一夜の祭りと盗人の夢<3>


「その若さでペルポイの牢に放り込まれるなんざ情けねぇ。お前らの親父とお袋は泣いてるぞ」
 年嵩の牢屋番はそう嘆きながら、アレンとラゴスの背を牢に押しやった、鉄の扉が閉じると闇の濃度が増し、明り取りの窓から漏れる微光にものの輪郭が頼りなく浮かび上がる。
「親父やお袋なんてとっくの昔に死んじまったよ!」
 ラゴスはすっかり不貞腐れ、埃塗れの床に寝そべった。一時の興奮は収まったらしく、すでにけろりと平静を取り戻している。
 突っ立っているのも疲れるので、アレンもその場に胡坐を掻いた。生まれて初めて放り込まれた牢の様子を観察しているうち、ラゴスがぼそぼそと話しかけてくる。
「なあ、お前はアンナの友達なんだろ? アンナがよくお前らの話をするんだ」
 ラゴスはうつぶせになり、組んだ腕に顎を埋めながらアレンを見上げた。淡い色の瞳が、品定めするかのようにすうっと細くなる。
「一つ聞きたい。お前と一緒にいたコナンって奴はホントにアンナの言う通り、優しくて誠実で温かくて魅力的で頼り甲斐がある異国のナイトなのか?」
「いいや全然」
「やっぱりそうか!」
 ラゴスは頭を抱えて呻き、足をじたばたと上下させた。
「よりによってそんな男に惚れるなんて、見る目なさ過ぎだぜアンナ! 俺がその時ペルポイにいれば、そんな出会いは防いでやったのに!」
「お前はペルポイに住んでるんじゃねぇの?」
 ラゴスはのろのろと顔を上げ、ふうと苦悩に満ちた吐息を一つ零した。
「俺様は一箇所には留まれない、風のように自由で気紛れな男だ。世界中の町や村を転々として、ペルポイに来るのは半年くらいだな」
「ふうん」
「お前の故郷はローレシアなんだろ? 国では父ちゃんや母ちゃんや兄妹が待ってるのか?」
「親父と爺がいる。お袋は死んじゃったし、俺一人っ子だし」
「父一人子一人か。ちゃんと父ちゃんのこと大事にしてるか?」
「……」
 反抗期の少年らしく仏頂面を披露すると、ラゴスは歯の隙間から忍び笑いを漏らした。からかわれているような気分に、、アレンの頬は益々膨らんでいく。
「父ちゃんのことが嫌いじゃないなら素直になっときな。親孝行、したい時に親はなしっていうだろ? 俺の親父はギャンブルに嵌るは酒を飲んで暴れるは他所で子供は作るはのろくでなしだったけど、やっぱ死んだ時には寂しかったもんだ。ああしてやればよかった、こうしてやればよかったって今でも後悔することはたくさんあるぜ」
 アレンの脳裏にふと父親の面影が過ぎった。丈夫で頑強な彼のことだ、変わらず元気でいるに違いない。父の死や老いを現実として捕らえるには、アレンはまだ若かった。
「俺様はローレシアには行ったことねぇんだ。盗み甲斐のあるもんはあるか?」
「ねぇよっ、盗み目的で来んなよっ」
「俺様はよぉ、大盗賊カンダタに憧れてんだ」
 とことんマイペースな男である。アレンの拒否など歯牙にもかけない。起き上がって胡坐を掻くと、ラゴスは得意気に夢を語り始めた。
「カンダタは単身王城に乗り込んで、国王から王冠を毟り取ったそうだ。お前が将来王様になったら、俺様が冠盗みにいってやろうか?」
「だから来んなって」
 アレンがげんなりと舌を出した時、鈍い音を立てて扉が開いた。壁と戸板の隙間から顔を覗かせた番兵は、アレンと目が合うと小さく頷く。
「釈放だ」
「おお、そいつはありがてぇ。こんな埃臭くて陰気な場所は俺様の好みじゃねぇんだ。まずは宿に戻って風呂でも……」
 立ち上がりかけたラゴスは、門番にじろりと一睨みされた。さりげなく腰の剣に触れる手を見てしまっては、さしもの彼も再び腰を落ち着けるしかない。
「釈放されるのはそっちの坊主だ。身元引受人が迎えに来たぞ」
「みもとひきうけにん?」
 コナンが悪知恵……もとい、機転を働かせて何らかの手を打ったのだろうか。首を傾げているところを、どんとラゴスに押し退けられた。
「こいつだけ? 俺様は? 罪の重さは一緒なのにひでぇ!」
「実際に馬を盗んだのも、手綱を取って山車に突っ込んだのもお前だろうが。……坊主、さっさと来い」
 促されるまま膝を立てた時、くいと袖口を引かれた。振り返る先には、意味ありげに微笑むラゴスの顔がある。
「俺様をここから逃がせ。そうすりゃ礼として雨露の糸をくれてやる」
