大神官ハーゴンの居城は、城というより神殿と呼ぶのに相応しい趣だった。 華美な装飾は一切なく、数千を越える蝋燭の灯りが瞬くのみ。炎は何処からともなく吹き込む風に揺れ、力なく尽きかけてはまた細々と燃えた。破滅と死と虚無に満ちた空間で瞬く灯は、破壊神シドーに脅かされる命を表すかのようだ。 室内の空気は乾燥して冷たい。外部から浸透する冷気は肉体のみならず、魂からも温もりを奪おうとする。悪意を孕んだ寒気を掻き分け、末裔達は宿敵の姿を求めて黙々と歩を進めた。 地表から数えて三つ目の階層に達した時、末裔達は会いたくもない、だが会わねばならない者達と遭遇した。アレンが舌打ちするとほぼ同時、大柄な少年が親しみを込めて片手を持ち上げる。 「……アトラス」 「よう」 邪神達の容貌は、人にはあり得ぬ瞳以外末裔達と寸分の狂いもない。にっと口の端を上げる表情、気障ったらしく前髪を払う仕草、軽く小首を傾げる所作までも鏡で写し取ったかのようにそっくりで、末裔達はいいようのない苛立ちを覚えた。 「お前らいい加減にしろよ、しつっけーな!」 「しつこいもクソもあるかよ。ここは俺らの居城で、そこに入り込んできたのはお前らの方だぜ」 アトラスが挑発的に顎をしゃくる。 「歓迎されたくなったら、とっとと帰んな」 「帰ったって追いかけてくるくせによ」 「分ってんじゃん」 楽しげにアトラスが喉を鳴らす。それだけでまた室内の気温が下がったように感じた。 「覚悟が出来たらいらっしゃい。あたし達は上で待ってるわ」 ベリアルが薔薇を思わせる微笑を放った。愛らしくも艶やかな笑顔からは、ナナにはない色香が馥郁と匂い立つ。 ベルラインのローブの裾を軽く摘んで一礼すると、ベリアルはふいと向きを変えて階段を上った。バズズが嫌味な程丁寧に会釈してそれに続き、最後にアトラスが二人を追う。アトラスは階段の中程に差しかかると、わざわざ振り返ってべぇと舌を出した。 「……むかつく野郎だな」 「君の影は君と同じで躾がなっていないな。それに比べて僕の影の礼儀正しいことときたら! 敵ながら実に美しい身のこなしだった」 「あいつの躾がどうのなんて知るかよ。俺はあいつの親父じゃねーし」 「似たようなもんでしょ」 苛立ちも顕わに、ナナが杖の先端をぴしゃりと掌に打ちつけた。 「むかつくっていうならベリアルも負けてないけどね。ぬぁーにが覚悟が出来たらいらっしゃい、よ。あたし、ああいう女とは絶対に友達になれないと思うっ」 憤懣やるかたないナナに並んでコナンが階段を見上げた。邪神の魔力が働いているせいか、どんなに目を凝らしてもこの場から上階の様子は伺えない。 「敵の懐に飛び込まざるを得ない状況か。美しくないが敵の本拠地である以上、僕達が不利なのは仕方あるまい」 「罠でもあるのかな」 「何も準備をしていないとは考えにくいな」 「んなこと考えてても仕方ねぇだろ」 案ずるより産むが易しを地で行くアレンがアレンが進み出た。石段に足をかけ、にやりと彼独特の微笑みを披露する。 「ここまで来て引き返すわけにいかねぇだろ」 「……同意だ」 「うん」 末裔達は各々の武器を構え直す。どのような事態にも対処出来るよう身構えながら、足音を殺して階段を上った。 「……あれ」 邪神を追って辿り着いた階層は、それまでの部屋とは様相が違った。アレンは立ち止まり、その奇妙な空間をきょろきょろと見回す。 「こんなところで止まるな。後がつかえている」 階段の最上段に突っ立ったアレンの背を、コナンがぐいと押し退けた。周囲を確認した途端、彼の表情も不可解そうに歪む。 「なーに、何か変わったものでもあるの?」 二人に続いてナナが階段を小走りに駆け上がってくる。二人に追いつくとほぼ同時、ただでさえ大きな瞳が更に見開かれた。 