勇者の子らが旅立つ日<1>


 ケインが十六歳の誕生日を迎えたその日、空は眩しく澄み渡っていた。
 ケインは大上段に構えた木刀を気合と共に振り下ろした。頬を伝う汗が顎から滴り、丸い玉となって風に散る。朝日を弾く癖の強い黒髪が、主の動きに合わせて忙しく揺れた。
 裏庭は彼にとって最も馴染み深い場所だ。城に誂えられた訓練所、野花が揺れる川辺、町外れの原っぱ等様々な場所で木刀を振り回してきたが、ここより落ち着く場所はない。裏庭には今日までの彼を育んできた者達の、明日に繋がる夢が数多息づいているのだ。
「ケイン、ご飯が出来たわよ」
 ゆったりと構えを解いた時、開け放したままの窓から母の声が聞こえた。もうそんな時間かと太陽の位置を確認し、ケインは汗を拭いながら戸を開ける。朝食の良い匂いがふわりと吹きつけ、腹の虫が即座に存在を主張し始めた。
「おはよう、祖父ちゃん」
「おはよう」
 既にテーブルについていた祖父に挨拶しながら、ケインは踵で椅子を引っ張り出す。食卓には焼きたてのパン、チーズときのこを閉じ込めた金色のオムレツ、ほこほこと湯気を立てる温野菜、その他何品もの料理が所狭しと並んでいた。
「……あれ、みんなは?」
 今朝の食卓は静かだ。何時もきゃあきゃあ賑やかな姉達の姿を探して、ケインはさして広くもない室内を見渡す。
「手続きがあるから先にギルドに行くって言っていたでしょう。さあ、冷めないうちに食べて」
 母のアリシアが湯気の立つ玉葱スープをケインの前に置く。
 ケインより一足早く成人して冒険者となった彼女らは、既にルイーダの酒場へと赴いていた。国外のギルドの援助を受けるための手続きは、役所が絡むこともあって煩雑で時間がかかるのだ。可能な限り手早く済ませようと、人の空く時間を狙って出かけたらしい。
「食べたら体を流してから着替えてね。王様にお会いするのに汗塗れでは失礼よ」
「分かってるよ」
 彼女はケインの母であり、成人したからといってその関係が変わるはずもない。やや押しつけがましい愛情に半ば辟易しながら、ケインはそれでも素直に頷く。当分の間、こんな風に世話を焼かれることもないのだ。
 ケインは切り分けたハムをパンケーキに乗せて頬張る。ハムの塩加減とパンの甘味の絡み合いが絶妙だ。
「準備は済んだのか」
 ぼそりと、独り言のようなさり気なさで祖父が話しかけてくる。
 祖父は生来寡黙だが、この四年来益々その気質が強くなった気がする。近衛兵隊長まで昇りつめた彼の強靭な精神を、生涯最も容赦なく痛めつけたのは立て続けに齎された二つの悲報だ。
「ん。昨日のうちに荷造りした」
 ああでもないこうでもないと大騒ぎしながら荷物を纏めたのは姉達だが、そこらには触れないでおく。
 若い食欲を存分に揮うと、皿はほとんど空になった。挨拶もそこそこにケインは椅子を立ち、二階に続く階段へ早足で向う。登城の時間までそう余裕はない。
 階段に足をかけた時、祖父の声が背後から響いた。
「死ぬなよ」
 低いが明瞭な言葉が耳朶を打つ。それはケインだけではなく、帰ることのなかった家族にも向けられた言葉だったのかもしれない。ケインは振り返り頷いて、再び階段を登り始めた。
 オルテガの消息が途絶えたのは、リアンが海に落ちたのと同じ大災害の日だった。父と妹の行方は未だ杳として知れず、遺留品の一つさえ家族の元に戻らない。三年の年月を経ても所在が確認出来ぬ場合、行方不明者は鬼籍に入るのがアリアハンの慣わしとなっている。勇者とその娘は今、町外れの教会に墓標を並べて眠っていた。
 悲しみの拭えぬ幾つもの季節を経て、ケインはいよいよ成人の日を迎えた。兼ねてからの計画通り王に許しを請い、姉達と共に長い旅に出るのだ。
 だが今日の風景は、災害前にケインがぼんやりと思い描いていた未来図とはかなり違う。彼が魔王討伐を掲げ、彼が幾つもの難関を潜り抜け、彼が新たに世界の希望を担う存在になろうとは、高名な占い師さえ予見出来なかったに違いない。