「……」
「待ってるぜ」
 ごろんと横臥するラゴスを残して、アレンは牢屋の外に出た。
 小さな詰め所には丸テーブルと椅子があり、女がこちらに背を向けて座っている。ささやかな光を弾く銀髪を揺らめかせながら、彼女はゆっくりと振り返った。
「荷馬車で町を爆走だなんて、君もやることが派手ね」
 アンナの養母であり、魔女と称されるペルポイの薬師は、そう言って艶やかに微笑んだ。


「思ったより簡単に出られて良かったわ。ペルポイは犯罪者の集まりで、だからこそ町中での犯罪に厳しいのよ」
 魔女は口元のカップをソーサーに戻した。紅茶の香がする湯気を透かして、整った顔が笑う。
「良かったのか悪かったのかは、判断の分かれるところです」
 未だこめかみの青筋が収まらぬコナンが、不機嫌そうに瞬きをした。共に行動をしている人間が投獄されたなど、彼にとってあまりに美しくない事態である。
「今後の平和のためには、あのまま投獄されていた方が良かったかもしれません」
「だからごめんって、何度も謝ってんだろ」
「ごめんで済めば役人はいらない」
 顔を合わせたその瞬間から、アレンはコナンに嫌味を浴びせられている。げっそりしながら摘んだクッキーは、何時もよりぱさぱさしている気がして飲み込みにくい。
「ねぇお母さん、ラゴスは何時釈放されるの?」
「あら、そこまで聞いてこなかったわ」
 ラゴスの罪は山車の破壊より、馬を盗んだことにあるらしい。地下都市ペルポイにおいて、馬は地上のそれより何倍もの価値がある。
「面会に行けるかしら?」
「それは無理よ、身内じゃないんだもの」
「心配?」
 力なく俯いたアンナの横顔をナナが覗き込む。アンナの落胆からして、二人にはただの知り合い以上の結びつきがあるようだ。
「ラゴスはアンナの初めての友達だものね」
「あんなのは友達じゃねぇ、時々やってきてアンナにちょっかい出していくただのナンパ野郎だ。全くコソ泥といいパイナップル頭といい、悪い虫ばかりでお父さんは心配だったらありゃしねぇ」
 竪琴がぶつぶつ文句を垂れるのにアンナが眉を潜めた。
「ラゴスはいい人よ。わたしは親しくない人には緊張してしまうのに、不思議とラゴスとは会った瞬間に打ち解けることが出来たの。ずっと昔からの知り合いみたいに、一緒にいるとくつろげるわ」
 賑々しいあの男から、くつろぎという言葉を連想するのは難しい。アンナとラゴスは余程相性がいいのだろう。
「しかし面会すら出来ない状況は、僕達にとっても厄介だな」
「何で?」
「ああ、君のように忘れっぽい脳味噌を持つことが出来るのなら、僕の人生における苦悩も半減されるだろうに」
 コナンは額に指を当て、しっかりと嫌味を吐いてから続けた。
「僕達は彼を脱獄させねばならないのだろう?」
 言われてようやく、アレンは問題が何も解決していないことを思い出した。雨露の糸を奪取するにはラゴスとの接触、引いては牢獄への侵入が必要だ。
「魔女さん、何か手立てはありませんか? あなたなら罪人との接触を図ることも可能かと思うのですが」
「君ね、あたしを何だと思ってるの? あたしはただの善良な薬師よ」
「あなた自身はそうでなくても、あなたのお知り合いに伝があるのでは? 裏の人間とて怪我もすれば病気にもなるでしょう」
 犯罪者の集まりと雖も、ペルポイは法も規則もない町ではない。生活を営む上での決まりごとがあり、人々はそれに従うことを義務づけられている。ルールを尊ぶ生活に迎合しながら、その実、裏世界に身を置く人間がいるのは何処も同じだ。
「勿論あたしは心優しいから、どんな時でもどんな人でも診てあげるわ。この前道具屋の主人が転がり込んできた時も、持ち合わせがないっていうから後払いにしてあげたのよ」
 魔女は済ました顔で紅茶を啜った。
「そのお代を明日の夕方貰いにいく約束だったんだけど……あたし忙しいのよね。悪いけど君達、代わりに行ってきてくれない?」
「分かりました」
 コナンが淡く微笑む。ナナも心得顔だ。牢獄への侵入と魔女のお使いの関係が一人把握出来ないまま、アレンはミルクと砂糖がたっぷり入った紅茶を喉に流し込んだ。


 ペルポイを覆う空は人為的に光量が調節され、規則正しく朝と昼と夜が訪れる。
