ルビスを目覚めさせる紋章の一つは、古きコロシアムの聳える国にあるという。 コロシアムと聞いた末裔達が真っ先に思い浮かべたのは、ローレシアの遥か南に位置するデルコンダルだ。ローレシアやサマルトリアとは比べものにならぬ長い歴史を持ち、ムーンブルクが滅んだ今となっては、ラダトームに次いで由緒ある国となった。立国と同時に建設された巨大なコロシアムはデルコンダルの象徴的存在で、剣闘士達が誇りを賭けて日夜戦いを繰り広げている。 ロトの末裔達が長い航海を経てデルコンダルに到着したのは、燃える太陽が水平線に沈む夕暮れのことだった。 「暑い……僕の繊細な神経では耐えかねる暴力的な暑さだ……」 港に一歩降り立つなりコナンが呻いた。白い肌に青い瞳に亜麻色の髪と、色素薄目で如何にも暑さに弱そうな彼は実際すこぶる暑さに弱かった。 「もう日が沈むのにこんなに暑いんだ。夜もこんな風だったら寝苦しいね、寝不足は美容の大敵なのに」 「寒いよりいいと思うけどな」 うだるような暑さをものともせずアレンが二人を振り返る。 「さてと、着いたはいいけどこれからどうすんだ?」 「月の紋章の手がかりを探さなくちゃ。……それにしても」 ナナがきょろきょろと辺りを見回した。 「随分人が多くない? 何かあるのかしら?」 野にも海にも魔物が溢れるこのご時勢、よほどの事情がない限り旅をしようとする物好きはいない。実際これまで彼らが立ち寄ってきた港は人もまばらで船も少なかった。 それなのにデルコンダルの港ときたら、旅装束や鎧を纏った人々でごった返しているのだ。 「祭りでもあるんじゃねーの?」 「この時期にデルコンダルで大きなお祭りなんてあったかなぁ……コナンは何か知ってる?」 「いいや」 コナンは興味なさそうにゆるゆると首を振った。 「とにかくデルコンダルの王宮へ急ごう」 「王宮? コナンってば、デルコンダル王族とかかわるのは嫌だって言ってたじゃない」 「コロシアムを持つ王族など野蛮で美しくないとの意見に変わりはないが」 広場中央にででんと聳える彫像を見上げ、コナンは鼻に皴を寄せた。下穿きと長靴と覆面を纏った屈強な男が、マントを風に靡かせつつ天を仰ぐ奇妙なモニュメントである。 「挨拶くらいはすべきだろう。デルコンダルの王族と僕達ロトの末裔には、浅からぬ因縁もあることだしね」 デルコンダルの初代国王であるカンダタはロトと同じ天つ国の人間で、ギガアの大穴を通じてこの地にやってきたと言われている。ロト伝説に二度登場する大盗賊は、何処ぞの王族出身との説もあるが真相は定かでない。 「俺、その前に何か食いた……」 「この暑い中うろうろしたら蒸発してしまうっ!」 余裕皆無の怒号が響き渡る。きっと持ち上げた顔を力なく伏せると、コナンは腐った死体さながらにふらりふらりと歩き出した。 「王族という権限をフル活用して紋章を入手し、一刻も早くこの国を出よう。この国は立っているだけで汗だくになるのでとても美しくない」 「コナンは着込み過ぎなのよ」 「マントか鎖帷子脱げよ」 アレンとナナが口々に言うのに、コナンはとんでもないという風に手を振った。 「全ての要素が揃ってこそ僕のファッションは完璧なんだ。暑いからなどというたわけた理由でマントや鎖帷子を脱ぐわけにはいかない」 「ぶっ倒れそうなのに変な奴」 コナンがぴたりと足を止めた。くるりと振り返った瞳がからくりのように機械的に瞬く。 「よろしい、例を挙げよう。例えばそれは君の大好きな白身魚のフライにタルタルソースがかかっていないようなものだ。ソースと衣と魚肉の美しいハーモニーを失ったフライを、君は完璧だと認められるのかっ」 アレンの鼻先にびしりと指が突きつけられる。アレンは喉を鳴らし、首をふるふると横に振った。 「お……俺が悪かった」 「……分かってくれて嬉しいよ。さあ、行こうか」 のろのろと歩き出すコナンにすっかり毒気を抜かれたアレンが続く。ナナが二人を追って小走りになりかけた時、街門の方からわっと声が上がった。 犇き合っていた人々が左右に分かれ、門から城に通じるメインストリートが開けた。 甲冑を誇らしく打ち鳴らしながら、馬に跨った騎士達が街中を進んでくる。デルコンダルの民は男も女も大柄だが、肉弾戦を生業とする者達の体躯は殊更に立派だ。揃いの甲冑越しにもはちきれんばかりの筋肉が伺える。 兵団の先頭をいく男はその中でも一際背が高く、一際逞しい。末裔達の視線は自然彼に引きつけられた。 鬣を編みこんだ牡馬に跨るのは、浅黒い肌と厳つい面を持つ壮年の大男である。緩く弛ませた手綱を右手に握り、馬の歩みに逆らわず巨体を揺らす姿から、熟成された貫禄が匂い立つようだ。 