 成人を迎えたこの日、ケインはアリアハンの勇者として生まれ育った国を後にするのだ。


 王への謁見を済ました後、ケインは若葉生い茂る並木道を渡って、馴染み深い大路へと戻ってきた。
 初めて訪れた王宮は何もかもがきらびやかに威圧的で、呼吸することすら憚られた。ケインはようやく肺いっぱいに空気を入れ、緊張した首筋を揉み解す。妙な疲労感は残るものの、成人の儀を無事済ませられた安堵感は大きい。
 もう一度王城を振り返ってから、ケインは雑踏に紛れて歩き出した。向うはルイーダの酒場……アリアハンの冒険者ギルドである。
 四年前はルイーダが開いた戸板を、今日は自らの手で押す。乏しい陽光が差し込むばかりだった空間は今、数多のランプに照らされてはっきりと明るい。
 雑然と並べられた円卓には、まだ早い時間にもかかわらずたくさんの人々が談笑していた。仲間と額をつき合わせて地図を覗く者、報酬額を声高く競い合う者、賞金首の張り紙にじっと見入る者、ギルドならではの風景が広がっている。
「あ」
 奥まったところにあるテーブルに、ケインは馴染み深い後ろ姿を捉えた。ふわふわと緩く波打つスミレ色の巻き毛は、光を馴染ませて夕焼けに似た色を呈する。踏み出す足取りには肉食獣に似たしなやかさがあり、体重というものを一切感じさせない。椅子を引く仕草、腰掛ける動作、何気ない所作の一つ一つがよく訓練されている。
「ブレンダ姐さん!」
「手続きお疲れ様でした!」
 周辺の女達が一斉に立ち上がる。軽く手を上げてそれに答えるブレンダは、十八の若さにして妙な貫禄に満ちていた。
「お前達、あたしのいない間、アリアハンのことは頼むぞ」
「任せろブレンダ」
「町を守ることこそわたし達の償いだ」
 四年前オルテガの悲報が届いた後、ブレンダはショックのあまり非行に走ってしまった。義父に対する深い愛情がそっくり絶望に変じ、感情を何処に向けてよいか分からなくなったらしい。彼女は夜な夜な町へ繰り出し、盗んだ荷馬車で走り出したり、そこらにしゃがんで通行の妨げになったりとの愚行を繰り返したものだ。
 だがホウキを携えたアリシアに日々追い駆け回されるうち、母をやきもきさせる行為の虚しさに気付いたらしい。心機一転再び剣を握ると、彼女は見事試験に合格して戦士となった。ブレンダに感化された仲間達も次々と冒険者を目指し始め、不良集団は何時しか頼もしい自衛団へと変貌を遂げる。絵に描いたような更正物語であった。
「あたい達、姐さんの分まで立派に町を守ってみせるさ」
「だから安心して旅に……うっ」
「馬鹿っ、泣く奴があるか」
 苦く笑うブレンダの眦にもきらりと光るものがある。
 熱い。彼女らの発する青春の炎が周囲を焼き尽くすかのようだ。下手に近づくと火傷しそうなので、ケインは足跡を忍ばせて方向を変えた。壁際に沿ってそろそろ歩き始めたところで、一角の空気がざわりと揺れる。
「……?」
 色めき立つ男達の視線を辿れば、階段を下りてくる娘の姿が目に入る。
 水晶細工のように硬質な美貌の持ち主である。青みがかった銀髪はさらさらと星屑を散らし、猫めいた瞳は蠱惑的に瞬く。法衣の合間から伺える体は華奢ながらも女らしいまろみを帯びていて、男の視線を吸い寄せるのに十分な官能に満ちていた。
 彼女が床に爪先をつけるや否や、若い冒険者達がわらわらと群がった。
「セシリー、こちらへおかけください」
「手続き疲れただろう。冷たい飲み物はどうだ?」
「飲み物なんかより果物がいいよな。おい、フルーツの盛り合わせ持ってきてくれ!」
「これはどうかな? 最近メニューに加わったシャーベットが美味しいとの評判だ」
 セシリーの前には、一瞬にして数多の飲料や料理が並んだ。それぞれが注文した品に注目してもらおうと、男達は四苦八苦である。
「まあ嬉しい、みんなありがとう」
 セシリーは頬に笑窪を刻んだ。大輪の花が綻ぶような微笑だが、ケインはその裏に鋭い棘が隠されていることを知っている。
