勇者の子らが旅立つ日<3>


 草原を北に向って進むこと数日、やがてレーベの素朴な町並みが見えてきた。
 豊かな森を金色に縁取る陽光が、小さな村にも夕刻の訪れを告げている。農具を担いで家路に着く人々の影が、舗装もされていない道に長く長く伸びていた。
「こっちだよ〜」
 ルナの案内の元、一行は夕餉の匂いが漂う村を進んでいく。
「え、ここ?」
 村の最も奥まったところにある、ごくごく平凡な民家の前でルナが足を止めた。白茶けた石壁、剪定の行き届いた生垣、風見鶏がくるくると回る青い屋根。アリアハンを代表する魔法使いの邸宅たるもの、どんな不思議が待ち構えているかと想像力逞しくしていたケインは、その平凡な家の有様にいささか拍子抜けした。
 日の良く当たる露台では、揺り椅子に腰掛けた老人がうつらうつらと舟を漕いでいた。苔色のフードのせいで表情までは伺えないが、袖から覗く手は枯れ木のようで、かなりの高齢であることが推測出来る。彼こそがアリアハン唯一の魔法使いにしてルナの師匠、トーマスに相違あるまい。
「お師匠様〜」
 ルナは勝手知ったる風情で露台に上がり、老人の肩を揺さぶった。
「お久しぶりです〜、起きてくださ〜い」
 老人は寝惚け眼でルナを見上げた。懐から眼鏡を取り出し、それを目元に翳しながらしょぼしょぼと瞬きを繰り返す。
「え〜と、どちら様でしたかのう」
「嫌だお師匠様ったらお約束〜、ルナですルナ〜。もっと刺激のある生活で〜、脳味噌活性化させなくちゃだめですよ〜」
 にこにこと暴言を吐くと、それに記憶を刺激されたという風に老人は手を打った。
「おお、おお、思い出した、アリアハンのルナか。久しいな」
「ご無沙汰してます〜」
 ルナは改めて会釈し、かしこまった素振りで告げる。
「今日は〜、旅の扉のことでお伺いしました〜」
「旅の扉……? ということは弟と一緒か」
 トーマスは眼鏡をしっかり装備しつつ、露台の手摺から身を乗り出した。ブレンダとセシリーを通過した視線が、ぴたりとケインに留まる。
「城から知らせは受けておる。お前がアリアハンの勇者か」
「ケインです」
「ふむ、確かにオルテガの面影があるな。……入るがよい」
 老人が手を翳すと、扉がぎいと独りでに開いた。開錠魔術アバカムに改良を加え、自動的な開閉を可能としたのだろう。魔術のアレンジは卓越した知識と技術を要する技であり、今のケインでは逆立ちしても出来ぬ芸当である。
「お邪魔します〜」
 ルナに続き、ケインは老魔法使いの家に足を踏み入れた。
 四人が案内されたのは、本の山が幾つも連なる応接間らしき場所だ。天井近くまで積み上げらた書物は何らかの魔力が働いているのか、はたまた神懸りなバランスを保っているのか、しゃんと聳えていて崩れる気配を見せない。雑然としているが不衛生ではない室内には、紙とインクと革の匂いが満ちていた。
「そこらに座ってくれ」
 四人は不安定な環境を刺激しないように注意しつつ、床や窓枠に腰掛けた。所定の位置らしき古びた椅子に収まるや否や、トーマスはおもむろに話を切り出す。
「さて、旅の扉についてだが……」
「使わせて頂けるんですか〜。わたしがここで修行していた時は〜、どんなにお願いしても見せても頂けませんでしたけど〜」
「あれは神の眷属が残した遺産であり、陛下からお預かりした国宝。おいそれと公開出来るものではないわ」
 老人はしゃんと背筋を伸ばした。
「今回は特別だ。アリアハンの面目に賭けて、勇者を世界に送り出せねばならん」
 旅の扉はレーベから東の祠、長い洞窟を潜り抜けた先にあるという。
