だが犬の働きは無駄にはならなかった。 アレンは馬鹿だがコナンとナナはそうではない。鳥も寄りつかぬ岩山に怪しげな光が揺らめいていたと聞けば、それこそ炎の祠でないかと推測する力がある。 改めて三人で炎を確認した翌朝、末裔達は北東に聳える岩山に向けて出航した。順調に海面を滑る船の甲板で、思わぬ状況に困惑を隠せないのはアレンである。 「俺が一緒に旅してる奴に、コナンってのがいるんだ」 噂をすれば影という。名前を出すのも憚れるような気がして、アレンの声は自然抑えたものになった。 「凄ぇ細かくてうるせぇんだ。説教が始まったら三日は続くんだ。寝言まで嫌味なんだ。前にそうだった時は俺食欲なくなっちまって、丼三杯しかお代わり出来なくなったんだぞ」 積荷の影にしゃがむアレンの前では、栗毛の犬が円らな瞳を瞬かせている。 犬は至極アレンをお気に召したようで、何処までも付き従って離れようとしない。乗船の際邪険に追い払ったはずなのに、出航してから甲板で尾を振っている姿に気づいた時には眩暈がした。 「見つかったらお前まで嫌味攻撃されるぞ。だからここで大人しくしてろよ、な?」 そう言い聞かせるものの、犬が岩山までついてくることは容易に想像出来た。繋いでおくためのロープを探そうとしたところで、背後から唐突に声をかけられる。 「そろそろ到着だそうだ。支度をしたまえ」 凍りついた顔で振り返った先には、今世界で一番会いたくない男が立っていた。咄嗟に体を反転させたが、それで犬の存在を隠しきれるわけもない。 「お、追い払ったんだけど何時の間にか船にいたんだ。んで俺もどうしようかと思ってて……」 「どうもあの島からは嫌な気配がする。しっかり準備を整えておかないと厄介なことになりそうだ」 くどくどしい説教が始まらないので、アレンは拍子抜けした。最大の嫌味……即ち無視を決め込んだかと訝しむところへ、犬がきゅーんと切ない声をあげる。その響きにちくちく心が痛んだアレンは、破れかぶれの覚悟を決めてコナンに訪ねてみた。 「なあ、一緒に行っちゃヤバイよな?」 「……は?」 「いやだから、あの岩山に一緒に行っちゃだめだよなって……」 「馬鹿なことを。ここまで来てどうする気だ、さっさと支度しろ」 「へ?」 思わぬお許しに唖然とするアレンを残して、コナンは船室へ立ち去っていった。 「うわっ、何だこの島」 一歩島に踏み入った途端、息苦しい程の熱気が隙間なく三人を包み込んだ。大地が孕んだ熱はザハンのそれより高く、靴底を通してじんわりと伝わる程だ。 乾ききった岩塊がごろごろと転がり、動物はおろか草一本存在しない。潮風が地表を撫でる度に土埃が巻き起こり、血飛沫のように空気を赤く染めた。 ゆらゆらと陽炎を放つ島のいたるところに、ほぼ完全な球体をした石が転がっていた。何れも淡い灰色と黒のまだら模様、その表面は研磨したかのように艶やかだ。 「この石何かな。自然のものではなさそうだけど……」 見上げるナナに並んだコナンも、分からないという風に首を振った。 「とにかく炎の祠を目指してみよう。紋章があるのなら、何処かに守護者がいるはずだ」 三人は炎の祠を目指して歩き出した。山頂までの距離は長く険しく、道らしい道もない。ごろごろと気紛れに転がる巨岩を乗り越え、潜り、狭間を通り抜けた先に目的地はある。ほんの少し進んだだけで忽ち息が上がった。 「あっちぃなぁ。このままじゃ俺ら、紋章見つける前に干物になんじゃねーの」 「暑い暑い言うな、余計に暑くなる」 殺気立つコナンを尻目に汗を拭った時、アレンはふと生き物の気配を感じた。暑さでだれ切っていた表情が、急激に戦士の緊張を帯びて引き締まる。 「どうしたの?」 「……何かいる」 アレンは素早く近くの岩に飛び乗り、高い位置から周囲を見渡した。