痛む肩を押さえ、痺れる足を引き摺りながらアレンは一人歩き続ける。 一体どれだけの距離を進んだのか、ふと顔を上げると狐型の岩があった。そこから視線を落とした先の岩には白い刀傷が浮かび上がっている。 「やっぱぐるぐる回ってんだなぁ、俺……」 アレンはふうと息をつき、よろめくように岩壁に凭れた。足の力が抜けるのに任せてずるずると座り込む。 薬草を口に含むものの、疲弊した体は唾液を生み出す作業さえ滞りがちだ。辛抱強く薬草を咀嚼しながら、アレンは何度も目を擦った。 「疲れた……」 勝手に下りてくる目蓋を必死に持ち上げる。こんなところで眠れば即時魔物の餌だと分かっていても、肉体の強烈な要求に抗い切れない。 遠くから微かな足音が近づいてきた。剣を握ろうと持ち上げた手が、途中で力を失ってぱたんと地面に落ちる。指先が痙攣するようにひくついて、それきり動かなくなった。 夢と現を行き来するアレンの耳朶を、覚えのある少女の声が打つ。 「アレン、生きてる? アレンってば!」 頬をぺたぺた叩かれる都度、全身がずきずきと痛む。砂袋のように重い目蓋をやっとのことで持ち上げると、霞む視界に二つの影が浮かんでいた。 「無意味な体力の浪費は死を招くと警告したはずだ」 光が明滅しながら降り注いできた。その途端全身の疼痛が嘘のように消え、視界のものが色と形を取り戻す。 「あ……れ?」 アレンはぱちぱちと瞬きして、コナンとナナの顔を交互に見た。 「お前ら何処に行ってた?」 「あたし達が何処かに行ってたんじゃなくて、アレンが別の空間に迷い込んでいたのよ」 ナナがアレンの肩の矢を抜いて魔術を施す。出血が止まり、肉が塞がり、痛みが取り除かれた。 「先の爆発で空間の一部が捻じ曲がった。君はその捩れに嵌ってこの部屋を歩き回っていたんだ」 改めて見回せばそこはだだっ広い岩の空洞で、アレンはその隅っこに座り込んでいた。真上に岩の形をした岩が突き出しており、やや離れたところには魔物の屍が六体転がっている。 つまりアレンは封じられた空間内をひたすら歩き回っていたのだ。足先が感覚を失う程痺れているところからして、恐らくこの部屋を何十周もしたに違いない。 ぐるぐる彷徨う様を思えば酷く間抜けである。アレンはそんな自分を思い描き、むっと唇を尖らせた。 「何で俺だけ迷子になるんだよ?」 「アレンには魔力防御膜がないから、こういう罠を弾く力がないのよ。一緒にいれば、あたし達の魔力でアレンも守ってあげられるから離れないようにしてね」 「空間の捩れがそこここに生じて、何時捕らわれるか分からない状況だ。ここにいる間は君が最弱だと肝に銘じておきたまえ」 びしりと鼻先に指を突きつけられる。最弱呼ばわりされて些かむっときたものの、事実である以上反論のしようがない。 「……分かった」 アレンをくそ偉そうに見下ろしながら、コナンがこほんと咳払いをする。同じ色の瞳が一度ゆっくりと瞬きをした。 「それはそうと、先程は君のお陰で助かった。君がベリアルに斬りかかってくれなければ僕達は確実に全滅してたろう。礼を言う」 「うん、ありがとう」 傲然と礼を述べるコナンの傍らでナナがにこにこと頷いた。何だか急に恥ずかしくなって、アレンはそれとなく二人から視線を外す。 「たいしたことしてねぇし」 時には助け、時には助けられ、互いの短所を補いながら三人で今日までやってきた。アレン一人では到底この場所に辿り着くことは出来なかったし、それはコナンにもナナにもいえることだろう。 「それにお前らを助けたのは俺じゃなくてロトの剣だよ」 二人はその時初めて、アレンの握る剣が何時ものそれではなかったことに気づいたようだった。アレンが事の顛末を話すと、すぐに得心したと言う風に頷く。 「三柱神を吹き飛ばしたのは、剣に封じられた神々の加護か」 「それだけじゃないと思うな。多分その剣に込められたたくさんの想いが、あたし達を助けてくれたんだと思う」 「だな」 アレンはゆっくりと立ち上がった。二人の回復魔術は流石の威力で、もう何処も痛くないし手も足も思うままに動かせる。 すっかり元気になってぐるぐる腕を回すアレンを見て、コナンが早速眉を顰めた。 「元気になったのは何よりだが、ふらふら歩いて落とし穴に嵌らぬようくれぐれも注意するように。捩れに迷い込んだら探すのが大変だ」 「大丈夫だって!」 信用度皆無の台詞を吐いて、アレンはにかっと白い歯を見せた。 「ここには落とし穴なんてねぇし、下だってこんなに硬いし。こうやったってびくともしね……ってあれ?」 どん、と片足を勢いよく踏み下ろしたアレンが、忽ち崩れた岩盤と共に消えた。 ぽっかり開いた穴をしばし無言で見つめて、コナンは頭痛がするとでも言う風に首を振った。 