土で汚れたマントの下から、時折銀色の光沢を放つ鎧が見え隠れする。古めかしい鎧は傷だらけで、胸元に走った亀裂は修復の仕様もないような有様だったが、それも奇を衒った文様のようで不思議な魅力がある。数多くの実戦を経た防具と推測出来た。 「ねえコナン、あの鎧……」 意味深に語尾を濁らせるナナに、男から目を逸らさぬままコナンが頷いた。 「凄まじい魔力だな。肌に突き刺さるようだ」 アレンにはまるで感じられぬものの、男の鎧は強烈な魔力の波動を振り撒いているらしい。二人の感嘆する様から察するに、そんじょそこらの魔術品ではないようだ。 「きっとアレンのロトの剣くらい、古くて価値のある魔術具よ」 「古の魔術具生成技術は、現在とは比べものにならないほど高かったと言われている。恐らくその時代の……或いはもっと古い時代の品だろうな」 男は両脇から沸き立つ歓声に応えて軽く手を上げた。強面に少年のようなあけすけな微笑みが浮かぶ。 興奮を孕んで一際大きくなるざわめきから、三人は男がこの国の王であることを知った。 「これは何のパレードですか?」 唐突にしゃっきり感を取り戻したコナンが、傍らにいた娘に尋ねた。王に向かって熱心に手を振っていた娘は、コナンの魅惑的な微笑み……アレンやナナにすればこれほど胡散臭い笑顔もなかったが……を受けて頬を染める。 「陛下が魔物退治から戻られたんです」 「魔物退治? ……国王陛下御自ら魔物退治ですか?」 「西の山に住み着いた魔物は、昔から山に入る樵や狩人を襲って……、あ、ほら、あの魔物です」 王と兵士達で構成される列のほぼ中央に、二頭の馬に牽引される巨大な箱型の檻が見える。アレンの腕程もある鉄格子の向こうには、一匹の巨大な魔物が寝そべっていた。 虎のようにしなやかな筋肉と美しい桃色の毛皮を持つサーベルウルフの亜種である。その鋭い爪は肉を容易く裂き、その獰猛な顎は骨を難なく噛み砕く。熟練した戦士でも命を落としかねない強敵だ。 「キラータイガーか……」 国を治める身で魔物退治とは剛毅な話である。武人故の行動なのか、人気取りのパフォーマンスなのかの判断がつき兼ね、コナンは頤に手を当てて唸る。開いた方の腕はちゃっかり娘の腰に回されていた。 「国王陛下は何時も私達の為に戦って下さいます。陛下がいらっしゃる限り、このデルコンダルは安泰です」 そう熱心に語る娘の顔は誇りで輝いている。成程この国の王は、確実に臣民の信頼を勝ち得た統率者と言えそうだ。 デルコンダルの王宮は、末裔達には馴染みのない香に満ちていた。 寝椅子めいた風変わりな玉座に王が腰かけている。ビーズや刺繍が施された敷布に胡坐を掻き、色とりどりのクッションにしどけなく寄りかかりながら、斜に銜えた葉巻の煙をくゆらせているのだ。 王の傍らに控える二人の侍女は、凝った文様の布を素肌に巻きつけ、蝶の形をしたピンで要所要所を留めている。涼しげな装いは同時に強烈な色香を放つもので、アレンは目のやり場に困ってきょときょとと落ち着かない。 「ロト三国の嫡子が旅をしているという話は余の耳にも届いている」 その体躯にふさわしい野太い声が放たれた。 「ローレシア王子が城を飛び出し、サマルトリア王子がそれに合流し、行方不明になっていたムーンブルク王女を救出した。その後ムーンブルクを滅亡させた輩を追って世界を旅しているなど、ただの噂に過ぎぬと思っていたが……」 デルコンダル王はしげしげと、まだあどけなさの残る勇者の末裔達を凝視する。好奇心に満ちた視線は臆することなく受け止めながら、アレンが小さく眉頭を跳ね上げた。 「俺ら結構有名なんだな」 「言うなれば現代に蘇ったロト伝説だからね」 王宮には氷の柱が数多並べられて快適な温度が保たれている。先程まで溶けそうだったコナンも完全回復し、彼とは到底馬の合いそうもない異国の王を眺めていた。 「我が国にロトの末裔が立ち寄ったとなれば、盛大に歓迎せねばならぬな。我らデルコンダル王族とロトの王族には深い縁もあることだ」 王はにやりと、意味ありげに口元を歪めた。 「我が祖先カンダタはロトから鎧を譲り受けた。大地の加護を秘めた鎧は代々王家に受け継がれ、今は余の身を守っている。遠い昔、大地の女神が纏ったという由緒正しき鎧だ」 「……大地の鎧……転じてガイアの鎧……」 コナンの独り言に反応して、王はふむふむと満足そうに頷いた。先のパレードで王が纏っていた鎧こそ伝説の至宝であるに違いない。 「大地母神ガイアが神々の大戦で纏った鎧と聞いています。ガイアは大地の軍勢を率いて、十日の間アトラス軍の進行を食い止めたとか」 大地の神アトラスと大地の女神ガイアの戦いは、結果的に邪神に軍配が上がった。