注意深く視線を巡らせるものの、吹き抜ける砂塵の他に動くものはない。 「っかしーな。絶対何かいたと思ったんだけどな」 「この暑さで君の野生の勘も鈍ったか」 「溶けそうな顔したお前に言われたか……うわっ」 不意に足元が傾いでアレンは岩から転がり落ちた。頭頂部から地面に叩きつけられそうなところを、咄嗟に右手を伸ばして回避する。くるりと後転した体が爪先から地面に着地した。 「何だこの岩?」 屈んだアレンの目の前で、巨岩がびしりと音を立てて割れる。頑強な岩肌が左右にゆっくり倒れると、中から粘液質の糸を引く青い物体が現れた。 黄色い嘴が産声を紡ぎ、皺めいた皮膜の翼がもどかしげに蠢く。長い尾が岩を打ちつけ、滑ついた胸が呼気を繰り返す。貪欲な食欲を帯びた瞳が、ひたと獲物達を見据えた。 「パピラス?」 「イオナズン!」 間髪入れず、ナナの放った光の玉がバピラスを中心にして弾けた。魔物を粉微塵に砕いた爆風は、ナナの指示通り半円状に広がり、周囲に転がっていた岩をも共に弾き飛ばす。 破壊し切れなかった岩の幾つかに亀裂が生じた。ゆっくりと広がっていく皹の合間からは、生まれたばかりの獰猛な嘴が見え隠れしている。 「文字通り、魔物の巣窟だな」 見渡す限り転がる岩を目算しながら、コナンは不快げに顔を顰めた。 「これ全部、パピラスの卵ってことか?」 「らしいな。ここの地熱で卵を温めているらしい」 「ザハンにバピラスが多いわけね。こんなに卵があるんだもん」 油断なく武器を構えながら、末裔達は背中合わせに円陣を組んだ。運悪く羽化の時期に当たってしまったらしく、岩と認識していた卵から次々とモンスターが孵っていく。 きぃっ、と鋭い声が上空から落ちてきて、三人ははっと顔を上げた。陽光を遮る勢いで、無数のバピラスが頭上に集結しつつある。 「あれは親鳥ね」 「一難去らずにまた一難だな」 緊張したコナンの顎先から、暑さのせいばかりではない汗が滴り落ちた。 「……あれは僕が五歳の頃のことだ。当時から神童と称されるほど賢く美しかった僕は、王宮の庭での読書を日課にしていた。良く晴れた春のある日、僕は何時ものように魔術所を片手に庭に出た。日の光が煌く美しい昼下がりだった」 何の脈絡もなく昔語りを始めたコナンを、アレンとナナは胡乱な目で見やる。 「いきなり何の話だよ?」 「まあ終いまで聞きたまえ」 美しい手の動きで、コナンはアレンとナナの不満を逸早く封じる。 「……木陰で読書を始めようとした時、何かが僕の頭を掠めた。不思議に思って上を見ても何もいない。首を傾げつつもう一度本に視線を落とすと、今度は痛みを伴った衝撃が僕の後頭部を襲った。不幸なことに頭上にカラスの巣があって、親鳥が僕を敵と看做したんだよ。以来カラスに目をつけられてしまったいたいけな僕は、庭に出る度に襲われるようになってしまった」 「……で、それが今のこの状況と何の関係があるの?」 「要するに」 こほん、とコナンは咳払いをした。 「子育て中の猛禽類はこの上なく凶暴であるので、巣にのこのこ入り込んだ僕達は大変危険な状況にあるということだ」 「お前話長ぇよ!」 怒鳴りつけた次の瞬間、銀色の殺気がアレンの項を焼いた。アレンは舌打ちし、抜き放ったロトの剣を力任せに魔物に叩きつける。どろりとした内臓と血液が乾いた地面を汚した。 上空からは親鳥が、地上からは雛鳥が間断なく襲いかかってくる。このままでは遠からず三人仲良く力尽き、鋭い嘴に引き裂かれることだろう。 「しつこいなっ」 もう何匹目か分からないバピラスを叩き落して、アレンは額から流れる血と汗を拳で握った。この岩山の状況の全てが末裔達には不利に、魔物達には有利に働いている。 魔物の羽音を貫いて、透き通った犬の声がアレンの耳に届いた。