「……救い難い」 「……だってアレンだもん」 まず背中を打ちつけ、その後頭を強打した。後頭部から眼底に光が走り、無数の星がちかちかと瞬く。 「いってぇ〜」 「アレーン、アレン、大丈夫ぅー?」 「絶対にそこを動くな!」 頭上から……逆様になっているから正確に言えば足元から……二人の声が降ってくる。 「……ついてねぇなぁ」 ぼやきながら体を起こす。頭を摩りながら顔を上げた瞬間、アレンは目の前の光景に唖然として動きを止めた。 「全く、子供より手がかかる」 コナンが降り立ち、それに数秒遅れてナナが着地する。 「……どうしたのアレン、ぼーっとしちゃって」 「あれ」 アレンが示した方向を見て、コナンは瞠目しナナは口元に手を当てた。 水晶のように透き通った球形の石が地面いっぱいに転がっていた。赤、青、黄、緑、銀、黒の鮮やかな光が、石の中心で蛍のように明滅しながら闇を彩る。赤子の頭ほどの大きさのものから小豆大のものまで、その大きさは様々だ。 ナナは足元の石を手にした。少女の掌で半透明の小石が青い光を放っている。 「これ、精霊石だわ」 「凄いな。こんな大量の精霊石は初めてお目にかかる」 精霊石は貴重で、切り立った山の中や深い谷底……要するに余り人の近づかぬ場所……で見つかることが多い。精霊石入手の苦労や魔術師の手間などが考慮されるから、魔術品は普通の武具と比べて値が張るのだ。 「精霊石って確か精霊の死体だっけ?」 アレンが記憶を掘り起こしつつ尋ねると、ナナが小さく頷いた。 「精霊には実体がないから死体っていうのも変だけど……死んでエネルギーが結晶化したものだから、そういう言い方が一番ぴったりなのかな。ハーゴンがロンダルキアを汚した時、ここでたくさんの精霊が死んだのね」 アレンは改めてナナの掌を見つめ、そして周囲に満ちた輝きに眼をやった。目を奪われるほど美しいその風景が、死んでいった精霊達の結晶だと思えば何処か物悲しい。 「洞窟に入った途端、たくさんの念を感じた。数多の嘆きの中にはこの精霊達のものも含まれていたのかもしれないな」 ハーゴンが侵略したのは人の国だけではないということだ。野も山も川も海も、そして世界を司る精霊までもがその力に砕かれた。このままでは本当に何もかもがめちゃくちゃにされてしまう。人間という一個の種族の存続だけが脅かされているのではない。 数歩歩みだしたナナがゆっくりと辺りを見回した。光の中程に佇みながら、彼女はくるりとアレンとコナンを振り返る。 「ねえ。ここにある精霊石でアレンの新しい剣を作ってみない?」 「へ?」 アレンは一瞬きょとんとし、言葉の意味を理解した瞬間ナナに詰め寄った。これから先ハーゴンや三柱神との戦いを控えているのに、キラーマシーンから奪った剣が相棒ではあまりにも心許ない。 「ホントかっ! んなこと出来んのかっ?」 「うーん、どうにかなるかなぁって思って。どうかな、コナン」 ナナがひょいと体を傾けてコナンを見る。コナンは精霊石を見回しながら腕を組んだ。 「見た感じ全元素の石がありそうだ。簡単な作業ではないが、上質の精霊石が大量にあればどうにか……」 世界を構築し、支えるのは六つの元素だ。それを混ぜ合わせて剣の形に整えれば、理論的には素晴らしい魔術品が完成するはずだった。 「上手く行けばの話しだが」 そうつけ加えてコナンは肩を竦める。 「やってみる価値あると思う。きっとここの精霊達だって、ハーゴンを倒すためなら協力してくれるはずだもん」 「うん……そうだな。何事にも挑戦する姿は美しい」 コナンは拾った精霊石を意味もなく宙に投げた。空中で煌いたそれをやはり意味もなく受け止めてふっと笑う。 「まず良質の精霊石が大量に必要だ。僕とナナは魔法陣の組み立てに忙しいから収集はアレンに任せる」 「強い剣作ってあげるから一生懸命探してね」 「俺がんばる!」 握った拳を上下させるアレンは何時にも増して熱い。 「そうと決まったら早速行動に移るとしよう」 良い精霊石は無色透明で美しい球体をしており、中心部に精霊のエネルギーである光を宿している。光はそれぞれの属性に合わせて炎の赤、水の青、土の黄、風の緑、光の銀、闇の黒。余計な色は一切混じらず、明滅する光の強弱がはっきりしていればしているほど力が強いらしい。 「だが僕達からはぐれるのはまずい。ここは古来より伝わる安全な方法で君を確実に保護することにしよう」 そういうわけでアレンの胴には縄が括りつけられた。もう一方の切れ端を適当な岩に結び、コナンは滲んでもいない額の汗を拭う。 「さあ、これで完璧だ」 「アレン、頑張ってね」 「おう!」 犬のようなその扱いに何を感じることもなく、アレンは勇んで駆け出した。 |