地下の都と伝説の歌<4>


 子猫のミーちゃんを頭に乗せ、犬のポチの前にしゃがみこみ、アレンは今日も宿の入り口で暇を潰していた。
「違うって、お手はこう。俺の手にお前の手を乗せるだけなんだから簡単だろ?」
 ポチは円らな瞳でじっとアレンを見た後、ひょいと前足を差し出した。その上にぽんと手を乗っけてアレンはうんうんと頷く。
「そうそう、やれば出来るじゃん……って俺がお手してどうすんだよ!」
 そんな風に虚しく一人ボケツッコミをしているところへ、不規則に乱れた足音が響いた。切羽詰った空気を感じてアレンは何気なくそちらを振り返る。
「アンナ」
 衣の裾を絡げながら転がり込んで来たのはアンナだ。何度も転倒したらしく、体のあちこちに打撲や擦り傷の跡がある。肩で苦しげに息を弾ませているところからして、随分と長い距離を走破してきたのだろう。全盲に近い少女が全力疾走など正気の沙汰ではない。
「っぶねぇな、何やってんだよ」
 敷石に躓いた少女を危ういところで受け止める。アンナはアレンの腕の中でもがくように顔を上げた。
「コナンを助けて」
「……は?」
「町の中で誰かに会って、その人と一緒に町外れに行ったの。あの時のコナン、普通じゃなかった」
 アレンは益々訳が分からなくて顔を顰めた。コナンが普通じゃないのは何時ものことだ。
「コナンと同じ顔をしたガキだ。人間でもねぇ、魔物でもねぇ……あんな奴を見たのは俺も初めてだね。ボウズ、何か心当たりあるか」
「コナンと同じ顔……?」
 竪琴の補足を聞いてアレンにもようやく事情が飲み込めた。
「おい、ナナ!」
 窓に向かって呼びかけたが応えは上がらなかった。書物の収集に忙しいナナは、最近この時間になるとソファで転寝をしている。アレンはむっと眉を顰め、再び声を張り上げた。
「起きろ音痴!」
「誰が音痴ですってー!?」
 ばあんっとガラスが吹っ飛ぶほどの勢いで窓が開いた。
「アレン、あんた今何て言った……」
「バズズとか言うのが出たみたいだぞ!」
「バズズ?」
 ナナの小さな顔から一瞬にして怒気と眠気が吹っ飛んだ。
「分った、今準備する!」
 それに頷き、宿に駆け込もうとするアレンの手をアンナが捉えた。縋りつくように絡められた指先は、緊張と不安に小刻みに震えている。
「心配すんなって、お前はここで待ってな」
 アレンはアンナの手の甲をぽんぽんと叩いた。悪戯小僧そのものの笑顔から戦士の表情に切り替わると、準備を整えるために戸口に飛び込んでいく。
「……」
 一人残されたアンナは、銀の竪琴をぎゅっと胸に抱き締める。それから意を決したように唇を強く噛み、踵を返して大路へと飛び出した。


 ペルポイの外れ、人気のない寂しい広場でコナンとバズズはほぼ同時にぴたりと足を止めた。
「この辺りなら無用な被害が及ぶことはないと思うが」
 影がゆっくりと振り返る。コナンは微かに瞳を眇めた。
「心遣い感謝する……が、邪神である君が人里を気遣うとは少々意外だ」
「何か勘違いしているようだが、僕達は無差別な殺戮魔ではない。目的のために国を潰すこともあるが、それは人間だって同じはずだ」
 バズズは皮肉っぽく笑った。
「破壊神シドー様が降臨したからと言って世界は滅ばない。シドー様に服従さえすれば人は生きるし町も残る。人の信仰心こそ僕達の糧だ、無闇に殺すはずないだろう?」
 神は人に認められることによって存在を維持する。
 捧げられる心が多ければ力を増し、少なければ呼吸もままならなくなる。だから神々は心を欲し、愛や恐怖で人を縛りつけようとするのだ。
「この世界の神がルビスからシドー様に変わるだけのこと。……分かるかい? 変わるのは世界ではなく人の心なんだ。尤も人が変われば世界も今の姿ではいられないだろうが」
「……その世界で君達はロト三国に君臨しようというのか」
「何と言ってもロト三王国の影響力は絶大だ。王や女王が破壊神を崇めるとなれば、人臣は挙ってそれに倣うだろう」
 コナンは暗澹たる思いで溜息をついた。
「僕達はまるで宣伝塔だな」
「その言い方は美しくないな。新しい世界に君臨する勇者と言ってもらおうか」
 バズズが右手で剣を抜くと同時に、左手に闇が渦を巻いた。いかずちに似た音を奏でながら現れるのは、魂を食らうと言われる邪神の防具だ。
「……死神の盾か」
 有角のしゃれこうべが放つ微笑みは、見るものの心境によって様々に印象を変えるのだ。ある者は強烈な悪意を覚え、ある者は凄まじい嫌悪を感じ、またある者は嘗てない程の安らぎを覚える。心の弱った人間はその微笑に誘われ、ふらふらと魂を取り込まれてしまうのである。
