目を開けた瞬間飛び込んできたのは、見慣れた仲間達の顔だった。コナンが何時になく表情を強張らせて、アレンの眼前に手を翳す。 「アレン? この手の形が分かるか?」 「……ちょき」 喉の奥から搾り出した声は、自分でもびっくりするほどか細かった。 「あ〜、もう、びっくりさせないでよぉ」 ナナがへなへなと肩の力を抜き、コナンはいつもの無表情に戻った。 「麗しの花嫁に見惚れて殺されかけるとは美しくないな」 「んなんじゃね……げほっ」 「まだ動いちゃだめ」 起き上がろうともがいたアレンは、ナナに肩を押されて再び床に沈んだ。少女の細腕に容易く抑え込まれてしまうほど体が弱っているようだ。流石にまずいものを感じて、アレンは忠告通り全身から力を抜く。 「……ここ、何処だ……?」 「さあ。君を引き摺って逃げるのに精一杯で、場所を確認する余裕などなかった」 コナンが面白くもなさそうに肩を竦めれば、ナナも小さく首を傾げる。 「ローレシア城ならアレンの方が詳しいでしょ。ここ、何処なのか分からない?」 「んーと……」 じっとしているのが何より苦手なアレンのこと、気の紛れる役目を与えられたのは嬉しい。瞳だけを巡らせて周囲の様子を探る。 ゆらゆらと宙に揺れる炎はコナンが作り出したものだろう。埃の匂いがする広い空間において、それが唯一の光源であるようだ。 光が闇と交わる薄暗い空間に、数多の鎧兜がずらりと並んでいた。見たこともないような古めかしい型から現在兵士達が着用しているものまで、技術の発達を一目で辿ることが出来て面白い。それらに加えて鏡似た光沢を放つ盾やら、曲線が艶かしい珊瑚色の剣やら、鋭い鉤爪のついた手甲などが数多陳列される様は、恰も武防具の歴史館のようだ。 更に備えつけの棚には東洋の什器や陶器、何かしらの宝石の原石、あからさまに魔力を帯びた水晶玉など、物珍しいものが犇めき合っている。壁を飾る絵画は往年の美しさを損なうことなく、金銀細工の豪奢な額縁に収められていた。 「西塔にある倉だな」 何時だったかここでかくれんぼをしたことがある。魚の形をした壷を割ってこっぴどく怒られたのも遠い日の思い出だ。 「成程、道理で興味深い品物がたくさんあるわけだ」 「現在地は把握出来たね」 起き上がるだけの力を取り戻したアレンは、改めて仲間達に向き合い瞠目する。薄明かりの下で目を凝らせば、二人とも全身アレンの血に染まって惨憺たる有様なのだ。己のみならず仲間達を朱に染めるほど出血してよく助かったものである。ロトが身代わりにならなければ、術者がコナンとナナでなければ決して起こり得なかった奇跡だろう。 「あと一つ、これのお陰で君は即死せずに済んだ」 コナンが取り出したのはロトの紋章だ。不恰好に拉げたそれは、優れた強度を誇るオルハリコンが捻じ曲がる程の衝撃を受けたことを物語っている。表面に施されていた神鳥と精霊語の彫刻は、削り取られて見る影もない。 胸に下げていたロトの紋章が、真っ直ぐに心臓を貫くはずだった剣の軌道を僅かに逸らせてくれたのだ。 「ロトの紋章は、ロトがルビス様から賜ったものよね。きっとルビス様もアレンを助けてくれたのよ」 「だな」 頷いて、アレンは大きく息を吸う。縮んでいた肺が大きく膨らみ、生きる力を血流に乗せるのが実感出来るかのようだった。 体のあちこちを摩り、次にゆっくりと動かしてみる。死にかけた肉体の調子を確かめていたアレンは、ふと暗闇の重さに気がついて顔を上げた。気泡の目立つ古い窓ガラスを通す闇は、夜のそれと違って一切の安らぎを感じさせない。 「随分暗くね?」 どれ位意識を失っていたかは定かでないが、精霊界とここの時間の進み方が同じなら、太陽が沈むには時刻には早いような気がする。アレンが何気なく呟くのとほぼ同時、コナンの顔が後悔とも悔恨ともつかぬものに歪んだ。 「……今更叔父上の狙いが分かった。叔父上がローレシアを作り出したのはアレン、君を混乱させ、その隙をついて血を奪うためだ。僕らは見事に罠に嵌り、全ては叔父上の思い通りに運んだ」 いらいらと頭を掻きながらコナンは続ける。 「君の血が捧げられた結果、空から太陽が奪われた。今この世界は、ロトが降臨した時と同じような闇に包まれつつある」 次はアレンとナナが表情を硬くする番だ。無意識に交わし合った視線には不安と、だがそれを凌駕するだけの戦意が宿っている。 「急がないと。星まで奪われたら大変なことになっちゃう」 「行くぞ」 アレンが迷いなく仲間を促したのと、扉が粉砕されたのはほぼ同時だった。 飛び散る破片の向こうにすっくと巨大な人影が聳え立つ。王の剣を携えた壮年の男は、アレンの姿を認めるとにやりと笑った。 「私の許可も得ず、次は何処に行くつもりだ?」 アレンは片膝を立てた体勢で剣を抜いた。彼の闘気に反応して、刀身が白い光を明滅させる。狭い空間で闇と光が鬩ぎ合った。 「許しなんか得る必要ねぇだろ。