火の迷宮と水の巫女<3>


 短い休憩を取った後、末裔達は再び迷宮をさまよい始めた。
 煮え滾る溶岩が三人の顔を赤く照らし出す。焼けつくような熱風が、彼らのマントや髪を容赦なく嬲った。
「あれに落ちればさすがの君も助からないだろう。それを肝に銘じて無茶はしないでくれたまえ」
「俺だって溶岩になんか落ちたくないけどさ」
 アレンがぴたりと足を止めて、背中の剣をずんばらりんと抜き放った。
「後ろの奴らがやる気満々みたいだからなぁ」
 三人の背後に人の壁が生じた。闇と炎の滲む空間の中、白い法衣を揺らめかせて佇む様は恰も幽鬼のよう。仮面に象嵌された宝石が滑るような輝きを滴らせている。
「邪教徒……」
「やれやれ。尾行されていたとは美しくない」
「忌まわしきルビスの教徒達よ」
 金糸の刺繍が施された、一際豪華な法衣の男が進み出た。邪教の杖を握る手背の皴は深く、彼の越して来た年月の長さ伺える。男は三人に杖を突きつけると、仮面の中からしわがれた声を放った。
「武器を捨て、悔い改めよ。魂の破滅を招く前に、その心を我らが神に捧げるのだ。さすれば破壊神シドーは寛大なる慈悲を施されることだろう」
「嫌なこった」
 アレンが大きく舌を出す。
「だって邪教徒になったらその仮面被らなくちゃなんねぇんだろ? その仮面変だもん」
 アレンの挑発が終わるや否や、邪教徒の一人がベギラマを放った。襲いかかる真空の渦を横っ飛びに避けて、アレンは突き出した岩の上に危うげなく着地する。
 硬い岩盤が容易く削られたのを見て、アレンはひゅうと口笛を鳴らした。
「おっかね。お前のベギラマより凄いんじゃね?」
「寝言は寝てからいいたまえ。僕のベギラマと彼らのそれでは輝きが違う」
 コナンのベギラマとナナのバギがほぼ同時に閃いた。敵味方双方の魔術が虚空で激突し、耳を聾する爆音と共に弾ける。ちかちかと炎の屑が瞬く中を、アレンは青い疾風と化して獲物に踊りかかった。
 リーダーらしき壮年の男に、アレンは思い切り剣を振り落とした。がきんと音がして、ロトの剣が白い火花を散らす。男が咄嗟に翳した杖でアレンの剣戟を受け止めたのだ。
「へえ、坊主のくせに俺の剣を受け止めるなんてやるじゃん」
 言いながら力を加えると、男の体はゆっくりと沈み始めた。遠からぬ勝利を確信したその時、杖を飾る竜のオブジェが輝く。
「うわっ」
 思い切り仰け反らせた額を風刃が掠めた。慌てて後ろへ飛び退いたアレンは、額から顎に温かいものが流れる感触に舌打ちする。邪教徒の杖は風の力を秘めた魔術品であるようだ。
「ラリホー!」
 睡眠魔術を振り払いつつ、アレンとコナンが走り出す。銀と金の刃が踊り、邪教徒達の肉体を容赦なく切り裂く。倒れ伏す屍を飛び越えて、二人は敵陣の奥深くにまで入り込んだ。
 剣士に懐へ飛び込まれては、魔術を得手とする邪教徒達は圧倒的に不利だ。一人、また一人と仲間が斬殺される光景に恐怖したか、誰かが悲鳴を上げたのを皮切りに、邪教徒達は尻に帆をかけて逃げ出し始めた。
 逃げる者を深追いする理由もない。闇に溶けていく法衣を眺めながら、アレンとコナンはそれぞれの剣を鞘に収めた。
 激しい戦闘の後に残されたのは、累々たる邪教徒の屍である。コナンはルビスの聖印を取り出して、小さく祈りの言葉を呟いた。
「どのような姿形であっても、命の重みに違いはないと説くべき聖職者としてあるまじき台詞だが」
 コナンはアレンに向かって小さく肩を竦めた。
「邪教徒との戦いは魔物との戦いに比べて後味が悪い。人間同士の殺し合いは出来れば避けたいものだ」
「しょうがねぇよ。こいつら人間だけど俺らの敵だ。やらなきゃやられちまう」
 アレンが唇を尖らせた。
「俺、まだ死にたくねぇもん」
「真理だ。僕も死にたくないから戦うし敵を殺している」
 吹き抜ける風が髪を揺らし、コナンの頬に幾筋もの影が躍った。
「僕達は僕達の信念のために戦い、彼らは彼らの信念のために戦っている。そう考えると僕達と彼らは、そう遠い存在ではないのかもしれないな」 「いきなり何だってんだよ」
「ふとそう思っただけだ」
 コナンは光の剣を腰の鞘に収めた。
「さて、敵も撃破したことだし先へ進むとしよう。ナナ、怪我はなかった……」
