その後三人は書店に寄り、道具屋に寄り、食事をしてから最後に武器屋に立ち寄る。これと言って特色のない店内で、コナンは一振りの美しい剣を発見した。 太陽のコロナを模した柄から真っ直ぐに刃が伸び、眩く光るオーラを滲ませている。剣を収める鞘は深い緑色で、一面に精緻な蔓草の紋章が施されている。柄、刃、鞘、至るところに精霊石をふんだんにあしらった贅沢な魔術品だ。 「これは素晴らしい」 手に取った剣は、見た目に反して信じられない程軽かった。 「光り輝く刀身、精緻な彫刻、おまけに僕のラッキーカラーの緑。長年捜し求めていた僕だけの小鳥をみつけたような気分だ」 感激に打ち震えながら記念ポエムを吟じること二時間、ふと気付くとアレンとナナの姿がない。そういえばいい加減待ちくたびれた二人がぶつぶつ言いながら店を出て行ったような気がする。 「忍耐力がなくて美しくない」 光の剣を購入しコナンは一人武器屋を出た。子守から解放された解放された気楽さも手伝ったか、その足先が自然酒場へと向かい始める。繁華街は町の外れ、メインストリートを越えたその先にあったはずだ。 時刻は真夜中に近いはずだが、この都から星空を仰ぐことは叶わない。太陽代わりの光源はその輝きを弱め、町は薄墨を溶かしたような闇に包まれている。風の匂いも空の動きも感じられぬ人工的な夜闇だった。 「星明かりのない夜は味気のないものだな」 ひっそりと静まり返った商店街にコナンの靴音だけがこつこつと響く。一定のリズムを刻むそれがぴたりと止まったのは、商店街脇の広場に差しかかった時だ。 水滴がきらきら飛び散る闇の中、噴水の縁に少女が腰掛けていた。優美な曲線を描く竪琴を膝に置き、それを抱き締めるようにしながら歌を口ずさんでいる。 「雨と太陽が合わさる時、虹の橋が出来る」 少女の声が静かに伝説を紡いだ。 「青き力が地より立ち昇り、赤き力が天より降り注ぐ。二つの力は白き雷を生み……」 無意識に踏み出した爪先が小石を蹴った。乾いた音が閉じられた空間に反響し、歌姫がはっと顔を上げる。 「誰?」 竪琴をしっかりと胸に抱き抱えながら、少女はそろりと立ち上がった。 「これは失礼。あなたの美しい歌声を盗み聞きした無礼をお許しください」 驚くことに、数多の乙女を魅了したコナンの笑みにも歌姫は表情を和らげなかった。益々体を緊張させ、見知らぬ少年をじっと睨みつけている。 「僕の名前はコナン。今日この町にやって参りました旅人です」 「……ペルポイへようこそ」 強張った顔のまま一礼すると、少女はくるりと踵を返して立ち去ろうとする。その際何かに躓いたらしく、ずでんと派手にすっ転んだ。 「お怪我は?」 一足飛びに駆け寄って少女の顔を覗き込む。間近で視線を絡め合うこと数秒、唐突に歌姫の頬が赤くなった。コナンはこの時ようやく、彼女の目がほとんど見えていないことに気付いた。 擦り剥いた膝からじわりと血が滲んでいた。ホイミで傷は瞬く間に癒えたが、すっかり動揺した少女は立ち上がろうとするだけでまたバランスを崩す。とにかく危なっかしくて見ていられない。 「失礼」 コナンは少女の膝と肩の後ろに腕を差し入れて抱き上げた。歌姫は一瞬唖然とし、それから何が起きたのかを把握して全身茹蛸のように赤くなる。 「わ、わたし一人で歩けます!」 「また転んだら大変でしょう。家までお送りしますよ」 「大丈夫です、この道は慣れていますからっ」 「可憐なレディの一人歩きは危険だ」 押し問答になりかけたその時、少女が抱える竪琴が金切り声を上げた。 