地下の都と伝説の歌<5>


 バズズ目がけて青い疾風が突っ込んだ。
 バズズの放つ火玉をぎりぎりで避けながら、アレンは靴底を地面に滑らせた。スライディングの要領で滑り込み、力任せに足払いをかける。飛び退るバズズの脹脛に爪先が掠ったが、転倒させるまでには至らない。
 完全に体が沈む前に手をつき、アレンはバネ仕掛けの人形の如く跳ね起きた。背後から振り下ろされた刃を剣で受け止め、振り向き様に回し蹴りを放つ。熊をも悶絶させるだろう一撃はしかし、先刻の足払いと同様空振りに終わった。
 岩上に着地したバズズが末裔達を睥睨する。薄い唇が楽しげに笑みを象った。
「役者は揃ったと言ったところかな」
「なーにが言ったところかな、だ。コナンの影だけあって嫌味臭ぇ野郎だな!」
「君はアトラスのオリジナルだけあって血の気が多いね」
 興味なさげにアレンをあしらい、バズズはコナンに向き直る。
「さてと。僕としては話し合いの上美しく速やかにその人生を頂こうと思ったんだが、君はあくまで抗うということだね?」
「君に人生を渡す義理もない」
「そうか、残念だ」
 さして残念がる風もなく頷いて、バズズは口の中で低く呟いた。
 忌まわしい力が弾け、ペルポイの大気を大きく波打たせた。途端、天井に巨大な亀裂が生じてその一部が剥落する。尖った岩の塊が末裔達のすぐ傍に落ちた。
「だったら力尽くで頂くしかないな」
「あたし達を生き埋めにしようって魂胆?」
「君達が大人しくすれば君達だけ。抗えば……この町ごと」
「きったねーな!」
「利用出来るものを利用するだけのことさ」
 そうこしているうちにも大小様々な石塊が降り注いでくる。獲物を逃すまいとの意図なのか、彼らを取り囲むようにして瓦礫の山が築かれつつあった。
「……」
 バズズの動向を探りつつ、コナンは無言で右手を翳した。
 肉体を直接攻撃するベギラマとは違い、ザラキは内部から被術者を蝕む。如何に邪神と雖も、命を歪められては無事でいられまい。
 指の合間に死の力が宿る。横顔が不吉の輝きに染まる。逆巻く風に煽られて、マントが翼のように広がる。
 限界まで膨れ上がった死を放とうとしたその時、全く予想外の方向から邪魔が入った。ザラキを宿す腕に何か力任せにしがみついてきたのだ。
「な……」
 驚愕のまま見下ろした先にはナナの顔があった。
「ザラキはだめ!」
 大きく見開かれた目の縁で銀色の睫が震えている。彼女らしくもなく、声は緊張と恐怖を孕んで硬い。
「そんな術を使ってたら、コナンは……」
「ナナ、退くんだ!」
 押し問答をしている暇はない。掌に宿るザラキは既に制御出来ぬほど勢いを増し、このままでは至近距離にある命……コナンとナナが食われてしまう。コナンは左腕でもがくナナを押さえ込むと、バズズに向かってザラキを放った。死の力はバズズを包み込み、その命を貪るため肉体に潜り込もうと蠢く。
「無駄だよ」
 嘲笑うような声と共に、ザラキは微細な粒子となって周囲に弾き飛ばされた。
「闇の衣に包まれたこの肉体に魔術は通用しない。ベギラマも、バギも、ザラキも闇の衣を貫くことは不可能だ」
「……」
 コナンの腕に縋ったまま、ナナがへたへたとその場に崩れ落ちた。強い衝撃を受けたことを示すよう、その顔は幽霊のように青白い。
「……ザラキは嫌」
「え?」
「どうしても嫌なの」
 巻き毛がふわふわと落ちかかって彼女の横顔を覆う。激しい動揺の後の虚脱感に見舞われ、ナナは立つことも出来ぬようだった。
 コナンは鋭く辺りを見回した。何とかこの場を切り抜けて体制を立て直したいと思うが、周囲は堆い瓦礫の山に囲まれていて脱出口すら見出せない。