 コナンが振り返る先にナナの姿はなかった。ごつごつした地面で魔術師の杖が鈍い光を放つのみだ。一瞬ぽかんとそれを見つめた後、状況を把握してコナンは唸った。
「ナナがいない」
「……へ?」
 アレンはきょろきょろと辺りを見回した。確かにコナンの言う通り、何時もきゃんきゃん元気なムーンブルク王女の姿が見当たらない。
「何で? あいつ何処行っちまったんだ?」
「少しはその頭の中に入っているものを使いたまえ、邪教徒に攫われたに決まっているだろうっ」
 ああ、と呻いてコナンが左手で顔を覆った。苦痛に満ちた吐息が長々と零れる。
「目の前でレディを拉致されて気付かずにいるとは……僕のナイトとしてのアイデンティティが崩れ去る音がする……」
 えらくへこんだ様子で項垂れたと思いきや、ものの数秒で立ち直って拳を握る。
「だが落ち込んでばかりもいられない。攫われた姫君を救うのはナイトの役目。嘗てロトの勇者がローラ姫を救い出したように、僕達もムーンブルクの姫君を助け出すことにしよう!」
「お前さあ、酔っ払ったみたいな顔してるぞ」
「いざ行かん!」
 ひらりとマントを翻してコナンが駆け出す。アレンがぼさっと突っ立っているのに気づくと向きを変え、びしっと指を突き出した。
「ぼーっとしていないで早く来たまえ!」
「え……あ、うん」
 今ばかりはコナンの温度がアレンのそれより高いらしい。せっつかれるまま、アレンはコナンに並んで駆け出した。
「今頃ナナは、恐怖と絶望で涙を流しながら震えているに違いない……かわいそうに」
 コナンの呟きに、アレンは短い沈黙を置いて小首を傾げる。
「えー。俺、あいつが怖がって泣いてるとこなんか想像出来ねぇ」
「……まあそれはそうなんだが」
 コナンは眉間に皴を刻み、
「ここはシチュエーション的にそういうことにしておいて欲しい」
「けどさあ、あいつら何だってナナを連れてったんだ?」
「何かしらの利用価値があるんだろう。殺すつもりならわざわざ攫いはしないはずだ」
「んじゃ、あいつらに直接聞けばいいか」
「そういうことだ」
 二人の少年は、邪教徒達を追って足を速めた。


 アレンとコナンが邪教徒達の追跡を始めたその頃。
 岩壁に囲まれた狭い空間に苦痛の叫びが上がった。悲鳴の主は投げ出され、鈍い音を立てて地面に転がる。剥き出しの肌に血が滲み、節々が痛々しく腫れ上がった。
「もっかい近づいたら蹴るわよっ!」
 両手を背中で戒められたナナが眦を吊り上げた。ナナの足を縛ろうとしていた邪教徒は、手にしていたローブを投げ出してほうほうの体で逃げ出す。
「こんな小娘一人に何をてこずっている!」
 金糸の法衣を纏った男が、部下のふがいなさに檄を飛ばした。
「マホトーンをかけた魔術師など只人と変わらぬだろうが!」
 激昂する男と鼻息を荒くするナナを見比べて、邪教徒達はおろおろと顔を見合わせた。
「ですが神官長、この娘はまるで野犬のように凶暴であります!」
「自分は踏まれたであります!」
「自分は頭突きされたであります!」
「自分は噛みつかれたであります!」
「ええい、情けない奴らめ」
 神官長は舌打ちし、自らローブを取ってナナに近づいた。
 歩み寄って来る邪教徒を、ナナは炎の色をした瞳で睨み上げた。両手の戒めを振り解こうと力を入れれば入れる程、よく揉んだ縄が肌に食い込んでくる。
 邪教徒のラリホーをまともに食らったところまでは覚えている。深い眠りに一瞬にして放り込まれ、気がついた時には邪教徒に抱えられて何処かへと運ばれる最中だった。
 魔術を封じられているのが痛かった。何とか逃げ出そうと力の限り暴れたが、自称か弱い乙女であるナナ一人では大立ち回りにも限界がある。一瞬の隙を押さえ込まれ、忽ち両手を縛り上げられてしまった。
「大人しくすれば悪いようには……んがっ」
 怒りに任せて思い切り足を振り上げる。かつて王宮で優雅なステップを刻んでいた爪先が勢いよく神官長の頤を打った。
仮面が吹っ飛んで痩せた男の顔が顕になった。眦に施された赤い顔料がハーゴンを髣髴とさせ、ナナの胸に新たな怒りが爆発した。
「近づいたら蹴るって言ったでしょ!」
 顎を押さえて蹲る神官長にナナは牙を剥いた。
「大体あんた達、あたしを連れてきてどーする気なのよっ!」
