勇者の子らが旅立つ日<2>


 教会の裏に手入れの行き届いた墓地がある。
 アリアハンで生まれた命は、ほぼ例外なくアリアハンの土に還る。素朴な墓標が並ぶそこは滴る緑に囲まれて、公園のように伸びやかで気持ちのよい場所だった。
 墓地のほぼ中央に、まだ新しい二つの墓石が目立つ。嘗て世界の希望を一身に背負った男とその娘の名が刻まれた御影石は、太陽の下輝石に似た光を放っていた。同じ意匠の墓石が仲良く並ぶ様は、娘が父に抱いていた複雑な感情など微塵も感じさせない。
「……父さん、リアン」
 ケインは墓石の前に跪き、もうここにはいない家族に報告を始めた。
「見てくれよ、このサークレット。俺今日、やっと勇者の認定を受けたんだ。父さんとリアンがいなくなってから四年間、俺すんごいがんばちゃったよ、スゴイだろ?」
 オルテガの悲報が飛び込んだのは、リアンが行方知れずになって間もない頃だった。バハラタから川を上り、霊峰ネクロゴンドの王城を目指していたオルテガは、大災害を境にそれきり行方不明になった。火山に飲み込まれたとも、崩落した岩の下敷きになったとも、魔物との激闘の末命を落としたとも言われているが真相は定かでない。
「今日から旅に出る。これからも、二人の分までがんばるから見守っててくれよな」
 梢を揺らし行く風は、いなくなってしまった人々の声音に似て優しい。頼もしい返事を聞いたような気がして、ケインは柔らかく目元を緩めた。
「んでさ、見守るついでっちゃーなんだけど、運命の出会いにも導いて欲しいんだよな。やっぱ世界を救う勇者には、ヒロインの応援が必要でしょ。オンナノコの笑顔があれば魔王バラモスなんて怖くない……」
「……爽やかな笑顔で、一体何をお祈りしてるわけ?」
 吹雪の声が吹きつけてケインはびくんと身を竦ませた。恐る恐る振り返った際には、花を摘みに行っていた姉達の姿がある。のほほんと微笑むルナ、冷ややかな眼差しのセシリー、ぱきぱきと指を鳴らすブレンダ。
「あら……お早いお帰りで……」
「あたし達がいっくらでも応援してやる。どんな応援方法が好みだ?」
「いやぁ〜、俺が欲しいのはかわいい彼女の声援であってぇ、ブレンダの鉄拳じゃな……いてててっ」
 耳を摘み上げられるケインを尻目に、セシリーが墓前にしゃがみこんだ。野の花を集めただけの、心尽くしの花束をそっと供える。
「正直言って不安はてんこ盛りだけど、ケンくんの面倒はちゃんとあたし達が見るから」
「そうだね〜。これからもたくさん一緒にお勉強するからね〜」
「あたしがついている。だから父さんもリアンも心配しないでくれ」
 四年前のあの日、崖から転落したリアンは結局見つからなかった。大地震の後、誰もが生活を立て直すのに必死だった中、オルテガと懇意だったアリアハン国王が三十人もの捜索隊を編成してくれたにもかかわらず、遺品一つ発見出来なかった。
 捜索が七日目を数えた時、母のアリシアが打ち切りを王に申し出た。海に落ちて一週間、どう贔屓目に見ても状況は絶望的だ。町の再建に人々が東奔西走している中、死んだ人間に貴重な労力を割く余裕などない。生き残った命を優先させるべきなのだ。
 その夜みなが寝静まった後、ケインはアリシアが声を立てずに泣いているのを見た。オルテガが旅立った時も、愛娘を飲み込んだ大海を見つめる時も、毅然と頤を上げていたアリシアの涙を見たのは、それが最初で最後だ。
 思えばケインはその時初めて、母が泣くことを知ったのだ。母を悲しませる父が許せないと息巻いていたリアンは、もっと早くからあんな姿を見ていたのかもしれない。
「……出来るだけ早く帰って母さんを寂しがらせないようにする。だから安心してていいからな」
 誰にも聞こえないよう囁くとほぼ同時、石畳を踏む柔らかな足音が響いた。こつ、こつと一定のリズムを刻む響きは、四人にとって馴染み深い代物だ。色の違う八つの瞳は、タイミングを計ったかのように音の方向を振り向いた。