「うわ、何これ」 床と天井、そして四方の壁が全て鏡に覆われていた。風景が鏡の中で重複し、膨張し、際限なく何処までも広がっている。正常な距離感覚が失われ、無限回廊にでも放り込まれたような錯覚に陥った。 「何か気持ちの悪い部屋……」 「あいつ等は何処行ったんだ?」 注意深く周囲を探っても気配は感じない。確かに階段を上って行ったはずの邪神達は忽然と姿を消していた。 「挑発しといて隠れるなんて最悪」 「美しくないな」 口々に呟く三人の姿もまた、限度なく数を増やしていっぱいに散った。視線を巡らせるだけで分身が一斉に動き、部屋全体がゆらゆらと揺れる。 「落ち着かねぇ部屋だな……でっ」 ずかずかと踏み出したアレンは、額を強か鏡に打ちつけて涙目になった。 「ってぇ〜」 アレンが赤くなった額を摩ると、影達も一斉に同じ仕草をした。具合を確かめるため鏡を覗き込むと、血やら埃やらで真っ黒に汚れた顔が映し出される。 「きったねー顔」 未だやんちゃ坊主の面影抜けきらない顔を顰めて、アレンはごしごしと頬を拭った。その動作を忠実に真似していた影が、勝手に動きを止めるのには何の前触れもなかった。 「何時ものことだろ」 影はそう言って、にやりと笑った。 無数に散っていたアレンの像が真正面の影に集った。嬉しげに唇を歪ませたアトラスが、体を捻らせながら鏡面から抜け出してくる。 アレンは後退しながら身構えた。主の呼気に合わせるかのように、刃が白い光を忙しく閃かせる。 「尻尾巻いて逃げなかったことは褒めてやるぜ」 「俺がここから帰んのはお前とハーゴンをぶっ倒してからだよ。そのためにこんな雪山まで来たんだからな」 アトラスもまた背負った剣をゆっくりと引き抜く。闇よりもなお黒い刃から破滅の輝きが滴り落ちた。 「俺のが頭いいし強いんだ。お前が俺に勝つなんざ永遠にありえねぇよ」 「うるせぇな、お前影のくせに生意気なんだよ」 「そんじゃ試してみるか?」 アトラスは剣を肩に担ぎ、挑戦的に眉を聳やかせた。 「しりとり勝負だ。まずは俺から、ローレシア」 「……浅瀬」 アレンは訝しがりながらも突然の挑戦を受けて立つ。ローレシア人たるもの、勝負を挑まれて逃げ出すわけにはいかない。 「世界樹の葉」 「パやバでもいいんだよな? じゃあパルプンテ」 「テパ」 「またハかよ。ハ……パ……バ……ええっと……」 「俺らを召喚した奴の名前は?」 「ハーゴン。……あっ!」 「ほら見ろ、俺の方が頭いいじゃん」 「て、てめぇ汚ねぇぞ!」 激昂するアレンに、アトラスは止めの勝利宣言を放った。 「勝負の世界は厳しいんだよ! この勝負は先にンがついたお前の負けだ!」 歯軋りするアレンと呵呵大笑するアトラスを見比べて、コナンとナナはがっくりと肩を落とした。 「程度の低さに頭痛がする」 「だってアレンとアレンの影だもん……」 「頭勝負は俺の勝ち。あとは力勝負だな」 勝ち誇った風情でアトラスが舌なめずりする。肉食獣めいた仕草に剣呑なものを感じて、アレンは意識的に間合いを更に広げた。 「邪魔者には他所で遊んでいてもらおうぜ」 「……?」 アレンが真意を汲み取るより早く、背後で短いナナの悲鳴があがる。 鏡から突き出した腕がナナを羽交い絞めにしていた。ナナは必死に足をばたつかせるが、相手の力に適わず上手く踏ん張れない。ずるずると引き摺られる小柄な体は、水面に沈むように鏡の向こうに消えた。 ふと気付けばコナンの姿もない。恐らく彼もナナ同様、鏡面の何処かに飲み込まれたのだ。アトラスが一人アレンと対峙していることから推測してバズズとベリアルの仕業だろう。末裔達はまんまと分散させられたのだ。 「そんな顔しなくたって、今頃奴らは奴らで楽しんでるよ」 アトラスは意気揚々と破壊の剣を振り上げた。 「俺らも思う存分遊ぼうぜ!」 |