二つの希望が生まれた国<3>


 剣術の特訓が一段落した後、ケインは姉達の隙を突いて裏庭から抜け出した。
 気付かれぬよう足を忍ばせて家と生垣の合間を進む。ここのところの陽気に誘われて、ケムリノキがその名に相応しく煙るような花を咲かせていた。この花がふわふわと葉の合間を彩る頃になると、アリアハンには本格的な夏が訪れる。
 祈るような気持ちで裏庭を脱出し、ほっと胸を撫で下ろす。だが油断大敵の言葉通り、安堵した矢先には絶体絶命の危機が訪れるものだ。
「こら、ケイン!」
 心臓が口から飛び出す程の衝撃である。早くも見つかったかと青ざめるケインの前に、すっくと人影が立ちはだかった。
 足を肩幅の広さに開き、両拳を腰に当てて立つのは一人の少女だ。腰まで伸びた髪は闇を切り取ったような黒、勝気な光を宿す瞳もまた夜空を掬い落としたような黒。乳臭さの拭えぬ面にあからさまな苛立ちを浮かべ、少女はきつくケインを睨みつける。
「リアンかあ、脅かすなよ〜」
 安堵のあまり足の力が萎え、ケインはどっと壁に凭れかかる。リアンは眦を吊り上げてケインに詰め寄った。
「リアンかあ、じゃないでしょ。まあた訓練サボって逃げようとしてるんだ」
「サボるんじゃないって、ちょっと息抜き……」
「嘘ばっかり。そのまま遊びに行って夕方まで帰らないくせに」
 ぴしゃりと反論を封じる少女はケインの双子の妹だ。
 男女の性差こそあるものの、命を分け合った双子はとても良く似た雰囲気を持っていた。小柄な体躯、黒目がちな瞳、癖の強い髪等々、容姿にも共通した点は多い。
「いい? 一日訓練を休んだら勘を取り戻すまで三日かかるの。ケインみたいにサボりまくってたら、そのうち剣の握り方も忘れちゃうんだからね」
「そういうリアンはどうなんだよ」
 唇を尖らせて言い返すと、双子の片割れは勝ち誇ったように頤を持ち上げた。
「ブレンダお姉ちゃんのお稽古は午前中に終わりました。今は図書館で薬草の調合法を調べた帰り、これから教会へ行ってお祈りをしようと思っています。何か問題でも?」
「うへぇ」
 ケインは思わず呻いた。真面目な妹が立てた綿密なスケジュールは聞いただけでうんざりする。
「息詰まんない? リアンは本当に真面目だな」
「ケインがいい加減過ぎるの!」
 雰囲気や容姿は似ていても、二人の性格は対極に位置する。お調子者の兄に頑固者の妹。互いの不足を補おうとでもしたかのように、彼らが持って生まれた気質は真逆だった。
「大体冒険者を目指してるくせに、まだ職業も決めてないなんてどういうこと? そんなんだからお姉ちゃん達に総攻撃されちゃうのよ」
 双子が将来の夢とするのは冒険者なる存在である。
 冒険者は有体に言えば何でも屋だ。ダーマ神殿が総括する各国のギルドに登録し、報酬と引き換えにあらゆる仕事を引き受ける。戦士、武闘家、魔法使い、僧侶、盗賊、商人、遊び人の中から適性に応じた職業を選択した者達は、それぞれの技を極めるべく日々鍛錬を怠らない。
「だって決まんなくってさ」
「どうして決まらないの」
「どれもカッコいいな〜って思うと決まらない」
「……呆れた、そんな理由?」
 少年らしい憧れを抱きつつも、未だ行く先を決め兼ねているのがケインの現状だ。武闘家はかっこいいし盗賊はもてそうだしと、お調子者の性格も手伝って日々目指す職業が違う。
「戦士に決めればブレンダお姉ちゃんだけの特訓で済むし、僧侶に決めればセシリーお姉ちゃんだけの勉強で済むのに。毎日特訓尽くめなのはケインが優柔不断だからよ」
 リアンの言動が次第に説教じみてきたのを感じ、ケインは内心舌打ちをする。姉からしごかれ、妹から小言を浴びせられでは体がもたない。
「でもさ、リアンみたいにがちがちするのも疲れちゃうよ。気分転換も必要なんだから、今日は俺と遊びに行こう」
 起死回生とばかり兄貴ぶった提案をしても、リアンはじっとりと半眼になるだけだ。
「そんなこと言って、気分転換したいのは自分のくせに」
「あれ、ばれた?」
