一夜の祭りと盗人の夢<2>


 ラゴスの足はすこぶる速い。アレンの俊足を以ってしても、その距離が思うように縮まらない程だ。
「待てよこの野郎!」
「おう、待ってやる」
 待てと言われて待つバカはいないの法則を破り、ラゴスが素直に急停止した。予想外の展開である。
「ホントに待つな!」
 勢いづいたアレンは急に止まれない。上半身を仰け反らせてスピードを落とすアレンの足元に、ひょいとラゴスの片足が突き出される。
 ものの見事に躓くものの、アレンは地面についた手を支点として一回転し、どうにか無様な転倒を免れた。無理な体勢からの着地を喝采するが如く、ひゅうと口笛が鳴り響く。
「中々の身のこなしだな。俺様の子分にしてやろうか?」
「お前の子分なんかお断りだよ」
 アレンが舌を出すと、ラゴスは大仰に肩を竦めた。
「この短時間で俺様を判断するのは早計ってもんだ。今はただのコソ泥でも、行く行くは世界に名を轟かせる盗賊になる予定なんだからな。名もなき一人の男が、数多の経験を経て伝説の大盗賊へ成長する……考えただけでぞくぞくする展開だろう!」
 鼻先にずばっと指を突きつけられて、アレンは目をぱちくりさせた。その内容よりも勢いに圧倒されてしまう。
「お前も男ならこのロマンが分かるはずだ! 分からなければ男じゃねぇ!」
「え? ええっと、えーと、そう言われればちょっと分かるような気もす……」
「説得されるな」
 しどろもどろで頷きかけたところ、追いついてきたコナンにぽかりと殴られた。痛点を擦るアレンの頭上を、冷たい声が吹きぬけていく。
「汗臭い男のロマンなどどうでもいい。僕達が必要としているのは、君が盗んだ雨露の糸だ」
「あんなつまんねーもんどうする気なんだ?」
「あんたこそ、そのつまらないものを盗んでどうする気だったのよ」
 ようやく到着したナナが息堰き切って尋ねる。水の羽衣の原料となる以外、彼の糸に使い道などあるのだろうか。
「別にどうする気なんかねぇよ。言ったろう? 俺様が盗みをするのは、人の驚く顔が見たいからだって。ま、あの爺さんはちょっと嫌な奴だったから、腹いせに盗んだってのもあるけどな」
「ひっどい」
「全くだ。……確かに君の言う通り、モハメさんは無愛想で不躾で、感じも印象も悪い御仁ではある」
「そこまで言ってねえよっ」
「だからと言って君の盗みが正当化されるわけではない。コソ泥に口を動かす権利などないのだから、盗んだものを返して消え失せたまえ」
 あまりに傲岸なコナンの物言いに、ラゴスの顔がかっと赤くなった。ラゴスの苛立ちが我がことのように感じられるアレンである。
「さっきから何偉そうに語ってやがる! お前に俺様を説教する権利なんてあんのかよ!」
「勿論あるとも」
 コナンは動じず微笑んだ。意味なくマントを翻しつつ、理由になっていない理由を昂然と言い放つ。
「何故なら僕は、生まれながらの騎士だからだ」
 毒に当てられたラゴスはよろよろとよろめいたが、意地と怒りで両足を踏ん張ると、敵愾心も顕わに雄叫びを上げた。
「頭来た! お前らだけには絶対、雨露の糸は渡さない!」
 ラゴスは再び脱兎の如く逃げ出した。巻き起こる粉塵に顔を顰めつつ、コナンはほとほと疲れた溜息をつく。
「頑固なコソ泥だな」
「怒らせてどうするのよ!」
 コナンは肩を竦め、今一度ラゴスの去った方角に目を向けた。青い背中がちょうど曲がり角の影に消えたところだ。けしかけずとも獲物を追う辺り、猟犬よりは出来がいい。
「三人でぞろぞろ追い駆けても仕方ない。取り敢えず後はアレンに任せて、僕達はアンナを誘ってお茶でも飲みに行こう」