 ままならぬ現状に唇を噛み締めた時、ふと視線がアンナの腕の中に落ちた。
「……お父上」
「てめぇ、この期に及んでまだお父上呼ばわり……」
「あなたは今でも魔物を作り出すことが出来ますか? ガライの銀の竪琴には魔物を生み出す力があったと、曽祖父の伝承に残されています」
「何?」
「ロトや曽祖父の時代には、岩の魔物が存在したとか」
 竪琴は僅かに沈黙した後、鋭い舌打ちの音を立てた。
「しょーがねーな。アンナとボウズと嬢ちゃんを助ける為だ。お前なんかどうでもいいけどな」
「恐れ入れます」
 何時もきんきんうるさい竪琴が、打って変わった真摯な声でアンナに囁いた。
「いいかアンナ。これから俺が岩の魔物を作る。但し完成した魔物を繰るのは俺の仕事じゃねぇ。マスターの……今はお前の仕事だ」
「え?」
「俺のマスターもそうやって魔物を操って旅をした。お前には精霊の旋律もしっかりと教えてある。出来るな?」
 アンナはすっかり動揺してふるふるとかぶりを振った。
「わたしにそんなこと……」
「君にしか出来ないことだ」
 コナンはアンナの手に自分のそれを重ねた。少女の指先は緊張のせいかしっとりと汗ばんでいる。
「このままでは僕達は生き埋めになってしまう。がさつで大食らいで無分別で何かと手のかかる二人だが、どうか僕の仲間を助けてやって欲しい」
「……」
 アンナは少し寂しげに微笑んだ後、細い指を弦に絡めた。
「コナンの大切なもの、わたしが守るわね」
 桜色の爪が踊るように動き出した。きらきらと魔力の粒子を滴らせながら、弦の一本一本が妙なる音を紡ぎだす。聖なる響きの一つ一つが複雑に絡まり合い、うっとりするような調べとなって地下都市を満たした。
 大地の歌を耳にして、地下都市ペルポイに眠る精霊達が目覚めた。


 積み重なる瓦礫の合間から、古の魔物ゴーレムが産声を上げた。
 岩の関節をぎしぎしと軋ませながら、ゴーレムはその巨大な腕を力いっぱい天井に伸ばした。仰ぐように巨大な魔物の出現に、さしものバズズも一瞬怯む。
 巨大な拳が振り下ろされるのを、バズズは寸でのところで避けた。だが無理な体勢からの跳躍は無理な体勢の着地へと繋がり、バズズは着地と同時によろけて地面に膝をつく。
 邪神の着地点目指して猛進したアレンが、通り抜け様に剣を薙いだ。骨を切断する確かな手応えと共にありえない色の血飛沫が飛んだ。
「……人間風情が」
 肘から下を失ったバズズは凄まじい形相で末裔達を睨みつけた。使い物にならなくなった腕、ぎしぎしと拳を固めなおすゴーレム。剣を抜いたコナン、そして低く身構えたアレン。全ての状況が一瞬にして逆転したことに怒りと悔しさを隠せないようだ。
「……いいだろう、今日は僕の負けだ」
 バズズは薄い唇の端を持ち上げて微笑んだ。
「その人生はしばらく君に預けておく。せいぜい僕と入れ替わるその日まで大事に生きてくれたまえ」
「言われなくても」
 高く跳んだアレンが体重を乗せた一撃をバズズの脳天目がけて振り落とす。だが刃が肉体を抉るより早く、バズズは黒い光となって空中に散じた。


 ペルポイを発つその日、久々に見上げる空は何処までも晴れ渡っていた。
 アンナと魔女と竪琴が地上まで見送りに来てくれた。魔女は銀色の髪を掻き上げながら、ロトの末裔達の顔を一人一人覗き込む。
「先祖は先祖、君達は君達。血にも運命にも捕らわれないで、自分が正しいと思った道を迷いなく進みなさいね」
「ボウズと嬢ちゃんは何時でも家に遊びに来いよ。パイナップル頭は二度と来んな」
「うん、またな」
「お世話になりました」