 悪びれなく後頭部を掻くと、ケインはむんずとリアンの手首を取った。妹と口でやりあっても十中八九勝てない。ならば勝算ある戦法を取るだけだ。
「じゃあさ、教会行こ、教会」
「え?」
「お祈りにいくんだろ、俺も行く」
「ちょっと、ケイン!」
 ケインは戸惑うリアンを強引に引き摺りながら歩き出す。弁が立って理屈っぽい妹をどうしたら丸め込めるのか、ケインは既に学習している。何しろ彼女とは生まれた時から……いや、胎の中からの付き合いなのだ。
「もうっ……訓練中なんでしょ? お姉ちゃん達に怒られても知らないんだから」
「リアンと訓練してたって言ったら怒られないよ。だろ?」
 振り返り、子供染みた策略を滲ませてケインが笑う。リアンは聞こえよがしに溜息をついたが、兄でありながら実質弟のような少年の実力行使には折れることが多い。
「一応話は合わせてあげるけど……ばれてもあたしのせいじゃないからね」
「大丈夫、拳骨食らうのは俺一人だからさ」
 力強い味方を得てケインが笑みを深くする。アリアハンの双子は子犬のように大路へ飛び出した。


 空の青、花の赤、葉の緑、雲の白、世界を形成するあらゆる色が混じり合い、アリアハンの城下町を生き生きと彩っている。降り注ぐ光は愛撫の手に似て柔らかく、吹き抜ける風は癒しの歌に似て優しい。冬期間閉ざされていた全ての窓は開放され、それぞれの家庭の匂い、喧騒、生活音が大路にまで流れていた。
 昼前の太陽は一際強く輝き、存在するもの全てに等しく濃い影を与える。双子の影も石畳に、叢に、花壇に落ちて様々に形を変えるのだ。
 商店が犇く大路は途中枝分かれしている。一際手入れの行き届いた並木道に差しかかった時、二人はどちらからともなく足を止めた。
 真っ直ぐに伸びた道の先に王城が聳えている。中央尖塔に煌く太陽を頂き、威風堂々と聳える姿は王者の風格を漂わせていた。
「あと四年ね」
 繋いだままのリアンの指先に、きゅっと力が籠もった。
「あと四年で十六歳。そうしたらあたし達、お城で成人の儀を受けるのよ」
「うん」
 十六歳はアリアハンで成人を意味する。親の庇護を離れ、独り立ちをし、義務と権利を与えられる節目の年だ。職に就くのもよし、結婚するのもよし、故郷を離れるもよし、自ら選び取る人生がそこから始まるのだ。
 双子にとって十六歳の誕生日は旅立ちの日に通じる。彼らとその姉達が冒険者を目指す理由は、大儀を掲げて旅に出た父の手助けをするためだ。
 当初戦士を目指していたはずのリアンは、最近になって趣旨変えをしたのか魔術書を読み漁っているようだ。同時に二つの職に就くことは禁じられているから、魔法使いを選ぶのならこれまでの戦士としての訓練が無駄になってしまう。妹が考えていることはケインには良く分からない。
「でもあたし最近思うの。ケインはアリアハンに残ればいいのにって」
「……何でさ」
「だってあたし達が全員いなくなったら、お母さんがかわいそうじゃない」
 怒りを押し殺した声でリアンは低く囁いた。
「お母さんが悲しむ顔を見るのは嫌。だからケインはお母さんの傍にいてあげて」
「母さんの傍にって、それって普通、女の子がやることじゃないの?」
「だって絶対、あたしの方が冒険者に向いてると思うもん」
 リアンはケインの手を解いて数歩進んだ。青いチュニックの裾を翻しながら振り返り、黒い眉を挑発的に持ち上げる。
「あたしやお姉ちゃんの方がケインより強いでしょ? だからケインはあたし達が帰ってくるのをお母さんと一緒に待ってて!」
「……何だよそれ!」
 そこまで矜持を貶められてはさしものお調子者もむっとくる。不機嫌を顕わにしたケインに笑い返すと、リアンは弾むような足取りで再び駆け出していく。
 双子は疲れを知らぬ若駒のように疾走し、やがて城下町の外れに辿り着いた。道の突き当たりを左に曲がると九十九折の階段に続き、石段を踏みしめる度町の喧騒が遠退く。世俗の賑わいからやや距離を置いた高台には、アリアハンの教会が聳えていた。