「てめぇ、俺のかわいい娘をたぶらかす気か! とっととその手を放しやがれ、このパイナップル頭!」 これにはさしものコナンも瞠目した。魔術具の一種かとも考えたが、竪琴には独立した魂が存在し、自我があるらしい。恐らく精霊かそれに近い何かが宿っているのだろう、極めて特異だがありえない事例ではなかった。 「……あなたのお父上ですか?」 「は、はい。実の父ではないんですけど、父代わりとしてわたしを……」 コナンは頷いて竪琴に視線を落とした。 「お父上、このような状態で彼女を歩かせるのは大変危険だと思われます」 「てめぇに関係ねーだろ!」 「こうやってお会いしたのも何かの縁でしょう」 コナンは竪琴との会話を打ち切ると、戸惑う歌姫から道を聞き出して悠然と歩き出した。 「……と、いうわけでアンナ……、ああ、彼女の名前はアンナというんだが、アンナの家に今晩食事に誘われている」 「いってらっしゃい、お土産は餡まんがいいな」 「じゃあ俺肉まん!」 「君達も行くんだよ」 宿の猫に遊んでもらっていたアレンと、カード占いに勤しんでいたナナが不思議そうに顔を上げた。 「アンナの母上が僕に感謝してくれてね。一緒に旅をしている仲間がいると言ったら、ぜひ連れて来いとの熱烈なお誘いを受けた。麗しきレディの申し出を断るわけにいくまい」 そんなやり取りののち、ロトの末裔達は連れ立ってペルポイの住宅街に足を運んだ。 アンナの家は静かな池のほとりにあった。日の差し込まぬ地下都市であるにもかからず、その家の周辺だけは生き生きと緑が濃い。葉が生い茂り花が咲き乱れる敷地に、大樹を模したような不思議な建造物が建っていた。 「変わったお家ね。お伽噺の魔女の家みたい」 「アンナの母上は薬師だそうだよ」 ノックして待つこと数秒、微かな軋み音を立ててゆっくりと扉が開く。 「いらっしゃいコナン。君達がアレンとナナね。よく来てくれたわ」 扉を開けたのはアンナではない。三十半ばに手が届く頃の、カサブランカを思わせるような美しい女だ。口角が持ち上がると頬に若々しい笑窪が浮かんだ。 「こんちは」 「初めまして、ナナです。お招きありがとうございます」 長い銀の睫毛が上下する。眦の釣り上がった瞳はナナよりも少し色の淡い紅だ。 「さあどうぞ、上がってちょうだい」 女に勧められて三人は家に入る。彼女からやや距離を置いて歩きながら、ナナがくいとコナンの袖を引いた。 「ねえ、アンナのお母さんの名前は何ていうの?」 「秘密だそうだ」 「何で?」 アレンが眉を潜めると同時にナナが小さく首を傾げた。 「……本名を他人には教えない一族がいるって何かの本で読んだことあるけど……それと関係あるのかしら」 「んじゃあの人のこと何て呼べばいいんだよ」 「町の人はあたしのことを魔女って呼んでるわ」 小声で話していたつもりだったのに、会話は全て筒抜けだったようだ。女がくるりと振り返って笑う。 「だから君達もそう呼んでくれていいわよ」 白木の家具で統一された家は森の匂いがした。天井から吊り下げられたハーブと鉢植えの木花が交じり合って深い緑の香りを生み出している。 「わあ」 居間に足を踏み入れるなり、ナナが感嘆の声を上げた。彼女の目線を追った先には一枚のタペストリーが飾られている。 絵画と見紛う精緻さを伴いながら、織物特有の温もりをも感じさせる壁掛けだ。波間を漂う船と、太陽を頂く小島と、波に戯れる竜が見事に表現されている。ぼんやり見つめていると、三者が織り成す物語が浮かんでくるような気がした。 「きれいね。それに何だか……」 「何だか……何だよ?」 