「なあ……やっぱり行っちまうのか?」
「俺は明日から何を生き甲斐にすればいいんだ」
「セシリー、あなたのいないアリアハンは星のない夜空も同然です」
「何時までそんな風に思ってくれるのかしら? あたしの旅は長くなりそうだし、忘れられてしまいそうで寂しいわ」
 セシリーが大仰に睫を伏せると、男達は揃って悲鳴を上げるのだ。
「お前は俺が信じられないのか?」
「君は何時もそうやってつれない。どうすれば私の真心を届けることが出来るのか……」
「あなたは僕の明星です。忘れるなんてあり得ません」
 怒るわ泣くわへこむわ倒れるわ阿鼻叫喚の愁嘆場である。げんなりとそんなやりとりを聞き流しながら、ケインは再び店の奥に向う。
 赤褐色の光沢あるカウンターには一人の女が頬杖をついている。艶やかな朱色を帯びた唇は、ケインを認めるとふっくらと柔らかい笑みを浮かべた。
「ここはルイーダの店。旅人達が仲間を求めて集まる出会いと別れの酒場よ。何をお望みかしら?」


 ルイーダは何時見ても美しい。時を重ねるごとに深みを増すワインにも似て、その色香は日に日に芳しくなるようだ。
 ケインは颯爽とカウンターに腕を乗せた。四年前あれ程苦労して攀じ登ったスツールにもひらりと難なく腰掛ける。平均より小柄でもそれなりに成長しているのだ。
「アリアハン一の美女から、勇気の言葉を頂きにきました」
「……何よそれ」
 前髪を払いながら渋く決めたつもりだったのに、ルイーダの反応は辛辣だった。ケインは何時もの表情に戻って下唇を突き出す。
「冷たいなあ。今日から勇者だし成人だし、どうせならかっこよく行こうと思って色々考えてきたのにさ」
「それが今の台詞? 無理しない方がいいわ、才能ないから」
 ルイーダはくすくす笑いながらケインの額を見つめた。癖の強い黒髪を押さえるのは、青い宝玉が美しいサークレットだ。課せられた試練を全て乗り越えた者だけに、王が直々に授ける勇者の証である。
「ケインが勇者を目指し始めた時は驚いたわ。そして正直無理だと思った。だから今、こうやってあなたがサークレットをつけているのが夢みたい」
 ルイーダの桜色の爪が、銀河の輝きを秘めた宝玉を軽く弾いた。
「……リアンの分もがんばったわね」
 双子の片割れを失った日以来、ケインは勇者を志すようになった。オルテガの訃報が届いた日以来、修練は益々熱を帯びるようになった。あの時竜を追い駆けなければ、あの時町を飛び出さなければ、あの時もっと力があれば……彼女の夢を奪ってしまったという想いが原動力の一つとなる。額に輝くサークレットは、声にならない感情の結晶でもあるのだ。
「俺の実力だって」
 気恥ずかしさを秘めてひらひらと手を振ると、ルイーダは柔らかく目を細めた。
「勇者誕生のお祝いをしたかったけど時間がないわね。盛大な宴会は、あなた達が無事にアリアハンに戻ってきてからにしましょう」
「ルイーダさんがお祝いしてくれんなら、俺、出るのを明日にしちゃおっかな!」
「お姉さん達に殺されるわよ」
「ですよね〜」
 肩を落とすケインだがお調子者故立ち直りも早い。即座に新たな希望を見出して生き生きと顔を上げるのだ。
「でもいいや。アリアハンに帰ってくる楽しみが増えたもんな。ルイーダさんのために、俺魔王退治がんばっちゃうよ」
「あら、それは素敵な口説き文句ね。あたしのために勇者様が魔王退治なんてロマンチックだわ」
 ルイーダが小首を傾げると、艶やかな巻き毛がとろりと肩口から零れた。
「それじゃ出発の前に一杯ごちそうしましょうか。アルコールは……入っていない方がいいわね」
「そうしとく。酔っ払って魔物にやられたら格好つかないし」
 ややあってルイーダが差し出したグラスには、鮮やかな山吹色の果汁が注がれていた。
 口に含んだマンゴージュースは四年前と変わらない味がする。ゆっくりと流し込んでいたところに強か背を打たれ、ケインは勢いよく咳き込んだ。
「よう小僧、お前がアリアハンの勇者だってか」
