闇の魔窟と稲妻の剣<5>


「……これは美しい」
 山のように積み上げられた精霊石にコナンは目を丸くした。大雑把で注意力散漫なアレンが、これ程良質の精霊石を集めてきたのは驚きだ。剣への執着が起こした奇跡と言えるだろう。
「これで俺の剣、出来るかな」
「全力は尽くす」
「正直言って、あたしもコナンもこんなに大掛かりな魔術品を作るのは初めてなの。でも頑張るから見ててね」
 コナンとナナの足元には、アレンには理解の及ばぬ言語で織り成された魔方陣が広がっている。
 ナナは精霊石を手に取り、一つ一つ丁寧に魔方陣の上に並べ始めた。大きさ、属性、力の強弱、それらを吟味しつつ位置を定めているらしい。二人してああでもないこうでもないと論議しているが、アレンには当然何が何だかさっぱり分からない。
 やがて準備は整ったようで、魔方陣の傍らに膝をついていたコナンとナナが立ち上がった。
「それじゃ、最後の仕上げ」
 そう言うとナナは聖なるナイフを抜いてアレンに向き直った。白刃の輝きにアレンは反射的に飛び退き、腹を括ったままだったロープに引っ張られてびたんと転ぶ。あたふたと起き上がりながら、アレンは距離を縮めてくるナナを威嚇した。
「ちょっと切るだけだってば」
「ちょっとでも切ったら痛いだろっ」
 頑強とはいえ好んで切られる趣味はない。アレンはかちかちと歯を鳴らした。
「……あ、分かった。お前、前のエビフライのこと怒ってんだな?」
「エビフライ? エビフライって何の……ああー! やっぱりあの時あたしのエビフライを食べたの、あんただったのね! おかしいと思ったのよ! 三つあったはずのエビフライの尻尾が二つしかなくて、あたし何時の間にか尻尾も食べちゃったのかなって……」
「歴史的瞬間を前にエビフライで喧嘩は止めたまえ」
 コナンが溜息混じりに、二人の間に割って入った。
「君の血を数滴この魔方陣に与えるんだ。そうすればこれを礎として生成される剣は、君を主として認識するようになる」
「アレンだけの剣……っていうか、アレンの血筋だけが使える剣になるの」
 憤慨冷めやらぬ様子ながら、ナナがコナンに促されて説明を補足する。アレンはぱちくりと瞬きをした。
「ロトの剣みたいに?」
「そういうことだ」
「へえ……」
 アレンは先程別れたばかりの相棒の感触を思い出した。
 美しい不死鳥の姿を借りた神の剣。ロトが握り、曽祖父が握り、そしてアレンが握った伝説の剣。
 それはロトの血筋にしか身を委ねず、結果末裔が戦いに巻き込まれる一因となった。アレンは幸いにして剣術が好きで、旅が辛いと感じたこともなかったが、そうでない者が剣の担い手になるのはどんなに辛いことだろう。ロトの血を引く人間が全て勇者になれるわけではないのだ。血筋と素質が別のものであることは、ラダトームで学んでいる。
「俺の血がないと、剣作れねぇのか?」
「え? そんなことないけど……」
「んじゃ俺、止めとくわ」
 アレンがひらひら手を振るのに、コナンとナナは顔を見合わせた。
「どうして? せっかくアレンの剣になるのに」
「だって凄ぇ強い剣が出来るんだろ?」
「もちろんそのつもり。特上の精霊石に究極の魔方陣、それにあたし達の魔力を込めるんだもん。ロトの剣にだって負けないんだから」
「その他にもちょっとした細工を施してある。紛うことなき勇者の剣だ」
 アレンは改めて魔方陣を見た。闇に精霊石が瞬く様は、満天の星空を見上げるかのよう。これ程の神秘的な輝きから生まれる魔術具は、二人の言葉通り世界最強の剣となるだろう。
「もしこれからずーっと先、またハーゴンみたいな奴が出てきたら、この剣が使えるだろ。そん時ロトの血筋の奴が剣術嫌いだったらかわいそうじゃん。この剣だって勿体ねぇし」
 ナナは小首を傾げつつ、一旦ナイフを鞘に収めた。
「ロトの剣みたいにはしたくないってこと?」
「したくないって程じゃねぇけど、どうせなら使える奴が使った方がいいと思ってさ」
「誰もが勇者になれる時代……そして末裔が勇者にならなくてもいい時代か。成程、悪くはない」
 コナンが頤に手を当てて頷く。彼が素直にアレンに賛同するのは珍しい。
「今や伝説の一旦を担うロトの剣は消失した。だがロトはやはり偉大で、彼が成した全ての偉業はこれからも語り継がれていく。多分、伝説というのはそれだけでいいんだ。生きている人間の憧憬になっても、枷になってはいけない」
「じゃああたし達は、ご先祖様と違った形で剣を残すことにしましょ。何時かこの剣を手にした人が、その人の伝説を作れるように」
 末裔達は視線を合わせ、こくりと頷いた。


 コナンとナナが両手を翳すと、魔方陣が金色の光を放ち始めた。ふうっと吹き上げた風が、彼らの髪と衣を靡かせる。
