異変に気づいたコナンとナナが振り返った。何ごとかとアレンの視線を追うが、これといって不審なものは見当たらない。 「どうしたの?」 「あいつが……」 アレンがごくんと喉を鳴らした。 「あいつが来る!」 「あいつ?」 眉を潜めたコナンが、短い沈黙を経てぽんと手を打った。ここまでアレンが動揺する存在に一つだけ心当たりがある。 「ああ、もしかして君の許嫁……」 その言葉が終わるより早く、回廊いっぱいに重たい金属音が響いた。がしゃんがしゃんがしゃんがしゃんと騒音を奏でながら、時代めいた銀の鎧が凄まじいスピードで駆けてくるではないか。 「ひい」 震え上がるアレンを余所に、コナンは迫り来る鎧の迫力に息を飲んだ。 「あ、あれはまさか……」 「知ってるのコナン!」 「恐らくあれは、嘗て勇者ロトが戦ったモンスターの一種、さまよう鎧だ。こちらの世界には生息しない魔物だと聞いていたが……」 乙女走りでやってきたさまよう鎧は三人の前で足を止めた。末裔達の緊張を意に介す気配もなく、両手をそっと鉄仮面に添えて持ち上げる。 鋼鉄の背に、栗色の縦巻き髪がはらりと流れ落ちた。 「お帰りなさいませ、アレン様」 仮面の下から現れたのは少女の花のかんばせだ。森の色をした大きな瞳は潤み、ふっくらした頬は薔薇色に上気している。花びらを二つ閉じ合わせたような唇が象るのは至福の微笑みだ。 さまよう鎧の中身を視認して、コナンが小さく肩を竦めた。 「何だ……。あのアレンを怯えさせる許嫁だというから、脱いでも脱いでもさまよう鎧が出てくるのかとでも思っていたが、見目麗しいレディじゃないか」 「アレンは何であんなにびくびくしてるのかな」 「さあ?」 元さまよう鎧はコナンとナナに向き合うと、無骨な仮面を床に置き、本来ならば大きく膨らんだドレスがあるところを摘んで優雅に頭を下げた。 「サマルトリア王子様とムーンブルク王女様にはお初にお目にかかります。わたくしはリリザ侯爵家のアンジェリカ。道中我が国の王子にお力添えを頂きましたこと、ローレシアの民として厚く御礼申し上げます」 「お会い出来て光栄です」 コナンは貴公子の微笑を浮かべてその手を取った。数多くの姫君に挨拶を繰り返してきた彼も、手甲に唇を寄せるのは初めてで何だか変な感じである。 「あたしはナナよ、よろしくね」 その気になればムーンブルク風の優美な礼を披露することも出来るが、ナナは敢えてざっくばらんに微笑んだ。 「ねぇ、ところであなた、どうして鎧を着てるの? まさかローレシアの新しい流行?」 ローレシア人は新しいもの好きだ。ファッション、食、趣味などの流行は全てローレシアから発祥し、サマルトリアを経由してムーンブルクへと渡る。つまり今ローレシアの少女達の間で鎧が流行っているとなれば、それは数ヶ月遅れてムーンブルクの乙女達の流行となるわけだ。旅が終わったら思い切り着飾ろうと思っているナナにとって、鎧の流行はちと辛い。 「あ……お見苦しい格好で申し訳ありません。剣術の稽古中でしたの」 アンジェリカは今更ぎしぎし恥らった。傷や打撲は勿論、日焼けや乾燥も防いでくれるので、ローレシアの乙女達は稽古時に好んでフルアーマーを着用する。 「アレン様がお留守の間、国を守るのは民の務め。そう考えて精進精進また精進の日々を送っておりました」 拳を握って熱く語ると、アンジェリカはぐるんとアレンを振り返った。アレンはバッタのように跳び跳ねて壁にへばりつく。 アレンはだらだらと冷や汗を流しつつ、アンジェリカはむんむんと濃厚な恋のオーラを放ちつつ対峙した。じりじりと相手の隙を伺う二人の様子には鬼気迫るものがあって、傍観者であるコナンとナナまでもが思わず拳を握ってしまう。ローレシア人は恋も戦闘だ。 「前はお前のが早かったけど、俺はこの旅で鍛えてきたんだ。そう簡単には捕まんねーぞ」 嘯くアレンの構えは確かに完璧で一部の隙もない。悲しげに眉を潜めたアンジェリカは、次の瞬間びしっとあらぬ方向を指差した。 「あっ! あんなところにお魚のフライが飛んでいます!」 「え?」 振り返ったアレンの隙を突いて、アンジェリカが稲妻のようにアレンの懐へ飛び込む。力体力素早さは飛躍的に成長しても、かしこさは低いままのアレンだった。 「しまったあああっ」 「黙って行ってしまわれて、アンジェリカは切のうございました」 アレンの背に両腕を回し、厚い胸板に頬寄せて、アンジェリカはうっとりと呟いた。 「けれどその間わたくしもアレン様に負けぬようにと稽古に励み、この鎧を着ても不自由なく動けるようになりました。次はワンランク上のキラーアーマーに挑戦するつもりです。