 神の眷属が残した不思議の力は、現在の魔術では把握しきれぬ要素も多い。遺産を守るため、又不測の事態を起こさぬため、トーマスが王命により旅の扉を厳重に管理しているのだ。
 尤も、多少の危険を踏まえた上で、旅の扉が一般人に解放される日も遠くあるまい。海路に頼れぬ今、アリアハンが世界と通じる道はこれしか残されていないのだ。
「さて、旅の扉への道には、わしが特殊な封印を施しておる。それを解除するには魔法の玉が必要だ」
「魔法の玉って何ですか?」
 窓枠に腰掛けるケインの傍らに、不意に一羽の鳩が舞い降りた。尾羽の一本が鮮やかな青に染められている以外、これといった特徴のない白鳩だ。人馴れした風情から察するに老魔法使いの飼い鳩と言ったところか。円らな瞳が興味深そうにケインを見上げている。
「魔力連鎖を分解し……分かりやすく言うと、わしの封印を一時的に吹き飛ばす魔術具だ。だがわしにはそれを用意してやることは出来ん」
「……は?」
「あいにく、わしは魔術の構成が専門での」
 トーマスは何処からともなく取り出した紙を指で弾いた。ひらりひらりとケインの手に舞い降りた紙片には、読みにくい文字と複雑な文様が描かれている。横からケインの手元を覗き込んだブレンダが、苦虫でも噛み潰したような顔をした。
「……何だこりゃ」
「魔術具の設計図だね〜」
 魔術具とは魔術を何らかの物質に閉じ込めたものだ。力の源となる精霊石と術を構成する魔法陣、この二つを依代に封じることで様々な現象を具現化する。使用者に負担が及ばぬ利点から、魔力を持たぬ人間は勿論、マジックユーザーにも魔術具を扱う者は多い。
「魔法の玉は精霊石を内包し、魔法陣を外部に巡らせた拳大の玉だ。六種の精霊石を発動させることでイオナズンに似た……」
「あー、面倒な仕組みは興味ない。で、結局あたし達は何をどうすればいいんだ?」
「せっかちな娘さんだが話は早いの。結論から言うとナジミの塔へ行き、そこに住む弟のモーゼスに会って欲しい。あ奴ならこのくらいの魔術具作成は朝飯前だ」
 アリアハンの王都から湖を挟んだ対岸に古めかしい塔が聳えている。シャンパーニ、ガルナ、アープと並んで四古塔と称されるナジミの塔だ。嘗ては神の使者が住んでいたと伝えられるが、今は崩れかけた古の建造物に過ぎない。
「ナジミの塔に住む魔法使いの話は聞いたことがあるわ。人前に姿は見せないけど、腕試しに入り込む冒険者が、あまりに度を越えた行為をした時はおしおきをするって」
 セシリーは紙片を丁寧に四つ折りした。魔術師である彼女には、それに描かれた構成図の価値が正しく理解出来るようだ。
「如何にも、ナジミの塔は冒険者の鍛錬場でもある。力量を確認する意味でも丁度よい」
 好々爺たる老人の目が不意に強かな光を帯びた。王から旅の扉を任されるほどの人物だ、ただの隠居爺であるはずがない。
 その場に居合わせた者の視線が一斉にケインに集中する。ケインは自らを指差しつつ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
「力量の確認って……俺のですか?」
「わしが人生の大半をかけて守ってきた旅の扉だ。使わせる人物には、それなりの可能性を見出したい」
「面白い。ケン坊の腕試しって訳だ。気合を入れていくとするか」
 ブレンダが掌に拳を打ちつけ、セシリーが挑戦的に瞳を瞬かせる。
「あたし達の教育が試されるわね」
「ケンちゃんはそれなりですから〜、ご期待にもそれなりにお答え出来ると思います〜」