「地の精霊よオルハリコンを生め」
 黄色い精霊石が中央部分に集い、ぐずぐずと崩れ、一塊となった後眩く輝く金色の鉱物へと変じた。
「火の精霊よ剣を打て」
 ぼっと音を立てて赤い精霊石が燃え上がる。魔方陣全体が炎を宿すと同時、鉱物が見えない手に捏ねられるかのように形を整え始めた。
「風の精霊よ火を煽れ」
 緑の精霊石が弾けた瞬間炎の勢いが増した。不死鳥の羽の如く雄々しく翻る炎の中、オルハリコンが一振りの剣を形作っていく。
「水の精霊よ熱を滅せ」
 青い精霊石が溶け、清浄なる水が渦を巻いた。急速に冷やされていく剣の表面に、氷に似た透き通った艶が宿る。
「光の精霊よ刃を照らせ」
 銀色の精霊石が散り、爆発した光が刃を彩る。光の筋が葉脈の如く隅々まで行渡り、刀身を陽光の色に染め上げる。
「闇の精霊よ刃を染めろ」
 闇の精霊石が消失し、黒い触手が刃に絡んだ。光と闇が溶け合った跡から、美しい精霊文字が浮かび上がる。
「世界を構築する元素よ剣に宿れ。火と水、風と土、光と闇、六つの元素を結んで完全なる環を巡らせん」
 コナンとナナが放つ力が剣に吸い込まれていく。二人の魔力が残らず注がれた瞬間魔法陣は消え失せ、周囲は何事もなかったかのように静まり返った。
 三人の足元には、一本の剣が燦然と輝いていた。
 刃は心持ち湾曲して外側に反り、油が滴るような光沢を放っている。天を引き裂く稲妻にも似た刀身は、金色の光を帯びて神々しく眩い。
「出来た……」
 三人は額を寄せ合い、まじまじと剣を覗き込んだ。
「……これが僕とナナのギガデインだ。今世代の勇者の術を最終的に担うのはアレン、君の役目だ」
「え?」
「結局、ギガデインを魔術として組み立てることが出来なかったの。だからこの魔方陣に詠唱を組み込んでみたんだけど成功したみたいね」
 ナナは得意げに瞬きをし、アレンを掬い上げるように見た。
「ね、使ってみて」
「あ、うん」
 ナナに促されて、アレンは生まれたばかりの稲妻の剣を手に取った。
 見かけよりも遥かに重量のある剣だった。ずしりと重く、ひんやりと冷たいようでひしひしと熱い。グリップは五本の指によく馴染み、掌にぴったりと吸いついた。
 それはロトの剣のようにアレンに身を委ねながら、しかし何の声も歴史も伝えてこなかった。稲妻の剣は生まれたばかり、これからアレンと共に戦いの記憶を刻んでいく無垢な赤子なのだ。
 アレン剣を高々と翳し、一歩踏み出すと同時に力いっぱい振り下ろした。その瞬間刀身はアレンの気合に呼応し、稲妻の髣髴とさせる白い輝きを生み出す。剣先が触れた陥没を地点として、風に似た力が洞窟の床に長い亀裂を刻んだ。
 アレンは剣の持つ威力を目の当たりにし、ごくんと喉を鳴らす。
「素晴らしい。流石僕が作っただけのことはある」
「攻撃力は殆どなさそうだけど、ギガデインの詠唱もちゃんと反応してる!」
 前髪を払うコナンと手を打ち合わせるナナを振り返り、アレンは破顔した。遅ればせながらやってきた興奮に全身の血が滾るかのようだ。
「お前ら凄ぇな! こんな剣持つの初めてだ!」
 それは仲間によって作られた、この世に二つとない、アレンのための剣だ。稲妻の剣が右手にある限り、勝てない戦はないだろう。揺ぎない勝利を確信するアレンの鼻先を、ふわりとシャボン玉に似た輝きが掠めた。
 そこここに転がる精霊石が次々と光の玉に変じ、末裔達の周囲を舞い踊り始めた。薄暗い洞窟が光に彩られた瞬間、その風景が一変する。
 葉を濾過したような緑の光が降り注ぎ、愛らしい花が芽吹き、色とりどりの蝶が舞う。滾々と清水が沸き立ち、銀色の魚が鱗を煌かせ、小鳥が子守歌を鳴き交わす。神々の楽園を髣髴とさせるその風景は、しかし全てが半透明だった。
「……何だこれ?」
 それは嘗てそこにあった風景であり、死んだ精霊達の記憶でもあった。今や乾いた土壁に取り囲まれるだけの魔窟は、これ程までに美しかったのだ。
 何処からともなく吹き込んできた桃色の風が、三人を祝福するように取り囲む。風は肉体に染み入り、魂まで達して彼らに最後の希望を託した。慣れ親しんだ感触の正体を、三人は即座に把握する。
「命の紋章……」
 ナナが囁いた瞬間、風景は生じた時と同様唐突に消えた。一瞬にして周囲を塗り替えた薄闇は、そうでなくても殺風景な洞窟をより寒々しく感じさせる。
「精霊達が僕達に全てを委ねてくれたな」
「あたし達、頑張らなくちゃ」
「だな」
 コナンとナナの台詞にアレンは頷く。精霊達が死を賭してなお守り抜いた紋章が、今この身に宿った。是が非でも精霊神ルビスを復活させ、その想いに報いらねばならない。
 三人はロンダルキアを目指して再び歩き出す。光を失った洞窟に足跡が反響し、やがてはそれも闇に吸い込まれて消えた。