 夕暮れの色に染められた町中を、末裔達はやや急ぎ足で通り過ぎていく。数時間後に迫ったカーニバルの開催を前に、どの店も早めの店仕舞いに取りかかっていた。
「この道具屋さんね」
 一軒の店の前でナナが足を止める。花が飾られた店先といい、ぴかぴかに光るまで手入れされた看板といい、疚しい雰囲気など微塵も感じさせぬ佇まいである。
「こんちはー」
 アレンが店内に足を踏み入れた。からんからんと涼しげな鈴の音が鳴り響き、カウンターで薬草の選別をしていた男が顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
 四十を越えた頃の、人当たりの良い男である。ふくふくと丸い顔には柔らかな笑みが浮かんでいるが、眼鏡の向うの瞳が鋭いことにアレンは気付いた。あれは戦うことを知っている人間の眼差しだ。
「こんばんは。魔女さんのお使いでお邪魔しました」
「ああ、ご苦労様です。私の方からお伺いしなくてはならないのに、足がまだ思うように動かなくて。わざわざ申し訳ありませんね」
「いいえ。お大事にしてくださいね」
 店主は兼ねてから用意しておいたらしい封筒の包みを取り出した。封筒には請求額よりやや多い紙幣が二枚、包みには質の良い薬草が入っている。
「魔女さんによろしくお伝えください。この薬草は私からの感謝の気持ちです」
「これは素晴らしいですね。僕達にも商品を見せて頂けませんか?」
 ナナの手元を覗き込み、コナンが感嘆の声を上げる。それに気を良くしてか、男は上機嫌でカウンターに布を敷き、数多の薬草を並べ始めた。
「ローズマリーにタイム……あとはミントを少し。それともう一つ、用意して頂きたいものがあるのですが」
「はい。なんなりとお申しつけください」
 にこにこと微笑む男に、コナンもまた穏やかな微笑みを返した。
「牢獄への侵入方法をご教授頂きたい」
 ぱちっと瞬きをした瞬間、店主の顔から柔和な微笑みが消えた。まるで仮面を脱いだかのように顔つきが変わり、低い声が唇から漏れる。
「お前ら何者だ?」
「俺ら、牢屋にぶちこまれてるラゴスに用事があんだよ」
「それを魔女さんに話したら、ここに来るようにって言われたんです」
 店主は頷きながら、顎の辺りを一撫でした。
「あいつの紹介なら仕方ねぇ。日頃何かと世話になってるしな」
 男はカウンターの陰に屈み、やや時間を置いて一抱え出来る程の小さな箱を取り出した。側面に突き出した摘みを右に二回、左に三回捻ると、小気味良い音と共に蓋が弾かれるように開く。
「今夜は日々の鬱屈から解放されるカーニバルだ。祭りの間、ペルポイの人間は労働やら義務やらを忘れて祭りに酩酊する……それは役人も、牢屋番も、上で入り口を守ってる神父も変わりねぇ」
 店主は三人の顔を順繰りに見回した後、僅かに歯を見せて微笑んだ。
「あんた達は運がいい。今なら見張りを気にしねぇで進入出来る。あとは牢屋を空けるだけだ」
 店主が箱から取り出したるは、鈍色に輝く鍵である。掌に握りこめる程の大きさで、赤い精霊石が埋め込まれている。
「世界広しと雖も、牢屋の鍵を売っているのは俺の店だけだ」
 その時、どぉんいう音と共に窓の外が明るく輝いた。はっと振り返る三人の顔に、白い光が黒い影を落としていく。
「うわ、すげぇっ」
 ガラス越しに広がる風景に、アレンは思わず歓声を上げた。
 土と岩に囲まれた町は今宵、その様相を一変させていた。天井から垂れ下がる月と星はまばゆい煌きを宿し、その合間を縫うように花火に似た光が拡散する。何処からともなく色とりどりの紙ふぶきが舞い上がり、桜吹雪の如く大気と大地を彩っていく。
 大路には仮面をつけ、豪華な衣装を纏った人々が犇めき合っている。それは王であったり、姫であったり、道化師であったり、聖職者であったりした。光と闇が交錯する空間で、日常離れした装いの人々が踊り、食べ、飲み、歌い、一夜だけの幻を楽しんでいる。
「すごーい、面白そう!」
「これは美しいな」
 ナナは勿論、コナンまでもが素直に感嘆する。罪人達が作り上げた祭りは、これまで見たどの催しよりもきらびやかで幻想的だ。
「美しい風景に浮かれるなよ。ぼんやりしていると思わぬ怪我をする……ここはそういう町だ」
 店主は自嘲し、カウンターに隠れた足に視線を落とした。
「気をつけて行きな」