「お前は、我々をロンダルキアに導いてもらう」
 青くなった顎を擦りつつ、神官長はどうにか不敵に微笑んだ。
「導く?」
「ロンダルキアは神々のおわす聖峰。神のご加護なくして立ち入ることは難しいが、テパ神殿から続く道を辿れば、翼なき人の身でもロンダルキアの土を踏むことが出来るという。……そうなのだろう、テパの巫女よ?」
「……何であんた達がそんなことを知って……」
「魔術国ムーンブルクは人類の叡智の宝庫だ。城の書庫からテパ族の文献を見つけるのはそう難しいことではなかった」
 愛する故郷……廃墟と化しても尚懐かしい城が邪教徒に蹂躙された。吐き気を催すような怒りと嫌悪がナナの胸を圧迫する。
「破壊神シドーが降臨される日まで、我らは聖地に集わねばならぬ。お前には溶岩に守られた道とやらを切り開いてもらいたい」
 テパの巫女は、ロンダルキアへの扉を開くたった一つの鍵だ。邪教徒達はロトの末裔に怖気づいて逃げ出す傍ら、ちゃっかりその手立てを攫ってきたのである。
「そんなの、ハーゴンに頼んで連れてってもらえばいいでしょ。それとも、あんた達みたいな下っ端は要らないって切り捨てられちゃったの?」
 苛立ちに任せ、意地の悪い嘲笑で挑発するものの、邪教徒達は露程も動じなかった。
「ハーゴン様は我らを試していらっしゃるのだ。ロンダルキアに独力で辿り着いた者こそ、破壊神シドーにお仕えするに相応しい人間だとな」
 狂気じみた微笑に、ナナはぞくりと背筋に冷たいものを覚えた。どんなひどい仕打ちをされても、彼らはそれを試練と受け入れ、納得し、あまつさえ期待に応えようと高揚する。ハーゴンに心酔する男達に部外者の指摘は届かない。
「……あたしが大人しく言うこと聞くと思ってるの? あんた達に手を貸すくらいなら溶岩に飛び込んだ方がマシ」
「溶岩に飛び込むのはお前の仲間だ」
 神官長は立ち上がりナナを俯瞰した。剃り落とした眉の辺りがひょいと持ち上がる。
「ローレシア王子とサマルトリア王子はお前を助けに来るだろう。私は二人の王子を溶岩に叩き落してこの世から完全に消し去ってくれる。仲間の断末魔を聞かされても、お前はそのように強気でいられるかな?」
「アレンとコナンを溶岩に叩き落す?」
 ナナは精いっぱい強気の表情を作って鼻を鳴らした。
「あんた達にそんなこと出来るわけないわよ。いざとなったらあたしなんかよりアレンやコナンの方がずっと凶暴なんだから!」
 ナナの怒号に邪教徒達がざわりとざわめいた。
「この娘よりも凶暴だと?」
「恐ろしい……! 本当に人間なのか?」
「怯むな情けない!」
 怯える教徒達を一喝してから、神官長は再びナナに向き直った。痩せた顔に張りついた微笑みは怖気を振るうほど冷たい。
「こちらにはお前という人質がいる。単純な戦闘能力の差が勝利に結びにつくとは限らんぞ」
「……」
 ナナは必死に両手を動かした。血流が滞っているせいか、指先が痺れて冷たくなっている。せめて両手が自由になれば、彼らの隙を突いて逃げ出すことも可能だろう。あとは岩陰にでも身を潜めて合流の機会を待てばいいのだ。
「尤もあの男達を始末する前にやることがある。……お前に大人しくなって貰わねばな」
 神官長の瞳が危険な光を帯びた。
 はっと身を引いた時には遅かった。壮年の男の体が覆い被さり、それを合図として他の信者がナナを押さえつける。蟻の群れに襲われた蝶が翅をばたつかせるように、ナナは必死に体を捩ってもがいた。
「止めて、止めて! いやあああ!」
 だがどんなに足掻いたところで、力の差は歴然としている。
それから数分後、ナナは乾いた地面に惨めな姿で横たわっていた。あまりに悲惨な出来事に体の震えが止まらない。
「……あんた達……」
 ナナは屈辱に燃える瞳で邪教徒達を見渡した。
「絶対に許さないんだから覚えてなさいよ!」
 体を荒縄でぐるぐる巻きにされて転がる姿は、まるで巨大な新巻鮭だ。こんな間抜けな姿を誰かに見られたら、もうお婿の来手がなくなってしまうではないか。
「これで蹴られる心配はなくなりましたね、神官長」
「だが噛みつかれる可能性がある。容易には近づくな」
 全身痣だらけになった男達は、遠巻きにナナを眺めながら頷き合った。