「アレン、コナン、そしてナナ……ロトの血を引く子らよ。良くぞ五つの紋章を集めてくれました。あなた達のお陰でわたくしは大地という存在から、再び意思ある精霊神として復活することが出来ます」 「……ルビス様」 アレンが女言葉で語る現状を嘆いても始まらない。ナナは無理矢理気を取り直してルビスに呼びかけた。 「何故ルビス様は大地と同化されていたのですか?」 「勇者ロトが大魔王ゾーマを討った後、長年闇に侵食されていた大地は酷く弱っていました。わたくしはわたくしの命を与えることによって、大地を蘇らせようとしたのです」 「ですがそれでは精霊神としての役割が……」 「ええ」 ルビスは自嘲を交えてコナンに頷いた。 「大地の復活と世界の守護、わたくしには二つの仕事がありました。けれど当時のわたくしにはそれを同時にこなす程の力は残されておらず、日に日に弱っていく大地を前に途方に暮れておりました」 辛い日々を思い出したのか、ルビスの口調に憂いが滲む。大魔王ゾーマによって石に封じられた間、彼女からはその力の大半が奪われてしまったのだろう。 「そんな時、大地の守護役を申し出てくれた魂がありました」 「……それは?」 「勇者ロト」 春の息吹のように柔らかく、伝説の少年の名が聖堂を吹き抜けた。 「勇者ロトは今も精霊として世界を守っています。嘗てはロトの勇者を助け、今はあなた方を導き……ロトの血を引く子らよ、あなた達も先祖の加護を感じていたでしょう?」 「はい。僕はロトの導きによって旅に出ました」 「わたしはロトに助けて頂きました。あの時助けて頂けなければ、わたしは犬になるだけでは済まなかったと思います」 口々に頷くコナンとナナを見比べて、アレンは一人首を傾げた。 「何で俺んとこだけ来てねーんだろ」 仲間外れにされたようで面白くない。ぷっと頬を膨らませたアレンに、コナンが呆れ返った半眼を向けた。 「まだ気付いてないのか……。君が城を抜け出す時に誰に助けてもらったのか、よーっく思い出してみたまえ」 「城?」 アレンはほんの一年半前、けれど振り返れば随分遠くなってしまったあの日のことを思い出した。父に旅を反対されたこと、地下通路を使って脱出を目論んだこと、地獄の使いと戦ったこと、激戦の末辛くも勝利を収めたこと。 そして何処からともなく現れた少年のこと。黒い髪をトサカのように逆立てた小柄な少年は、そういえば自分と同じ太陽の血筋の目をしていた。 「……えぇえ?」 記憶を手繰ることしばし、アレンがすっとんきょうな声を上げる。彼の頭の中でようやく一つの事実が繋がったのだ。 「あいつが? あのチビで呑気そうなのが勇者ロト?」 「あんたね、バチが当たるわよ」 「だ、だってあいつが大魔王を倒したなんて信じられ……」 「勇者ロトはこことは違う世界からやってきて、わたくしを助けてくれました。彼はわたくしの、そしてこの世界の恩人です」 愛とも慈しみとも取れぬ感情が美声に溢れ出す。遙か古の昔、アレフガルドの大地で精霊神と人間の間に確かな絆が生まれたのだ。 「ロトがこの地に下りて五百年の時が流れ……やがてその血の流れから希望と絶望が生み出されました」 コナンの端正な顔が苦味を帯びて歪んだ。希望である勇者の血と絶望であるゾーマの意識は彼の中にも息づいている。 「ロトが精霊となったのはそれを懸念してのことでもあったのです。彼は死後ゾーマに侵食されていたことを知り、それがどう子孫に影響していくのかを見守りたいと言っていました。わたくしはある意味、その想いに甘えたのでしょうね」 神の務めに人間の魂を巻き込んだことに、精霊神ルビスは後ろめたさを感じているようだった。 「勇者ロトが僕達を想ってくださる気持ちは痛み入ります。ですが」 コナンは一拍の沈黙を置き、敢えて淡々とした口調で続けた。 「世界のためを思うのであれば、血筋を絶やすべきだったのではないのでしょうか。子孫を抹殺すれば同時にゾーマも滅びたのでは?」 「ロトの子孫が死に絶えても、ゾーマは新しい依代を探すだけのこと。彼はそうやって人の血の中で生き続けようとするのです」 ルビスはそう言って、ふっと悲しみに満ちた吐息を零した。哀愁の憐憫を帯びた深い溜息だった。 「破壊神シドーの加護を得たハーゴンと渡り合うには、あなた達も護りを得る必要があります。ですが蘇ったばかりのわたくしには、破壊神に拮抗し得る加護を与えることが出来ません」 ルビスの言葉に末裔達は戸惑った。ハーゴンと対峙する力を授かるために、彼らは紋章を集めて精霊神ルビスを復活させたのだ。ここで神の加護が得られなければ旅は頓挫してしまう。 「ご安心しなさい。今のわたくしは無力でも、過去のわたくしに頼ることは出来ます」 「過去のルビス様?」 「コナン、ナナ、手をお貸しなさい」 ルビスは両腕を広げるようにして、コナンとナナに掌を差し出した。アレンの手にコナンはいやいやといった風情で、ナナは戸惑った風に掌を乗せる。