一夜の祭りと盗人の夢<4>


 様相を一変させたペルポイの町中を、末裔達は小走りで急ぐ。
 それにしても普段何処にこれだけの人が隠れているのか。道に犇く人々は、みな興奮と篝火に頬を赤く染め、年に一度の宴に興じている。赤子は母親に抱かれて美しい装飾に歓声を上げ、年頃の娘達は仮面の陰からライバルの衣装を品定めし、老人達は酒盃を片手に過ぎた日の武勇伝を語る。ペルポイの人々はこうして、一夜限りの思い出を年の数だけ積み重ねていくのだ。
 広場中央に誂えられたテーブルには、数多の皿がところ狭しと並べられていた。豚の丸焼きや魚の姿揚げといった豪快な料理から、動物を模した飴細工や花を閉じ込めたゼリー等の愛らしいデザートまで、アレンならずとも目を奪われるような料理ばかりである。鼻先を掠める香ばしい匂いに嫌でも腹の虫が反応した。
「美味そうな飯、いいなぁ」
「きれいなドレス、いいなぁ」
 アレンとナナは足を止めて料理や衣装に見入った。状況さえ許せば心行くまで祭りを楽しめるのに、そうすることの出来ぬ我が身が恨めしい。指を咥えて佇む二人を背後からせっつくのはコナンだ。
「僕達はラゴスから雨露の糸を取り戻さなくてはならない。祭りに現を抜かしている場合では……」
 その時通りがかった娘達が、コナンに向かって意味ありげに微笑んだ。今宵のダンスパートナーを探しているのだろう娘達は、みな瑞々しく美しい。
「……異国の風習を楽しむのも旅の醍醐味と言える。さっさと仕事を終えて祭りを楽しもう」
 躊躇いなく翻意してコナンが歩き始めた。アレンもナナもそれには賛成なので、無粋な突っ込みはせずコナンに肩を並べる。
 喧騒が遠ざかった頃、簡素な石造りの建物が見えてきた。細かな皹の入る様に年季を感じるが、がっしりと頑丈な作りで、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない。
 店主が言っていた通り見張りはいなかった。粗末な木戸を潜った先には短い階段があり、地下室へと繋がっている。下方から漂ってくる据えた臭いを嗅ぎながら、末裔達は狭い階段を下りていく。
 地下室には小さなテーブルと一対の椅子があり、それを取り囲むようにして壁一面に鉄の扉が並んでいた。ここにも人の気配はないようだ。
「ラゴス、いるか?」
 覗き窓から内部を伺うものの、闇が濃くてほとんど見通しが利かない。アレンは懐から牢屋の鍵を取り出し、分厚い牢の扉を開錠した。テーブルにあった蝋燭を頭上に掲げ、用心深く足を踏み入れる。
「……いないね」
 さして広くもない牢獄に、あるべき人影はなかった。たった一つの出入り口は確かに施錠されていたのだから、独力で逃げ出した可能性は低い。
「おかしいな。他の牢に移されでもしたか」
「……」
 アレンは蝋燭を翳して周囲を見渡し、ちょうど目の高さに張られた一枚の紙に気付いた。紙面には小汚い文字で殴り書きがされている。
「……上を見ろ?」
 素直なアレンは上を向いた。また紙がある。
「右を見ろ?」
 素直なアレンは右を向いた。やはり紙がある。
「左を見ろ?」
 素直なアレンは左を向いた。更に紙がある。
「下を見ろ?」
 素直なアレンは下を向いた。しつこく紙がある。
「きょろきょろすんな。……何だよこれ!」
「引っかかったなバカめ!」
 響き渡る哄笑に末裔達は振り返った。
 暗闇に覆われた壁からラゴスが現れ、得意げに頤を持ち上げる。濃い闇がまるでカーテンのように、壁と壁の狭間に生じた亀裂を覆い隠していたようだった。
「卑怯な手で俺様を陥れた仕返しだ、ざまあ見ろ!」
 呵々大笑しながら、ラゴスは開け放したままだった扉に手をかけた。その長躯がひらりと牢屋の外に翻る。
「雨露の糸を渡す約束だったが、気が変わったのでやっぱり返してやらん! 俺様は一人で逃げる! さらばロトの末裔達よ!」
 一陣の風が通り過ぎると、埃の舞う牢屋に沈黙が落ちた。床に落ちた蝋燭の炎が、足掻くように揺らいだのち消える。
「……ワガママな男ね」
 埃が付着した巻き毛や服をぱたぱたやりながら、ナナは闇を透かしてコナンを見上げた。
「逃げちゃったけどいいの?」
「どうせ町の外には出られない」
 コナンの疲れた溜息が聞こえた。
「道具屋の主人が言っていただろう、ペルポイの入り口を守っている神父もカーニバルに参加していると。鍵を持っている人間がいなければ外への扉は開かない」
 コナンはかつかつと足音を響かせながら牢の外に出た。
「だから一晩目立たないところに匿って、明日の朝逃がしてやろうと思っていたのに……話を聞かない人間は美しくない」