 百合の花束を抱えた女が一人、艶やかな髪を揺らしながらこちらに近づきつつある。姉弟達を認めたはしばみの瞳が優しい笑みを浮かべた。
「ここにいると思っていたわ」
「母さん」
 アリシアはセシリーに入れ替わって墓前に膝をつき、抱えていた花束を手向けた。祈りを捧げた彼女は傍らの息子を見上げ、サークレットが弾く光に眩しげに目を細める。その表情が誇らしげにも見え、また切なげにも見えたのはケインの気のせいだったか。
「立派なサークレット。王様のお許しをいただけたのね」
「うん」
「良かったわ」
 アリシアは頷きつつ立ち上がり、ケインを、ブレンダを、セシリーを、ルナを、順に見つめて頷いた。
「一人前の冒険者さん達に、今更わたしが言うことは何もないわね。元気で行って、帰っていらっしゃい。何が起きても、あなた達の帰る家がここにあることを忘れないで」
 セシリーが母の手を取る。にこやかに男心を弄ぶことを生き甲斐とする彼女だが、育ての母に対する愛情は純粋だ。
「お母さん、あたし達が一度にいなくなって寂しくない?」
「勿論寂しいわ。子供達が一度に旅に出てしまうのですもの、きっと家の中は火が消えたようになる。寂しさを飼い慣らせるようになるまでは少し時間が必要でしょうね」
 アリシアの声音は冬の空のように透き通っていて、清々しいほどの覚悟に満ちていた。
「でもあなた達はリアンのようにいなくなってしまうわけではない。どんなに遠く旅をしていても、同じ世界の何処かにいる。そう思えば……寂しいけれど、辛くはないわ」
 そう目蓋を伏せる母の姿が嘗てないほど小さく見えた。
 夫を失い、娘を失い、今また愛する家族を見送らねばならぬ母の気持ちは如何ばかりか。母は強い人だが、今日というこの日を心穏やかに迎えたはずはない。
「母さん、あのさ……」
 十六歳。本来ならば成人して、やっと親孝行が出来る年齢だった。働いて生活を支え、伴侶を見つけて安心させ、かわいい孫の顔を披露する……そんな当たり前のことさえ出来ない道を選択したことを、ケインは今更自覚する。
「……なあに?」
 だがそれはケイン自身が選び取った人生だ。苦悩も躊躇いも、全て己が拳に握り締めるべきものだ。
「何でもない。そろそろいくよ」
「人はそれぞれの運命を背負って生まれてくるとわたしは思うの。だからあなたはあなたの道を進めばいいし、わたしはわたしの道を進むだけ。あなたがそれを気に病む必要はないのよ」
 流石母親というべきか、完全に見透かされている。ケインは口を開きかけたが、結局気の利いた言葉は思い浮かばなかった。自然、口からこぼれるのは平生と変わりない挨拶だ。
「じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
 母は何時ものように手を振りながら四人の旅立ちを見守っている。その笑顔を置き去りにすることに後ろめたさを覚えつつも、姉弟は墓場を後にした。
 もしかすると寂しさを感じているのは母でなく、懐かしい故郷を巣立って行く彼らの方なのかもしれない。


 嘗てない大地震が世界を揺るがしたあの日のことは、まだ人々の記憶に新しい。
 大地が蠢き、海が割れ、風が狂った。信じていたもの、築き上げたものが一瞬にして失われた日の絶望は、生涯彼らの心を苛み続けるだろう。
 世界のあちこちで多くの人が財産や命を失った。再生する力を持たぬ町や村は滅亡し、今も無残な躯を乾いた風に晒している。アリアハンでも三つの町が大打撃を受け、北東のレーベ村を残して全てが壊滅した。
 地震は人工物のみならず、自然にも大きな影響を及ぼした。地殻が大きく変動し、風や潮の流れが激変したのである。