ルビスが指先に軽く力を込めて短い詠唱を囁くと、一瞬にして周囲の風景が一変した。 「ここは……?」 そこは魔術の灯りがほんのりと宿る薄暗い空間だ。御影石の壁には強力な魔方陣が掘り込まれ、魔物はおろか不審の侵入をも防いでいる。然程広くない室内の壁際には台座があり、青く輝く至宝が恭しく奉納されていた。 「ここはローレシア。ローレシアの宝物庫です」 三人の目の前に鎮座するのは、美しさと力強さを兼ね備えた見事な鎧だった。目にも鮮やかなメタリックブルーのそれには黄金の縁取りと紅玉が施され、胸元にロトの紋章が燦然と輝いている。防具に宿る特別な力が、しんと冷えた空気を電波して肌に伝わってくるかのようだ。 「ロトの鎧ね」 「だな」 アレンがロトの鎧を見るのはこれで三度目だ。それは平生父と大司教しか侵入を許されぬ場所に奉納され、数年に一度のロト祭の時のみ、ローレシアの大聖堂に展示されるのだ。ロト伝説には何かと反発を覚えるアレンでさえ、鎧の放つ神々しさを認めぬわけにはいかなかった。 「竜王との戦いの後、剣を除くロトの装備は勇者の手に残りました。以来鎧はローレシアに、盾はサマルトリアに、兜はムーンブルクに伝えられています」 ロトの防具は三国の絆の証だ。末永く力を合わせることを願って、ロトの勇者は三人の子にそれぞれの防具を託したのかもしれない。 「これらの防具は嘗てわたくしが力を込めたもの。わたくしは今から、これらに宿った力をあなた達に託したいと思います」 ルビスは掌をロトの鎧に翳した。鎧の表面に光の雫が浮き上がり、細い筋を描きながら宙に蟠って渦を描く。ふわふわと漂いながらアレンの頭上に宿り、太陽を思わせる粒子と変じて雨の如く降り注いだ。 「アレン、あなたにはロトの鎧の力を太陽の刃として」 ふっと空間が揺らいだ次の瞬間、三人はロトの盾の前にいた。ローレシア以上に強い結界が働くサマルトリアの宝物庫は、ぴりぴりとした痛みを覚える程大気が緊張している。 ルビスが呼びかけると、磨き抜かれた盾の表面に星色の輝きが生じた。自ら宿る場所を弁えているかのように、光は迷うことなくコナンを目指して飛ぶ。 「コナン、あなたにはロトの盾の力を星の守りとして」 みたび大気が歪むと、三人は闇に包まれたムーンブルクの廃墟に佇んでいた。埃の積もった瓦礫が独りでに持ち上がり、傷一つついていないロトの兜が現れる。新たなる主を歓迎するかのように、兜は月光色の光をきらきらと滲ませた。 「ナナ、あなたにはロトの兜の力を月の回復として」 偉大な力が末裔達の内に満ちた。正しき神の加護は細胞の一つ一つに染み渡り、彼らを守る力となる。それは神々の慈しみによるこの上ない守護の力だった。 掌を閉じ開きしてみても、肉体的に何ら変わった様子は見られない。けれど大いなる力が肉体と命を包み込んでいるのがはっきりと実感出来るのだ。 「これであなた達はハーゴンと対等に渡り合う力を身につけました」 ふと気づくと、三人はルビスの聖堂に立っていた。夢とも幻ともつかぬ出来事だが、内に宿るエネルギーが全てが現実であることを証明してくれる。 「……なんか不思議な感じ」 首を傾げるナナに微笑むと、ルビスは両手を眼前に手を翳してふうと息を吹きかけた。精霊神の息吹は金色の風となり、空中で凝固して美しい首飾りへと変じる。 「テパの巫女には、今のわたくしからせめてもの守りを」 照り返すものもないのに、ルビスが手にした首飾りは目に焼きつくような鮮やかな光を放った。人の手による細工ではこれ程の輝きは出せまい。 「わたくしの守りには邪を打ち払う力があります。悪しき力に惑わされた時にはこれをお使いなさい」 そう微笑みながら、アレンの姿をしたものがナナに首飾りを授ける光景は何だか異様だった。 「……ここは事実を曲げ、美しき精霊神は光の衣を纏って降臨したということにしておこう。間違えてもこのおぞましき光景を伝説にしてはいけない」 腕を組んで、コナンが一人ふむふむと頷いた。 「ロトの血を引く子らよ。わたくしはあなた達の勝利を信じております。どうかその力と血が三度闇を払わんことを」 「……ルビス様はこれからどうなさるのですか?」 コナンの問いにルビスは柔らかく微笑んだ。 「わたくしは破壊神によって傷ついた世界を回りましょう。あなた方に負けぬよう、わたくしもこの世界を守るために全力を尽くします」 ふうっと、何か大きな力が抜けて行くのをアレンは感じた。春風に似た柔らかいものに頬を撫ぜられる感触を最後に、体内に満ちていた精霊神の気配が完全に消失する。 アレンは虚空を見上げて、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。 「ルビスさまは出られたのか?」 「……うん、もういないみたいだ」 アレンは何気なく樹を見上げた。コナンとナナもそれに釣られるように視線を持ち上げる。 三人はしばし、神秘の梢が奏でる子守唄に耳を傾ける。最後の戦いを前にしての、優しい休息の一時だった。 |