「懐かしいな」 ナナがうっとりと囁いて、触れるか触れないかの地点にまで指を伸ばす。美しいタペストリーはいたくナナを魅了したようだった。 「気に入った? これはね、テパ族の織物なのよ。テパ族は代々織物技術を口伝して、彼らの歴史を織機と糸で織り成すんですって」 「テパ?」 思わぬところで思わぬ名を聞かされて、三人は目をぱちくりさせる。 「きれいなタペストリーでしょ? ちょっと高かったけど無理して買っちゃった」 タペストリーの竜を指でなぞりつつ、魔女は改めて末裔達に向き直った。 「さてと、お食事に招いておいて何なんだけど、実はまだ準備が出来てないの。君達ちょっと手伝ってくれる?」 魔女の申し出に末裔達は素直に頷いた。魔女はうむうむと満足気に頷いてそれぞれに指示を出す。 「それじゃあナナはアンナと一緒にテーブルの用意をお願い。アレンとコナンには薪割りを頼みたいんだけどいいかしら。普段男手がなくて困ってるの」 「お母さんったら、お客様にそんなこと」 ためらうような声と共に、竪琴を抱えた歌姫が戸口に姿を見せる。魔女はひらひらと手を振った。 「いいじゃない、どうせ料理が出来るまで暇なんだもの。ねえ?」 魔女の願いを聞きいれるべく、アレンとコナンは庭に出て黙々と薪割りを始めた。しばし作業に勤しんだ後、アレンがふと斧を振り下ろす手を止める。 「なあ、何かあの魔女さんにはさあ……」 「逆らえないだろう」 薪を縄で括りながら、コナンは珍しく複雑な表情で頷いた。 「僕もそうだ。昨日はお茶を淹れるのを頼まれて素直に従ってしまった。体が勝手に動くというか、血が命令するというか」 「……何でだろ?」 「そうだな……」 軽く首を捻った後、コナンはひょいと眉頭を持ち上げる。 「何処か遠いところで会っているのかもしれないな」 食事は賑やか且つ和やかに終わり、やがて居間にはハーブティの香りが溢れた。魔女のハーブティはほんのり甘く、飲むと体がぽかぽかと温まった。 「ロトの末裔としての旅ね……」 魔女は顔を上げ、興味深げに身を乗り出してきた。 「旅は順調に行ってる?」 「四つの紋章を集めた後テパ族から神殿について聞き、ロンダルキアにて最後の紋章を入手、復活した精霊神ルビス様から加護を賜る。僕達はそういう予定で旅を進めており、先日までは順調でした」 そこでコナンの表情が苦くなる。彼の美しく完璧な予定が崩されたのは、先刻宿に船長が訪れた時だ。 「船の損傷が予想外に厳しく、完全な修復までに二ヶ月かかるとか。その間ここで燻っているのは時間の無駄であまりに美しくありません」 「あら。だったら順番は前後しちゃうけど、先にテパに行ってみたら?」 「テパですか? しかし……」 テパはこのペルポイから西の海を渡り、更に川を北上した先の山奥にある。船のない彼らには到達不能な場所だ。 「テパの織物はね、ペルポイの人気商品なのよ」 末裔達の戸惑いを楽しみながら、魔女は唇に人の悪い笑みを刻んだ。 「一ヶ月に二回くらい、商人がテパに買いつけの船を出してるわ。頼めば君達三人くらい乗せてくれると思うけど」 ペルポイの商人との取引となれば、かなりの金が必要になるだろう。だが貴重な時間を意味なく潰すことに比べれば、決して高くない買い物とも言える。現在の所持金やら売り払える貴金属であれこれ計算するうち、コナンの眉間の皺はどんどん深くなるのだ。 むっつり黙り込んだコナンを眺めて、魔女がふと懐かしそうに目を細めた。 「あたしも君達くらいの頃、世界中旅したのよ。その後森の番兵やってたんだけどやっぱり退屈でね。