「……誰だよあんた」
 まるで見覚えのない男である。筋骨隆々たる体躯から察するに戦士か武闘家といったところか。とろりと焦点の合っていない目が、摂取した酒量を物語っていた。
「新しい勇者が酒も飲めねぇガキとはがっかりだな。勇者は世襲制じゃねぇのに、一体どんなコネを使ったんだ?」
 カウンターに置いた手で体を支えつつ、男は更に絡み続ける。
「そんなチビじゃ剣に振り回されるのがオチだ。今なら間に合うから、城に戻ってそのサークレットを返上してきな」
「チビは関係ないだろ」
 むっとしつつも反論に力が入らない。認定試験に合格したのは事実だが、彼の言葉通り、オルテガの子としての将来性を買われた部分も大きいのだ。
 オルテガの訃報が齎した絶望は、そのまま忘れ形見への希望へ変じた。誰もがケインを過大評価し、彼に理想の勇者像を重ねた。あまつさえケインの立志を知った国はこれ幸いと環境を整え、十二歳からの四年間、彼に高水準の教育を施してきたのだ。それを贔屓と非難されればケインには否定しようがない。
 言いがかりと切り捨てられぬ状況に溜息をついた時、背後からぱたぱたと足音が響いた。ぐいと無遠慮にマントを引く手の主は、これからの旅を共にするもう一人の仲間だ。
「ケンちゃん〜、お待たせ〜」
 ルナは足首まで覆うグリーンのワンピースに身を包み、人目を引く鮮やかなオレンジのマントを羽織っている。赤い髪の大部分を隠す三角帽子には、ワンピースと共布のリボンが愛らしく結わえてあった。
「ル、ルナ!」
 途端男の態度が豹変した。赤ら顔は青ざめ、酔眼は血走り、額に脂っこい汗が浮かぶ。じりじりと後じさった男は、スツールに踵を取られて危うく引っ繰り返りそうになった。
「ケンちゃんはわたしの弟なんだけど〜」
 ゆっくり振り返るルナの動きに合わせ、空気が急速に冷えていくのは気のせいではない。水の精霊が彼女の感情に反応し、そこかしこから集結しつつあるのだ。
「何か用かな〜?」
「……何でもねぇよ!」
 先刻までの気勢は何処へやら、男は舌打ちの音高く逃げ出した。広い背中が人ごみに紛れると、周囲は一瞬にして常温を取り戻した。
「……あいつに何かしたの?」
「前にパーティ組んだ時〜、わたしのメラが〜、あの人のお尻に当たっただけ〜」
「それって戒律違反じゃないか?」
 冒険者には職種毎に数多の戒律が設けられている。武器や魔術の制限といった仕事にかかわるものから、一般人への暴行や犯罪行為の禁止など平時に及ぶものまで様々だ。
 強い殺傷能力を持つ魔法使いは、悪意を持った魔術の行使を禁じられている。最も重い刑で死罪、次いで魔力の永久封印だ。
「わざとじゃないもん〜、不幸な事故だもん〜」
 しれっとルナが嘯いたところで、騒ぎに気付いたらしいブレンダとセシリーがやってきた。二人ともすっかり準備を整えた風情だ。
「ケン坊、来てたのか」
「さっき着いたとこだよ」
「声をかけてくれればいいのに」
「いや〜、かけられるような状態じゃないでしょ」
 右側の円卓では女達が涙ながらに熱く酒杯を打ち鳴らし、左側のテーブルでは男達が葬式さながらの沈痛さで項垂れている。そんな様子を尻目に、ケインはスツールを降りて振り返った。
「それじゃルイーダさん、俺達もう行きます」
「ええ。あなた達に神鳥と聖竜のご加護がありますように」
 ルイーダの声援を背に四人が戸口に向かって歩き出す。
 賞賛、嫉妬、憧憬、侮蔑、色とりどりの感情を秘めつつも、人々は新しい勇者のために左右に分かれて道を作った。まだ嘴の黄色いひよっことは言え、彼はあのオルテガの息子なのだ。その背に希望を託すだけの価値はある。
「がんばってね、ケイン」
「魔王なんてこてんぱんにのしちゃってよ」
「おう、任せて!」
 顔見知りの給仕達が愛想良く声をかけてくる。愛らしい娘達にケインは親指を立てつつ振り返り、閉じたままの戸板に激突して勢いよく引っ繰り返った。
 一瞬の沈黙が落ちた後、酒場のそこここで脱力した溜息が漏れた。