 アレンとナナが桟橋を渡っていく。コナンはアンナに向かい合ってその手を取った。
「君には本当に色々と世話になった。君が教えてくれた歌の数々、きっと役立てて見せるよ」
 アンナは頷き、柔らかく花が綻ぶように微笑んだ。
「わたしはここであなた達の歌を歌うわ。三つ目のロト伝説の歌はわたしが作るの」
「ありがとう。君が作ってくれるなら、美しい歌になりそうだ」
 コナンはアンナの頬に短い別れのキスをした。激昂した竪琴がぎゃあぎゃあ喚くのに微笑むと、アレンとナナの後を追って船に乗り込んでいく。
 やがて船がゆっくりとペルポイの港を離れ始める。美しい曲線を描く小船が徐々に勢いを増して海面を滑り出した。
「あの野郎、今度会ったらゴーレムの座布団にしてやるから覚えてやがれっ」
 憤懣やるかたない竪琴の上に、ぽつんと水滴が落ちて弾けた。
 見開いたままのアンナの瞳からぼろぼろと涙が零れ落ちていく。竪琴はぎょっとした声を上げた。
「アンナ、アンナ泣くな! あんな奴がいなくなったってお父さんがいるだろう! お父さんは昔、あいつよりずっと頭が良くて、性格が良くて、ゴーレムなんか片手で砕ける程強くて、おまけに色男だったんだぞ!」
「父親が初恋相手の代替になるわけないじゃないの、バカ?」
「ははは初恋だとぉ?」
 魔女が冷たい視線を送るのに、竪琴は益々その声を高くした。
「俺は認めねぇ、あんな嫌味な野郎が俺のかわいいアンナの初恋だなんて、俺は絶っ対に認めねぇ!」
 今にも憤死しそうな竪琴を抱き締めたまま、アンナは声もなく泣き続ける。その細い肩を魔女が優しく抱き寄せた。
「さ、家に帰りましょう。お茶を淹れたら、あの子達の祖先がどんな風に生きたか話してあげる。アンナも興味あるでしょう?」
「コナン達のご先祖様……?」
「ロトとロトの勇者よ。その話を聞けば、あの子達がこれからどんな冒険をするのか想像することが出来るわ。そうすれば寂しくないでしょう?」
「……うん」
 アンナは涙を拭いて、今一度海に目を向けた。
 透き通った水色の瞳に小さな船影が映る。末裔達を乗せた船は、やがて水平線の向こうに消えて見えなくなった。


「アレン」
 与えられた部屋に向かうアレンの背をコナンが呼び止めた。振り向くアレンに向かい合い、クソ偉そうに腕を組みながら宣言する。
「前に頼んだことを撤回したい」
「は?」
「万が一の時は、君とナナに虹を架けて欲しいといっただろう。君達二人ではあまりに心許ないので、僕はやはり何があってもそれに参加することにした」
 アレンは濃い眉を顰めた。コナンの内面を探ろうとするかのように、太陽の血筋の瞳が幾度も瞬きする。
「……虹なんてどうやって架けていいか分かんねーし、お前がいるなら考えること任せられるからいいけど」
「それは良かった」
 こくんと頷くと、アレンは酷く怒ったように口をへの字に曲げた。
「んだよ、ホント訳分かんねぇ奴だな、お前のことなんてもう知らねーよ」
 べえと舌を出すと、アレンはどかどかと足音も荒く廊下を歩いていってしまった。
 アレンが怒るのも尤もだとコナンは頷く。任せるだの撤回させろだの、言われる方は堪ったものではないだろう。散々振り回してしまったことに対して、コナンは珍しく素直に頭を下げた。
「僕も大概勝手だな」
 コナンの言葉で二人が傷つくということを、分かっているようで分っていなかった気がする。母の死でコナンが被った傷より、数倍大きなものを仲間に背負わせるところだった。
「だから僕は、何があっても負けまいと誓ったんだよ」
 既に姿の見えないアレンにそう言い訳してから、コナンは自室に向かって歩き出した。