沼となって彼らの落下予定地点を隙間なく覆っている。加えて粘つく液体の中では、まだ生きているスライムがもぞもぞと蠢いているのだ。
「いやいやいやいやいや! あの中に着陸するなんて絶対にいや!」
 完全にパニックに陥ったナナが杖を振り翳した。ナナの詠唱に合わせて、杖の先端を飾る宝珠が黄金の輝きを放ち始める。未だ完成を見ないイオナズンだ。
「お前、何する気……」
「全部吹き飛ばすに決まってるじゃないのおおおお!」
 金切り声を上げて、ナナはばちばちと電を纏う杖を一気に振り下ろした。輝く光の玉がスライムの海の中へ吸い込まれていく。
 腹に響く衝撃音を響かせて、偉大なる力が地表を這った。ゲル状の水溜りがぶるぶると震えた次の瞬間、かっと白光が爆発する。
 上空から眺めるイオナズンは圧巻である。濃縮されたエネルギーがスライムの海を薙ぎ、焼き、蒸発させる。ナナの狙い通り、地表に蠢いていたスライムとその残骸は跡形もなく一掃されたのだ。
 だが所詮、ナナの放ったイオナズンは不完全な魔術に過ぎない。
「いやーん、やっぱり火の加減が上手くいかなーい!」
「いやーん、じゃねぇ―!」
 二人は砂混じりの爆風に吹き上げられ、風に翻弄される枯れ葉のようにあっちこっちをひらひらと飛びまくった挙句、最後には失速してぼちゃんと海の中に落ちた。