ローレシアから北西に向かって十日ほど歩くと、低い山並みの向こうにサマルトリアの城が見えてくる。 それは城というより、寺院を思わせる建造物だ。壁面に並ぶ数多の精霊像、ロト伝説を物語るステンドグラス、聖者の槍の如く空を貫く尖塔。神聖サマルトリア城は、ロトの勇者が故郷ラダトームの寺院を模して建てたものだと言われている。 城の破風にはサマルトリア王家の家紋が施され、星を象ったクリスタルが昼夜問わず輝いている。遥かローレシアまで届くその光は、サマルトリアを目指す旅人達の道しるべとなるのだ。 ローレシアを飛び出したアレンは導きの星を目指して歩き続け、九日後の夜にサマルトリアへ到着した。大通りの真ん中にくそ偉そうに仁王立ちになり、きょろきょろと町を見渡す。 「へえ、サマルトリアってこんなんなんだ。隣の国っていっても雰囲気違うなぁ」 サマルトリアは神事を司る国だ。精霊神ルビスを崇め、英霊ロトを尊び、ロト三国の主だった祭祀の全てを執り行うこの国は、信仰に生きる者達の聖地とされている。 ロトの勇者から命の魔術を受け継いだ王家の存在もまた、国の在り方に大きく影響している。神秘的な王家の厳粛な佇まいは国民に、街に、国土そのものに深く染み渡り、一種独特なサマルトリアの雰囲気を作り出しているのだ。 お祭り好きで血気盛んなローレシアとは何もかもが違う。肌に触れる空気さえもつんと澄ましているようで余所余所しい。アレンは眉を寄せ、今一度周囲を見回し、そして小さく首を傾げた。 「……何でこんなに静かなんだ?」 王都のメインストリートだというのに人影はほとんどなく、街は気だるい静寂に包まれている。数件の酒場を覗いてみたが、何処もあまり賑わっているようには見えない。 しばらく城下町をうろうろした後、空腹を満たすため、アレンは適当な飯屋に入って遅い夕食を取ることにした。 カウンターで暇を持て余していた店主が、そそくさとアレンのテーブルへやってきた。差し出されたメニューにはサマルトリアの郷土料理なのか、お目にかかったことのない品目がずらりと並んでいる。 「えーと、サマルトリア地鶏の蒸し焼きに、こてこて草のサラダ修道女風に、鉄の槍焼きハンバーグに、おおなめくじの滋養スープ……って美味いのかな。まあいいや、ここからここまで全部持ってきてくれよ」 「全部? 一人で全部平らげる気か?」 「うん、全部食う」 にこにこ屈託のないアレンの笑顔に肩を竦めた後、店主はふと視線を巡らせた。物珍しげな眼差しが壁に立てかけられた剣に止まる。 「……ローレシアの剣士か。よく無事にここまで来れたな」 「大袈裟だな、たった十日の距離じゃん。そりゃ魔物は結構いたけど、スライムなんか俺の敵じゃねーし」 意気揚々と嘯くアレンに、店主は小さく首を振る。 「そうでなくて、月さ」 「……月?」 店主は誰かに聞かれてはまずいとでもいうように、身を屈めて低く囁いた。 「ムーンブルク壊滅のあの日から、月が消えた」 ここまでの道中月を見なかったことに、アレンは今更ながら気がついた。紺碧の夜空を飾るは瞬く星ばかり、夜空の女神がその青褪めた微笑みを浮かべることは、九日の間ただの一度もなかったのだ。 「大魔王ゾーマの時代のように、世界が闇に包まれる兆しだって噂だ。そのうち太陽も星も消えちまうだろうってみんな怖がってる。こんな時に旅に出るのはよっぽど怖いもの知らずかバ……おっとっと、とにかくこれからぐんと巡礼者が減りそうで、こちとら頭の痛い話だよ」 「ふーん」 アレンが頷いたその時、鐘の音が夜のしじまを破った。腹にまで響く神聖なる響きが、今宵ばかりは不気味に聞こえるのは気のせいだろうか。あたかも破滅を運命づけられた世界への弔鐘であるかのようだ。 「月が戻るようにと祈りを込めた鐘さ。