お前は俺の親父じゃねーし」 父の姿を纏い、父の声を発し、父の微笑みを放つ存在。だがその肉体が内包する魂は父のあり方とは遠くかけ離れたものだ。黒すぐりに似た瞳は無機質に凍り、肉親の温もりは感じられない。 「不出来な息子は、私が自ら始末するしかないということか」 「馴れ馴れしく息子呼ばわりすんな!」 跳躍したアレンの一撃を、王の影は易々とかわした。 ほんの少し前まで瀕死にあった肉体は動きが鈍い。砂袋でも括りつけられたように手足が重たいのだ。 反撃の刃を、体を反転させて避ける。直撃は免れたが浅く頬を削がれ、血の筋が宙にうねった。踏み出した右足を深く折り曲げると、アレンは低い位置で剣を真横一文字に滑らせる。 圧倒的な膂力で敢え無く剣を弾かれ、衝撃に両腕が痺れた。間髪入れず突き出された剣先は辛うじて回避したものの、無理な体勢が仇となり転倒する。無防備に晒された背中に、容赦のない殺気が降り注いだ。 コナンのベギラマが寸でのところで王を払った。王は舌打ちと共に後ろに飛んだが、その顔には楽しげな微笑が張りついたままだ。揺るぎない勝利の予感に小鼻がひくついている。 ローレシア王は流石に強かった。この旅で成長したとの自負があったが、その腕力も剣裁きもアレンは今一歩父に及ばぬようだ。それは生きている間に積み重ねてきたもの……経験の差なのだろう。 「俺も年食ったら親父みたいになるのかな」 命懸けの戦いの中、案外呑気な台詞が口を突いたのは、この状況にもかかわらず負ける気がしなかったからだ。ロトが言っていた通り、アレンには弱点を補足してくれる仲間がいる。 「マヌーサ!」 ナナが杖を振り下ろすと同時、王の周囲には濃い霧が立ち込めた。魔力を孕んだ霧は数多の幻影を作り出し、敵を惑わせる。王がどんなに強力な一撃を繰り出したところで、当たらなければ意味がない。 風を思わせる動きでコナンが突進した。大地を砕く一打をぎりぎりの位置で掻い潜り、殆ど距離のない場所でベギラマを発動させる。炎の衣を纏った王は、両手で顔面を覆って仰け反った。 影だと頭で理解していても、父の姿をしたものが苦しむのを見るのは辛かった。せめて一瞬で無に帰そうと、アレンは力いっぱい床を蹴る。間合いを詰め、苦しむ男の胸板に剣を押しつけたその時だ。 背後で光が爆発し、存在する全てのものがその中に飲み込まれた。 目蓋を通しても眩しさを感じる程の光量だった。硬く目を瞑り、眼前に両腕を翳してアレンは光が収まるのを待つ。 光は次第に弱まり、やがて元のように不吉な闇が支配する空間となった。腕をゆっくりと下げ、そっと目を開いた瞬間、アレンは周囲の変化に驚愕の声を上げる。 「あ……れ?」 天井、床、壁の全てが氷に似た石で囲まれた広い空間だ。壁を透かして広がる果てのない雪原は、漆黒の空に今にも押し潰されそうだ。 「事態の把握に時間がかかるのは美しくない……」 現状を理解出来ないのはコナンも同じらしい。平生クソ偉そうな彼が珍しく戸惑っているのを見て、アレンはつい良い気分になってしまう。思わず口元を歪めたのを見咎められ、強か後頭部を殴られた。 「ルビス様が助けてくださったのよ」 二人の疑問に答えたナナがそっと両手を差し出した。少女の白い掌の上で、ルビスの守りが粉々に砕けている。末裔達の見守る中、それは煌きながら淡雪のように大気に溶けていった。 「悪しき力を打ち払う神器か……。叔父上の魔力を退けてくださったんだな」 「ちょっと思い出すのが遅かったけど、間に合って良かった」 「けどあのままでも俺、あいつに負けなかったぞ?」 アレンが剣を収めながらナナを見る。ナナは埃に汚れた髪を手櫛で整えながら、小さく肩を竦めた。 「だと思うけど。でも、幾ら幻でも自分のお父様を殺すなんて嫌でしょ? そんな想い、しないで済むならしない方がいいと思って」 コナンの瞳が一瞬、そうと分からない程に揺らぐ。だが意思ある瞬きがすぐに跡形なくそれを打ち消したため、アレンもナナもそれに気付くことはなかった。 「……そっか。そうだな、ありがと」 「うん」 嬉しげに頷いたナナは、そのまま引き寄せられるように石作りの階段を見た。上階へ続く階段からは、身も凍る冷風が這い下りてくる。それは破壊と死と虚無の臭いを撒き散らしながら、音もなく三人の足元を吹き抜けて行った。 「上にあいつらがいるな」 アレンが呟き、 「次から次へと忙しいことだ」 コナンが肩を竦め、 「でも知り合いの影を相手にするくらいなら、あいつらと戦った方がまし。遠慮なしにやれるもんね」 ナナが歩き出す。 ふと背後に人の気配を感じたような気がして、アレンは振り返った。だがそこに人の姿などあろうはずもなく、ただ絶望に満ちた闇が終わりなく広がっている。 だが確かに感じるのだ。消えてしまった少年の陽だまりのような眼差しを。その存在が失われても、彼の想いは末裔達と共にある。 「大丈夫だって、任しとけよ」 アレンはにやりと笑って階段に足をかけた。 |