 肝心要のケインを蚊帳の外に追いやって、三人娘は大いに盛り上がる。こんな風に彼女らの意見が合致すれば、ケインに発言権などない。
「えーっと、俺にも言いたいことあるんだけど」
 往生際悪く意見したものの、案の定無視された。


 アリアハンの城下町から南西に大きな湖がある。
 染み出す地下水を湛えたそれは鏡のように透き通り、昼には空の青さを、夜には月の輝きを水面に映す。四季の変化によって様々に表情を変える湖は、アリアハンの人々にとってなくてはならない水資源だ。
 その湖のほぼ中央、湖底から突き出した岩場に聳えるのがナジミの塔である。
 美しい彫刻が施されていたのだろう花崗岩の塔は、気の遠くなるような長い時間風雨に晒され、今やただの岩の塊にしか見えない。壁に手を添えても、それは冷たく沈黙して何の記憶も伝えてこなかった。
「これがナジミの塔かあ……」
 こんなにも間近でナジミの塔を見るのは初めてだ。何時だって窓の外から眺めるばかりだったそれは、近いようで遠い外の世界の象徴だった。旅に出たのだという実感が、不意に胸の奥底から湧き上がる。
「スゴイなあ。近くで見るとやっぱ迫力違うねっ」
 塔を見上げて悦に入るケインに並び、セシリーも感心した風に頷く。
「実はあたしもルナもナジミの塔に来るのは初めてなのよね」
「ブレンダは〜、半年くらい前に仕事で来てたよね〜」
「コソドロ捕まえにな。ちょろちょろ逃げ回るせいで三日も取られた仕事だった」
 さして良い思い出でもないらしく、ブレンダの表情が苦味を帯びる。彼女はズバッと切り込めてサクッと解決出来る仕事がお好みだ。
「でも最後はちゃんと捕まえたんだろ?」
「コソドロは……バコタは三日目の朝、ロープで簀巻きにされて落っこちてたんだ。あたし達はそれを拾って御役目御免だったんだが……今思えば、それがここに住む爺さんの仕業だったんだろうな」
「今思えばって、その時は誰がやったのか気にならなかったわけ?」
「全然」
 何せ彼女がパーティを組む仲間達は直情暴走猪型、深入りは潔しとしないタイプばかりだ。目先の獲物であるバコタを捕らえた時点で、それ以上の追求には興味を覚えなかったのだろう。
「そういえばブレンダは〜、冒険者になる前も〜、不良仲間さんとこっちに遊びに来てたよね〜」
「……ああ」
 それはブレンダの真摯に反省すべき過去の汚点である。彼女が憂い顔で空を見上げると、春にもかかわらず木枯らしめいた風が吹き抜けた。
「あの頃は本当にガキだった。中に入る勇気はないくせに度胸試しに来て、ここらで馬鹿騒ぎをしたもんだ。……そこに落書きがあるだろう?」
「ん? これ?」
 ブレンダが指差した箇所にはなるほど、赤い塗料で頭の悪そうな落書きが数点残されている。更正した後仲間と共に清掃に訪れたが、岩肌に染みたそれを消すことは叶わなかったらしい。
「それはあたし達の消えない過去そのもの。あの頃は粋がっていたが、今見ると恥ずかしいもんだな」
「……確かに恥ずかしいわね。スペル間違ってるし」
「ブレンダ見参って書きたかったみたいだけど〜、これじゃあブレンダ貝参だね〜」
「な、何っ!」
 落書きを見上げたブレンダが絶句した。頬の頂きを染めた赤みが、見る見る耳にまで広がっていく。
「あ、これも違う」
「やだ、最悪」
「わたしだったら〜、恥ずかしくてもう外を歩けないな〜。堂々とアリアハンで生活していたブレンダは〜、強い子だね〜」
「や、止めろお前ら、見るな……見るなって! 見ないでくれ!」
 ブレンダとその不良仲間達は、かしこさの程度を永遠に故郷に露呈してしまうのだ。若気の至りの恐ろしさをつくづく知らしめた一幕である。