お前さんの旅にもご加護がありますように」 そそくさと慌しい祈りを上げると、店主は厨房へと引き上げていった。 馬でもげんなりしそうな大量の料理を平らげると、アレンは無駄に張り切って会計を済ませた。自分の財布から金を払うのも生まれて初めてで、そんな他愛のないことが一々嬉しい。 遠くからはその輝きしか伺えなかったが、間近で見るサマルトリア城には星とユニコーンが描かれている。星を頂く一角獣はサマルトリア王家の紋章だ。 ちなみにローレシア王家は太陽を咥えた双頭のドラゴン、ムーンブルク王家は月を抱くグリフォンを家紋としている。太陽と星と月はロトの故郷である空を表し、三匹の獣はそれぞれの王家の守護獣を示しているのだ。 城へ続く道を歩きながら、アレンはまだ見ぬ仲間のことをあれこれ考えた。 「こんな辛気臭い国の奴、ホントに役に立つのかな。勉強ばっかりのもやしみたいなのだったら、かえって足手纏いになっちまう」 アレンが生まれ育ったのは肉弾戦を尊ぶ国、体を鍛え技を磨くことが美学とされている。強さの方向性が違う魔術師に偏見があるのは仕方がない。 「大体一撃で仕留めれば怪我なんてしねぇじゃん。俺一人だって十分やってけるんだけどな」 ぶつぶつ言いながら跳ね橋までやってきて、アレンはぴたりと歩みを止めた。 アレンの前には堀を跨ぐ橋梁と、それを守る二人の兵士が立ちはだかっている。サマルトリアの門兵はアレンの姿を認めると、手にした槍を軽く動かしてあちらへ行けと促した。 さてこの時になってようやく、自らが抱える重大かつ深刻な問題に気づいたアレンである。 「……俺、どうやってそいつに会うんだ?」 何せアレンは家出中なのだ。故郷を飛び出してから早九日、王子失踪を知らせるローレシアの伝令兵は早馬を飛ばし、とっくにサマルトリアに到着しているだろう。身分を明かしてのこのこ王宮に出向けばどうなるか、それくらいはアレンにだって予想がつく。 「……」 アレンは兵士達に背を向けて歩き出した。何気ない振りを装って堀沿いに道を進み、彼らの注意が完全に逸れたのを見計らって足を止める。 サマルトリア城の堀は深く、夜空を映した水面が遥か下方でゆらゆらと揺れている。一息で飛び越えるには苦しい幅があり、第一対岸にはぎりぎりまで壁が聳えていて着地する場所がない。 「どうすっかな……」 くるりと巡らせたアレンの視線が巨大な街路樹に止まる。アレンは木に歩み寄り、幹をぺしぺし叩いてにやりと笑った。 「あの枝がちょうどいいな」 アレンは幹にしがみつくと、するするとましらの如く木登りを始めた。瘤に足を乗せ、うろに指をかけ、あっという間に高見に到達するその技は見事だ。実の父に日々サル呼ばわりされるだけのことはある。 見下ろす位置に、先ほど目をつけた枝が堀の半ばまで伸びている。アレンは何のためらいもなく、枝を目がけてひょいと飛び降りた。 アレンを受け止めた枝はぐぐっとしなり、限界に達したところで力いっぱい跳ね返った。アレンはその反動を利用して楽々と堀を飛び越え、両足からきれいに城壁の上に着地する。 城の中庭を覗き込み、人影がないのを十分に確認してから再び飛び降りる。着地と同時に膝を折り曲げて衝撃を殺し、しゃがんだままの体勢でしばし様子を伺った。 人がやってくる気配はないようだ。 「……」 幾つもの庭園灯がぼんやりと光を滲ませ、噴水の飛沫を星の如く煌かせていた。光の乱舞の中に佇むのは精霊神ルビスの石像で、深い自愛の眼差しでアレンを見下ろしている。そこは花と樹と大理石によって構成された、絵画のように美しいサマルトリア城の庭園だ。 「さてと、そいつは何処にいんのかな」 軽く首を傾げたが、考えて分かるものでもない。頭を使うより体を動かす方が断然得意なアレンは、さしたる宛てもないまま王宮を目指して歩き出した。 |