 アリアハンにとって最も痛手だったのは、島の周囲を取り巻く海流の変化だ。それまで他国からやってきたたくさんの船が、隆起した浅瀬や激しい渦に幾手を阻まれて滅多なことでは近寄れなくなってしまったのだ。世界を巡る物資や人の流れから、アリアハンは今完全に孤立してしまっている。
「……で、ケン坊、城ではどうだったんだ?」
 手入れされた絨毯のようになだらかな草原を歩きつつ、ブレンダが問う。ケインは振り返り、びっと親指を立てた。
「お姫様が超かわいくて最高。高貴な生まれの女の子ってのは、笑顔まで格が違うって感じ……」
 間髪入れずブレンダの鉄拳がケインの顔面に減り込む。
「そうじゃなくて。王様は何と仰っていたのかと聞いてる」
「船は当てにならないから、旅の扉を利用しろって仰った。それがロマリアに通じてるんだって」
 慣れた手つきで鼻血を拭いながらケインは答える。
 ロマリアはここアリアハンから遥か北に位置する大国だ。ロマリアからは陸路でアッサラームを経由し、山道を越えてバハラタに向う。バハラタから船で川を北上すれば、ネクロゴンドへ通じる険路へと繋がるはずだ。
「旅の扉? 何だそりゃ?」
「残されたものの一つだよ〜。亜空間の道を渡って〜、目的地へ一瞬で飛ぶことの出来る魔法陣だね〜。同一魔法陣を二つ敷いて〜、それを入り口と出口にするの〜」
「残されたものって?」
 再度首を捻るブレンダの問いを、次はセシリーが引き取る。
「むかしむかーし、人間が繁栄する前、世界では翼ある人達と角ある人達が栄えていました。神の眷属である彼らは魔術に精通していて、卓越した文明の持ち主でもありました。旅の扉はその偉大なる遺産の一つなのです。……というわけ」
「魔術ねぇ」
 生粋の戦士であるブレンダは露骨に顔を顰めた。魔術など胡散臭いと公言して憚らぬ彼女である。
「けどそんなに凄いもんを残して、角人間だの翼人間だのは何処に行ったんだ?」
「角人間なんて言い方しないで。有翼族は神鳥の眷属、有角族は聖竜の眷属よ」
 神々の眷属は人間の繁栄と反比例してその数を減らし、何時しかそれぞれの聖地でひっそりと暮らすようになった。ネクロゴンド滅亡の際、有翼族の民は王都と運命を共にしたと言われており、その存在は歴史書の中に封じられつつある。
「んでさ、旅の扉を使うには管理人の許可がいるんだって。レーベのトーマスさんって人を尋ねるように言われたんだ」
「あら。レーベのトーマスさんって言ったら、たしかルナのお師匠様よね?」
「そうだよ〜」
 ルナはまったりと頷いた。
「お師匠様は〜、ダーマから正式に免状を取得した魔法使いなんだよ〜。ここ何年かのアリアハンの魔法使いは〜、みんなお師匠様の弟子なの〜」
「へえ、凄いじゃん」
「凄いも何も〜、アリアハンで教免持ってるのはお師匠様だけだから〜、魔法使いになりたかったら〜、死ぬほど嫌でもそこにいくしかないの〜」
「あ、そう……」
 その時不意にブレンダが歩みを止めた。彼女が剣を抜くのに合わせ、セシリーとルナもまたそれぞれの得物を構える。何事かと瞬きをするばかりのケインに、ブレンダの押し殺した怒声が浴びせられた。
「魔物だケン坊! これくらいの気配は感じろ!」
「え、あ」
 がさがさ茂みが揺れるのを見て、ケインはようやく魔物の出現に気付いた。青い物体が三つ、ぴょんと眼前に飛び出してくる。
 ゼリーめいた半透明の体が、向こう側の景色を透かしつつふよふよと揺れた。スライムはアリアハンで最弱に位置するモンスターだが、舐めてかかれば痛いしっぺ返しを喰らう。彼らの柔らかい体に顔を塞がれると、分泌した体液が鼻や口に入り込み、一瞬にして石膏の如く固まる。窒息死させた獲物をゆっくりと溶かしながら喰らうのがスライムという魔物だ。
「……先に行くぞ」
 待ちきれぬとばかり先陣を切ったのはブレンダだ。朱塗りの鎧を纏う彼女が疾走する様は、戦場に放たれた炎さながらだ。ひゅんと唸りを上げて刃が地表ぎりぎりを滑ると、スライムが二匹纏めて上下に分断された。きれいにスライスされた肉体は、どろどろと溶けて淀んだ水溜りと化す。
