きれいに晴れ上がった空から、眩いばかりの陽光が燦々と降り注ぐ。 生い茂る梢を潜り抜けた日光が、柔らかな叢に複雑な文様を落とす。風が渡る都度枝が揺れ、木漏れ日もまた様々に形を変える。晩春の光と影が絶え間なく戯れる民家の裏庭では、少年と少女が木刀を構えて向い合っていた。 かあんと甲高い音がして、木刀と木刀が派手に打ち合う。少年の一打を容易く受け流すと、少女は得意気に顎をしゃくった。 「その程度か、ケイン……ケン坊?」 少女がにやりと小さな唇を歪める。やや吊りあがった氷色の瞳を生き生きと輝かせ、時折舌なめずりするその様は、お気に入りの玩具で遊ぶ子猫さながらだ。少女はわざと構えを緩めると、片手に握った木刀をゆらゆら揺らして対峙する少年を挑発した。 煽られたケインはむっと顔を顰める。 やんちゃ盛りの少年らしく、剥き出しの手足は傷だらけだ。もっともそれらの大半は子供らしい、他愛のない遊びで拵えたものではない。彼が目指す場所へ行き着くための、特訓の最中に刻まれた爪跡だ。 「ていっ!」 渾身の跳躍も虚しく、振り下ろした木刀は少女のそれにあっさりと跳ね返された。盛大に空振りしたケインの頬を、間髪入れず少女の拳が強かに打ちつける。凄まじい一撃にケインは地面にもんどりうち、頬を襲う痛みに音にならない呻き声を上げた。 団子虫よろしく蹲るケインを見下ろして、少女は憤然と両腕を組んだ。 「隙だらけだぞ、ケン坊! もっと良く相手の動きを見ろ、飛びかかればいいってもんじゃない!」 「……ブレンダ〜」 ようようのことで起き上がったケインは、顎をがくがくさせながらブレンダを見上げた。 「本気で殴るなよぉ。顔が吹っ飛んだかと思った……」 「このくらいで涙目になるな!」 頭をぼかんとやられて、ケインは益々涙目になるのだ。 「父さんの手伝いが出来るような冒険者になるんだろ? 絶対に強くしてやるから、黙ってあたしについて来い!」 「ブレンダ、その辺にしておきなさいよ」 木陰に座って一部始終を眺めていた少女が腰を上げた。尻に付着した草を払う都度、青みがかった銀髪がさらさらと揺れる。 「ケンくん、さっきから一方的にやられてズタボロじゃない。強くなる前に死んじゃうわよ」 「口を出すな、セシリー。男ってのは打たれて強くなるんだ。あたしは姉として、こいつを雄々しい戦士に育てて見せる」 まだ幼い顔を歪め、揺るぎのない決意を力強く熱く言い放つ。そんなブレンダにセシリーはやれやれと肩を竦めた。 「そもそもケンくんは、まだ戦士になるって決めたわけじゃないでしょ。あたしみたいに僧侶を目指して、お父さんの怪我を治してあげる方が素敵だわ」 言いながら、セシリーはケインの頭上にすっと掌を翳した。 「……ホイミ」 白い手が輝き、そこから零れる光がケインに降り注いだ。たんこぶ、擦り傷、打ち身、ありとあらゆる傷が幻のように消えていく。体中の鈍痛が嘘のように取り除かれて、ケインはほっと息をついた。 「ありがとセシリー。痛くなくなったよ」 「うん、いいお返事。男はそういう可愛げがなくちゃね」 セシリーがにっこり微笑んだのとほぼ同時、表玄関に続く砂利道を渡る足音が近づいてきた。 軽く息を弾ませながら庭に駆け込んできたのは同じ年頃の少女だ。分厚い書物を胸に押し抱きつつ周囲を見渡し、三人を視認してぱっと表情を明るくする。 「やっぱりみんなここにいた〜」 「お帰りルナ、お買い物ご苦労様」 「今日はね〜、お魚がとても安かったの〜。お母さんがパイ包み焼きにしようかって言ってた〜。楽しみだよね〜」 間延びした口調で言いながら、ルナはにこにことケインの前にしゃがみこんだ。顎の位置で切りそろえた茜色の髪が、微風を受けて扇のように広がる。 「ケンちゃんのお稽古してるんだよね〜。そう思ってわたし〜、急いで帰ってきたんだよ〜。わたしと攻撃魔術のお勉強しようね〜。ほら〜、新しい本を借りてきたんだよ〜」 「だめよルナ。ケンくんはこの後、あたしと回復魔術と薬草の調合を勉強するの」 「そうなんだ〜、がっかり〜。それじゃあ〜、セシリーとのお勉強が終わったら一緒に魔術書を読もうね〜」 「勘弁してよ」 地べたに胡坐を掻いたケインは、ほとほと疲れた声を上げた。 「朝早くからブレンダに稽古つけられて、俺もうくたくただよ。これ以上勉強なんて出来ないって」 いい加減嫌になってケインは膨れっ面になる。ふいと逸らした視界の隅で、書物がばさりと音を立てて地面に落ちた。 ぎょっと顔を上げたケインの瞳に映るのは、両拳を唇に当ててかぶりを振るルナの姿だ。眦の下がった翡翠の瞳にじわりと涙が膨れ上がった。 「ブレンダやセシリーは良くてわたしはだめなの〜? 魔法使いのわたしに興味はないの〜?」 