また旅をして今は何となくここに住んでるの」 「じゃあこの町の人じゃないんですね」 ナナは納得したように頷く。魔女もアンナも、犯罪者だらけのこの町からはやや浮いた存在だ。 「アンナは元々何処に住んでたの?」 「わたしはこの町でお母さんに拾われたの」 アンナの微笑みは何処かしら弱々しい。 「二つくらいの時にこの家の前に捨てられていたの。わたしは目がほとんど見えないから多分そのせいだと思うわ」 「……そうだったんだ、ごめんね」 予想外の告白にナナが恐縮して肩を縮める。アンナは何でもないという風に首を振った。 「今が幸せだから何とも思ってないわ。お父さんとお母さんが何時も側にいてくれるもの」 「くっくぅううう〜、ひく、えぐえっ、ひっ」 竪琴が感動のあまり咽び泣き始めるのを聞きながら、コナンがカップをソーサーに戻した。 「ところでアンナに一つ聞きたいことがあるんだがいいかな」 「はい……?」 「昨夜の君の歌について教えて欲しい。あれはロトの伝説に関連するものだろう?」 アンナがはっと身を強張らせる。そんな少女を庇うように怒号を上げたのは今しがたまで鬱陶しい泣き声を上げていた竪琴だ。 「お前にゃ関係ねーだろ!」 「僕達がロトの末裔である以上関係なくはないと思います」 氷に似た瞳に一瞥されて、竪琴はぐうと弦を鳴らした。 「雨と太陽が合わさる時虹の橋が出来る。この伝承については僕達もよく知っています。ですが青と赤の力が雷を作るというのは一体何のことなのですか?」 「あの歌はむかしむかーし、吟遊詩人のガライが作った歌よ。ね?」 テーブルに頬杖をついた魔女が、ひょいと竪琴に視線を送った。竪琴は渋々と言った風に弦を細かく震わせる。 「……俺のマスターはちょっとの間ロトと旅をして、その後聞いたり見たりしたことを歌にした。その一つがあの歌だ」 「……ガライ?」 ナナは瞳をぱちくりさせる。ガライはロトと同時代の人間で、今も伝わる数多くの歌を残した高名な吟遊詩人だ。 「それじゃあ竪琴さん、あなたはガライが持っていたっていう銀の竪琴なんですか?」 「そーだよ。嬢ちゃんはちゃんと勉強しててエライな」 答える声はコナンに対するそれより遥かに優しい。かわいい娘の周囲をうろつく悪いパイナップルとして、コナンは相当竪琴に嫌われているようだ。 ガライの持っていた銀の竪琴には魔物を作り出す不思議な力があったと言われている。魔力を帯びた弦から生み出される美しい調べは虚空に力場を作り、そこから魔物を生み出すのだ。 「俺はマスターが死んだ後、辛気臭い地下墳墓に封じられた。そこから俺を連れ出してくれたのがお前らの曽祖父ちゃんだ。以来俺は日の当たる場所で竪琴生を謳歌してたはずなのに、何の因果か知らねーがまた地下に潜ってる。ま、この生活も悪くないがね」 コナンは顎に掌を当てて考え込む。揺らめく蝋燭の灯りが少年の白い頬で踊った。 「勇者に纏わる雷といえば考えられるのは一つだな」 「ギガデインね」 コナンとナナが頷くのに、それまで大人しくしていたアレンが疑問をぶつけてくる。 「ぎがでいんって何だ?」 「ロトが扱った究極の魔術だ。勇者が生む白い雷がアレフガルドに朝を取り戻したと言われている」 「不死鳥と竜が、破壊神を冥界に叩き込んだのが白い稲妻だって話は知ってるよね。ギガデインは勇者が神から授かった魔術なのよ」 「へぇ〜、かっこいいな〜」 「青い力が不死鳥で、赤い力が竜だとしたら、あたしとコナンの魔力をどうにかすればギガデインが生み出せるってことかしら?」 「……そうだね。試してみる価値はありそうだ」 コナンは小さく頷いた。 |