キラーアーマーはオレンジ色がかわいくて少し女の子向けだと思うんです」 アンジェリカの両腕にぎりぎりと愛が篭っていく。アレンの肋骨がみし、ぎしっ、めきっ、と嫌な音を立て始めたのを聞いて、コナンとナナは何故アレンが必死に逃げ回っているのか分かったような気がした。 「見事に締め技が決まっている。さすがローレシア、侯爵令嬢も一流の戦士だな」 「あの子にもハーゴン倒すの手伝ってもらいましょうよ」 「くっ、くっ、くるっ、くっ、くるっ」 じたばた足掻くアレンを見上げてアンジェリカは幸せそうに微笑んだ。 「まあアレン様ったら、お顔が真っ赤。そんなに恥ずかしがらなくても……」 「苦しいんだっての!」 鋼の肩に手を当てて一気に引き剥がす。苦しげに息を弾ませた後、アレンは身を屈めてアンジェリカの顔を覗いた。 「……親父は何処にいる?」 「国王様ですか?」 アンジェリカは僅かに首を傾げた。 「国王様でしたら謁見の間にいらっしゃるはずです。ハーゴン様とのご歓談の最中です」 コナンが目を眇め、ナナが頬を強張らせる。アレンは眉を険しくした。 「ハーゴン……様」 「ハーゴン様はわたくし達の結婚式を直々に執り行って下さるとおっしゃいましたのよ。その他にも新床の祝福や子の洗礼やそれから……」 アンジェリカは夢見がちな視線を漂わせる。妄想の翼をばっさばさとはためかせ、こことは違う世界に飛んでいってしまったらしい。 「謁見の間だな」 小さく頷いてアレンが駆け出す。慌しい足音にアンジェリカすぐさま我に返ったようだ。 「あっ、アレン様、お待ちになって!」 アンジェリカが引き止めたところでアレンは振り向こうともしない。つれない許婚の背を切なげに見つめながら、彼女はおもむろにがしゃんと一歩踏み出した。 「お待ちに」 背中の剣を鞘ごと抜き払う。侮れぬ重量のあるだろうそれを片手で後方に振り翳し、 「なって!」 えいやとばかりに投げつけた。 剣は回転しながら飛んでアレンの足に絡んだ。予想外の衝撃に対応しきれず、アレンは顔面から大理石の床に突っ伏す。 一瞬の沈黙を経て起き上がった後、アレンはとうとう膝を抱えて泣き出した。 「やっぱり痛いことされた……」 「アレン様」 アンジェリカがアレンの傍らに跪いた。 「お可哀想なアレン様。アレン様がそのように悲しいお顔をされると、わたくしの胸も張り裂けそうになります」 「誰のせいだと思ってやがる!」 「どうしてもお聞かせしたいことがありましたの」 アンジェリカは澄まし顔で、ぱちぱちと瞳を瞬かせた。 少しばかり大人びていたものの、幼馴染の少女は相変わらずだった。恐るべき腕力も怒涛の愛情表現もはぐれメタル並みの俊足も全てが以前と同じだ。本当にこのローレシアやそこに住む人々が幻であるのか、アレンは益々自信がなくなってきた。 もしこれが……ハーゴンに捉えられた故郷が……現実だったらどうすればいいのだろう。そう考えた瞬間、アレンの背筋を冷たいものが滑り落ちた。 「……聞かせたいことって何だよ」 「ハーゴン様と国王様のご歓談に立ち入ることは何人たりとも許されません。ハーゴン様は第三者の介入をとても嫌われていて、その禁を破ったものは思い罰を受けることになります」 「重い罰って……何?」 追いついてきたナナの問いに、アンジェリカは一つ瞬きをしてから床を指差す。ロトの末裔達は大理石の床に目を落とし、数秒沈黙した後総毛立った。 何の変哲もないマーブル模様に思えたそれは、よく見ると人の顔なのだ。苦悶と恐怖を張りつかせたままの人々が冷たい大理石に封印されている。喘ぐように半開きになった唇から、今にも断末魔の叫びが聞こえてくるようだ。 アレンは立ち上がり、足の踏み場もないほどデスマスクが犇いている風景に唇を噛んだ。 「ハーゴン様に無礼を働いた人間はみなこうなるのです」 死者の顔をなぞりつつアンジェリカは微笑む。陰惨な風景と愛らしい微笑みの対比があまりに不気味で、三人は思わずごくんと喉を鳴らした。 「アンジー、お前……」 「ご心配なく、アンジェリカ」 逸早く平常心を取り戻したコナンが柔らかく微笑んだ。 「ハーゴン様とのご歓談を終えられるまで僕達は控えの間で待機しましょう。しかとお許しを得た後、お目通りを願いたいと思います」 ほっとしたように頷くアンジェリカから視線を外しつつ、コナンはアレンに囁いた。 「行こう。この悪夢を終わらせるんだ」 「幻にしても本物にしても、あいつを倒せばきっと全部元通りになるわ」 「……分かった」 コナンとナナが謁見の間を目指して駆け出す。アレンはそれに続こうとして、未だ床に座って微笑んでいるアンジェリカを振り返った。 「正気に戻してやるから大人しくしてろよ!」 言い置いてアレンは駆け出した。 |