VALENTINE









真夜中の誓い



  窓枠に頬杖を突きながら、ベリアルは吹き荒ぶ雪礫を眺めていた。
 空から降り注ぐ雪と地から吹き上げられるそれが混じり合い、視界は白一色に染められている。ごつごつとした岩山や整然と立ち並ぶ針葉樹を見透かそうとしても、吹雪の壁は厚くてそれすらも叶わない。
「あーあ、退屈」
 溜息をつくと窓ガラスが曇った。益々濃度を強めた白さにうんざりとしつつ、ベリアルは窓から離れる。
 降臨したロンダルキアは、雪と氷に閉ざされた不毛の地だった。凍りついた大地に雪が積もるのを、ただぼんやりと眺めるだけの日々。鳥さえ訪わぬこの場所で、刺激的な出来事など起こりうるはずもない。
 ベリアルはどさりとカウチに腰を下ろし、クッションに体を預けた。いらいらと踵を鳴らしながら、やや甲高い声で怒鳴る。
「紅茶をちょうだい!」
 ややあって、小間使いのブリザードがいそいそと盆を運んできた。命令を下してから凡そ五分、ベリアルが心変わりするには十分な時間である。
「あんまり遅いから紅茶って気分じゃなくなっちゃった。もうそれいらない。ココアにして」
 お役目御免を言い渡されたブリザードがすごすごと退室し、それと入れ替わる形で別のブリザートがココアを運んでくる。平生ベリアルのわがままに振り回されまくっている彼らの連携は完璧だ。何時また主の気が変わっても良いよう、コーヒーやホットミルクを用意したブリザードの団体が、廊下にずらりと列を成している。
「ミルクは当然しっかり温めたのを……」
 カップの淵に唇を寄せた瞬間、ベリアルの眉毛が吊り上る。
 ブリザートが恭しく差し出したココアは冷めるどころか、表面に薄い氷が張っていた。冷気を放つ彼らが触れるものは、大概すぐに凍りついてしまうのだ。
「もう、バカ! 何であんた達ってば氷なのよ!」
 理不尽なベリアルの怒号にブリザート達が飛び上がる。わっと蜘蛛の子を散らすように彼らが逃げ出すと、広い部屋には誰もいなくなった。
「つまんないっ」
 しんと降りてきた沈黙に苛立って、ベリアルはクッションを壁に叩きつけた。
「アトラスもバズズも何処ほっつき歩いているのかしら。ずるいわ」
 仲間の気配が消えていることに気づいたのは、真夜中を過ぎた頃だった。ハーゴンが礼拝堂にこもったのを幸いと、何処かに出掛けたらしい。ロトの末裔にちょっかいを出しにいったのか、夜空の散歩と洒落込んだのかは定かでないし興味もないが、自分だけがこのつまらない神殿に残された事実が面白くなかった。
 二人に倣って出掛けようにも今夜の吹雪は殊更酷く、不完全な体で暴風を突っ切ることは躊躇われた。完全な形で降臨出来ていれば怖いものなどないのにと、我が身の不甲斐なさにも苛立ちが募る。
「人間の器に閉じ込められるのって、なんて窮屈なのかしら」
 ベリアルはすみれ色の髪を物憂げに掻き上げた。
「もっと色っぽい女の体だったら磨き甲斐もあるのに。この体ときたら、どっちが前で背中だか分かりゃしないのよ」
 ナナが聞いたら憤死しかねない文句を並べつつ、ベリアルは椅子から立ち上がる。
 廊下に出ると、外と変わらぬ冷気が肌に纏わりついた。小さな唇から白い息を吐き出しながら、ベリアルは長い回廊を進んでいく。冷たい大理石を踏みしめる足音が、壁に反響してわんわんと響いた。
「毎日毎日良く飽きないわね」
 開け放たれた扉の向こうには、この建物の核とも言うべき礼拝堂が広がっている。数多の蝋燭が黒い炎を揺らめかせる先には氷の祭壇が聳え立ち、破壊神シドーの依代が恭しく祀られていた。
「邪神らしからぬ台詞だな。我ら人間の祈りは神々の糧だと聞くが」
「ええ、それはその通りよ。何時もご馳走様」
 ベリアルはぺろりと唇を舐めた。さりげなくも艶めかしい仕草は、ナナには絶対に真似出来ない代物だ。
「お前は外に出ないのか」
「あら、アトラスとバズズがいないのに気づいていたの?」
「お前達ほどの気が動けば嫌でも分かる」
「さすが、神聖サマルトリアの王弟さんは邪気に敏感ね」
 眉を聳やかしても、ハーゴンは瞬きをしただけで一向に挑発に乗ってこない。彼は邪神などよりもよっぽど無機質で冷たい存在だった。
「つまらない男」
 ハーゴンはそれきりベリアルを無視して祈りを再開する。低く響く大神官の声は、ベリアルの耳道を心地良く震わせた。
「無愛想で感じ悪いけど、顔と声はいいのよね」
 氷の壁に凭れかかりながら、ベリアルはハーゴンの後姿をつくづくと眺めた。バズズの器たるサマルトリアの王子も美しい顔立ちをしているから、彼の一族は容姿に恵まれているのだろう。
「バズズがサマルトリアを乗っ取ったら、王族の傍系を何人か分けてもらおうかしら」
 饅頭のお裾分けを望むような気楽さで呟き、バズズは口元に人差し指を当てた。その唇がにこりと笑みの形を刻む。
「あたしの側近は声と顔を基準にして固めようかしら。どうせ傍に置くなら好みのタイプがいいし、第一そいつ等なら凍ったココアを運んでくるなんてこともないだろうし」
 自らの思いつきにわくわくとしながら、ベリアルは邪神の像に向かって優美に会釈した。
「わたくしベリアルは今宵、理想郷の形をこれと定めました。虚無の神の名を頂くに相応しい国となるよう、力の限りを尽くすことをここに誓います」
 ベリアルは、礼拝堂にやって来た時とはうって変わった気分で廊下に出た。鼻歌混じりに廊下を渡り自室を目指す。夢いっぱいのベリアル王国の構想で、当面の暇は潰せそうだった。