「だ、だめなんて言ってないだろ」 慌てふためくケインの言葉など聞いちゃいない。力なく地面に座り込むと、ルナは重たい女と化してはらはらと嘆き続ける。 「ちっちゃい火の玉が出てくるだけのメラなんて〜、勉強しても仕方ないと思ってるんだ〜。もっとかっこいいイオナズンとかメラゾーマを〜、習いたいと思ってるんだ〜。わたしだって〜、わたしだってケンちゃんにそういう魔術教えてあげたいよ〜。でもぉ、でもおおおおおおおおおおおお〜」 瞳の縁に溜まった涙が、表面張力の限界を超えてぼだぼだと零れ落ちた。 「でもわたしメラしか使えないんだもおおおん〜」 「だからそんなこと言ってないって!」 おろおろとするしかないケインの情けない有様に、心底呆れた溜息をついたのはブレンダだ。苦虫を口いっぱい頬張ったような表情で首を振る。 「あいつの女の涙に弱いところはどうにかならないのか、情けない」 「笑顔にも怒鳴り声にも弱いわよ。ま、そこがケンくんのいいとこでもあるんだけど」 「冗談じゃない。これから冒険者になろうって男が、いちいち女に弱みを見せてたら話にならない」 イライラと吐き捨てた後、ブレンダはじろりと八つ当たり気味にセシリーを睨んだ。 「セシリー、言っておくけどあたしの稽古はまだ終わってないからな。これからケン坊には腕立て伏せ三百回、腹筋二百回、懸垂百回やらせて、もう一度あたしと手合わせする。大体魔術なんて邪道だ。男には強い肉体と気合があればいい」 「聞き捨てならないわね、ブレンダ」 セシリーが負けじと青銀の柳眉を跳ね上げた。 「どんなに強い戦士だって永遠に戦い続けられないんだから、傷を治したり体力を回復させたりすることは必要よ。攻撃魔術はどうでもいいけど、回復魔術は重要だわ」 「そんなことないよぉ〜」 身も世もなく泣き臥せっていたルナががばりと起き上がった。 「攻撃魔術だって大事だよ〜。切っても死なない敵が出てきたらどうするの〜?」 「切ってだめなら気合で磨り潰す!」 「だから剣は通用しないんだってば〜」 「だったら斧でぶった切る!」 「そういう問題じゃないでしょ、相変わらずかしこさ低いわね」 「セシリーお前! あたしに喧嘩売ってんのか!」 「売ったら何だって言うのよ」 「喧嘩止めろよぉ」 きゃんきゃんと言い争いを始めた少女達の間に、ケインが仲裁に入ろうとする。 すると口論はぴたりと治まり、剣呑な光を湛えた六つの瞳がじろりとケインを睨みつけるのだ。 「そもそもケン坊が悪い!」 「そうだよ〜、ケンちゃんが早く何の職業を選ぶか決めないから〜」 「優柔不断な男なんて最低」 「な、何でそうなんのさ……」 徒党を組んで攻め立ててくる彼女らの剣幕に、ケインは亀のように首を縮めるしかない。彼はとにかくこの三人の姉に頭が上がらないのだ。 姉と言っても、ケインと三人娘の間に血の繋がりはない。 彼女らは、ケインの父オルテガに命を救われた孤児である。寄る辺のなかった彼女らはオルテガの家に身を寄せ、そのまま極自然に娘として暮らすようになった。 同じ家に住み、同じ食事を取り、同じ男と女を父母と慕う彼女らは、ケインにとって姉以外の何者でもない。血の繋がりはなくても、彼らは確かに姉弟なのだ。 「父さんだったら剣術、攻撃魔術、回復魔術の稽古をした後でもまだ体力が有り余っていたぞ。父さんは立派だ。アリアハンの勇者と呼ばれるに相応しい男だ。父さんは旅に出る時、あたしにくれぐれもお前達を頼むと言っていた。だからあたしはお前を強くする……絶対だ!」 「お父さんはかっこよかったよねぇ〜。どんな魔物もずばずば切り伏せちゃうし〜、魔術はどかーんと立派だし〜」 「お父さんは、顔は正直十人並みだけど凄くいい男よ。ケンくんもああなるように努力しなくっちゃ」 オルテガは大儀を掲げ、今は遠い旅の空の下にいる。強くて逞しい父に対する姉達の尊敬の念は強く、語る口振りはおのずと熱を帯びる。二年という長い不在期間が、憧憬にも似た想いを益々強めているようだった。 「ケンちゃんはお父さんにそっくりだから〜、頑張ればお父さん見たくなれるよ〜」 「そうかなぁ」 いまいち実感が湧かなくて眉を寄せるケインに、セシリーが大人びた仕草で口角を持ち上げる。 「そうならなくちゃ。強くなったら、国中……ううん、世界中の女の子にモテモテよ」 「そうかなぁ」 忽ち相好を崩してにやけるケインに、ブレンダが肩を怒らせた。 「またお前はー! 鼻の下を伸ばすなみっともないー!」 「いたっ、いたたたっ、いたいってー!」 ブレンダに関節技を決められたケインの絶叫が迸る。容赦のない仕置きに、ケインの全身がみっしみっしと不吉な音を立てた。 平和な時間がのんびりと流れていく、春の日の昼下がり。 |