「ご名答。アトラスの破壊の剣、ベリアルの悪魔の鎧と並んで、僕が破壊神シドー様から賜った世界で一番美しい盾だ」
 凄みのある微笑を浮かべた次の瞬間、バズズが風の如く突っ込んできた。
 振り下ろされた剣を左に跳んで避けながら、コナンは光の剣を抜いた。横殴りに叩きつけてくる刃を垂直に構えた剣で弾き、素早く間合いを取ってベギラマを構成する。掌から放たれた火炎が螺旋を描いてバズズを包み込んだ。
 炎の中でにやりと笑うと、バズズはマントを一払いする。逆巻く力に弾かれて炎が散じた。
「……大人しく人生を明け渡した方が楽だと思うがね?」
 ふわりふわりと炎の羽が舞う中、影は嫣然と笑った。
「不義の王子、邪教の大神官の子。これだけのものを背負って、君はこの世界の何処で生きて行こうと言うんだ?」
「……」
「サマルトリアには二度と戻れまい。父上との息詰まるような日々から、君は何時も逃げ出したいと思っていたのだから」
 神聖サマルトリアの現君主は、その厳格な王国を具現化したような男だった。
 十六年間共に王宮で暮らしたにもかかわらず、コナンには彼から笑顔を向けられた記憶がない。その完璧な顔立ちは、常に氷の仮面のように揺るぎなく体温を映さなかった。
 だが嘗て彼にも感情のままに笑い、怒り、泣いた時代があったという。明るい青年だった頃の話を幾度か聞かされたものの、あまりに違う人物像と現状が結びつかず、幼いコナンは酷く混乱したものだった。
「父上が変わられたのは君が生まれた頃からだ。君の出生の秘密に衝撃を受け、弟と妻の不義に苦悩したのだろう。父上は深く心に傷を負われたのだ」
「父上も、母上も、叔父上も、みなそれぞれ傷を負われていた。そして今も痛みを抱えて生きていらっしゃる」
「脆い人間が何処までその痛みに耐えられるかな? 父上もハーゴンも……そして君もだ」
 コナンの双眸が、内側から滲み出る怒りに閃いた。
「父上は君をどう扱うべきなのか考えあぐねていらっしゃる。無理もない、君は愛する妻の子であると同時に裏切りの証であるのだからね」
 コナンを不義の子として排除することは、妻の不貞、兄弟の確執、引いては王自身の不甲斐なさを露呈することに通じる。誇り高い王は王室の無様な人間関係を暴露する痛みより、コナンを王位継承者に指名する屈辱を選択したのだ。
 王が自分を疎んじているとはっきり悟ったのは、ハーゴン討伐を命じられた時だ。国王は厳粛に旅立ちを命令したが、その瞳には苦悩があるばかりでコナンへの愛情は一片も感じられなかった。
 道中コナンが死んでも構わないのだ。そうすれば王の実子であるニーナに継承権が移る。王家の神秘性も王の面子も保ったまま、正統な娘をサマルトリアの女王とすることが出来る。
「何処へ逃げたところでその痛みを捨て去ることは出来まい。君が君であることは、命果てるまで変わらない事実なのだから」
「……」
「……コナン……何処?」
 不意に響いた少女の声にコナンははっと振り返った。竪琴をしっかり抱き締めたまま、アンナが只ならぬ雰囲気に不安そうに佇んでいる。
「来るな!」
 バズズはコナンの隙を見逃さない。一瞬にして間合いを詰めた剣が唸りを上げてコナンを襲った。反射的に跳んだが避けきれず、鋭い剣先に上腕部を深く抉られる。
 貫くような痛みに顔を顰めて、コナンはがくんと片膝をついた。傷口を押さえる指の合間から、少なくない量の血液が流れ落ちていく。
 コナン額にすうっと剣先が突きつけられた。
「さあ、その人生を僕に」
 コナンはしばしそれを見つめた後、きゅっと唇の端を持ち上げた。ロトの青い瞳が意思の力を込めて輝く。
「以前の僕……そうだな。ラダトームで影を取られた頃の僕だったらそうしたかもしれない。立場も思い出もまるごとくれてやっただろう」
「……今の君はそうでないと?」
「神である君に一つ進言しよう。人の生きる時間は短い。だがその短い時間の中で刻々と変化する生き物なんだよ」
 旅立ったあの頃に比べて、どれ程この心が変化したことか。そして今のこの気持ちも、時の流れと共に移り変わっていくのだろう。だが永遠ではないこの想いこそが、一瞬一瞬の真実なのだ。
「旅に出て一年以上経過して、サマルトリアのことを忘れつつある。母が生きろと言ったあの国が何処まで素晴らしいのか、もう一度この目で確かめたくなった。それに」
 握り締める光の剣が太陽に似た光芒を放った。
「それに僕の死で傷つく人がいるのは美しくない」
 影は心底忌々しそうに顔を顰めた。
「ならば君の死を悲しむ奴らごと始末すれば問題ないわけだ。……ちょうどいい具合に君のところの野生児とお転婆娘がやってきた」
 バズズの足元にバギが炸裂し、ぱあっと土煙が上がった。