弾かれるように振り返ると、さっきまで傍らにいたはずの犬が、左右に聳える岩の狭間で尻尾を振っている。 「……?」 犬は前足で空を掻き、アレンに背を向けて駆け出す素振りを見せた。二歩進んでから足を止め、再び良く通る声で吠える。 「……来いってか?」 アレンはじっと犬を見つめ、それからコナンとナナを振り返って怒鳴った。 「おい、こっちだ! こっちに何かある!」 仲間から返事が上がるのも待たず、アレンは犬を追って駆け出す。行く手に何があるかは知る由もないが、彼の先導に間違いはないとの確信があった。 「ちょっとアレン、何処行くのよ!」 「知らねーよ!」 襲いかかってくるバピラスを屠りながら走ると、山頂に伸びる長い階段に出た。切り立つ岩山に刻まれた階段は角度こそ急だが、目的地までの道程を半分に短縮してくれる。恐らくそれは遥か古、太陽を創造しようとした人々が辿った道だ。 星の目立ち始めた空の下、三人は一気に階段を上った。岩山の頂上には予想外に広い砂地が広がり、そのほぼ中央に神殿を髣髴とさせる祠が聳えていた。祠を取り囲むように三本の柱が立ち、その天辺に灯る炎が不規則に伸び縮みしている。 「この柱が姫巫女様の仰っていた封印か。祠に封じられた炎の種とやらを、暴走しないように少しずつ吐き出しているんだ」 「あれ見ろよ、一本崩れてる」 東に聳える柱は崩壊し、炎が上がっていなかった。瓦礫の天辺から、風景を歪ませる熱気が時折吐息のように立ち上っている。 「あれで封印のバランスが崩れちゃったんだわ。上手に放出されない炎が逆流して大地に篭ってる。だからザハンはこんなに暑いのね」 「封印の張り直しってことか?」 コナンは周囲に視線を這わせ、同じく気配を探るようにしていたナナと顔を見合わせて頷いた。 「封印そのものは壊れていないようだ。単純な話、噴出孔を塞いでいる瓦礫を避ければ力は安定する」 「分かった!」 アレンにも分かる至極単純な話である。善は急げと駆け出すアレン目掛けて、上空のバピラスが滑降してきた。我先にと獲物に殺到する魔物達に、コナンが放つ黒い影が忍び寄る。 「ザラキ」 死の文言を掻い潜ったバピラスを、アレンは縦一文字に切り伏せる。生暖かい鮮血を頭から被りつつ、積み重なる瓦礫へと走り寄った。 魔力変換能力のないアレンにも、それがただの石でないことは把握出来た。触れた瞬間、指先から何か得体の知れない力が流れ込んでくる。内側から仄かに赤く輝くそれは、恐らく巨大な精霊石なのだ。 アレンは瓦礫の両脇に腕を回し、体を密着させた。深呼吸をして意識を集中させ、渾身の力でそれを押しのけようとする。 ずっ、と一度小さく震えたきり岩は動かなくなる。然程大きな瓦礫でもないのに何という重さか。まるで見えない鎖で大地に縛りつけられているようだ。 舌打ちするアレンの背後では、爆裂音がひっきりなしに鳴り響いている。バピラスの執拗な攻撃を防ぐため、二人が休む間もなく魔術を連発しているのだ。その爆音が少しずつ、だが確実に弱くなってきているのは決してアレンの気のせいではない。 「動けよっ!」 鋭く割れた縁がアレンの手袋を裂いた。ぽたぽた滴る血が赤土よりもなお鮮やかな染みを足元に刻んでいく。 犬が駆け寄り、瓦礫の下に鼻を突っ込んで懸命に砂を掻き出そうとする。柔らかい砂はすぐさま崩れ落ちて穴を塞ぐが、犬は前足を止めなかった。 「手伝ってくれんのか。……よし、俺がんばる」 は、と息をついて一旦体を弛緩させる。目を瞑って深呼吸を繰り返し、筋肉の一つ一つに神経を集中させていく。そうして限界まで溜め込んだ力を、アレンは気合と共に爆発させた。 岩がごろりと転がった瞬間、跳躍した犬がアレンの首根っこを咥える。仰向けに引き倒されたアレンの鼻先を掠めるようにして、吹き出した朱金の炎がザハンの夕空を焼いた。 |