だが彼女らの命を賭した戦いによって、数多の命が戦火から免れたという。 「天晴れな女丈夫よ」 王は素朴な言葉で大地の女神を賞賛した。 「尤もカンダタがガイアの鎧を纏うことは一度もなかったそうだ。カンダタは徹底した拘りの持ち主で、覆面とマント、長靴と下穿きという独自のスタイルを決して崩さなかったというからな」 「……何そのヘンタ……」 思わず本音が飛び出しそうになったナナが慌てて口を塞いだ。あまりに美しくない想像図に顔を背けるコナン、男気を感じて顔を輝かせるアレンと、反応は三者三様だ。 王は低く笑いながら兵士を呼びつけ、小声でひそひそ囁いた。何事かを言いつけられた兵士が小走りに立ち去るのを見送りながら、再びどっしりとクッションに体を沈める。 「カンダタは独自のスタイルを貫いたまま、単身このデルコンダルまでやってきた益荒男よ。そのカンダタを二度も負かせたという勇者の力に、余は以前から強い興味を持っていた」 コナンの片頬が警戒とも不信ともつかぬものを含んで歪む。対してデルコンダル王の表情はいよいよ生き生きと輝きだした。 「三日後の早朝から我が国のコロシアムでトーナメントが催される。現在デルコンダルには、世界各国の名のある剣闘士が続々と集結しつつあるのだ」 からからと車輪の音が響いて、三人は反射的にそちらを振り返った。分厚い布を掛けられた巨大な箱のようなものが、四人の兵士によって運ばれてくる。大理石の繋ぎ目を通過する度、鉄の弾む鈍い音が生じる。 「……檻?」 思わず呟いたアレンの鼻先をぷんと獣の臭いが掠めた。 デルコンダル王が右手を翳すと同時に、兵士が覆いを払い除けた。するすると布が床に落ちて、黒光りする鉄格子が顕になる。 閉じ込められた魔物はぴくんと耳を動かし、それから目蓋を持ち上げた。居合わせる面々を見回すと、興味ないと言わんばかりの大欠伸を放って居眠りを再開する。王が捕らえたというキラータイガーだ。 「優勝者にはこの魔物と戦ってもらう。デルコンダルに仇なす魔物を仕留めることで、万人が認める国の英雄となるのだ」 そのために敢えて生け捕りにしてきたというのなら食えない男である。コナンは注意深く王の次の言葉に構えた。 「ロトの末裔の戦い様をこの目で見てみたい」 「……恐れながら、私達には陛下の無聊をお慰めする時間がございません」 コナンが慇懃に辞退してもデルコンダル王は怯まない。珍しい宝を見るように三人を順繰りに見回し、王座から身を乗り出して声を潜めた。 「褒美を取らせるぞ。この世に二つとない、銀色に輝くそれはそれは美しいものだ」 「この世に二つとない…」 「銀色に輝く……」 「美しいもの……?」 三人は視線を交わしつつ、非礼は承知でぼそぼそと囁き合った。 「ねえ、陛下の仰る銀色のものって、もしかして」 「……月の紋章……だろうか」 コナンが軽く顎を摘んだ。 「だが陛下が紋章の守護者だとは考えにくい」 「けどさ、今までの守護者だって塔とサミュエルだろ? 何が守護者でも全然おかしくないって」 アレンは握り締めた両拳をぶんぶんと上下させた。 「トーナメントに優勝したら紋章が貰えるんだぞ。やってみようぜ」 何時にも増して熱く語るアレンをコナンが半眼で見やる。ややあって、その薄い唇から吹雪の声が漏れた。 「君はトーナメントに出てみたいだけだろう」 「そそそんなことねぇもんっ。俺にだってちゃんとした考えがあって……」 「ではその考えとやらを四百字以内で述べよ」 「えっ」 アレンは一瞬怯んだが、ローレシア人たるもの与えられた試練を前に逃げ出すわけにはいかない。人生は挑戦の連続なのだ。 「ええと……ぼくはとーなめんとにしゅつじょうするべきだとおもいます。どうしてかというと……」 指折り頭の悪そうな文章を練り始めたアレンを放置して、コナンとナナはひそひそと相談を続ける。 「正直僕は気が進まないな。王の享楽に加担する義務などない」 「でも褒美が紋章なら他の人に渡すわけにはいかないわ。出場して優勝して、何が何でも手に入れないと」 「だよなっ。ナナ、お前もそう思うよなっ」 平生大抵の意見は却下されるため、珍しく同意を得て嬉しいアレンである。 「いいから君は早く意見を纏めたまえ」 「うわーん」 半泣きで作文に勤しむアレンと消極的ながらも参戦を肯定するナナを見比べることしばし、コナンは渋々ながら首を縦に振った。他にこれといった方法も思いつかなかったようだ。 「アレンを見世物にすることで紋章が手に入るのなら、さして大きな犠牲でもないか……」 三人のやりとりを敏く聞き捉えて、デルコンダル王は満足げに頷いた。 |