 唐突な戦闘開始に心が追いつかない。完全に出遅れたケインの頭上を、すっと何者かの影が過ぎったのはその時だ。
「!」
 弾かれるように振り仰いだ空には魔物が集いつつあった。四年前のあの日、まるで歯の立たなかったおおがらすだ。忘れられない光景が次々と脳裏を過ぎり、冷たい汗が背筋を滴る。
「スカラ〜」
 気合の抜けた発動詞の一瞬後、ケインを淡い光が包み込む。守備力を一時的に高める魔術はルナが放ったものだ。
「ケンちゃんがんばって〜」
 ルナの声援がのんびりと響く中、ケインはようやく抜刀して地を蹴った。
 ケインの武器は素早さと身の軽さだ。飛んだり跳ねたりの軽業師めいた動きは、敵の予想を裏切って上手く翻弄する。重力を一切感じさせない彼の独自の戦法は、弱点であるはずの小柄な体躯を十分に活かしたものだった。
 十分な助走をつけてからケインは大きく跳躍した。タイミング同じくして急降下してきたおおがらすとの合間が瞬く間に縮む。互いの勢いを利用すれば、腕力の不足を補った十分な打撃が繰り出せるはずだ。
 交差する瞬間、ケインは剣を斜めに振り上げた。確かな手応えと共に羽毛が景気良く散るが、ひよっこ勇者の一打で叩き落される程、おおがらすは容易い魔物ではない。
 散った羽の量の割に大した傷ではなかったようだ。おおがらすは器用に空中で体を捻ると、即座に反撃を仕掛けてきた。咄嗟に翳した盾が甲高い音を立て、腕に重たい衝撃が駆け抜ける。顔を顰める余裕もなく、背後から別の固体の殺気が迫りつつあった。
 着地と同時に膝を折り、二度弾むように後方回転する。差し当たっての攻撃は回避したが、間髪入れず頭上で羽音が鳴り響いた。
「くっ」
 苦し紛れの、それも無茶な体勢から繰り出した一撃など碌なものではない。空振りして大きくバランスを崩したところで、先のおおがらすが仕返しとばかりに嘴を突き立ててきた。鮮やかな赤い花が咲き、一瞬遅れて肩口に激痛が閃く。
「痛っ」
 続いてがつんと重たい一撃を後頭部に喰らい、ケインは堪らず膝を突いた。剣に縋って立ち上がろうとするものの、吐き気と頭痛に顔を上げることもままならない。
「ホイミ」
 ぐらぐらと揺れる世界の何処か遠くから、セシリーの声が聞こえた気がした。
 光の雨が降り注ぐと同時、視界が急激に明瞭になった。ケインは力強く顔を上げ、無防備に突っ込んできたおおがらすを正面から刺し貫く。刃ごと魔物を地面に叩きつけ、今際の痙攣を繰り出す体を力いっぱい蹴り飛ばした。
「……」
 肩で荒く息をしながら、ケインは血に塗れた魔物を見下ろす。
 地面に転がる魔物は記憶にあるよりずっと小さい。不意に抑え切れない憎しみが込み上げてきて、ケインは必要もないのにその首を切り落とした。血糊に汚れた刃をもう一度振り上げたところで、冷ややかな制止が滑り込んでくる。
「止せケン坊、あたし達は憂さ晴らしのために戦ってるんじゃない」
 白熱した頭に冷風が吹き込む。のろのろと振り向けば、既に剣を収めたブレンダの姿があった。
「生きるためだ。そいつはリアンの仇じゃない」
「……」
 突き放す口振りとは裏腹にブレンダの眼差しは穏やかだ。彼女にとってもリアンは大切な妹だった。ケインの気持ちは姉達が最もよく理解してくれている。
「どうだ、初めての実戦は?」
 話は終わりとばかり、ブレンダが軽く首を傾げた。
「……」
 ブレンダの肌には傷一つなく、息を乱した様子さえない。周囲に転がる魔物のほとんどは彼女が仕留めたものだろう。実戦を知る者と知らない者の開きを感じずにはいられなかった。
「……死ぬかと思った」
 ぽつりと漏れたのは紛れもない本音だ。姉達のフォローがなければ今頃間違いなく魔物の胃の中だろう。
 のろのろと鞘に収めた剣が酷く重たく感じられる。多分それは、これから立ち向かわねばならない現実の重みに等しいのだ。