 明朝入り口で張り込んでいれば、間抜けなコソ泥はのこのこやってくるだろう。闇雲に追い駆け回すのは時間と体力の無駄である。
「僕達も朝までカーニバルを楽しむことにしようか」
「でもアレンが追い駆けてっちゃったわよ。また騒ぎになったら……」
「そうなったら今度こそ、ラゴス共々この地下牢に永久封印していく」
 口元は笑っているが目が本気だ。九割方本意が込められているだろうコナンの台詞に、ナナはやれやれと薄暗い天井を仰いだ。


 舞い散る紙吹雪と降り注ぐ光の雫。吹き上がるシャンパンの泡と絶え間なく打ちつけられる酒盃。生きた熱を持つ祭りを背景に、お伽噺から抜け出してきたような人々が行き交う様は何処か不気味だ。一緒に遊ぼうと差し伸べられる手を取れば、この世ならざる場所に引き込まれそうな奇妙な錯覚を覚えた。
「あ、あれ?」
 曲がり角を折れた途端、アレンはラゴスの姿を見失った。
 戸惑うアレンの周囲で色とりどりの衣装が翩翻と翻る。縫いつけられたビーズやスパンコールがきらきらと輝き、まるで星空の中に放り込まれたかのようだ。
 人ごみを掻き分けようともがいた時、町中の篝火が急激に勢いを弱めた。濃度を増した闇に目が慣れるより早く、メインストリートの端でわっと大きな歓声が弾ける。
 遠目にも、蛍色の光を滲む山車が動き始めたのが分かった。仰ぎ見るような巨大な山車には数多の白百合が飾られ、その一つ一つが魔力を孕んでほんのりと輝いている。仄かな光が何百と寄り添って、淡雪を髣髴とさせる柔らかな光を生み出しているのだ。
 山車の頂点に座すのはペルポイの歌姫だ。結い上げた金髪に数多の花をあしらい、ほっそりとした首と耳朶に大粒の真珠を飾っている。クリーム色のレースが重ねられたアンダードレスを纏い、その上から細かな花模様が刺繍されたオレンジ色のローブを羽織っている。ふんわりと花弁のように広がるドレスの意匠が、彼女の細過ぎる体の欠点を上手にカバーしていた。
 アンナの歌声を高く低く響かせながら、山車は静かにメインストリートを進んでいく。誰もが彼女の歌に酩酊していたせいで、起こりつつある異変には気づかなかった。
 見栄えを優先させたアンナの山車は規定のサイズを大幅に越えていた。余計に張り出した装飾部分が篝火を掠め過ぎ、少しずつ、だが確実に熱を持っていく。じっくりと時間をかけて炙られたそれが勢い良く発火するには、何の前触れもなかった。
 誰かが出火に気付き、誰かが悲鳴を上げた。
 可燃材が多く使用されているのか、炎は見る間に勢いを増していく。純白に輝いていた歌姫の山車は、あれよあれよという合間に紅に染まり変わった。
「アンナ! 逃げろ!」
 駆けつけようにも、逃げ惑う人々の波に阻まれて思うように進めない。焦燥にアレンが舌打ちした時、一人の男が群集から矢の如く飛び出した。
「アンナあああっ!」
「……ラゴス」
 ラゴスは燃え盛る山車に飛び乗り、炎も熱風も厭わぬ勢いでがむしゃらに頂上まで攀じ登った。逆巻く火の粉から庇うようにアンナを両腕に抱き締める。
「アンナ、もう大丈夫だぞ」
 ラゴスの声が、逆巻く炎の向うから途切れ途切れに聞こえた。
「……から、もう大丈夫だ」
 意識を失いかけたアンナを抱きかかえ、ラゴスが天井を睨み上げる。挑むように持ち上げられた顔は毅然と引き締まり、何時ものへらへらとした表情は見られない。突如現れた無もなき騎士が姫君を救い出すのだと、誰もがカーニバルを彩る英雄の誕生を期待した。
 だが人々がそんな夢を描けたのも一瞬である。
 アンナの無事を確認して、ラゴスはようやく我に返ったようだった。戸惑った風に周囲を見渡すうちに眉尻が角度を下げ、唇がへの字を結ぶ。ざわざわと不穏な空気が流れ出したその時、遂に悲痛な泣き声が炎の壁を突き破った。
「火事だー! 助けてくれー!」
「あのバカ!」
 舌打ちと共に駆け寄るものの、山車の下方は隈なく炎に覆われていて足場が見出せない。よしんば火を掻い潜って頂上へ辿り着いたところで、脱出方法を算段しておかなければ間抜けなコソ泥の二の舞だ。
「くそっ」
 アレンは二人の救出方法を求めて視線を走らせる。日頃働くことを得意としない脳味噌が、この時ばかりは必死に回転した。
 半ばまで水の張ったバケツ、店先に並ぶ水壷、どちらもこの炎の前には無力だ。地面にとぐろを巻くロープ、伏せ置かれた梯子、どちらも脱出口にはなりえない。
 ふっと仰向いた太陽の瞳が、遙か頭上で瞬く数多の光を捉えた。炎が撒き散らす光を浴びて、作り物の星が赤く輝いているのだ。満天の星空もまた、ペルポイにとって日常離れした幻の象徴である。
「ラゴス! もうちょっと頑張れよ!」
 アレンは地上に続く階段を目掛けて走り出した。