 目の前を走る男の、その足の速さと持久力は感嘆に値する。体力自慢俊足自慢のローレシア人でも、彼程の健脚の持ち主はそうそういないだろう。
 アレンも負けてはいない。人やものにぶつかりそうになっても紙一重で回避出来るのは、天賦の反射神経及び野生の勘が成せる技だ。人の流れを把握すると徐々に速度が上がり始め、ラゴスとの距離は確実に縮みつつあった。
 何だか楽しくなってきたその時、ラゴスが足を緩めぬまま振り返った。アレンのご機嫌な笑顔が癪に触ったのか、その表情には苦味が増す。
「ガキじゃあるまいし、何時までも駆けっこしてられるかよ!」
 吐き捨てると同時にラゴスが跳躍した。ひらりと跳ね上がった体が、酒場の店先に繋がれていた馬の背に落ちる。
「あ、このやろ……」
 馬主らしき男が椅子から腰を浮かせるより早く、ラゴスの爪先が馬の腹を蹴った。驚いた馬が首を巡らせた拍子に、緩く柵に結びつけてあったロープが千切れる。
「この追いかけっこは俺様の勝ちだ! 俺様の運と頭がお前より良かったことを悪く思うな!」
 空の荷馬車を括りつけたまま馬が大通りに飛び出した。がたんごとんと車輪の音を響かせながら、見る見る遠ざかっていく。
 アレンは荷馬車が右折したことを視認した。あのまま直進すれば袋小路に突き当たるから、恐らくラゴスは次の角をもう一度右に曲がるはずだ。
「おっさん、ちょっとごめんな!」
 馬泥棒と喚く男を踏み台にして、アレンは酒場の屋根に飛び乗った。緩やかな傾斜を駆け上がり、反対側の道路に面した屋根に下る。予想通り二度目の右折を終えた馬車が、アレンの眼下を通り抜けようとしているところだった。
 躊躇いなく飛んで狭い荷馬車に降り立つ。気配を察したらしいラゴスが、ぎょっとした風情で振り返った。
「ラゴス様の馬車に無賃乗車とはいい度胸だ! 金払え!」
「お前の馬車じゃねーだろ!」
 アレンは背後からラゴスを羽交い絞めにした。力を込めて締め上げつつ、ゆっさゆっさと前後に揺さ振る。
「雨露の糸返せよ!」
「お前達には絶対に渡ねぇ!」
「返せよ返せよ返せよ!」
「嫌だ嫌だ嫌だ!」
 騒がしい二人を乗せたまま荷馬車がペルポイの町を疾走する。砂埃を巻き上げ、商品を引っ掛け、人々の安全を脅かし、迷惑なことこの上ない。
「嫌だって言ってんだろー!」
 絶叫と共にラゴスが馬車を左折させた。馬車が遠心力にぐいと引っ張られ、その弾みでアレンが投げ出される。
「うわっ」
「ぐえっ」
 反射的に腕に力を込めた結果、アレンは御者の首っ玉にしがみつく状態となった。不安定な爪先は、地面すれすれの位置を漂っている。
「男にしがみつかれる趣味なんてねぇぞ!」
「俺だって好きでやってんじゃねぇよ!」
 だがこの状態で腕を放せば、着地した瞬間に馬車の下敷きになってしまう。幾ら頑丈な体と雖も、進んで痛い目に合いたくはない。
 足場を探す爪先が運悪く馬の腹を蹴り上げた。馬は怒りの入り混じった嘶きを上げ、ラゴスの制御を振り切って走り出す。馬車の車輪が、速度に見合う回転を成し得ずに軋音を轟かせた。
「げっ、ぶつか……」
 ラゴスが声を上げかけた時、轟音と共に追い駆けっこは終息した。


「いって〜」
 後頭部を擦りつつ起き上がると、アレンの鼻先をふわりと白いものが掠めた。膝の上に落ちた花弁を摘み上げながら、アレンは現状を把握する為にきょろきょろと周囲を見渡す。
 町をぐるりと一周して、スタート地点だった広場に戻ったようだ。未だ興奮状態にある馬が盛んに前掻きを繰り返し、そこからやや距離を置いたところに荷馬車だったらしき木片が散っている。
「真っ暗だぜ〜、ここは何処だ〜」
 くぐもった声に目をやれば、木片やら縄やらが絡み合った材木から、にゅっと突き出した足が上下している。アレンが無造作に足首を掴んで引き抜くと、ラゴスの疲れた顔が現れた。
「死ぬかと思った……」
 地面に座り込んで、ラゴスが息を弾ませる。そうやってしばらくするうち体力が回復したか、氷のような瞳でアレンを睨み上げた。
「てめぇのせいでとんでもねぇ目に遭ったぞ! どうしてくれる!」
「お前が雨露の糸を返さねぇから悪いんだろ!」
「お前達に渡すくらいならドブに捨てた方がマシだ!」
「じゃあさっさと捨てろよ! 俺が拾うから!」
「お前の分からないドブに捨ててやる!」
「全部のドブを探すから見てやがれ!」
 レベルの低い口論に没頭していた二人は、周囲を取り巻く気配に気付いて口を閉ざした。怪訝に思いながら顔を上げると、不穏な気配を纏った男達がぐるりと周囲を取り巻いている。
「……何だお前ら」
「それはこっちの台詞だ」
 誰何したラゴスの胸倉を、一際屈強な男が掴み上げた。
「何の恨みがあって山車を壊してくれた? お前らのせいで三日三晩の作業が水の泡だ」
「山車?」
 アレンとラゴスは男が顎で示した方向に目をやった。花やリボンを散らして潰れた木材の山は、言われて見れば山車の残骸に見えなくもない。
「あらら〜」
 ラゴスはぴしゃりと額を叩いた。
「こいつはひでぇな。だが元はといえば、俺様を追い駆け回したこいつが悪い……」
「どっちが悪いかなんてどうでもいい。役人に突き出してやる」
 男は乱暴にラゴスを突き飛ばし、壊れた山車を振り返って溜息をついた。仲間達と顔を見合わせながらぶつぶつと愚痴り始める。
「今から作り直して間に合うのか? 祭りは明日だぞ」
「間に合わせるしかねぇだろ。歌姫の山車はカーニバルの目玉なんだから」
「歌姫?」
 その名を聞いた途端、我関せずの風情だったラゴスが瞳を見開いた。ラゴスは身を投げ出すようにして、男の足に縋りつく。
「これはアンナが乗る山車だったのか?」
「ああそうだ、主役を張るアンナの山車だ。普通の山車よりでかくて作るのに時間がかかるっつーのに、お前らが壊してくれたお陰で……」
「うわあああ!」
 何の前触れもなく泣き出したラゴスに、アレンは勿論男達もぎょっとして思わず距離を置いた。通りすがりの子供が指差すのを、母親が必死に止めようとしている。
「アンナの山車を壊すなんて! 俺様は! 何てことを! 俺様のバカバカバカ!」
「うわ何だこいつ、自分で自分を殴り始めたぞ!」
「打ち所が悪かったのか? 誰か止めろ!」
 耳を聾するような喧騒が、ペルポイを覆う土の天井まで響いた。