 万人に許された門戸を潜れば空気が一変する。穏やかながらも厳粛な光に満ちたその場所では、神秘的な何者かの息遣いが感じられるのだ。積み重ねられてきた人々の祈りが、聖なる力と化して宿っているのかもしれない。
 平日の昼時、祈りを捧げる人影はまばらだった。二人は無意識に足音を忍ばせながら、戸口から真っ直ぐ伸びた位置にある祭壇に向う。
 数多の蝋燭が揺れる祭壇の向こう、仰ぎ見る位置に不死鳥と竜の神像が祭られている。空を司る神鳥ラーミアと大地を司る聖竜エディエラはこの世の守護神だ。不死鳥は深遠なる迷宮に守られた地から、聖竜は堅牢なる山脈に囲まれた地から神の采配を振ると言われていた。
「これはこれはオルテガの双子。二人揃った姿を見るのは珍しい」
「司祭様」
 衣擦れの音と共に初老の男が歩み寄ってきた。青を貴重とした法衣をゆったりと纏い、地位を示す頭環を恭しく頂いている。胸元に揺れる石に記されるのは不死鳥ラーミアの聖印だ。
「リアンは毎日のように顔を見せるが、ケインは随分と久しいな。わしの留守を狙って来ずとも良かろうに」
 不信心ではないが不精なケインは、大半の国民が日課としている礼拝もさぼりがちだ。ちくりと釘を刺されて首を竦めると、司祭は何もかもお見通しだというように笑った。彼は双子の名づけ親であり、洗礼を施した人物でもある。
「そろそろお前達の誕生日か。幾つになる?」
「十二歳になります」
 優等生らしくリアンがはきはき答えると、神父は目尻の皺を深くした。
「早いものだ。お前達の名を考えたあの日からもうそんなにも経つのか」
 神父は感慨げに頷くと、屈み込んで双子の高さに視線を合わせた。数多の人生を見つめてきた瞳の色は深い。
「冒険者を目指していると風の噂に聞いたぞ。リアンは戦士の訓練を重ねているようだが、ケインはどんな職業につくのかね」
「俺は色々いいなあって。武闘家とか戦士とか盗賊とか。そうだ、賢者もかっこいいと思います」
「賢者か……幻の職とは大きく出たな。賢者はダーマ神殿近くにあるガルナの塔、そこに宿る竜に認められた者のみに許される職と聞く。たくさんの修行が必要だな」
 神父はケインの頭を撫ぜながら目を細めた。
「父の手助けをしたいとは感心だ。お前達の父はこのアリアハンの誇りであり世界の希望である。人々はみな、オルテガが魔王バラモスを討ち取ってくれる日を待ち焦がれているのだよ」
 魔王バラモスと名乗る異形の輩が現れ、人々の生活を脅かすようになって久しい。バラモスは数多の魔物や魔族を従え、数え切れない数の国を蹂躙した。中でも世界に震撼を齎せたのは霊峰ネクロゴンド王国の消失、不死鳥ラーミアの眷属が住まう伝説の都が一夜のうちに滅ぼされた事実だ。魔王の力は神の加護さえ上回るのだと、深い絶望が人々を苛んだ。
 だが全ての希望が潰えたわけではない。生き残った数多の国から、何人もの勇士が魔王討伐を掲げた。死地に赴くも同然の彼らを嘲笑う者もいないわけではなかったが、崇高な志を秘めた彼らは、何時しか期待と尊敬を込めて勇者と呼ばれるようになる。
 勇者はやがて故国の威信を背負う存在となり、認定には国ごとに定められた試験を課せられるようになった。国の全面的な協力が得られるために希望者は多いが、生半可な覚悟では挑むことさえ憚れる程、認定試験の内容は厳しいとされている。
 双子の父オルテガはアリアハンを代表する勇者だ。遠くサマンオサのサイモンに並んで最も魔王に近い男と目されていた。
「……あたしはあの人のために冒険者になるわけじゃありません」
 ふと零れ落ちたリアンの声はちくちくと刺々しい。妹は何時だって、父の話になるとこんな風に態度を硬化させるのだ。ケインは小さく肩を竦め、司祭は柔らかく微笑んだ。
「リアン、オルテガは立派な男だ。お前は父を誇りに思ってよいのだよ」
「……」
 下唇をきつく噛んだまま、リアンは床に視線を落として答えなかった。その頬は頑固な決意を込めて硬く強張っている。
「……そうか。ならばお前はお前の信じた道を進みなさい。神の加護が何時でもお前達と共にあるように」
 神父は光の中に手を翳し、勇者の子らのために祈りを捧げた。